【なおにゃん】パニック発作からのうつ発覚、休職2回・脱サラ経験して分かった「苦じゃない仕事」の見つけ方

「100年後にはみんな死んでるから 気にしなくていっか~」
「他人なんて幻だし 自分にできることを 淡々とやろう~」

なおにゃん 

出典:X

ゆるい動物イラストに見た人の心を和ませるメッセージを添え、InstagramやXなどのSNSで発信を続けるイラストレーターのなおにゃんさん。

うつ経験者ならではの視点や「生きづらさ」の解消につながる考え方を伝える投稿が共感を集め、SNSの総フォロワー数は40万人を超え(2025年2月現在)。20~30代の働く女性を中心に、絶大な人気を集めている。

現在はフリーランスの絵本作家・イラストレーターとして活動するなおにゃんさんは、元会社員。新卒で就職した出版社でうつを患い2度の休職を経験し、試行錯誤の中で現在の働き方に行き着いたという。

第一志望の会社に入社するもうつで働けなくなり「人生のどん底」にいた状態から、どのように心地よく働ける状態を手にすることができたのだろうか。なおにゃんさんの再生ヒストリーを聞いた。

なおにゃんさん

なおにゃんさん

イラストレーター、絵本作家。大学卒業後、出版社に就職するも、職場環境に悩んで2度の休職を経て退職。2020年からXでメンタルについての発信を始めたところ、ほのぼのとしたイラストと癒やしのメッセージが生きづらさを抱える多くの人々の心に刺さり、大反響を呼び、SNS総フォロワー数は40万人を超える。25年1月に出版したコミックエッセイ『生きるのがしんどいので 「メンタルにいいこと」やってみた!』(世界文化社)もヒット中 InstagramX

急に涙が出る、ドキドキする…人間関係に悩まされた末のうつ

最初にうつと診断されたのは、新卒で入社した出版社で働き始めてもうすぐ1年がたとうとしていた頃でした。

この会社に入社したばかりの頃の私は、まさか自分がうつになるなんて夢にも思っていなかった。むしろ、楽しく活躍できる自分をイメージしていたんです。

学生時代から本が大好きだったので、出版社に入ってバリバリ働くのが夢でした。その中でも第一志望の会社から内定をもらえて、万能感に満ち溢れていたくらいです。

でも、1年目で配属された児童書出版部では、人間関係に苦しむことになりました。特に合わなかったのは、当時その部署の編集長・副編集長だった上司でした。

例えば、仕事を片付けて定時に帰ろうとすると、その上司から怒られるんですよ。「新人が先に帰るなんて何事だ!」っていう感じで。出版部に限らず営業部にも怒鳴って部下を従わせる人がちらほらいたし。

今だったらハラスメントで一発アウトっていう感じですが、当時はそういう人でも役職に就いていられるような環境でした。

なおにゃん 出版社

だから、離職する人や休職する人も少なくはなかったんです。でも私は、せっかく入った第一志望の会社をすぐに辞めるわけにはいかないと思い込んで、1年近く我慢していたんですよ。

そんなある日、会社にいる時に猛烈な不安感と、激しい動悸に襲われました。

ドキドキドキドキ、ドキドキドキドキーー。

「何これ? 私、このまま死んじゃうの?」そう思わずにはいられないほど苦しくなり、トイレに駆け込み、震える手で友達に電話をかけたんです。

すると、その子が「明らかにそれは元気な状態じゃないから、すぐに心療内科に行って診てもらった方がいい」と言ってくれて。

当時は、心療内科というもの自体が今ほど身近なものではなかったし、その提案にびっくりしました。

でも、よく考えてみたらこうなる前にも「おかしい」と感じることがたくさんあったんです。

私の場合は、急に会社で涙が出たり、誰かが自分の近くに来るとドキドキしたり、頭がぼーっとして物事をじっくり考えられなくなったりしていて。

今までなかったことが自分の身に起きていたので、その理由を知るためにも言われた通り病院に行ってみようと思いました。

「やっぱり自分はダメなんだ」自己否定の末、二度目の休職

なおにゃん 

それからすぐに病院でうつと診断されたので、休職することになりました。

でも、「休んでいたらみんなに置いていかれる」という不安がよぎって、気持ち的には休むに休めず。

まだ体調も良くなっていないのに、「早く職場に戻らなきゃ居場所がなくなる」という一心で、病院にも会社にも無理を言って休職3カ月目に復職しました。

でも、いま思えばそれが失敗のもと……。

復職後、一度は元いた児童書出版部に戻ったのですが、合わない上司・先輩たちと働く環境に変わりはないわけで、戻るやいなや「やっぱりダメだ」って思う事件がありました。

その部署では、毎日朝礼があってそこで社員が社訓を読むという慣習があったんですけど、復職日にいきなり自分がそれをやることを命じられて。

いやもう、ただでさえ自分が情けないし、休職して出てきたばかりで恥ずかしいのに……。社訓の最後にある「頑張ろう」なんていう言葉をどの口が言うんですか!? って思ったら、泣けてきちゃって。

