vol.4(2006年4月18日更新)

 


女性登山家として世界で初めて、アルプスの三大北壁(マッターホルン、アイガー、グランド・ジョラス)を完全登攀した今井道子さん。「なぜ山に登るか」と問われて、「そこに山があるから」と答えたのは、伝説の登山家マロリーだが、同じ質問を彼女にぶつけると、ちょっと困った顔になる。

「その質問が一番苦手なのよね。あと、『山との出会いはいつですか?』と聞かれることも(笑)」

そんなとき、今井さんはいつもこう答えることにしている。


家族でスキー旅行。幼い頃の今井さん(一番右)
「山は私の故郷です。山との出会いは、物心つく前なのでいつからか覚えてません」 それほど山は、幼い頃から彼女にとって切り離すことのできない生活の一部になっていた。

今井さんは1942年2月1日に東京で生まれた。両親とも医者で、妹2人、弟1人の長女。だが彼女に都会っ子の実感は無い。

今井さんがまだ幼い頃、両親は子供たちを大自然の中で遊ばせることを第一に考えて、都会から頻繁に連れ出してくれた。

「夏には、避暑も兼ねて山に行くことが多かったですね。長期休暇に入ったら、必ず自然に囲まれて過ごす。これが当たり前のことだと思っていたんです」

このように自然と接することが当然の環境で育った今井さんは、東京女子医科大学に入学したときも、迷わず山岳部に入部。ちなみに医者を志したのは、両親や親戚が医者だったことから、自然の流れだったと今井さんは話す。むろん、病気で苦しむ人たちの役に立ちたいという思いも強かった。




医学の勉強の傍ら、今井さんは山歩きに没頭した。大学の山岳部の活動以外にも、クラスの友達を誘って美ヶ原、蓼科などをハイキングした。しかし今井さんは次第に、もっと難易度の高い山に登りたいと思うようになる。

ところが、そうしたレベルの高い山に一緒に登ってくれる登山仲間がいない。山岳雑誌に出ている山岳会の会員募集欄を見ても、求められているのはほとんど男子。これにはがっかりした。

「私は完全に男女平等の家庭に育ちました。両親は、私が女の子であろうと、将来社会の一員として働ける人間になるようにと教育してくれました。私自身、女が男より劣っているなんて夢にも考えたことがない。ところが、現実社会はそうではないことに気がつきました。とりわけ山登りは、体力的にも精神的にも男の独壇場という先入観が強かったようです」

仕方がないので、大学山岳部の2、3人のメンバーと独学で冬山にチャレンジ。穂高や南八ヶ岳の赤岳を登り、アイゼンの付け方、ピッケルの使い方を学んだ。

大学5年生で山岳部の部長になると、ロッククライミングに関心を持つようになる。

「尾根歩きをして頂上に到達するより、ロッククライミングで直線距離を登ったほうが早く山頂にたどり着けるしょ(笑)」

登山の途中には岩場は必ずあるし、ザイルの使い方を部員たちも学んでおいたほうがいいと考えた今井さん。まずロッククライミングのコーチを探したが、「女の子が岩登り?」とまじめに受け取ってもらえなかった。

そこに現れたのが、当時すでに先駆的なクライマーだった加藤滝男氏だ。しかし、加藤氏も最初は今井さんたち女性山岳部員の熱意がわからず、「物好きな女の子たちだ」と話半分に引き受けた。 ところが、コーチを始めて彼女たちのファイトに圧倒され、これはまじめに教えなければだめだと悟ったという。


1965年、谷川岳にて
「あの頃私は、とにかく男性と張り合っていました。ケンカしては口だけじゃなく足が出ることも(笑)。そしてついたアダ名が“シャモ”。女友達からは、『あなたは全男性を敵に回している』って言われるほどでしたね」

