【すぐできる】職場で起きた「嫌なこと」を意図的に忘れられるスゴ技/心理学者・小林正法さん

嫌な記憶の忘れ方

仕事を終えて帰宅してもなお、上司からの厳しい一言が頭から離れなかったり、休日も仕事の失敗を引きずってしまったり。

「嫌なことを意図的に忘れられたらいいのに……」と思ったことは、きっと誰しもあるだろう。

そこで「忘れる技術」を学ぶべく、『心理学ミュージアム』(日本心理学会)で「嫌な記憶よ、さようなら~記憶を意図的に忘れる~」を発表した、山形大学准教授の小林正法さんの元を訪ねた。

小林さん プロフィール写真

山形大学人文社会科学部 准教授
小林正法さん

2008年、金沢大学文学部卒業。東京大学総合文化研究科で10年修士課程、13年博士課程を修了。『心理学ミュージアム』(日本心理学会)で発表した「嫌な記憶よ、さようなら~記憶を意図的に忘れる~」がXで話題に

なぜ嫌な記憶は強く残るのか

編集部

仕事で嫌なことがあると、帰宅後も休日もずっと考えて嫌な気分が続いてしまいます。

練習すれば嫌なことを忘れられるようになるのでしょうか?

小林

はい。個人差はどうしても出てしまいますが、嫌な記憶を「思い出しにくくする」ことはできます

編集部

思い出しにくくする?

小林

例えば、家の中で自転車の鍵を失くした状態をイメージしてください。

家の中には絶対にあるけれど、どこに置いたのか忘れてしまい、思い出せないから見つからない。そういうことってありますよね?

同じように、嫌な記憶も「頭の中にはあるけど、思い出しにくい」状態を目指すことはできます。

編集部

そもそもの質問ですが、なぜ嫌なことは記憶に残りやすいんですか?

「楽しいことばかり考える」より、自然と「嫌なことばかり考える」ことの方が多い気がします。

小林

諸説ありますが、動物の進化の過程において「嫌なことを覚えておくのは、生命を失うという最悪の結果を防ぐために有効だったのでは」という考え方があります。

例えば、食料を探しに行った先で熊に襲われた場合、その記憶を覚えていれば、次に同じ場所で命を狙われることは避けられますよね。

編集部

生存本能として嫌な記憶が強く残るようになったと。

小林

そういう意味では「嫌な記憶=悪いもの」とは限りません。

ただ、現代社会では生命の危機を感じることはほとんどなくなりました。それなのに嫌な記憶が強く残る性質は変わっていない。

その結果、日常で起きた嫌なことが頭に残ってしまい、かえって心身に悪影響を及ぼしているわけです。

編集部

思い出したくないのにネガティブな出来事を思い出しちゃうときって、気分としては最悪ですもんね……。

小林

人間は今の気分に合った情報を優先的に処理してしまうので、気分が落ち込んでいると別のネガティブなことを思い出しやすくなるんです

そうやってぐるぐると負のループに入ってしまうと、日常生活のウェルビーイングが下がりますし、精神疾患のリスクも高まってしまいます。

嫌なことを忘れるためにすべき二つのこと

編集部

では、嫌なことを思い出しづらくするために、まずは何からやればいいのでしょうか?

小林

大きく二つに分けると、「嫌な経験を思い出すのを止める方法」と「嫌な体験の直後に忘れようとする方法」があります。

【1】嫌な記憶に近い、別のことを考える

編集部

まず「嫌な経験を思い出すのを止める方法」は何をすればいいですか?

小林

嫌なことを思い出しそうになったときに、「嫌な記憶に近い、別のこと」を考えてください。

心理学的には「間接抑制」と言うのですが、別のことを思い出すと、忘れたい記憶を思い出す動きを抑えるメカニズムが働くと考えられているんです。

編集部

例えば、嫌いな上司のことを考えたくないのに思い出してしまう場合、代わりにどんなことを考えればいいですか?

小林

職場の楽しかった出来事や、仕事でやりがいを感じたことを考えるといいと思います。少なくとも、上司からは離れましょう

編集部

「上司のいい部分を考える」とか、そういうことじゃないんですね。

小林

そうです。嫌な対象そのもののことは考えないようにすることが大事です。

編集部

少し関連性のあることの中でも、ポジティブなことを考えた方がいいのでしょうか?

小林

その方がいいと思います。

繰り返しになりますが、ネガティブな気分のときは嫌なことを思い出しやすくなります。

それを防ぐ意味でも、明るい気持ちになれるようなことを考えた方がいいですね。

編集部

「そもそも職場が嫌い」な場合はどうすれば……?

小林

その場合は、会社の近くにある好きなお店のことや通勤途中で目にする好きな風景、帰宅途中にあった楽しい出来事などを考えるくらいがちょうどいいと思います。

編集部

嫌な記憶を思い出しそうになったら、「少し関連する別のこと」を考えるというのは、何度も繰り返す必要がありますか?

