ウズベキスタン出身の女性政治家が「外国人が議員なんて」の声を「頑張る原動力」と言い切る理由【世田谷区議会議員・オルズグル】

マイノリティーのシゴト流儀

さまざまな場所で「少数派」として活躍する人たちにフォーカス。彼女ら・彼らの仕事観や仕事への向き合い方をヒントに、自分自身の働き方を見つめ直すきっかけにしてみよう!

2023年4月、世田谷区議会議員として、ウズベキスタン出身のオルズグルさんが初当選を果たした。

外国で生まれ育った女性の政治家は、日本の歴史上ほとんどいない。

彼女を政治の道へいざなったのは、21歳で来日して以来、積もりに積もった日本でぶつかったさまざまな壁への違和感だった。

世田谷区議会議員/合同会社Y COMANY 代表 ババホジャエヴァ・オルズグルさん

世田谷区議会議員/合同会社Y COMANY代表
ババホジャエヴァ・オルズグルさん

ウズベキスタン、タシケント生まれ。ウズベキスタン国立東洋学大学院卒業。学生時代から母子家庭の家計を支えるために日本語通訳、観光ガイドとして勤務。来日後は大手物流企業勤務を経て、ワイン輸入会社を起業。その後飲食店経営を経て、2023年より世田谷区議会議員。現在は議員活動と並行し、飲食店を複数店舗、その他複数のコミュニティーを運営 公式HPFacebookInstagramX

就職や物件探しが「外国人だから」難航する違和感

ウズベキスタンの首都タシケントに生まれたオルズグルさんは、13歳の時、ひらがなに一目ぼれ。それを機に日本に興味を持ち、20歳で大学院を卒業後、21歳の時にウズベキスタンで出会った日本人の夫と結婚し、来日を果たす。

小さい頃のオルズグルさん

小さい頃のオルズグルさん。「今もひらがなは大好きです。『あ』『ゆ』『ぬ』みたいな、くるんって丸いひらがなが好きですね」(オルズグルさん)