ロッククライミングを知れば知るほど今井さんはその魅力に取り付かれた。何といっても、ただの山登りでは味わえない景色のすばらしさに圧倒されたのだった。

「標高何千メートルの岩の間に小さなエーデルワイスが咲いている。誰にも見られないかもしれないこんな場所で、美しく花を咲かせる姿はとても健気なんですよ」

鷹取山、谷川岳の一ノ倉沢南綾、奥多摩の越沢バットレス。今井さんは次々に日本の山々を登って技術を習得した。




1969年アイガー北壁を登攀
こうして女性クライマーとして頭角を現した今井さんは、海外に目を向ける。ヨーロッパアルプスの三大北壁の一つ、マッターホルン北壁は、すでに日本人の登山隊によっても登攀されていたが、女性だけのパーティが登った記録はなかった。

「マッターホルンを登れば、女は判断力がないし筋力も無いから岩登りは難しいを思っている男性たちの認識を変えられるかも」

そう決心した彼女は、3年間の準備を経て1967年7月、「東京女子医科大学山岳部欧州アルプス遠征隊」を率いてマッターホルンへ出発したのだった。

通常、女性は男性とペアを組むが、今井さんは女性同士のペアで臨むことに。相棒となった若山美子さんとトップを交代しながら、氷壁を42時間かけて登り、4477.5メートルの頂上に到達した。 世界で初めて、女性ペアでの登攀に成功した今井道子の名前は一躍有名になり、女性登山家という存在がようやく市民権を得た。

グランド・ジョラス北壁山頂にて高橋和之さんと挙式(中央)
その後も彼女は挑戦を続け、69年8月には、一枚岩の切り立った岸壁が『人食い岸壁』の異名をとるアイガー北壁(3974メートル)を5人の男性とともに登攀、新しい直登ルート=ジャパンルートを開拓した。そして71年には、グランド・ジョラス北壁(4208メートル)にも登攀。

この山頂で、同じ山仲間の登山家・高橋和之さんと結婚式を挙げ、これも話題となった。

今井さんはさらに、ヒマラヤのダウラギリ・クロス縦走を成功させ、チョモランマの北壁冬期登山にも挑戦、85年の2度目の挑戦時には、冬期世界最高到達点8450メートルを記録した。2002年には春期チョモランマの8500メートルに達成した。




現在、今井さんは医師であり、登山家であるほかに、自然と親しみ、会員相互の親睦を図ることを目的とした『クラブ・ベルソー』というサークルを主宰している。

「都会で暮らす方たちを山にお連れして、自然の大切さ、素晴らしさを実感し、心身ともに健康を維持してもらうことも私のライフワーク。国内外の山野ツアー、スキー、乗馬トレック、カヌー、ラフティング等、自然の中でのアクティビティは何でもトライしています」

同クラブでは稲作も大事な行事の一つ。以前から無農薬、有機栽培で米を作りたいと思っていた今井さんが、白馬連山の麓に3反(約3000平方メートル)の田んぼを借りて始めた。毎年5月にはメンバー20人ほどで田植えに精を出し、9月には稲刈りをする。

私生活では妻であり、母親でもある今井さん。著名な登山家で、登山用品のメーカー、および専門店を経営している夫の高橋さんとは、「お互い忙しくてケンカをしている暇もない」と笑う。

一見、多彩に見える今井さんの人生。だがその基本姿勢は一貫している。それは「自然から学ぶ」ということだ。

「人間は自然界の一部なのに、楽をしたいと思うあまり、随分自然界から遠ざかってしまった。人間が抱えるストレスの一つは、実は都会にいることそのものだということが、最近日本発の研究でわかってきたんです」

人間関係に悩んだり、何かに迷って決断を迫られるようなとき、自然界に出かけるといいと今井さん。人間社会の息苦しさから脱却できるし、大自然を前にすれば、人間同士のいざこざなどちっぽけなものだと居直れる。グループで山登りすれば、人付き合いのノウハウは自ずと身につく。また、厳しい自然に遭遇したときは自分の判断力だけが頼りだ。常に周りの人と比べて物事を判断するような付和雷同型では大自然の中では生き残れない。

「人に左右されない確固とした信念や価値基準を養いたいなら大自然の中に入るのが一番」だと今井さんは教えてくれた。
働くビタミン 時代を創った女性たち

vol.4 (2006年4月18日更新)

