08
NOV/2011

お金は使うためにある ――第1章「たまらないオンナ」

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money お金
菜緒は、納得いかなかった。

ボーナスは、1円たりとも使わずに貯金。毎月の収入の10%も貯金。

確かにそうすれば、かなりの額が積み上がる。菜緒の場合、1年間でボーナスが80万円と、毎月2万円×12か月=24万円、合計104万円が貯金できる計算になる。光熱費などをチマチマと節約するよりも、はるかに効率よく貯金できることは明らかだ。

けれど、あいにく菜緒は、貯金通帳の額が増えていくことに喜びを見いだせるような性格ではない。余裕があれば、ちょっとしたブランド品を買ったり、海外旅行に出かけたりしたい性分だ。

「ボーナスに加えて、毎月2万円も貯金してたら、ショッピングも旅行もできなくなっちゃう」というのが、菜緒の言い分だった。

不満げな顔で何かを言いかけた菜緒だったが、玄関から姉の菜実の「ただいま」という声が聞こえたとたん、表情がパッと明るくなり、口元が緩んだ。

「隼人、お帰り!」

菜緒は立ち上がり、甥っ子を迎えに小走りで玄関に向かった。しかしお目当ての彼は、なぜかそれまでの菜緒以上に不満げな表情で口を真一文字に結んでいた。眉間にしわを寄せたその表情は、3歳の男の子らしからぬ、気難しそうな顔だった。

「あれ? 隼人ったら、どうしたの?」

かがんで隼人の顔をよく見ようとしていた菜緒の脇をするりと抜けた隼人は、まっすぐリビングに入るなり、隅のプレイコーナーに陣取っておもちゃ箱を乱暴にひっくり返した。なにやら隼人は、ご機嫌斜めらしい。

あっさり無視され、取り残された菜緒に、菜実は小さく耳打ちをした。

「おまけつきのお菓子が欲しいって聞かないのよ。昨日買ったばかりだからダメっていったら、あの調子なの」

そう言って小さく笑った菜実は、フラップの部分がファーになっているカジュアルなショルダーバッグを菜緒に手渡しながら、「ソファーの上にでも置いといて」と頼んだ。そして、食材でいっぱいに膨れ上がったエコバッグを持ってリビングを通りぬけ、キッチンへと向かった。隼人と遊ぶのを楽しみにしていた菜緒は、なんだか気が抜けてしまった。

貯金をするのは何のため?

ゆっくりとリビングに戻った菜緒は、ソファーに座ると、菜実のバッグをしげしげと眺めた。ブランド物ではないようだが、質の良さそうな革で出来ている。菜緒にとっては初めて見るバッグだ。最近買ったものなのだろうか?

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「ねえ、お姉ちゃん、これ買ったばっかりでしょ? 新しいバッグ、いいなあ」

そう言った菜緒は、ちらりと横目で幸宏を見た。幸宏はダイニングテーブルに座ったまま、ズルズルとお茶をすすっている。

隼人が生まれてから専業主婦をしている菜実には、収入が無い。そういえば、垣谷家の家計はどうなっているのだろう? 幸宏の収入を管理しているのは菜実なのだろうか?

そんなことを考えながらバッグを斜めがけにしてフィット感を試していた菜緒に向かって、菜実がシンク越しに声を掛けた。

「それ、ついこの間思い切って買ったんだ。冬にいい感じのバッグって持ってなかったからね。貯金も貯まったことだし、ちょうどいいかと思って」

「え? 貯金しちゃったら、欲しいものも買えなくなるじゃない?」

菜実の言葉を聞いた菜緒は、びっくりして尋ねた。お姉ちゃんったら、貯金って、ヘソクリのことを言っているのだろうか? もしそうだったら、今幸宏義兄さんの前で言ってしまったらまずいだろうに……。

そんな菜緒の気持ちを知ってか知らずか、菜実は作業の手を止めずに答えた。

「なんで? 欲しいものを買うための貯金だよ。使ったっていいでしょ?」

菜実と菜緒の頭のなかには、クエスチョンマークが飛び交っていた。貯金は原則使えないと思っている菜緒は菜実の行動が理解できないし、使うための貯金だと思っている菜実は、菜緒が不思議がっている意味が良くわからない。

