20代の自分が『サプリ』を読んだらきっと怒り出すと思う【今月のAnother Action Starter vol.5漫画家・おかざき真里さん】

おかざき真里

おかざき真里(おかざき・まり)

1967年、長野県生まれ。10代の頃からマンガを描きはじめ、94年『ぶ~け』(集英社)で漫画家デビューを果たす。多摩美術大学卒業後、博報堂に入社。制作局にてデザイナーやCMプランナーを務めつつ、作品を発表し続ける。2001年に退社し、現在は漫画家、イラストレーターとして活躍。代表作に『サプリ』(祥伝社)、『渋谷区円山町』(集英社)など。美しい絵と幻想的なストーリーに定評がある。現在『FEEL YOUNG』(祥伝社)にて『&』を連載中。

超多忙な会社員時代
マンガは自分を解放する“逃げ道”だった

おかざき真里さんの代表作のひとつであり、TVドラマ化もされた『サプリ』。連日の残業や徹夜に加え、休日出勤も当たり前というハードワークを通して描かれた「働く女子」の仕事や恋愛、友情のリアルな模様は、多くの女性の共感を得た。

そんな『サプリ』の舞台は、とある広告代理店。作者のおかざき真里さんも、大手広告代理店でCMプランナーとして活躍していた経歴を持つ。描かれている世界観や細部の情景描写は、おかざきさんの経験が存分に活かされている。

「朝4時まで仕事をして仮眠をとり、9時半に出社してくる上司のダメ出しをもらって、再び修正作業に入る。そんなことを当たり前にこなしながら、10分15分という細切れ時間を見つけては、副業としてマンガを描き続けていました。私にとってマンガは“逃げ道”だったので、大変だというよりも、むしろ楽しかったですね」

入社試験の際、発想力を試す試験で断トツの成績だったというおかざきさんに、当時の上司は「マンガを描き続けて発想力を鍛えなさい」と応援をしてくれた。また、部署の先輩は入社直後の新人たちに向かって、こう告げたという。

「会社員は、時には駒として動かなければならないこともある。だからこそ、自分ひとりで完結できる“逃げ道”を持っておけ」

おかざきさんにとって、マンガは、誰かの意向や予算といった制約に左右されない逃げ道となった。自分が良いと信じる方法で、好きに表現できることが楽しかった。

「CMって、予算によって表現の幅が限られてくるんです。だから、ここに心情を表すカットを入れたいと感じても、勝手に作るわけにはいかないんですよね。でもマンガなら、夜空に魚を泳がせるのも、架空の植物をくねくねと絡ませるのも自由。思い付いたそのときのノリで何でもできることが、本当に気持ち良いんです。CMで叶わなかった鬱憤をマンガで晴らしていたんですね」

幻想的な背景によって登場人物の心情をビジュアル化する、おかざきさん独特の表現手法。これは、会社員と漫画家という2足のわらじをはき続けたからこそ生まれた技法だったのだ。

「あのときの怒りや悲しみの正体は何だったのか?」
心のモヤモヤを言語化したかった

おかざき真里

おかざきさんのマンガが20代から30代の働く女性に支持されている理由に、表現の細やかさが挙げられる。決してドラマチックなストーリーばかりではないが、働く女性が仕事やプライベートで味わうちょっとした心のトゲや揺らぎ、迷いが丁寧に描かれ、読者の気持ちを震わせる。

「仕事やプライベートで辛いとき、あえて自分の感情を見て見ぬふりをすることで何とか平常心を保っているってことありますよね? モヤモヤの原因がはっきりしないからこそ、耐えていられる。そのモヤモヤを掘り下げて、『辛い』とか『切ない』とか感情に名前を付けてしまったら、もう踏ん張っていられないというのがそういうときの本音だと思うんです。『サプリ』ではそれを言語化して描こうと意識していました。だから、『心情をよくぞ言語化してくれた』と言ってくださる読者さんもいらっしゃいますが、20代の頃の自分が読んだら『そこ、はっきりさせちゃうなよ!』って怒るだろうなって(笑)」

ひりひりとした心の痛みも、時が経てば治まることもある。けれどおかざきさんは、常に「あのときの怒りや悲しみの正体は何だったんだろう?」と自らに問い、それを丹念に描き続ける。

「会社とマンガを両立していたときに『サプリ』を描けたかと言われると・・・・・・。わたしは、当事者であるとき、それをマンガとして表現することができません。すべて通り過ぎてから、振り返ってマンガに描いています。以前上司に『アイディアとは思い出すことだ』と言われたことがあるんです。やはり体感した範囲でしかアウトプットはできないんですよね。そういう意味でも、私が会社員として過ごしてきた11年余りの経験すべてがマンガの制作に役に立っていると感じています」

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