その場から逃げ出して人事に「この部署で働くのは無理です」って思い切って伝えたら、復帰1日目にして広告宣伝部という別の部署に異動させてもらえました。

ただ、体調が回復していない中なので元気なころの自分なら簡単にできるようなこともできないし、異動先でも単純なミスを続けてしまって本当にダメダメで、自分への自信は地の底に落ちていきました。

なおにゃん 

しかも、この部署の人たちからすると私は腫れ物のような存在。必要以上に「仕事は無理しなくていいからね」という調子で、負担を軽くするように気遣ってくれたんですよ。

善意からのことだとは分かっていたけど、それもふがいなくて……。

「自分はなんて無能なんだ」「部署異動までしたのにやっぱりダメだった」と自分を責める考え方をするようになった結果、さらにメンタル不調は悪化。部署異動から半年がたった頃、再び休職することになりました。

「好きなこと」と「自己分析」で訪れた転機

前回の反省を生かし、2度目の休職はしっかり元気になるために、約1年間お休みしました。

振り返ってみると、「元気になってきたな」と思えるようになるまでは、9カ月くらいはかかりましたね。

今後の身の振り方をちゃんと考えられるようになったのも、休職期間の最後の3カ月くらいのことです。

ゆっくり休んで少し元気になった後に私がやるようにしていたのは、行ってみたかったカフェに散歩がてら行ったり、パフェを食べたり、自分を幸せにするような「好きなこと」をやる時間を持つこと。

なおにゃん 

そして、ノートに今の自分の気持ちを書き出して、自分にとっての「幸せ」とは何か、どういう働き方がしたいのか、自己分析をすることでした。

そうこうしているうちに、「このまま会社員を続けるのは自分には合わない」ということや、本づくりがしたいなら自分で作品を作るという手もあるじゃないか、ということに気が付いたんです。

そこで、児童書の編集をしていた経験を生かし、さっそく自分で絵本のラフを描いてみることにしました。

休職中で時間だけはたっぷりあったので、いろいろな種類の絵本のラフを描きまくって……それがすごく性に合っていて(笑)

「一人で作業に没頭するのって、何て楽しいんだろう」 と思うと同時に、「そういえば、私はこうやって絵を描いたりするのが子どもの頃は好きだったな」なんてことも思い出しました。

その時に生まれたのが、出版社を退職した後に出版することになる私の一冊目の絵本、『いちごパフェエレベーター』という絵本の案です。

なおにゃん いちごパフェエレベーター

「石崎なおこ」の名前で絵本作家デビュー。出版社勤務時代に担当していた絵本作家さんからの紹介で、『いちごパフェエレベーター』を出版に協力してくれる編集者、出版社を見つけることができたのだそう

当時は、せっかくやるなら自分の好きなことをやろうと決めていたので、題材も私が大好きなパフェにしてみました。これが、幸いなことにヒットして。

会社を辞めたばかりで将来に不安を感じることはあったけれど、「しばらくは、絵本作家としてやっていけるかもしれない」という自信につながりました。

天職を見つけるも、絵本作家だけでは食っていけない現実

せっかく入社した出版社だし後ろ髪をひかれるところはあったけれど、思い切って退職してフリーランスとして働くようになると、だいぶ心が楽になりました。

1冊目に出した絵本が順調に売れたこともあって「天職を見つけた」といううれしさもありましたし、会社を辞めた後は心も体も元気な状態が続きましたね。

なおにゃん いちごパフェエレベーター

思い返してみると、会社員時代は社内の人とコミュニケーションをとることに疲れ切っていたんです。

今は、誰と仕事をするかはある程度選べるし、作業に集中する時間もとれる。そういうところが自分に向いている働き方なんだと思います。

ただ、絵本作家としての仕事が段々うまくいかなくなって、どうしても1冊目を超えるヒットが出せない状態が続いた末に、生活が苦しくなった時期がありました。

当時は絵本の収入だけじゃ暮らしていけないから派遣社員として働き始めたけれど、派遣の仕事が忙しくなればなるほど絵本を描く時間が取れないという悪循環にはまってしまい……。