「使える貯金」と「使えない貯金」

そんな姉妹を交互に見つめていた幸宏は、ニヤリとしながら2人の間に割って入った。

「菜緒ちゃんが言っていることも、菜実が言っていることも、どっちも正しいよ。貯金には、使える貯金と、イザという時まで使っちゃいけない貯金とがあるんだ」

菜緒は、バッグを斜め掛けにしたまま、幸宏の向かいの席に座った。菜実はキッチンの片づけを続けている。隼人は、大人たちが自分に構ってくれないのが気に入らないのか、おもちゃを乱暴に扱いながら、ひとりで何事かをわめいている。

幸宏は隼人を呼んで自分の膝の上に来るように促したのち、菜緒に向き直って説明を始めた。

「貯金として、ボーナス全額と、手取り収入の10%を貯めるようにって言っただろ? その理由は、それぞれ違うんだ。ボーナス全額分の貯金は、病気になったり、君の友達のように突然無職になってしまったときのための貯金。これは基本的に、使ったらダメ」

ここまで説明した幸宏は、まだぶつぶつ言っている隼人に向かって一喝したのち、再び菜緒に向き直った。父親らしい威厳を発揮している幸宏を初めて見た菜緒は、まるで自分が怒られているような気分になってきた。

そんな菜緒に構うことなく、幸宏は改めて口を開いた。

「それから、手取りの10%分の貯金。これは使える貯金と考えればいい。たとえば菜緒ちゃんぐらいの年齢だと、結婚式ラッシュだったりするよね。10%貯金は、そのご祝儀に充てたらいいと思うよ。それから、突然パソコンや冷蔵庫が壊れちゃったら、その購入代金にも充てられるよね。ウチの場合は、この前の地デジ化のときに新しいテレビを買うお金を、この10%貯金から出したんだ。もちろん、旅行やバッグに使うのもアリだね。ただし、本当に欲しくて必要ならっていう条件付きでね」

そう言うと、幸宏は菜実にちらりと目を向けたのち、菜緒に向かって意味深な笑顔を見せた。すぐにキッチンから、菜実の大きな声が聞こえてきた。

「本当に欲しくて必要なものだったのよ、そのバッグは。ずいぶん考えて買ったんだから」

菜実の言葉を受けて、幸宏が言った。

「一度貯金に回すという行為をすることによって、その“物欲”はただのストレス解消なのか、本当に必要なものなのかを考える余裕が生まれるでしょ? それがムダを抑えるいい効果を生むんだ。まあ、僕から言わせてもらうと、バッグなんか何個もあっても意味がないような気がするんだけどね。女性にとっては必要だってことらしいね」

やがて菜実は、切り分けた梨を盛った皿を持ってきた。そしてリビングの隅でぶつぶつと文句を言っている隼人のそばに近づき、「菜緒ちゃんと一緒に梨を食べよう」などと言いながらご機嫌を取り始めた。

そんな菜実と隼人の様子を見ながら、菜緒は幸宏の言葉を思い出していた。

使える貯金と使ってはいけない貯金。この2つがあるという考え方は、とても理にかなっている。全て使えないと考えるとストレスばかり溜まってしまうけれど、予期せぬ出費や生活必需品のために使える貯金があると考えれば、なんだか気持ちに余裕が生まれる。

それに、一度貯金に回すということによって、欲しいと思ったものが本当に必要なものなのかを心に問うことができるというのも、納得できる話だ。欲しいと思ったらすぐに買わないと気が済まないタイプの菜緒は、これまでのムダな買い物の数々を思い出していた。

バーゲンだからお得だと思って買ったのに、一度も袖を通していない洋服。家にあるものとは全然違うと思って買ったのに、実はテイストや色合いが似ていたバッグ。こうしたムダ遣いは、一度家に戻って頭を冷やしたら避けられたはずだ。

貯金が与えてくれる心の余裕

それでも菜緒は、ひとつだけ心に引っかかることがあった。

「でもね、私、今度の冬のボーナスで買いたい時計があるんだよね……」

菜緒は、毎年冬のボーナスで“自分へのご褒美”を買うのを楽しみにしていた。1年間頑張って、辛いときも歯を食いしばりながら仕事をしてきた自分に対するねぎらいの意味を込めてのプレゼントだった。

もちろん、ご褒美という以上、毎年それなりの品を買い求めている。菜緒は、今年はあるハイブランドの腕時計を買おうと計画をしていた。その時計を身に着けていても恥ずかしくないぐらい、今年1年は頑張ったという自信があったのだ。

幸宏も、菜緒のその気持ちは理解できた。幸宏自身、身に着ける物にはこだわりがある。特に、腕時計や万年筆、名刺入れといった仕事に必要な小物は、厳選して納得した物を持っている。

