お金、地位、モノ「たくさん持てば幸せ」は壮大なフィクションだ――稲垣えみ子さんに学ぶ“手放す”勇気

朝日新聞社時代、「アフロ記者」として知られた稲垣えみ子さん。10年ほど前から、贅沢を手放し、家電を手放し、ついには会社員の地位まで手放した。便利なもの、「あって当たり前」だったものを一つ一つ手放して、少しずつ見えてきたのは自分なりの幸せの形。この先につながる自分の真の財産を見つけるまでに、どんな思いを持って、いつ何をしてきたのか。宝探しの道のりについて聞いた。

「増やす」「獲得する」幸せは絶対に長続きしない

稲垣えみ子

稲垣えみ子さん
1965年、愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒。朝日新聞社入社。大阪本社社会部、週刊朝日編集部などを経て論説委員、編集委員を務め、2016年1月退社。著書に『魂の退社』『寂しい生活』(共に東洋経済新報社)、『もうレシピ本はいらない』(マガジンハウス)ほか

50歳で会社を辞めてフリーランスになった。洗濯機も冷蔵庫も持っていないので、広い部屋は必要ない。昼も夜も、その日食べる分だけの材料を用意して一汁一菜の簡単な料理を作る。ガス契約もしていないので、風呂は近所の銭湯を利用している。これが稲垣えみ子さんの日常だ。“ストイックな清貧生活”に見えるかもしれないが、本人にとっては「ただただ楽しいからやっている」だけなのだという。そもそものきっかけは、将来に対する不安だった。

「40歳を前にして、あ、そろそろ私も人生を折り返すんだと意識したことが大きかったと思います。それまでずっと、頑張って仕事をしていけば、給料も上がり、もっと良いものが手に入ると信じ込んでいたけれど、それが永遠に続くわけではないことに気づいた。この先は収入にしても、健康にしても、どんどん失っていって最後は死を迎えるんだなと。それなのに今のままの価値観でいたら、残りの人生は手に入らないことを嘆きながら生きていくことになってしまう。それはどう考えても嫌だなと。お金がなくても幸せになれるライフスタイルを確立しないといけないと、強烈に感じたんです」

洋服や外食にお金をかける暮らしから、近くの山に登ったり、直売所で激安の野菜を買ったり、お金をかけない楽しみを少しずつ見つけていった。さらに決定的だったのが、原発事故後に始めた節電生活。ずっと「なければ生きていけない」と思い込んでいた家電製品を一つ一つ手放していった。最初は恐る恐るだったが、いざやってみたら面白くて止まらなくなったという。

「これで代用してみよう、こうすればうまくいくのではないかと、毎日がボーイスカウト状態(笑)。知恵を絞って創意工夫を凝らし、クリエイティビティーを発揮し、自分の体を使って一つ一つ壁を乗り越えていくって、それまでの人生ですっかり忘れきっていた感覚でした。自分の中にこんな力があったのか、まだまだ私もいけるじゃないかとすっかり嬉しくなっちゃって、新たな資源を発掘した気分。節電というと、我慢してるとか頑張っているとか思われることが多いんですが、全然そうじゃないんです」

オートロックの高級マンションよりも
築50年の“薄壁”マンションの方が安心できた

便利なものが増えるほど生活は楽になる、ものを手に入れるほど豊かになると思っていた。でも、いろいろなものを手放してみて分かったことは、何かを得たときには、同時に何かを失っているということだ。

会社員時代、セキュリティーのしっかりした都内の高級賃貸マンションに住んだことがあった。ところが、エレベータなどで出会した人に「こんにちは」と声を掛けても、9割の人に無視された。衝撃だった。会釈くらい返してくれてもよさそうなものなのに……。おそらく悪気はないのだろう。高級マンションの住人は、さまざまな事情から用心深くなっているだけなのかもしれない。

一方、今住んでいる築50年近いマンションは、壁が薄くて隣室の音が響くし、もちろんオートロックもない。だから、あの部屋には小さな子どものいる家族が住んでいるとか、毎朝すれ違う人がどの部屋の住人だとか、ずっと生活していればお互いに何となく分かってくる。

「むしろオートロックのマンションよりも、ずっと安心じゃないかと。壁を厚くしてもきりがないし、むしろ用心深くなればなるほど、他人が信じられなくなるんじゃないでしょうか。結局、何かを得る、何かを失うというのは、相対的なものに過ぎません。これを得れば安心だ、幸せだというのは、壮大なるフィクションなんです」

近所にコンビニがないと不便。結婚しないと幸せになれない。正社員にならないと生きていけない。確かにそういう人もいるだろうし、そうでない人もいるだろう。人の価値観はさまざまだから、どれも正しいし、どれも正しくない。問題は、一人一人が自分にとっての大切なものに気づけるかどうかだ。

不安がぬぐえないのは、自分のことを知らないから

冷蔵庫を手放したら、何を作るか悩むこともなくなった。ご飯、味噌汁、漬け物というシンプルな料理は、工夫のしがいがあり、毎日食べても飽きないことに気付いた。そうなると、調理道具も調味料も最低限のものだけで十分だ。今の生活は、稲垣さんにとっての幸せの形そのものだ。もし大金を手にしても、エネルギー問題が解決したとしても、物に囲まれた生活に戻りたいとは思わない。

稲垣えみ子

「いろいろなものを手放してみて一番良かったのは、自分が生きていく上で必要なものはびっくりするほど少なかったということ(笑)。自分はこれさえあれば満足なんだとわかったら、すごく自由になりました。これだけあれば生きていけるんだと思えば、無理してお金を稼がなくてもいいし、どこででも暮らせる。だから大丈夫だと思えるんです」

どれだけお金を貯めても、物を増やしても不安がぬぐえないのは、自分のことを知らないから。自分にとって大切なものが何か分からないからだ。

「でも、不安なのは悪いことじゃない。心の中にトゲみたいな不安があるから、そこに引っ掛かってくるものがある。私もそうやって引っ掛かりまくってジタバタしたからこそ今の平和が得られました(笑)。もやもやした気持ちをスルーしないで、きちんと向き合っていくことが大切だと思います」

同じものを見ても、同じ話を聞いても、引っ掛かるものは、人によって違う。不安がなければ、何も引っ掛からないかもしれない。どこか面白そうな人とか、何か気になることとか、心に残るものを少しずつ増やしていけばいい。そうしたものが蓄積していった先に、自分らしい幸せの形が見えてくるはずだ。

「私だって40歳から10年かけて会社を辞めるまでに至ったんですから、今20代~30代の方ならなおさら焦る必要なんてありません。大きな不安をいきなり解消することはできなくても、興味を持ったイベントに参加してみるとか、素敵だなと思った人と友達になるとか、まずはそんなことから始めてみたらいいのではないでしょうか」

取材・文/瀬戸友子 撮影/栗原千明(編集部)


稲垣えみ子

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