09 OCT/2015

「弱い人間だからこそ、働く」本当の自由を与えてくれる“仕事”というご褒美

最強ワーキングマザー・堂薗稚子さん

上司に対する「何で?どうして?」をスパッと解説
堂園姐さんの「上司のキモチ」翻訳講座

上司に対して日々感じている「なんでそんなこと言うの?」「どうしてそういうことするの?」という不満や疑念。それを直接上司にぶつけたいと思っても、「余計に怒られるんじゃないか」「印象が悪くなるんじゃないか」とモヤモヤしたまま自己完結してしまっている女性も多いのでは? そんな働く女性たちの疑問に、最強ワーキングマザー・堂薗稚子さんが、上司の立場からズバッと解説! 上司って、ホントはすごくあなたのことを考えてるのかも!?

堂薗稚子(どうぞの・わかこ)
株式会社ACT3代表取締役。1969年生まれ。1992年上智大学文学部卒業後、リクルート入社。営業として数々の表彰を受ける。「リクルートブック」「就職ジャーナル」副編集長などを経験。2004年に第1子出産を経て翌年復職。07年に当時組織で最年少、女性唯一のカンパニーオフィサーに任用される。その後、第2子出産後はダイバーシティ推進マネジャーとして、ワーキングマザーで構成された営業組織を立ち上げ、女性の活躍を現場で強く推進。経営とともに真の女性活躍を推進したいという思いを強くし、13年に退職し、株式会社ACT3設立。現在は、女性活躍をテーマに、講演や執筆、企業向けにコンサルティングなどを行う
http://www.act-3.co.jp

こんにちは。堂薗です。Woman type4周年、おめでとうございます。4周年記念特集のテーマが「働く理由」ということですので、今回は特別編として、私の「働く理由」についてお話したいと思います。

「一刻も早く家を出なさい」父からの手紙に記されていたメッセージ

社会人になったばかりのころ、両親と同居していた時期がありました。父の転勤が重なり、妹も東京の大学に進学していたので、思ってもみなかった家族そろっての東京生活が実現したのです。

新入社員の私は毎日慣れない早起きや満員電車での通勤、ハードワークに加えて飲み歩いてもいて、ほとんど家に居つきませんでした。母はそんな私のために、下着まで洗濯してくれて、着ていくものにアイロンをかけてくれたり、朝のコーヒーも淹れてくれたりと、いつもいつも体調を気遣ってくれていました。でも、私は自分の生活に無我夢中で、母に感謝の気持ちを強く持つことはほとんどなかったと思います。

ある時、まだバリバリ現役サラリーマンだった父に仕事を認めてほしいと思った私は、「こんな表彰を受けた」「達成率で1番になった」などと懸命に話したことがあります。すると、聞いていた父は徐々に眉根を寄せて不快な表情になり、しまいには黙って席を立ち自室に入ってしまったのです。

何だか茫然として、かつ段々と、猛烈に腹が立ったのを今でも覚えています。「どんなに未熟だとしても、娘がこんなに毎日頑張っているのに、どうして認めてくれないのか」と悔しさでいっぱいになり、激しい怒りさえ感じました。

次の朝、私は父から一通の手紙をもらいました。そこには私の話した仕事の内容について、考えが浅はかであることや誤っていることを指摘する文章がありました。さらに、最後の段落には、

「一刻も早く家を出なさい。精神的な自立と物理的な自立は密接な関係がありますが、あなたはそれがどこかで切れた考え方をしています。一人前に扱ってほしいのなら、まずは自分の足で立って生活をするべきです」

と書いてあったのです。くっきりと覚えている文面です。私がこの意味を、自戒の念と共に自分なりに理解したのは、それからずっと後のことです。

物理的に自立していればこその精神的な自立

前置きが長くなってしまいましたが、実は私にとって「働く」ということの理由や目的はここに原点があります。立派なビジネスを成した人が、「小さい時からこんな夢を持っていた」「どうしても人と違うことがやりたかった」と語り、仕事を自己実現の手段として語るのとは明らかに違っているのです。私にとっては、そのもっと手前の、「生きる」とか「暮らす」とか、そういったことに近い感覚です。

