社内起業は「幸せの4因子」そろう“最幸”の働き方? 幸福学・前野隆司×『あすけん』道江美貴子対談

社内起業

今の仕事の延長線上にはない、新しいことに挑戦してみたい。そんな思いはありつつも、会社を辞めてまで起業する勇気を持てない人は多いだろう。

そんな人に紹介したいのが「社内起業」という選択肢だ。

社内起業家は、自社にない製品やサービス、新規事業を生み出すために設置された組織をリードする人。

例えば、AI食事管理アプリ『あすけん』を手掛ける株式会社askenの取締役、管理栄養士の道江美貴子さんもその一人だ。

askenは、社員食堂等の受託運営大手の株式会社グリーンハウスの社内ベンチャー。その立ち上げを担った一人が道江さんだ。

道江さん

サービスの新規立ち上げは、苦労の連続。『あすけん』をリリースした後も、しばらくは鳴かず飛ばずの時期が続き、厳しい状況を何度も経験しました。

道江さん

それでも、社内起業を経験したことで、私自身の幸福度はすごく高まっていて「働く喜び」を以前にも増して感じられるようになったんです

なぜ、社内起業を機に道江さんの幸福度は高まったのか。その理由を、慶應義塾大学大学院教授で幸福学者の前野隆司さんと道江さんの対談から探る。

株式会社asken 取締役 管理栄養士
道江 美貴子さん

女子栄養大学栄養学部卒業後、フードサービス大手の(株)グリーンハウスに入社、これまで100社以上の企業で健康アドバイザーを務める。2007年、事業立ち上げに参画した『あすけん』は、栄養士のアドバイスが受けられるダイエットサポートサービスとして、750万人以上が利用する国内最大級のサービスに成長。現在、『あすけん』の事業統括責任者を務めるかたわら、テレビ・雑誌の出演や栄養監修等、幅広く活躍中。著書『なぜあの人は、夜中にラーメン食べても太らないのか?』(クロスメディア・パブリッシング)のほか、監修書多数

慶應義塾大学大学院システムデザイン・マネジメント研究科教授/幸福学者
前野隆司さん

1984年東京工業大学工学部機械工学科卒業、86年東京工業大学理工学研究科機械工学専攻修士課程修了、同年キヤノン株式会社入社、93年博士(工学)学位取得(東京工業大学)、95年慶應義塾大学理工学部専任講師、同助教授、同教授を経て2008年よりSDM研究科教授。11年4月から19年9月までSDM研究科委員長。この間、1990年-92年カリフォルニア大学バークレー校Visiting Industrial Fellow、2001年ハーバード大学Visiting Professor

「幸せの4因子」を満たす、社内起業家の働き方

――道江さんは、管理栄養士として働く傍ら、IT企業であるaskenの立ち上げに参画されています。そもそも、社内起業に挑戦しようと思ったきっかけは何だったのですか?

道江さん

私はグリーンハウスに新卒で入社して、管理栄養士として10年ほど働いていました。

管理栄養士はやりたかった仕事ですし、充実はしていたのですが、どこかこの先のキャリアや目標を見失っていた部分があったんです。

道江さん

またこの先、10年、20年と同じ仕事をし続けるのだろうか、と。

ちょうどその頃、社内の「フリーエージェント制度」で新規事業立ち上げメンバーの公募があって、「これだ!」と思って手を挙げました。それが今の『あすけん』の事業です。

前野さん

キャリアで行き詰まりを感じたり、目標を見失ったりしたときに、新しいことを始めてみるのはとてもいいことですよね。

また、人の幸せには4つの因子があることが分かっています。

《幸せの4因子とは?》
(1)「やってみよう」因子(自己実現と成長)
夢、目標、自分の強みを持ち、夢や目標を達成しようと努力している

(2)「ありがとう」因子(つながりと感謝)
多様な人とつながり、感謝し、感謝される

(3)「なんとかなる」因子(前向きと楽観)
物事を前向きに、また楽観的にとらえる

(4)「ありのままに」因子(独立とマイペース)
自分らしく、他の人に左右されずに、マイペースに生きる
前野さん

起業をしたり、新しい事業の立ち上げに携わったりするというのは、まさにこの4因子を満たす行動です。

さらに、会社を飛び出して自力で資金を集めて起業する状況と比較して、社内起業は生活が脅かされるリスクは極めて低い。

仮に事業が失敗しても、自分のお金が無くなったり、路頭に迷ったりすることはありませんよね。

道江さん

そうですよね。私自身も、もともと人生を賭けてベンチャーを立ち上げるようなタイプではなかったんです。ハイリスクハイリターンは望んでいませんでした。

なので、『あすけん』の事業を推進するにあたっては、親会社の人たちとのつながりの中で、頼れる人たちが身近にいたというのが、チャレンジに踏み出せた大きな要因だと思います。

