【山内マリコ】「何でもそこそこな自分」「普通過ぎる自分」を認めた瞬間、人生の景色が変わる

仕事をしているとき、友達や恋人と過ごしているとき、日常生活の中でふと頭をよぎる違和感。人生が変わるかもしれないと期待を抱いて上京しても、結婚しても、「何か違う」という漠然とした気持ちがまとわりつく。

そんな女性たちを描いたのが、2018年10月19日に全国公開となる映画『ここは退屈迎えにきて』だ。原作は、山内マリコさんの同名小説。デビュー作でありながら、発売後に紀伊国屋書店スタッフのおすすめ書籍ベスト30『キノベス!』にランクインするなど、大きな反響を呼んだ作品だ。

地方都市をテーマに、「ここではないどこか」を求める女性の閉塞感や生きづらさを描いてきた山内さん。現代の日本社会に生きる女性たちが、もっと自由に、清々しく生きるには……?この問いに、どう答えてくれるのだろう。

山内マリコ

作家
山内マリコさん

1980年生まれ。富山県出身。大阪芸術大学映像学科卒業。2008年に短編「十六歳はセックスの齢」で第7回R-18文学賞・読者賞を受賞後、12年に『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎文庫)で鮮烈デビュー、各界から称賛を浴びた。主な著作に、『アズミ・ハルコは行方不明』、『さみしくなったら名前を呼んで』(ともに幻冬舎文庫)、『パリ行ったことないの』(集英社文庫)、『かわいい結婚』(講談社文庫)、『東京23話』(ポプラ文庫)、『あのこは貴族』(集英社)、『メガネと放蕩娘』(文藝春秋)、『選んだ孤独はよい孤独』(河出書房新社)など

ニート状態で小説を書き続ける日々。夢に向き合った25歳は暗黒期の幕開けだった

私は富山県で生まれ育ち、大阪の大学に行き、卒業後に京都に少しだけ住んで、それからずっと東京。いろんな土地で暮らしたことで、だんだん地元を客観的に捉えられるようになっていきました。地方って、なんとなく里山的な田舎というイメージでくくられていたのですが、私にとってリアルな街並みはもっと消費社会的なんですね。その違和感に気づいて、地元の特殊性を書きたいという気持ちが大きくなり、『ここは退屈迎えに来て』という作品が生まれました。連作短編集で、椎名というスター男子がキーになっているけれど、描いているのはその周りでキャーキャー言っている、グルーピーみたいな女の子たち。椎名を見ているようで、彼に反射させた自分自身を見つめている子たちです。

この本の最後に採録されている短編で、27歳の時『R-18文学賞』の読者賞をいただいたことが作家としてのファーストステップでした。それ以前は京都でライターの仕事をしたり、まさに映画で橋本愛ちゃんが演じた「私」みたいな感じ。カメラマンさんと組んで京都のお寺を回ったり、お土産屋さんを紹介したり。文章を書くことを仕事にできたのは大きな喜びでしたが、だんだん「これじゃない」と思うようになって。

元々、物語を作る側に憧れるタイプだったんですね。小説も映画も好きで。小説ならいつでも一人で書けるけど、映画作りは今しか学べないからと、大学は映像学科に進みました。でも、映画作りは完全にチームワークなんですよね。集団行動が本当に苦手で……。これは向いてないやってあきらめて、大学時代はぐだぐだしてました。物語を作ることへの欲求はくすぶっていて、小説を書きたいっていう気持ちにやっと向き合ったのが、25歳の時。小説を書くために、思い切って東京に移り住んだんです。ほぼニート状態で、ひたすら書き続ける日々。暗黒時代です。

山内マリコ

25歳になっても芽が出ないまま夢を追い続けるって、かなり痛いんですよ。18歳で上京してる子なら、一通り自分を試して、Uターンするタイミングだし。今振り返ればめちゃくちゃ若いけれど、その当時はまわりにそういう、リスキーな選択をしてる人もいなかったから、孤独でした。特に地元の子たちは、20代のうちに結婚して、子どもを育てるのがスタンダードなコースです。刻々と周りの友達が落ち着いていって、ますます私のヤバさが際立っていく(笑)

でも、痛い思いをして、恥ずかしい思いをして、小説を書いて本当によかった。25歳のあの時に夢に向き合っていなければ、今は全然違う人生になっていたと思います。

身の丈に合わないものを求める20代。でも、自分に期待し過ぎなくていいんじゃない?

