他人の言葉を素直に受け止められないときの心の整理術
働く女性は時にわがまま。毎日、会社と部屋の往復だけでは決して満足できない。会社が終われば、また違う私でいたい――。今、仕事だけではなく幅広い趣味や教養を身につけた、オトナの遊びができる女性が最高にカッコいい。仕事にも遊びにもとことん向き合ってきたエディターの池田美樹さんが、デキる「大人のたしなみ」をレクチャー!
ブログ『EDIT THE WORLD』、Twitter@IKEDA_MIKI
先日、とあることが知りたくて友人に質問を投げ掛けたときのこと。友人は、私が欲しい答えを見つけようと、がんばっていろいろ調べてくれた。だが、なかなか私が本当に知りたいことには結び付かなかった。もうこれ以上は難しいな、と思って話を切り上げようとしたところ、最後に「いつでも美樹さんを応援していますから」と言われた。
ハッとした。友人のその一言を聞いて、彼女はおそらく、私との会話を早く切り上げたかったのではないか、と感じたからだ。
そういえば、これまでにも「応援しています」と言われたことがずいぶんあった。私はその言葉を喜んで受け取っていた。でも、もしかしたら単純に喜んではいけない言葉だったのでは?
「自分がこれ以上何もできない」、そう悟ったとき、「応援している」と言うしかなくなるのではないだろうか。つまり、彼女は私のお願いを負担に感じていたのではないか、と。
人に負担を感じさせた自分を恥じ、彼女に謝りたいと思った。けれど、謝られたところで、無意識に言葉を発した友人はきょとんとするだけだろう。謝るという行為は、私が自分自身を楽にしたいだけの身勝手な行為だしな……とも思う。
普段ならそんなに気にならない他人の言葉が、このときはどうしても気になって、ぐるぐると考え込んでしまった。そこで、別の友人にこのことを思い切って話してみた。
「考えすぎなんじゃないの?」と彼女は言う。
「いや、でもさ、自分が『あなたのこと応援してるから!』って言うときのことを考えてみたんだけど、やっぱり、私には何もできない、というときにこう言うことしかできなくなる気がして」
「確かに。それ、“思考停止ワード”に似ているのかな?」
「“思考停止ワード”?」
「『Et alors?』って言葉、知ってる?」
「フランス後で『それで?』とか『だからそれが何?』みたいな意味だよね」
「そう、ミッテラン大統領が女性問題に関して記者に質問されたときに答えた言葉。有名だよね。日本では同名の小説のタイトルになってドラマ化されたから、ちょっと違うイメージを持っている人もいるかもしれないけれど」
「それが“思考停止ワード”?」
「そう。『だから何?』って言われると、もう何も言い返せなくなるじゃん。それで会話はおしまいだよ、っていうことだよね。そういう言葉」
「なるほど。『応援しています』もそれに似ているんじゃないか、と」
「あなたの気持ちに合わせていうなら、そういうことになるね」
「うーん、でも、純粋に『応援したい』という気持ちはあるかもしれないわけだし。単に会話を打ち切りたいだけじゃないと思うんだよね」
「うんうん」
「これ以上具体的な力になることはできないけれど、心では応援しているね、という」
「そこが重要だよね。相手にその気はある。けれど、求めすぎてはいけないってこと」
「なるほど! じゃあ、そう言われたら、その話題については終わりにすればいい、ってことかな?」
「そうなんじゃないかな。ここまでしかできない、というサインだと思えば。だから、それまでやってくれたことや一緒に考えてくれたことに感謝すれば、それでいいんじゃない?」
「なるほど」
「人って、結局、最後に何かを決めるのは自分自身なんだよね。それを意識していればいいんじゃないかなあ。『応援してるね』って言われたら、素直に受け止めればいいんだよ」
「そうか、負担を感じさせたかな……と思う前に、ここまで相談に乗ってくれてありがとう、と思わなきゃいけなかったんだね」
「ありがとう、これはここまで。また明日ね! って感じでいいんじゃないかな」
まったく、持つべきものは友達だな、と思った。私に足りなかったのは、素直に受け止める力。これからは「応援しています」という言葉を素直に聞いて、私も素直に言える、と思った。
そして、もっと大切なことに気が付いた。話を聞いてくれた友人の存在だ。私には意地っ張りなところがあって、なかなか人に相談ができず、一人で考え込んでしまうことが多い。でも、友人と会話をすることで楽になれたり、自分の考えがスッキリ整理できたりする。
些細なことで悩んだときでも、もっと素直になって友人を頼ってもいい。相談に乗ってくれたこと、応援してくれたことに感謝すれば良いだけなのだから。そういう当たり前のことに、改めて気が付いた出来事だった。