小林

はい。1回やったくらいでは、効果が薄いかもしれません。

何回やれば効果が出るのかは人によって差が出るところなのですが、何度も繰り返していくうちに嫌なことを思い出しづらくなっていきます

【2】「忘れる」と決める

小林

忘れる方法にはもう一つ、「嫌なことが起きた直後に忘れようとする」方法があります。

小林

「嫌だったから忘れちゃおう」「頑張って覚えないようにするぞ」みたいな感じで、頭の中から追い出すというか、頭に入ってくるのを防ぐイメージですね。

ある研究では、実験参加者にいくつかの単語を覚えてもらった後に「内容に間違いがあったので忘れてください」と言ったところ、通常より単語が記憶に残らなかったという結果が出ています。

つまり、「忘れていいよ」と言われると、人は忘れやすくなるんです

編集部

脳って意外と単純なんですね……。

小林

「思い出さないようにする」「忘れると決める」と言われると特殊に聞こえるかもしれませんが、みんな実は普段からいらない記憶を忘れることを繰り返しているんですよ。

例えば、引っ越してしばらくすると、古い住所は忘れていませんか?

編集部

確かに。

普段は自然にやっている「忘れる」を意識的にやるイメージを持てばいいんですね。

小林

まとめると、嫌なことが起きたら「忘れるぞ!」と自分に言い聞かせて、その後思い出しちゃったら、その記憶と関連する少し違うことを考える。

最初はつい嫌なことを思い出してしまうこともあると思いますが、繰り返すうちに思い出す頻度は減っていくと思います。

筋トレみたいなイメージで続けてもらえるといいですね

「後悔=悪いもの」とは限らない

編集部

嫌な記憶の忘れ方を聞きましたが、逆にやらない方がいいことはありますか?

小林

「嫌なことばっかり思い出しちゃう自分はダメだ」と考えるのはやめた方がいいですね

自分を否定したり罰したりするのは悪い記憶を定着させるだけでなく、メンタルを病んでしまうこともあるので逆効果です。

編集部

「休みの日にまで仕事の嫌だったことを考える私って、本当にダメなやつだな……」みたいな状態におちいっている人は多そうです。

小林

自己嫌悪は気分が落ち込みますから、ますます嫌なことを思い出しやすくなり、どんどんネガティブになってしまいます。

「まぁ、しょうがないか」「休みの日にこんなことを考えるのも自分だしな」など、嫌なことを思い出してしまう自分を受け入れる方向に切り替えられるといいですね

編集部

「ネガティブな気分のままでいない」ことが嫌な記憶を定着させないために大事なんですね。

小林

そうですね。

自分を俯瞰的に捉え、自分の認知や思考に気付くことを「メタ認知」と言いますが、そうやって「嫌なことを考えている」とまず気付くのが大事です。

というのも、ネガティブの扉ってどんどん開いてしまうんですよ。

逆にいえば、ポジティブな状態のときは良い情報を処理しやすいので、ポジティブなループに入れます。

編集部

忘れる技術を使うときに感情をポジティブな方向に切り替えられると、より嫌なことを思い出しにくくなりそうですね。

小林

そうやって思い出したくないのに思い出しちゃう頻度を減らしつつ、その出来事の意味を落ち着いて考え直してみるのもいいと思います。

ひどいことを言われた出来事も、「たまたま相手の機嫌が悪かったのかも」と思えれば捉え方が変わって、体験そのものがネガティブではなくなるかもしれません。

編集部

忘れる以外に、そもそもの体験自体の捉え方を変える方法もあるわけですね。

小林

「引きずりやすい人=後悔が多い人」だと思うのですが、後悔には良い面もあるんですよ。

後悔している人は同じ失敗を避けられるようになるから、後悔には「良い未来の選択を生む」機能があると言われています。

ネガティブな出来事自体はつらいですけど、「同じ目にあわないように、その経験を未来への糧にする」という切り替え方もあると思いますね。

忘れる技術は「自分の機嫌を取る技術」でもある

小林

あとは日記を書いて客観視するのも、気持ちを整理したり自分の思考の癖に気付いたりする上で有効だと思います。

編集部

なるほど。

ただ、書くことで記憶が定着すると聞いたことがあります。

小林

その可能性はありますが、「Fading Affect Bias」と言って、ネガティブな感情は消えるのが早いとも言われているんです。

例えば、就職活動のつらさを思い出してみてください。当時よりも、つらさは薄れていませんか?

編集部

たしかに。

その渦中にいるときはすごくつらいけど、今もその気持ちを引きずったりはしていないですね。

小林

「時間が解決する」と言いますけど、今がすごくつらかったとしても、振り返るとそうでもないなと思えることはよくあります。

それを日記に書くことで、確認していくイメージです。

編集部

記憶が定着するリスクよりも、後から振り返れることのメリットの方が大きそうですね。

「どのくらいの時間が経てば嫌な出来事を消化できるのか」を測る指標にもなりそうです。

小林

自分の人生を振り返れる良さもありますね。生きる意味や幸福感を高める効果もあると思います。

編集部

総じて、嫌なことを忘れる方法を身に付けることは、仕事をする上でどんな良い影響があると思いますか?

小林

個人的な意見ですけど、気分が安定している人は仕事相手として一番いいですよね。

仕事と関係ないことでイライラしている人より、精神的に安定してる人の方が仕事はやりやすい。

その意味では、忘れる技術を使って自分で自分の機嫌を取ることは、本人にとっても周りの人にとってもプラスになるのではと思います。

取材・文/天野夏海 企画・編集/栗原千明(編集部)