それでも幸宏は言った。

「良い品を計画立てて買うことは、全然悪いことじゃないよ。むしろ“安物買いの銭失い”よりはよっぽどいいことだよね。でもさ、本当に欲しいのなら、やっぱり10%貯金と日常のやりくりの範囲内で買うべきだと思う。ボーナスという臨時収入に頼らないと買えないっていうことは、まだ今は買うべきではないというサインだと思うよ」

「まだ、今は買うべきではないんだ……」

菜緒は、がっくりと気落ちしたような調子で幸宏の言葉を繰り返した。けれど、内心では幸宏の言葉に納得していた。

確かに、自分の将来に訪れるかもしれない“もしも”の時を支えてくれる貯金に手を付けてまで、自分にご褒美を与える必要はない。それよりも、“もしも”の時に安心できるだけのお金があるという心の余裕のほうが、よっぽど素晴らしいご褒美だと言えるのではないだろうか。

菜緒は、失業してから2か月間、納得のいく転職を果たそうと頑張っている朱美のことを思い出していた。彼女のようにお金の余裕があれば、自分のキャリアをじっくりと考えた上で次の職を選ぶことができる。けれど、その余裕が無かったら、どうだろう。たとえ納得がいかなくても、とりあえずの収入のために職を決めなくてはならない。

おもちゃで遊んでいる隼人を見守っていた菜実が、感慨深げに言った。

「子どもができると、本当にお金がかかるのよ。隼人もそう。来年から幼稚園に通い始めるし、そろそろ習い事も始めないといけないじゃない? お受験にだってチャレンジさせたいし。だから、菜緒みたいに独身の頃から、ちゃんと貯金はしておいたほうがいいと思うのよ。子どもができたら、貯金どころじゃなくなっちゃうから」

「最近、菜実はお受験とか英才教育とかに興味津々なんだよね……」

幸宏が小さな声でささやいた。菜緒は、そんな幸宏のうんざり顔を見て思わず笑ってしまった。そして、笑いながらも、確かに自分の将来のための貯金なのだから、早いうちから始めるに越したことはないと納得することができた。

ただし、菜緒には心配があった。

小さいころから、もらったお年玉は一気に使っていた菜緒だ。あるだけ使ってしまうクセは、大人になった今も変わらない。そんな性格は、今から矯正できるものなのだろうか?

だんだんご機嫌が良くなってきたらしい隼人の無邪気な笑顔を見ながら、菜緒はぼんやりと考えていた。

(第4回へつづく)

イラスト/杉山 美奈子


■主な登場人物
村崎菜緒 むらさき・なお(28歳)

大手のアパレルメーカーに勤務。アラサー世代をターゲットにした「デシネ dessiner」というブランドの百貨店営業を担当。新人の教育役も任されている。現在、彼氏なし。

垣谷菜実 かきや・なみ(33歳)
菜緒の姉。子どもが生まれてから専業主婦をしており、3歳の息子、隼人の英才教育に興味津々。子どもの頃から姉妹の仲が良く、たびたび遊びに来る菜緒の良き相談相手。

垣谷幸宏 かきや・ゆきひろ(33歳)
菜実の夫で地方銀行に勤務。菜緒にとっては、ちょっと毒舌なお兄さん的存在。週末に隼人と遊ぶことを楽しみに、毎日の仕事に励む日々。


高山弥大氏【取材協力】
株式会社 T&T Budget Consulting
代表取締役 高山弥大氏

法政大学法学部卒業後、司法書士事務所、法律事務所、外資系金融機関にて法律・不動産・金融等の実務を経験した後、T&T Budget Consultingを設立。独立系ファイナンシャルプランナーとして、住宅ローン相談や不動産投資コンサルティングをはじめ、個人のライフプランに即したマネープランニングをトータルにサポート。きめ細かい対応と顧客重視の提案には定評があり、新聞やテレビ、雑誌などのメディア掲載歴も多数。DVD『高山式家計管理術』好評発売中。http://www.office-tandt.co.jp/

【著者紹介】
朝倉真弓

1994年、青山学院大学文学部日本文学科卒業。一般企業、出版社、編集プロダクションを経て、1999年よりフリーランスとなり、現在に至る。経営、金融、就職・転職、起業などをテーマに、書籍や雑誌、企業広報誌などで執筆やインタビューを手掛けている。近著『女子の幸福論』(ダイヤモンド社)が大好評発売中

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