横浜市の消防女子! 「救助隊に女の配属先はない」と言われてから消防所長になるまでの17年

男職場で活躍する女性たちにフォーカス!
紅一点女子のシゴト流儀

日本の職場の多くは未だに“男性社会”だと言われている。そんな中、職場にどう馴染めばいいのか悩んだり、働きにくさを感じている女性も少なくないのでは? そこでこの連載では、圧倒的に男性が多い職場でいきいきと働いている女性たちにフォーカス。彼女たちの仕事観や仕事への取り組み方をヒントに、自分自身の働き方を見つめ直すきっかけにしてみよう!

男の子にとっての憧れの職業というイメージが強い消防士。燃えさかる火災現場に駆け付け、人命を救う勇猛果敢なその姿は、まさに街のヒーローと言えるだろう。一方、肉体的にも精神的にも厳しい職場環境であることは明白。総務省の調べによれば、女性消防隊員の割合はたった2.4%(2015年4月1日時点)という圧倒的な男性社会だ。

そんな中、女性消防士のパイオニアとして約20年にわたってキャリアを積んできた女性がいる。それが、横浜市の緑消防署で働く緑川郁さんだ。取材班を出迎えてくれた彼女は小柄で華奢。41歳とは思えないような若々しい外見と、ほんわかとした物腰が印象的な女性だった。

緑川郁さん

横浜市消防局緑消防署担当課長
緑川 郁(みどりかわ・いく)さん

スキーのモーグルの選手として活躍した後、1999年に24歳で横浜市の消防職員試験に合格。消防学校に入校する。卒業後、保土ケ谷消防署救急隊に配属。その後、消防局の救急課、総務課、総務局の人事組織課、長津田消防出張所の所長など、さまざまなセクションに異動して、現在、横浜市消防局緑消防署担当課長として従事

制服を脱いでしまえば、誰も彼女が消防士だとは思わないだろう。だが、緑川さんの階級は「消防司令」。災害現場での指揮決定権を持ち、今も有事の際は現場に出て、消火・救助作戦の指揮を取る。

なぜ緑川さんは消防士になったのか。その答えは、緑川さん自身の生い立ちを知るところから始まる。

面接を受けてびっくり! そもそも救助隊には女性配属の枠さえなかった

「父の影響で小さい頃からスキーをやっていました。高校から本格的に競技を始め、大学卒業後も続けたいなと思い、就職せずにそのまま選手として活動をしていたんです」

大学を卒業した当初は、モーグルの選手としてトレーニングに励みながら、登山雑誌の編集アシスタントとして働いていた緑川さん。取材で長く山小屋に滞在することも多く、遭難事故が発生した際はレスキュー隊と共に捜索活動にあたることもあったそうだ。そこで人命を救う仕事の最前線に触れたことが、その後のキャリアを考えるきっかけになった。

「ちょうど大学卒業から2年が過ぎて、そろそろちゃんと働かなくちゃと思い始めていた頃。雪山での救助活動を手伝った経験から、事故や災害から人の命を救うことを生涯の仕事にしたいと思うようになっていました」

緑川郁さん

消防士は、消防隊・救助隊・救急隊の3つに大別される。緑川さんが最初に希望したのは、災害や事故の際に傷病者を救命する救助隊だ。採用試験に合格し、6カ月間の消防学校での訓練を終えた緑川さんは、面接で「救助隊になりたいです」と宣言した。それを聞いた男性面接官たちはぎょっとして、「それは無理だよ!」と言って笑った。

「実は、当時はまだ女性が配属されるのは、救急隊(※)のみに限られていました。救助隊には女性が配属される前提すら無かった時代だったのです。そんな規定すら知らず、『人の命を救う仕事がしたい』とこの世界に飛び込んでしまいました(笑)」(※)「救急隊」は、救急現場に駆けつけ傷病者に対して適切な処置(救急救命処置)を行い速やかに救急車で病院へ搬送する部隊

日本で初めて女性消防士が誕生したのは1969年のことで、緑川さんが入庁するよりも約30年は前のこと。だが、身体的な違いや法律上の問題から、長らくその職域には男女で大きな差があった。

例えば、94年までは女子労働基準規則により、女性は消防分野での深夜勤務を規制されていた。また、消火や災害の現場に立てば自分の体重を超える救助者を搬送するなど力仕事を求められる。警防業務を含む消防活動においても、04年に女性も男性と同様に活動できることが周知されるまでは、基本的に女性の消防活動には制限がかけられていた。それゆえ、99年に入庁した緑川さんには、まだ消防隊や救助隊というキャリアの選択肢は与えられていなかったのだ。

「現在は男女の区別なく消防隊や救助隊を目指すことができますが、私が入庁した当時はまだそれができなかった。救助の仕事がしたくてこの世界に入ったので、当時は少しショックを受けましたね」

