北アルプスの山小屋で10年働いた女性が20代で経験した、挫折と葛藤の日々「仕事の向き不向きを甘く見てはダメ」
今、女性の働き方・生き方は多種多様。何でも自由に選べるって素敵だけど、だからこそ、何を選択し、どこに進めばいいのか悩んでしまう。「私らしい未来」は一体、どの道の先にあるんだろう……?
そこで今回Woman type編集部では、さまざまな女性たちに聞いてみました。「私らしい未来」、みんなはどうやって見つけたの!?
北アルプスの山小屋で働いた10年間の経験をまとめたエッセイ『山小屋ガールの癒やされない日々』(平凡社)を出版したライターの吉玉サキさん(35)。
ライターとしてデビューしたのは34歳。今でこそ「好きなこと」を仕事にしている吉玉さんだが、ここにたどり着くまでの20代は、挫折と葛藤の連続だったという。
吉玉さんが山小屋で働き始めたのは、23歳の時だった。新卒で入った会社でうまくいかず、働く環境を変えて自分を見つめ直し、自立したいと考えたのだそう。当時は会社勤めがうまくいかず、「私なんて」という自己否定の気持ちに苛まれていた。
そこからなぜ、吉玉さんは30代で「好きなこと」を仕事にできるようになったのだろうか。自分らしい未来をどのように見つけ、掴み取ったのか、お話を伺った。

ライター 吉玉サキさん
1983年北海道生まれ。北アルプスの山小屋で約10年間働いたのち、2018年にライターへ転身。第2回cakesクリエイターコンテストに入選し、山小屋エッセイ「小屋ガール通信」の連載を始める。“下界”での社会人経験はほとんどなし。現在はウェブメディアを中心に執筆中。
■小屋ガール通信
■note
■Twitter: @saki_yoshidama
会社勤めができない自分は“ダメ人間”なのか
20代の頃の私は、とにかく自分に自信がなくて。「私はダメ人間だ」と、自分を責めてばかりいました。もともとの性格もありますが、自己否定に拍車がかかったのは、20代前半で会社を2度も辞めた時でした。
もともと「書くこと」が好きだったので、学校卒業後は求人広告を作るポジションで人材系の企業に入社することにしたんです。でも、実際に配属されたのは営業の部署。「書くこと」ではなく「売ること」が仕事になり、飛び込み営業をする毎日。体育会系の社風も合わず、心身のバランスを崩してしまい、たった3カ月で退職してしまったんです。
それから、逃げるように地元の札幌に戻り、実家から通えるレストランで接客のバイトを始めました。でも、ここでもシェフの叱責に耐えきれず、すぐに退職。「辛抱のない奴だ」と思われるかもしれませんが、当時の私は健康的に働ける状態ではなく、暗闇の底にいるような気持ちでした。

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「どこに行ってもうまくいかない」、「もうダメだ」、「私なんて」、「これからどうすれば……」
無職になって母親からも呆れられてネガティブなことばかり考えていた時に、幼なじみの友人に会う機会がありました。彼女は、学生時代にはバックパッカーで世界中を旅していて、学校卒業後はどういう理由からか山小屋で働いていました。私からすると、眩しいくらい“自由に生きている”子です。
その子に、「サキも山小屋で働いてみたら?」「仕事が続かなかったって言っても、たった2回でしょ? 100回ダメになってから落ち込めば?」って、あっさりと言われてしまって。彼女の言葉には妙に説得力があり、一度も山なんて登ったことはなかったのに、「うん」と返事をしていました。
その後、親に内緒で履歴書を送り、とんとん拍子に山小屋で働くことが決まりました。
仕事には「向き・不向き」があって当然。
20代の私は、それに気付けなかった
実際に山小屋で仕事を始めてからも、うまくいかないことはたくさんあったし、自分のダメさに落ち込むこともありました。でも、会社勤めよりは性に合っていたようで、「もうここにはいられない」とはなりませんでした。