私が富山に住んでいたのは18歳までですが、心象風景というか、魂の居場所みたいなものは、間違いなく地元の景色の中にあります。ただ、すごくミスマッチではあったんです。のんびりした街で、一人だけ血眼でサブカルの本とか読んでたので(笑)。地元のレンタルビデオ屋さんには置いてない映画もたくさんあって、枯渇感がありました。もちろん趣味を分かち合える友達もいなくて。大学ではじめてそういう子と出会えたときは、本当に感動しましたね。

10代、20代の頃は、すごく夢見がちで、その分、理想と現実の乖離が大きくて、その事実を認めるのがすごくつらかったです。どうあがいたって似合わないものを求めて、本当に似合わなくて絶望する……みたいな。そういう自己否定をくり返していました。自分の外見、内面、立場すべてが、そういう感じ。身の丈を知るのってすごく大事ですが、女の子の場合、自分を見つめすぎて、向き合い過ぎて、逆になにも見えなくなってるところがあるんですね。もうちょっと気楽に、自分に期待し過ぎず、長い目で自分と付き合っていくのがいいんじゃない?って、今になって思いますね。

山内マリコ

年齢とともにだんだんと、「私ってこんなもんだな」と自覚できるようになるものです。誇大妄想みたいなものがしぼんで、自尊心がちょうどいいサイズ感に落ち着く。別にすごくなる必要なんてなかったんだ、自分自身になるってこういうことかって。年をとって、憑き物が落ちたみたいに楽になりました。今じゃすっかり気のいいおばちゃんとして、気楽に生きています(笑)

20代のうちに心地よさを追求したからこそ、30代の今が楽しい

『ここは退屈迎えに来て』は、女の子たちが、好きだった男子に期待をしても仕方がないことを悟り、ポジティブに諦めて、自分の足で生きていこうとする過程を描いています。『君がどこにも行けないのは車持ってないから』という短編が象徴的で。地方って、移動手段が基本的に車なので、運転免許証と車が1台あってはじめて自立できるんです。でも、女性は運転が苦手だったり、免許を取りそびれていたり、車買うお金がなかったりで、親や友達や彼氏の車に乗せてもらっている人もいる。これって、女の子が置かれている危うい立場そのものなんですよね。

自分の足で歩くのをやめて、誰かの車に乗った方が楽なんじゃないか……そう思う瞬間はあるし、その流れに乗ってしまいたい女の子の気持ちを否定するのは酷な世の中です。地方の、とりわけ女性の給与水準は低いので、親や恋人、配偶者、誰かに頼らないと生きていけない立場に置かれています。それでも、自立しようと闘わなくちゃいけない。これは絶対に、外しちゃいけないポイントだと思います。

若い女性は、いろんな人からいろんなアドバイスをもらって、わけがわからなくなってるかもしれません。頭で考えて答えを出すのって難しいけど、もっと感覚に従順になると、自ずと答えが出るんじゃないかなと思います。お金の稼ぎ方も、自分を保つための人間関係も、居心地のいい環境も、合う合わないは人それぞれ。小さな違和感を無視せず、向き合い、潰していくうちに、だんだん自分にとっての心地よさが、追求されていくんだと思います。その積み重ねがあるとないのとでは、30代がすごく違ってくるんだなぁと。

どうすれば自立できるのか、自分は何をしたら幸せになれる人なのか、自分が欲しているものはなにか。ジタバタ悪あがきをしていた20代は、こういうことを知るための、壮大な準備期間だったのかなと思います。

山内マリコ

取材・文/天野夏海 撮影/竹井俊晴


映画情報
『ここは退屈迎えに来て』2018年10月19日(金)から全国公開

監督:廣木隆一
脚本:櫻井智也
原作:山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』(幻冬舎文庫)
主題歌:フジファブリック“Water Lily Flower”
音楽:フジファブリック
出演:橋本愛 門脇麦 成田凌 渡辺大知 岸井ゆきの 内田理央 柳ゆり菜 亀田侑樹 瀧内公美 片山友希 木崎絹子 マキタスポーツ 村上淳
配給:KADOKAWA
>>公式サイト
©2018『ここは退屈迎えに来て』製作委員会