ところが、日本でオルズグルさんを待ち受けていたのは、就職に苦戦する日々だった。

オルズグル

日本語が話せても️「日本の大学を卒業していない」などの理由で新卒枠には当てはまらず、かといって中途採用では若すぎると言われてしまう。

結局、53社から断られました。

その後夫の転勤の都合で仕事を辞め、海外へ。夫に先立ち1人で日本に帰国した際、再び理不尽に遭遇する。「外国人だから」「主婦だから」と、まず部屋が借りられない。

住居の問題は夫の帰国により解決したが、今度は起業してワインバーを開こうと決めたものの、物件を貸してくれる人が見つからなかった。

オルズグル

悔しかったですね。日本人でもゼロから挑戦する際に「経験がない」という壁があると思いますが、私の場合は「外国人」「女性」という壁も加わる。

夫を保証人に立てようとしたら、「偽造結婚じゃないんですか?」なんて言われたこともありました。本当に失礼ですよね。

物件探しが難航した結果、ワインバーをオープンするまでに2年もの時間がかかった。

オルズグル

起業や独立の際に同じような苦労をする人は、日本人にもたくさんいるだろうと思いました。

日本に来てからずっと抱いてきた、属性やバックグラウンドだけで判断されてしまう違和感を少しでも変えることはできないか。

自分の問題が解決したからいいって話ではないですから、だんだんとそんなことを考えるようになりました。

自身が経営する歴史と旅をテーマにした『BAR IAPONIA』新橋店にて

自身が経営する歴史と旅をテーマにした『BAR IAPONIA』新橋店にて

日本に来てから年を経て大きくなっていった問題意識を解決するのに最適な方法として、オルズグルさんが選んだのが政治。

「行政はどうせ変わらない」と周囲から言われることもあったが、チャレンジしてみなければ分からない。「変わらないことなんてない」がオルズグルさんの信条だ。

オルズグル

粘り強く言い続ければ変わると、私は本気で信じています

課題を言い続ければ社会に広まり、注目を集められるかもしれない。議会での発言は議事録に残るし、進捗を追うこともできる。

そうやって課題を見聞きする機会が増えれば、人々の意識は高まり、世の中も変わりやすくなるはずだと思いました。

「外国で生まれ育った元外国人女性」の政治家はほぼゼロ

そうして「多文化共生」と「挑戦者支援」を掲げ、政治家を目指すことを決めたものの、まとまった票や応援が得られる見込みはない。資金が豊富にあるわけでもない。

さらに、オルズグルさんが掲げる「多文化共生」は、「外国人は選挙権は持っていないから票にならない」とも言われた。

だから出馬は「どうせ落選するだろう」というダメ元だった。

オルズグル

街頭演説をしても、聞いているのか、伝わっているのか、全然分かりませんでした。

「日本のために頑張ってくれてありがとう」と優しい言葉を掛けてくれる人もいれば、「外人は国に帰れ」「女はどいてろ!」なんて言われることもありましたね。

街頭演説するオルズグルさん

ところがふたを開けてみれば、まさかの当選。「課題を言い続ければ誰かの耳に入る」と信じて行った街頭演説が届いていたことに、当選して初めて気付いたと振り返る。

オルズグル

本当にびっくりでしたね。

国際結婚をした人、外国にルーツを持つ人の他、海外に住んだ経験がある人、グローバルの時代だから多文化共生が必要だと共感してくれた人など、さまざまな人たちが支持してくださっていました。

政治の世界には女性が少ない。日本の女性議員比率は衆議院で1割、世界190カ国中165位と、世界的にも最低ランクだ。

さらに「元外国人」「外国で生まれ育った」「女性」の政治家となると、限りなくゼロに近づく。

オルズグル

少し調べてみたところ、日本国籍を取得した外国出身の政治家は歴史上10人しかいないようです。

10人の中には日本で生まれ育った人も含まれているので、私のような外国育ちの政治家はもっと少ないでしょうね。

さらに起業をして自分でビジネスをしているという軸も加わると、私以外いないのではないでしょうか。

人数が少なければ、良くも悪くも目立つ。当選後は「外国人が議員をやるなんて」とSNSでたたかれもした。

そういった批判の声は「頑張る原動力」とオルズグルさんは明るく言い切る。

オルズグル

だって、そういう風に言われるから生きにくいんですもん。私が嫌なことを言われるのは、まだまだ課題がたくさんある証拠です

何も言われなくなったら、理想的な多文化共生が実現したということであり、私の宿命も終わりですから。

現に、マイノリティーの当事者だからこそ気付き、変えられることは多々あるという。

オルズグル

英語版のWebページの情報が更新されていなかったり、庁舎掲示版の外国語のQRコードが小さ過ぎたりといったことは、私だから気付けたことです。

多文化共生に関する質問も、質問者が当事者である私だからこそ、前向きな答弁が行われることが多いようにも感じます。それは私の大きな強みですね。

マイノリティーの課題を正しく伝える難しさ

一方、マイノリティーゆえの難しさもある。

一つが、言葉の問題。日本語ネーティブにとっても難しい行政書類を読み、公式の文書を書くのは至難の業だ。

オルズグル

日本語はめちゃくちゃ理解できていると思っていましたけど、議会や行政の用語は分からないことが多くて。他の議員の2倍、時間がかかっていると思います。

20年近く日本に住み、日本国籍を取得していても、やっぱりネーティブではないのだと痛感します

議会演説するオルズグルさん

そしてもう一つは、多文化共生に関する課題の重要性を、当事者以外に正しく伝えること。「時々泣きそうになる」とオルズグルさんは胸の内を明かす。

オルズグル

外国にルーツを持つ人たちにどのような苦労や困りごとがあり、それを解消することがいかに大切なのか。

どれだけ伝えても、その重みが思うように伝わらないこともあって……。それは私にとって最も怖いことです。

例えば生理や妊娠、出産など、女性特有の事情について、当事者でない人から正確な理解を得ることを考えれば、そのはがゆさは想像できる。

理解を得るには「地道な取り組みが必要」とオルズグルさん。その一つとして、議会では多文化共生に関する質問を必ず入れている。

オルズグル

「またですか」と言われますし、しつこいと思われているでしょうけど、いろいろな視点から多文化共生の重要性を訴えていくしかありません。

過激な言葉を使うわけでもなく、ひたすら大切だと言い続けるしかない

そうやって地道に言い続けることで、私がただ騒いでいるのではなく、みんなの重要な課題であることを、政治家、区の職員、住民など、あらゆる人に対して理解してもらえればと思っています。