私は生まれたからには、懸命に自分の人生を生きていきたい。その過程で、何度も岐路に立ち、何らかの決断をしなければならないとすれば……。やはり、最後は自分で決めたい。そのために存分に悩みたいし、後悔もしたいし、胸をなでおろすこともしたい。

そんな風に自分なりの生き方をしたいと考えると、そのためにはあの日父が言ったように、自分の足で立つことが必要なのだと思っているのです。

あのころ母がしつらえてくれた生活は、全て自分で営まなければならない。けれど、自分がどうしてもしたいと思える選択は、自分の責任ですることができる。物理的に自立していればこその精神的な自立なのです。

父が眉をしかめたのは、父の家に住み、身の回りのことを母にやってもらい、学校の代わりに仕事に行っていた、自分のことを自分できちんとできもしない私が語るビジネスでのビギナーズラック。今思い起こすとなんと不遜で、恥ずかしい私だったことでしょうか。

自分らしく、自由に選択するために働く

女性の生き方には本当に多くの選択肢があります。家族のために生活を整える、子どもをいつくしんで育てる。そういった社会的な報酬を得ない生き方をすることは、多くの女性にとっては永遠の憧れでもあるわけで、全く否定するつもりはありません。さまざまな事情で、意志に関わらず働けない人たちだってたくさんいます。その人たちが「自立していない」なんて思わないですし、ましてや人生で自由な選択をする権利がないなどとは微塵も思いません。

でも、私はとても弱い人間で、どこかでこの「自由と自立」を履き違えてしまいそうになる。依存心だらけのくせに、自己主張をしたがってしまう。だからこそ、「働く」という形をとって物理的に自立することで、精神的な自立を保とうとしているのだと思います。

どこか別の場所でも書いたことがありますが、長女を出産した後の育休中、家族で買い物に出掛けた際に、美しくて高価なニットを手に取ったことがありました。とても素敵だったけれど、高価で買えそうもなく、それでも美しさに見とれて手に取りました。そんな私に、主人は一言、「プレゼントしようか」と笑い掛けました。

「プレゼント?」

その言葉から受けた衝撃を今も忘れられません。育休中で無給になった私には、欲しいものをプレゼントしてもらうか、貯金を切り崩して買うかしか、手に入れる方法がない。そのことに気付いたのです。

私はやはり、ニットだってワインだって、欲しいものは自分で買いたい。強くそう思い、「必ず復職する」と当たり前のことを誓ったのをはっきり覚えています。

「物理的な自立と精神的な自立」なんて大げさな話ではなくても、私はそんな小さな選択だって自分でしたいと思ったし、今でもそう思います。私たちはなぜ働くか。いろいろな「目的」を語る人がいるでしょうし、ずっと迷い続ける人もいるに違いありません。

ただ私にとっては、「働く」ということは、私が生きていくために必要で、とても自然なプロセスでしかありません。何事も成さないかもしれなくても、私自身が自分らしく自由に選択しながら生きていくために。そして、そのプロセスが私の人生に不可欠だと思うのであれば、どうせならば、楽しく成長できるように働いていたい。

それを実感できる仕事というご褒美を求めて、私は今日も、たぶん明日も、一生懸命ただ「働く」のです

堂園稚子

【著書紹介】

『「元・リクルート最強の母」の仕事も家庭も100%の働き方』(堂薗 稚子/1,404 円/KADOKAWA/角川書店)
「仕事も子育ても両立したい! 」と思っても現実はなかなか難しいもの。それにも負けず、子どもを育てながらてカンパニーオフィサーになった著者の働き方を紹介 >>Amazon