保土ヶ谷消防署にやってきた初めての女性隊員「逆に男性隊員たちの方が気を使ってくれていたかも」

緑川郁さん

最初に配属となったのは、保土ヶ谷消防署。これまで女性の隊員を受け入れた前例がない職場だったそうだが、「職場の人間関係に困ったことは一度もない」と緑川さん。「逆に男性隊員たちの方が気を使ってくれていたかも」と懐かしそうに回想する。

「消防署は当直制ですから、深夜帯になると男性隊員の格好も昼間よりはラフになります。今までならランニング姿で署内を歩けたのに、私がいることで服装を気にする隊員もいましたね。洗濯物も若手の職員が整理や片付けをしていましたが、自分の下着を女性の私に扱わせるのは申し訳ないと言って洗濯物は自分で片づけるようになったり。気遣いをしてくれる方ばかりでした」

体育会系の風土が強い消防士の世界に女性が飛び込んだら、「お前に何ができる」と罵声を浴びせられそうなものだが、緑川さんは「むしろ大切に扱われ過ぎて悪いと感じたくらい(笑)」と当時の心境を明かす。

一方で、厳しさを感じるのはやはり、救急隊ならではの仕事の面でのことだった。

今でも忘れられないのが、初当直の夜のある事故のこと。パトカーから逃走中のバイクが対向車線に飛び出し、車と衝突した。バイクは大破。運転していた少年も重傷。駆けつけた緑川さんは、先輩から「そこの足を持ってこい!」と指示された。

「車に衝突したダメージで、少年の両足が切断されていたんです。私は道路に投げ出された両足を拾って、救急車に乗り込みました」

想像するだけで目をそらしたくなるような場面だ。しかし、こういう時だからこそ、救う側は冷静でいなければいけない。落ち着いて、かつ迅速に――。いくつもの生死の現場をくぐりぬけ、救急隊員としてキャリアを地道に積んできた緑川さん。年次を重ねるにつれて消防現場の規定も変わり、消防士として火災現場の消防活動も行えるようになっていった。

女性の職域がますます広がり、やりたいことをやれる力も身に付いてきた

緑川郁さん

40歳を迎えた15年目。緑川さんは長津田消防出張所の所長として22人の男性隊員のマネジメントも行うようになっていた。「女の上司にマネジメントされるなんて」という反発が生まれることも頭をかすめたが、実際には「むしろ周りが私を歓迎し、上司として盛り上げてくれた」と感謝する。

現場に出ても、数少ない女性隊員ということで、その存在価値を認められる場面もあった。

「119番通報があって現場に駆け付けたとき、処置をされる側の方が女性だった場合『男性隊員に聴診器を当てられるのに抵抗がある』という方もいらっしゃいます。それに、症状の原因が男性には言いづらいことであった場合、私が対応するだけで『安心感が違う』と言ってくださる方も。付き添いの方がお父さんや職場の男性だったりした場合も『少し席を外してもらえますか?』、と私から先回りしてお願いをすることもあります。そういう気配りができるのは、女性隊員ならではの強みですね。

初めは女性ができる仕事も限られていたけれど、現場に出てみると、やっぱり女性が必要とされていることを実感できるんです。今では担当できる仕事の範囲も広がって、入庁当初に思い描いていたやりたいことも実現できるようになりました。約20年のキャリアを積んで、ますます仕事にやりがいを感じています」

緑川さんは、決して男っぽい性格には見えない。本人も「男職場にいるからといって、自分も男性化する必要は全くないと思う」と語る。

「腕力や体力で性差があるのは当たり前。周りも私に男並みになれなんて求めていない。求められているものは、私らしさなんです。女性ということを1つの個性として、男性が見落としがちなことにも目を配りながら、自分にできることをやっていけばいい。せっかくの紅一点なんだから、“紅”であることを大事にする方がいいと思っています」

どんなに小さなことでもいい。男性が気付けないことや重視してこなかったことを、率先してやる。そうすることで自分の存在価値を発揮し、職場の中で欠かせない存在になることができる。

「仕事の向き不向きは男女比率では決まらないものです。自分のやりたいことがあるなら、男性の多い職場だって心配したりしないで、チャレンジしてみる方が絶対いい! 自分にウソを付いてまで、世間が決めた常識に縛られることは無いと思います。自分の“やってみたい”という気持ちを素直に信じて一歩を踏み出してみれば、私のように想像以上に働きやすい世界が待っていることもありますよ」

緑川郁さん

ステレオタイプは気にせずに。自分らしさを大切に。やりたいことにチャレンジすれば、きっと新しい世界が開けるはずだ。

取材・文/横川良明 撮影/赤松洋太