【フィフィ】28歳で妊娠、内定辞退、無職に。「立ち止まった時こそ人生の転機」と笑い飛ばせるワケ
もうすぐ30歳──「素敵な大人」になるために、28歳の今からやっておきたいことって何? キャリア、結婚、出産…さまざまな選択肢が現実味を帯びてくる「揺れる時期」をどう過ごせばいいのか、先輩たちの経験から紐解きます。
SNSでの鋭い発信や歯に衣着せぬコメントで注目を集め、情報番組やネットメディアでも存在感を放つタレントのフィフィさん。
今でこそ独自の視点から社会問題を語る論客として知られる彼女だが、20代の頃は名古屋のカラオケ制作会社で働く“普通の会社員”だった。
そんなフィフィさんの人生が大きく動いたのが、まさに28歳の時。
東京で新しい仕事に挑戦しようとしていた矢先、妊娠が判明。決まっていた内定を辞退し、キャリアも仕事もゼロの状態で妊娠期を迎えることになったという。
不安と期待が入り混じる28歳の転機。フィフィさんはその時、何を考え、どう選択してきたのか。 当時の自分を振り返りながら、語ってもらった。
フィフィさん
1976年、エジプト・カイロ生まれ。小・中・高と日本の公立学校で学ぶ。中京大学情報科学部を卒業後、アメリカ留学を経て日本で就職。3年間の会社員生活ののちタレント活動を開始。以降、テレビ、ラジオ、webメディアで活躍。著書に、『まだ本当のことを言わないの? 日本の9大タブー』(幻冬舎単行本)など。X
「内定辞退」を決めた28歳。キャリアも仕事もゼロになった日
私の28歳は、それまで思い描いていた未来とは全く違う方向に転がり出した1年でした。
もともと名古屋のカラオケ制作会社で3年間働いていたのですが、「東京で新しい世界を見てみたい」という気持ちから、夫と一緒に上京することに。東京での転職活動も順調に進み、無事に内定をいただいて、「さあ、ここから再スタートだ」と意気込んでいたんです。
ところが、まさにそのタイミングで妊娠が分かりました。
知らない土地での生活、新しい職場、そして初めての妊娠。つわりも始まっていて、おにぎりを隠し持っていないと気持ち悪くなるような状態でした。
まだ信頼関係も築けていない新しい職場で、即産休に入ることへの申し訳なさや、自分の体調への不安……。悩んだ末、私は内定を辞退する選択をしました。
こうして28歳の私は、“キャリアも仕事もゼロ”の状態で妊娠期を迎えることになったのです。
「積み上げてきたキャリアが途切れることに、不安はなかったですか?」とよく聞かれるんですが、実は私、それが全くなかったんですよ。
前の仕事はデータの制作やテロップ作りといった専門的なもので、その会社独自のシステムを使っていました。「この技術は他社に行っても潰しが効かないな」と働いている時から薄々気付いていたんですよね。
だから、「私には守らなきゃいけない立派なキャリアなんてないわ」と。
キャリアがないからこそ、失うものもない。「逆に楽だな」くらいの気持ちで、スパッと切り替えられたんです。それよりも、母になることの喜びに胸がいっぱいでした。
空白の1年、「今の自分」を楽しむことにした
急に訪れた、何もしなくていい時間。 最初は戸惑いましたが、すぐに「こんなにゆっくりできる時間は、人生で今しかないかもしれない」とマインドを切り替えました。
せっかくの時間を無駄にしたくなくて、アロマテラピーを独学で勉強したり、著作権検定を受けに行ったり。大きくなるお腹を抱えながら、酸っぱ辛いトムヤムラーメンを食べるために週一回通い詰めたり(笑)。焦るのではなく、「今の自分」を楽しむことに没頭した1年でした。
そんな中、ふと思い立って登録したのが、タレント事務所です。
といっても「芸能界で売れたい!」なんて野心はゼロ。東京に友達がいなかったので、「暇つぶしになればいいな」「友達ができるかな」くらいの軽い動機でした。
選んだのは、外国人が多く出てくるバラエティー番組『ここがヘンだよ日本人』に出ている方たちが多く所属している、エキストラの老舗事務所。「あそこに行けば面白い人に会えるかも」なんて思って登録しました。
そこで「手品でお腹を切られる役」のオファーが来た時は驚きましたけどね。妊娠中だったので、「さすがに無理です!」とお断りしていました(笑)。
「落ちた」と思った場所から道が拓けた
出産を無事に終え、子供が生後7、8カ月になった頃です。 「そろそろ社会に出て、働こうかな」と考えていたタイミングで、ある深夜番組のオーディションの話が舞い込みました。
しかし結果は、すぐに“落選”。
「まあ、そんなに甘くないよね」と納得して、また別の仕事を探そうと思っていました。ところが忘れた頃に、番組スタッフから一本の電話がかかってきたんです。
「オーディションで話していた内容が面白かったから、一度だけ出てみてほしい」
レギュラー枠ではなく、あくまで単発のゲスト扱い。本当にワンチャンスの出演でした。 ところが、その一度きりの出演が思いがけない反響を呼び、翌週も、そのまた翌週も呼ばれるようになったのです。
私は自分がオーディションに落ちたことを知っていたので、「私はレギュラーじゃない」「いつ切られてもおかしくない」とずっと思っていました。
だからこそ、「今日が最後かもしれないなら、爪痕を残さなきゃ」と必死で。放送後はネットの反応を検索して、「何がウケたのか」「次はどう話せばいいか」を分析する日々。
気付けば約2年間、レギュラーのように番組に出演し、他の番組からも声がかかるようになりました。ドッキリ番組から情報番組、バラエティー、まさかの「徹子の部屋」まで! いわゆる“主要番組を一周する”ような流れで、一気にメディア露出が増えていったんです。
「止まっていた時間」が人生を方向転換させてくれる
あのとき「落ちた」と思った経験が、実はタレントとして走り出す一歩だった。人生の大きな転機は、いつも少し予想外のところからやってくるなと思います。
もし最初からオーディションに受かっていたら、タレントとしてあそこまで必死になれなかったでしょうし、そもそもキャリアが途切れていなかったら、タレント事務所に所属することさえなかったはず。
そう考えると、一見「止まっていたように見えた時間」にやっていたことこそが、人生のターニングポイントになったのです。順調に進んでいたら、立ち止まって考えることもなかったと思いますし。
「ああ、人生って後になってみないと分からないことばかりだな」って改めて思うんですよね。
すべてが今の私につながっているからこそ、今の私は胸を張ってこう言えます。
「昔の私が頑張ってくれたから、今の私が一番いい」って。
人生は予想外の連続です。そう思うと、足踏みしているように見える時間でも動いてみたら、何かに繋がるものなんじゃないかなと思えるようになりました。
あと私の経験から、これから30代を迎える皆さんに伝えたいことは、もしいつか子どもをほしいと思うなら「母体になるかもしれない自分」を前提に、体を丁寧に扱ってほしいということ。
今は高齢出産をした先輩の姿や、卵子凍結などの選択肢も目にするので、「まずはキャリアを積み重ねなければ」と考える女性は多いと思います。
でも、出産のリスクや適齢期といった現実は、知識として持っておくべき。
出産のタイミングも、キャリアの積み方も、パートナーとの関係も。誰かが決めた正解に合わせる必要はありません。でも自分の人生ですから、知らないまま流されるのではなく「知った上で自分で選ぶ」ことが大事ですよね。
しっかりと知識をつけた上で、未来のあなたが今の自分に「ありがとう」と言ってくれるような選択を、一つずつ重ねていってほしいと思います。
取材・文/大室倫子(編集部)