道江さん

実際、『あすけん』のサービスを始めてからしばらくは、利益を出すことができませんでした。

その間も親会社が出資を継続してくれましたし、自分たちのお給料も出してくれて。

精神的にも大きな支えだったと感じます。

前野さん

起業をすると、(1)「やってみよう」因子と、(4)「ありのままに」因子が満たされます。

それに加えて、社内起業はリスクを抑えられるということで、(2)「ありがとう」因子(3)「なんとかなる」因子も、独立して起業するより得やすいと考えられます。

道江さんの働き方は、まさに幸せの4因子を満たしていると言えますね。

日本人は起業に向かない民族? 心配性遺伝子を持つ人が8割

社内起業

――社内起業といえども、事業の責任者となれば、プレッシャーも大きそうですが、それで不幸になることはないのでしょうか?

前野さん

プレッシャーそれそのものは、人を不幸にするものではありません。

道江さんを見ていると、非常に充実していることが伝わってきますよね。

実は私の調査でも、経営者など組織の上の立場にいけばいくほど、幸せを感じている率が極めて高いんですよ

前野さん

これは給料が高いからというだけでなく、仕事にやりがいを感じられるからです。

もちろん経営者になればプレッシャーは少なからずあるし、苦しいこともたくさんあるけれど、何より自分で事業の裁量を持つことができることが大きい。

仕事も人生も自分でかじをとっている実感が持てるから、充実感を得やすくなります。

道江さん

グリーンハウスで働いていた時も、管理栄養士として調理師の方やパートの方とチームで目標を達成する充実感はありました。

道江さん

ただ、自分で事業をやるようになってからは、それまで以上に自ら仕事を動かす楽しさや、自分らしさを感じられるようになったんです。

すると、「もっとこうしたい、ああしたい」という意志がどんどん湧いてくるようになりました。

――前野さんは、かねてより社内起業家が増えることが望ましいと考えていたそうですね。

前野さん

はい。社内起業が増えてほしいと思う理由は、幸せの4因子がそろう働き方だからというのもあるし、そもそも日本人は一般的な起業に向いていない民族だからなんです。

――日本人が起業に向かないというのは?

前野さん

日本人は、欧米の人などと比べて、「心配性遺伝子」を持っている人の割合が高いことが分かっています。

脳の中で分泌されるセロトニンという物質があるのですが、セロトニンは「幸せホルモン」などと呼ばれるように、これが多いと幸福感や心の安寧につながることが知られています。

このセロトニンの分泌量には遺伝子が関係しているのですが、日本人の約8割が、セロトニンを多くつくれない「セロトニントランスポーターS型」の持ち主だと研究で判明しています。

前野さん

ちなみに、アメリカ人でこの「S型」を持っているのは約4割ですから、いかに日本人が「心配性」であるかを示しています。

言い換えれば、悲観的になったり、周囲の顔色をうかがったりするような人が多いので、欧米のようなハイリスクハイリターンな起業の仕方は本来向かない人が多いのです。

――なるほど、後のリターンは少なくとも、安心してチャレンジできる方が日本人向きというわけですね。

前野さん

はい。また、アメリカでは優秀な人は大学生のうちからどんどん起業していきますが、日本では優秀な人が企業の中にいることが多い。

だったら、企業がその優秀な人をサポートして、起業させていくような仕組みがあれば、イノベーションがもっと起きるはず。

だから私は、もっと社内起業がはやるといいなと常々思っていたんです。

「他責をやめたら楽になれた」視野が広い人ほど幸福度が高まる

社内起業

――道江さんは、経営者になってから、仕事の捉え方はどのように変わりましたか?

道江さん

ある時に「この事業をやっているのは私なんだから、すべての責任は自分にあるんだ」と思えた。

そうしたら、すごく楽になれましたね。

前野さん

面白いですね!