しつこいと思われていそうな空気を感じながら、それでも言い続ける。決して簡単なことではないが、オルズグルさんは「絶対辞めない」とまっすぐ語る。

オルズグル

だって私は多文化共生、挑戦者支援のために政治の世界に入りましたから。何を言われようと、私の目的は変わりません。

だから、ここにいる限り絶対に言い続けます

パネルを用いて議会演説するオルズグルさん

実際に言い続けたことで、少しずつ変化は生じている。

例えば、ホームページの英語の精度を上げたり、庁舎内案内掲示板の多言語QRコードの見やすさを改善したり。他に、従来は日本語、カタカナのみだった粗大ごみ申請の英語入力が可能になった。

オルズグル

諦めないで粘り強く、「あの件はどうなりましたか?」と聞き続ける。そうするうちに、真摯に受け止めてくれる人がどんどん増えていきます。

行政の職員の皆さんはほとんどが日本人であり、当事者ではないので、パッと理解できないだけなんです。分かれば皆さんやってくださる。そういうものだと思います。

日常生活で必要なちょっとしたことの改善にまずは行政側にも慣れ親しんでいただき、その上で、そろそろ根本的な制度変更を求めていきたいと考えています。

オルズグル

この1年間で東京に住む外国人は6万人増えています。そしてインバウンドもすごく増えている。外国人との共生環境を改善するのは絶対に必要なことです。

「私だけの声ではなく、多くの人の声である」ことを伝えながら、解決することのメリットを示し続けるしかないのでしょうね。

全ての行動のベースにあるのは、日本への愛

オルズグルさんが世田谷区議会議員になって、約1年半。「なぜ今まで問題提起されていないのか、不思議に思うことがたくさんある」と振り返る。

解決すべきことは山ほどあって、終わりは見えない。それは、変えられることがたくさんあるということでもある。

オルズグル

行政は動きが遅いイメージがあると思いますが、例えばWebページの修正など、すぐ変えられることもたくさんあります。

小さなことですが、目の前の困っている人を救うことができる。そして、小さな変化が重なっていけば、大きな変化につながっていくはずです。

熱意をもって議会演説するオルズグルさん

しつこいと言われようと課題を言い続け、着実に小さな変化を起こしていく。そんな地道な取り組みを続けるには、「変えられる」と信じる気持ちが不可欠だろう。

オルズグルさんは、なぜその気持ちを強く持てるのか。

オルズグル

私は日本のことが好きなんです。日本の文化、自然、料理が大好き。素晴らしい国です。だから放っておけないんです。

大好きな家族のこと、大切だから放っておけないじゃないですか。私にとって、「日本を良くしたい」気持ちも同じ感覚なんです。

だからこそ、日本人にも外国人にもより住みやすい、より挑戦しやすい、マイノリティーに寄り添う社会実現を目指したいと思っています。

つまりオルズグルさんの行動のベースにあるのは、日本への愛。

政治家としても、いち個人としても、日本で暮らす以上マイノリティーになってしまうからこそ、その視点を武器に、「日本のこと大好きだから黙っていられない」をスローガンに奮闘している。

オルズグル

「日本に来るために日本人と結婚したんでしょ?」「結婚してるのにどうして働くの?」など、女性かつ外国人だから言われることもたくさんあります。

でも、だからこそ変えたいと思う。自分のマイノリティーの立場を使って、社会課題に取り組んでいくのが私の使命だと思っています。

取材・文・編集/天野夏海 写真/ご本人提供