今井通子

世界初!欧州三大北壁を女性で初めて登攀した「女性三冠王」


Michiko Imai
登山家・医学博士

「女には無理」という
常識を覆し女だけで
挑んだマッターホルン

女性登山家として世界で初めて、アルプスの三大北壁(マッターホルン、アイガー、グランド・ジョラス)を完全登攀した今井道子さん。「なぜ山に登るか」と問われて、「そこに山があるから」と答えたのは、伝説の登山家マロリーだが、同じ質問を彼女にぶつけると、ちょっと困った顔になる。

「その質問が一番苦手なのよね。あと、『山との出会いはいつですか?』と聞かれることも(笑)」

そんなとき、今井さんはいつもこう答えることにしている。


「山は私の故郷です。山との出会いは、物心つく前なのでいつからか覚えてません」 それほど山は、幼い頃から彼女にとって切り離すことのできない生活の一部になっていた。

今井さんは1942年2月1日に東京で生まれた。両親とも医者で、妹2人、弟1人の長女。だが彼女に都会っ子の実感は無い。

今井さんがまだ幼い頃、両親は子供たちを大自然の中で遊ばせることを第一に考えて、都会から頻繁に連れ出してくれた。

「夏には、避暑も兼ねて山に行くことが多かったですね。長期休暇に入ったら、必ず自然に囲まれて過ごす。これが当たり前のことだと思っていたんです」

このように自然と接することが当然の環境で育った今井さんは、東京女子医科大学に入学したときも、迷わず山岳部に入部。ちなみに医者を志したのは、両親や親戚が医者だったことから、自然の流れだったと今井さんは話す。むろん、病気で苦しむ人たちの役に立ちたいという思いも強かった。
写真1
家族でスキー旅行。幼い頃の今井さん(一番右)

turning
point 1
登山で直面した男女差。
独学で冬山に挑戦

医学の勉強の傍ら、今井さんは山歩きに没頭した。大学の山岳部の活動以外にも、クラスの友達を誘って美ヶ原、蓼科などをハイキングした。しかし今井さんは次第に、もっと難易度の高い山に登りたいと思うようになる。

ところが、そうしたレベルの高い山に一緒に登ってくれる登山仲間がいない。山岳雑誌に出ている山岳会の会員募集欄を見ても、求められているのはほとんど男子。これにはがっかりした。

「私は完全に男女平等の家庭に育ちました。両親は、私が女の子であろうと、将来社会の一員として働ける人間になるようにと教育してくれました。私自身、女が男より劣っているなんて夢にも考えたことがない。ところが、現実社会はそうではないことに気がつきました。とりわけ山登りは、体力的にも精神的にも男の独壇場という先入観が強かったようです」

仕方がないので、大学山岳部の2、3人のメンバーと独学で冬山にチャレンジ。穂高や南八ヶ岳の赤岳を登り、アイゼンの付け方、ピッケルの使い方を学んだ。

大学5年生で山岳部の部長になると、ロッククライミングに関心を持つようになる。

「尾根歩きをして頂上に到達するより、ロッククライミングで直線距離を登ったほうが早く山頂にたどり着けるしょ(笑)」

登山の途中には岩場は必ずあるし、ザイルの使い方を部員たちも学んでおいたほうがいいと考えた今井さん。まずロッククライミングのコーチを探したが、「女の子が岩登り?」とまじめに受け取ってもらえなかった。

そこに現れたのが、当時すでに先駆的なクライマーだった加藤滝男氏だ。しかし、加藤氏も最初は今井さんたち女性山岳部員の熱意がわからず、「物好きな女の子たちだ」と話半分に引き受けた。 ところが、コーチを始めて彼女たちのファイトに圧倒され、これはまじめに教えなければだめだと悟ったという。


「あの頃私は、とにかく男性と張り合っていました。ケンカしては口だけじゃなく足が出ることも(笑)。そしてついたアダ名が“シャモ”。女友達からは、『あなたは全男性を敵に回している』って言われるほどでしたね」