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ネガティブの無限ループから抜け出せたのは、山小屋で働き始めて4年が経った時のことだったかな。だいたい一通りの仕事が把握できるようになって、周りの人から頼ってもらえるようになったことがきっかけでした。
支配人から食料の在庫管理や、新人の指導を任せてもらえるようになり、一緒に働く人たちのためにできることが増えていって。今この場で「自分が必要とされている」と感じられることが、自信につながっていったんだと思います。
あとは、人に仕事を教えるようになって、皆に「得意・不得意」があるということが分かったことも大きな収穫でした。料理はできるけど接客は下手な人、接客は上手だけどお客さまの席割りが苦手な人、山小屋には本当にいろんなタイプの人がいたんです。人にはそれぞれ「好き・嫌い」もあるし、当然「向き・不向き」もある。それが腑に落ちて、自分のことだって、できないことばかりに目を向けて責めなくていいのかも、と思えるようになりました。
すぐ辞めちゃったので気付けなかったんですが、きっと会社もそうだったんでしょうね。営業がすごくうまくできる人にも、苦手なことはあったはず。私の場合は営業は苦手だったけど、だからといって「全部ダメ」ではなかった。他にできることはいっぱいあったのに、と。
山小屋で働き始めて4年、ようやく、そんな当たり前のことに気付けたような気がします。
「そうだ、書く仕事がしたかったんじゃないか」
そこからどうやってライターとして働くことになり、「好きなこと」を仕事にできるようになったのか。転機は29歳の時にやってきました。
結婚後、夫と一緒に半年をかけて南米とスペインを旅したんです。見るもの全てが新鮮で、無性に「旅行記」が書きたくなりました。

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「そうだ、もともと自分は書く仕事がしたかったんじゃないか」
ふと思い出した瞬間でもありました。
「ここらで書くことに再挑戦してみようか」そう思って、山小屋の仕事をお休みしている間に執筆を進め、帰国後半年で長編の旅行記を完成させました。
出来上がった旅行記を編集関係の仕事をしている知人に見せたら「出版してみよう」という話になりました。そしてその2年後、Webメディア『cakes』でも『小屋ガール通信』という連載をスタート。この業界では遅咲きな気もしますが、34歳にしてライターとしてお仕事ができるようになりました。
今、一番楽しいと感じるのは、文章を書いている時かな。取材した言葉をどう書けば伝わりやすいか、印象に残るか、表現を集中して考えている時。たった一行の“良い表現”を探すために、気付いたら何時間も経っていたということもあるけれど、つらいどころかこれが楽しいんですよ。
これってつまり、書く仕事が私には「向いている」ってことですよね!
挫折経験も、“自分に向いていること”を知るプロセスだった
今思えば、損得勘定とか、「こうあるべき」みたいな思い込みで自分の生き方を決めていたから、20代の頃は不安と悩みの渦から抜けられなかったんだと思います。
「会社員として働けないとダメなんじゃないか」
「苦手なことは克服しなければいけないんじゃないか」
「嫌なことから逃げちゃいけないんじゃないか」
「心地良い環境にずっといちゃいけないんじゃないか。甘えなんじゃないか」
そういう考えが常に私の頭の中にはあって。どれだけ自分に厳しいんだ!って感じですよね(笑)。でも、20代の頃は本気でそう思っていました。
自分に向いていることや、自分の好きなことをそっちのけで、「こうあるべき」という考えだけ優先していたら、きっと今も葛藤の中にいたかもしれない。安定とか、他人がどう思うかとかはいったん脇に置いておいて、自分の好きなこと・向いていることにまっすぐ向き合い出したからこそ、30代で道が開けたんです。
ただ、20代は、トライ&エラーの時期。自分に何ができるのかを知るために、手当たり次第、いろんなことにチャレンジしてみて、失敗していいと思います。あれこれ手を出してみて好きなことが見つからなくても、「できないこと」「やりたくないこと」がはっきりすればそれだけで儲けもの。私もだいぶ遠回りはしたけれど、「できること」や「向いていること」を知るために20代で積んだ経験は、全てが必要なプロセスだったと思います。
それでも迷うことがあれば、信頼できる人の助言を素直に聞くっていうのも大事ですよ。私も友達の勧めで山小屋に行ったら価値観が一変したし、夫の誘いに乗ってスペイン・南米に行ったら本まで書けて、天職を見つける足掛かりにもなりました。人に流されるのは違うけど、直感で「楽しそう」と思えることにはどんどん巻き込まれていったらよいのではないかと。
要は、決めつけないって大事。仕事も、人生も。
20代のうちはいっぱい挫折を経験するかもしれないけれど、そこで諦めず、自分にできることは何かを探してみてください。それがクリアになるだけ、30代の楽しさがまるで違ってくると思いますよ。
取材・文/石川 香苗子 企画・編集/栗原千明(編集部)
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『山小屋ガールの癒されない日々』(平凡社)
仕事、暮らし、恋、人間関係、そして人生への向き合い方……。 山小屋で10年働いたライターがつづる、山の上での想定外の日常がここに。
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『「私の未来」の見つけ方』の過去記事一覧はこちら
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