「自分は何をしているんだ」「そもそも、何がしたかったんだっけ」……そんなふうに悩み始めて、またもや気分が落ち込んでいきました。

当時はちょうどコロナ禍で、社会全体が“病んでいる”空気でもあったんです。世の中が不安に包まれている中で、私自身も「これからどうしたらいいのか」分からなくなっていました。

なおにゃん 

そんな中で始めたのが、SNSです。最初は、自分の心の闇をさらけ出す場所を作りたいと思って、絵本作家の裏垢として開設してみました。

そこで日々の悩みとか不安に思っていることを本音で吐き出していくうちに、段々と共感してくれる人が増えていって。

最初はただただストレス解消のために始めたことだったんですけど、Xに投稿したイラストを見てもらえるのが単純にうれしくて。

楽しくなってきて、うさぎのイラストに自分の気持ちを書いたテキストも添えて発信しだしたら、キャラグッズが欲しいと言ってくださる方まで出てきて、フォロワーも増えていきました。

裏垢を開設した当時はまさかこんなに見てもらえるなんて思ってもいなかったので、未来はどうなるか分からないものだなってつくづく思いますね。

「ちょっとやってみた」の積み重ねの先にある、幸せな働き方

振り返ってみると、私の場合はいつも「ちょっとやってみた」ことから次に進む道が見えてきました。

例えば、休職中に下手くそながらに絵本のラフをとりあえず描いてみたこともそうだし、SNSにイラストを投稿してみたこともそう。

興味があることや気が向いたことを「ちょっとやってみた」ことから、もっとやりたいことが見つかったし、自分に向いている働き方も分かってきました。

最初から何もかも完璧にやろうとしなくていいんだと思います。私も、イラストなんて完全に独学ですし、始めたばかりの頃は落書き同然でしたから。

そんな感じでスタートしましたけど、好きでやっていることだから、SNSでのイラスト投稿もいつの間にか開始から5年がたちました。

なぜこの仕事を長く続けられたのか、自分なりに考えてみたんですけど……もちろん、私の投稿を見て「共感する」「心療内科が身近になった」「もっと気楽に生きていいと思えた」と言ってくださる方がたくさんいらっしゃって、それが励みになっている部分もあります。

ただ、それだけじゃなくて自分の根暗な部分を存分に吐き出せる感覚もあるので、それが自分の快感にもなっているんだと思います。要するに自己満ですが、それもあって続けられているのかな、と(笑)

うつになって休職して、人生に迷いまくって本当につらい時期を過ごしたけれど、いま思えばそういう時期があったからこそ、いまの自分は「苦じゃないこと」を仕事にできた感覚があります。

例えば、休職期間を経て私は「絶対に毎日、8時間は寝たい」っていう価値観がクリアになりました。これは、自分が幸せに生きるためには欠かせないことの一つ。

それに、私自身は「お金持ちになりたい」という欲はあまりなくて、ほどほどに豊かに暮らせて、ものづくりをする仕事が続けられたらハッピーだなっていうぼんやりしたイメージはあるんです。

でも、この条件が満たされていればいいわけだから、あまり難しく考えずに、自分が大切にしたい生き方ができるように働いていこう! って今は思えています。

だからもし、かつての私のように苦しんでいる人がいるなら、今はそう思えなくても「この時期があってよかった」って思える日が必ず来るから、大丈夫だよって伝えたいです。

いっぱい寝て、いっぱい休んで、それで少しでも元気になった頃に、何でもいいので「好きなこと」「興味のあること」を小さく始めてみてほしい。

小さくても、不器用にでも、「ちょっとやってみる」経験を積み重ねた先に、「苦じゃなく」できる仕事も見えてくるのではないでしょうか。

書籍紹介

なおにゃん 

『生きるのがしんどいので 「メンタルにいいこと」やってみた!』(世界文化社)
SNSフォロワー40万人超! 人気メンタル系イラストレーターの体験型コミックエッセイ・プチうつを自力でリセット! メンタル弱めイラストレーター・なおにゃんが、20種類の「メンタルにいいこと」を3ステップで実践。読むだけで心が癒され、生きる活力が湧いてくる一冊
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