ロッククライミングを知れば知るほど今井さんはその魅力に取り付かれた。何といっても、ただの山登りでは味わえない景色のすばらしさに圧倒されたのだった。

「標高何千メートルの岩の間に小さなエーデルワイスが咲いている。誰にも見られないかもしれないこんな場所で、美しく花を咲かせる姿はとても健気なんですよ」

鷹取山、谷川岳の一ノ倉沢南綾、奥多摩の越沢バットレス。今井さんは次々に日本の山々を登って技術を習得した。
写真1
1965年、谷川岳にて

turning
point 2
女性三冠王!そして山頂での結婚式

こうして女性クライマーとして頭角を現した今井さんは、海外に目を向ける。ヨーロッパアルプスの三大北壁の一つ、マッターホルン北壁は、すでに日本人の登山隊によっても登攀されていたが、女性だけのパーティが登った記録はなかった。

「マッターホルンを登れば、女は判断力がないし筋力も無いから岩登りは難しいを思っている男性たちの認識を変えられるかも」

そう決心した彼女は、3年間の準備を経て1967年7月、「東京女子医科大学山岳部欧州アルプス遠征隊」を率いてマッターホルンへ出発したのだった。

通常、女性は男性とペアを組むが、今井さんは女性同士のペアで臨むことに。相棒となった若山美子さんとトップを交代しながら、氷壁を42時間かけて登り、4477.5メートルの頂上に到達した。 世界で初めて、女性ペアでの登攀に成功した今井道子の名前は一躍有名になり、女性登山家という存在がようやく市民権を得た。

その後も彼女は挑戦を続け、69年8月には、一枚岩の切り立った岸壁が『人食い岸壁』の異名をとるアイガー北壁(3974メートル)を5人の男性とともに登攀、新しい直登ルート=ジャパンルートを開拓した。そして71年には、グランド・ジョラス北壁(4208メートル)にも登攀。

この山頂で、同じ山仲間の登山家・高橋和之さんと結婚式を挙げ、これも話題となった。

今井さんはさらに、ヒマラヤのダウラギリ・クロス縦走を成功させ、チョモランマの北壁冬期登山にも挑戦、85年の2度目の挑戦時には、冬期世界最高到達点8450メートルを記録した。2002年には春期チョモランマの8500メートルに達成した。
1969年アイガー北壁を登攀
グランド・ジョラス北壁山頂にて高橋和之さんと挙式(中央)

turning
point 3
都会の人を自然へ。国内外で活動開始

現在、今井さんは医師であり、登山家であるほかに、自然と親しみ、会員相互の親睦を図ることを目的とした『クラブ・ベルソー』というサークルを主宰している。

「都会で暮らす方たちを山にお連れして、自然の大切さ、素晴らしさを実感し、心身ともに健康を維持してもらうことも私のライフワーク。国内外の山野ツアー、スキー、乗馬トレック、カヌー、ラフティング等、自然の中でのアクティビティは何でもトライしています」

同クラブでは稲作も大事な行事の一つ。以前から無農薬、有機栽培で米を作りたいと思っていた今井さんが、白馬連山の麓に3反(約3000平方メートル)の田んぼを借りて始めた。毎年5月にはメンバー20人ほどで田植えに精を出し、9月には稲刈りをする。

私生活では妻であり、母親でもある今井さん。著名な登山家で、登山用品のメーカー、および専門店を経営している夫の高橋さんとは、「お互い忙しくてケンカをしている暇もない」と笑う。

一見、多彩に見える今井さんの人生。だがその基本姿勢は一貫している。それは「自然から学ぶ」ということだ。

「人間は自然界の一部なのに、楽をしたいと思うあまり、随分自然界から遠ざかってしまった。人間が抱えるストレスの一つは、実は都会にいることそのものだということが、最近日本発の研究でわかってきたんです」

人間関係に悩んだり、何かに迷って決断を迫られるようなとき、自然界に出かけるといいと今井さん。人間社会の息苦しさから脱却できるし、大自然を前にすれば、人間同士のいざこざなどちっぽけなものだと居直れる。グループで山登りすれば、人付き合いのノウハウは自ずと身につく。また、厳しい自然に遭遇したときは自分の判断力だけが頼りだ。常に周りの人と比べて物事を判断するような付和雷同型では大自然の中では生き残れない。

「人に左右されない確固とした信念や価値基準を養いたいなら大自然の中に入るのが一番」だと今井さんは教えてくれた。

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