普通は全責任が自分にあると思ったら、むしろプレッシャーを感じてしまいそうですが、逆なんですね。

道江さん

はい。事業をやっていると言っても、親会社のもとだったこともあり、それまではどこかで他責の部分があったのかもしれません。

自分がやりたいと思っても、親会社が納得してくれないからできないんだ、というように。

道江さん

でも、そうではなく自分が言い続けることによって、親会社に納得してもらうこともできるし、組織やメンバーも自分の振る舞い一つで良くしていくことができる。

他人に対して「何でこうしてくれないの」と思う代わりに、「自分が変わりさえすればいいんだ」と腹落ちした時に、自分にとっての仕事の意味が大きく変わった気がします。

前野さん

かっこいいですね。

おそらく、それは視野が広がったということだと思います。

ある研究では、視野が広い人ほど幸せを感じやすく、視野が狭い人は悲観的だという結果が出ています。

前野さん

会社員というのは、放っておくと視野が狭くなりがちです。

ピラミッド構造の中で、言われたことをやって昇進していく。

長くいればいるほど、その会社でしか価値がない人となり、転職もしにくくなる。

前野さん

すると、その組織の論理でしか物事を考えなくなってしまう。

そのような「しがみついている社員」は総じて幸福度が低くなります。

道江さんは、事業を率いることでさまざまな領域の仕事を経験し、視野が広がった。それによって、仕事のやりがいをより強く感じられるようになったのではないでしょうか。

ささやかな挑戦で、人は大きく変われる

社内起業

――道江さんは先ほど、やりたいことがどんどん湧き出てくると話していましたが、最近の挑戦は?

道江さん

2022年の6月から、『妊娠・授乳期に!あすママコース』という新しいアドバイスコースを『あすけん』の中に搭載しました。

これは、妊娠中・授乳中の方が体重や食事を記録して、妊娠・授乳期に適した食生活のアドバイスを受けられるというものです。

道江さん

『あすけん』はダイエット目的で利用されることが多いのですが、私はこの事業を始めた当初から、子どものうちから食生活を整えることで、健康な人生を過ごせる人をさらに増やせるのではという思いがありました。

子どもの食生活を変えるには、親の食生活や食への価値観が大事になってきます。

ですから、親となり、ご自身とお子さんの健康を守るために正しい情報を求めておられる妊娠中の方へ信頼できる食事のアドバイスをお届けしたいとずっと考えていました。

前野さん

次々と新しいアイデアが出てくるのは、まさに幸せであるがゆえに、創造性が高くなっていることの証だと思います。

ある調査では、幸福度の高い人は、創造性が3倍、生産性は3割増しだということが明らかになっています。

前野さん

今、「日本企業はアメリカに負けた」「なぜ日本からGAFAが生まれないのか」ということが盛んに言われますよね。

ですが、アドビシステムズが行った調査では、「最もクリエーティブな国は日本である」という結果も報告されています。

――つまり、日本にはクリエーティビティーやイノベーションを起こせる可能性を持った人材がたくさんいるのに、それを発揮できずにいると。

前野さん

はい。そして、「日本はダメだ」とみんなが思うようになったら、本当にダメになってしまう。

それを変えるには、一人一人が自分を信じて、変わっていくことが必要です。

その意味で、これからますます社内起業に挑戦するような人が求められる時代になると思いますね。

前野さん

もちろん、会社にそういう社内起業の制度がない場合もあるでしょう。

でも、新規事業に手を挙げたり、副業をしたり、「もし自分が起業するとしたら何ができるかな」と妄想したりするのでもいいんです。

前野さん

大切なのは「どうせ自分にはできない」と思わないこと。

自分らしい夢を描いて、一歩を踏み出してみてほしいなと思います。

大変なことはあるかもしれないけれど、得られる幸せが大きいというのは道江さんの事例からも分かるはずですから。

道江さん

以前は私も、事業を起こすなんて、意志が強くてバイタリティーのあるスーパーウーマンのような人しかできないと考えていました。

私なんて関係ない世界だ、と。

でも、何だか面白そうという気持ちから『あすけん』の事業に携わるようになり、ここまでくることができた。

道江さん

機会があれば、人は変われるんだということは、私の経験からも言えます。

ですから、読者の女性の皆さんも「私なんて」と思わずに、ぜひ機会があれば「こういうことをやってみたい」と口に出して言ってみてください

そして、機会があればぜひ、社内起業にも挑戦してほしい。そのときに、私の経験が参考になればとてもうれしいです。

取材・文/高田秀樹  企画・編集/栗原千明(編集部)

書籍紹介

社内起業家

社内起業家 サラリーマンでも起業家でもない生き方(生産性出版)
社内で起業するときの「コスパの良しあし」から「事業の面白さ」「大変さ」まで、そのメリットとデメリットも岩田氏が大胆分析。これから新しいことにチャレンジしたい人はもちろん、すでに新規事業にかかわっている人にもオススメの1冊