痴漢被害に遭っても相談できない人が9割という現実 『痴漢レーダー』企画者が変えたい、日本の根深すぎる問題
痴漢、盗撮、付きまとい、露出、ぶつかり……。
こうした迷惑行為の発生情報をワンクリックで共有できるアプリ『痴漢レーダー』(※)が、2019年8月のリリース以来、大きな話題を呼んでいる。 (※)アプリ『痴漢レーダー』:App Store、Google Play
痴漢などの被害に遭ったり、それを見掛けたりしたら、場所と被害状況を選択して投稿。集まったデータは警察や鉄道会社などに届けられ、今後再発防止に活用される見込みだ。
これまでは被害者の多くが性的被害を誰にも相談できずにいた。しかし顕在化していない問題は世の中に認識されず、一向に解決されないまま……。
そんな状況に一石を投じたのが、『痴漢レーダー』を開発した株式会社キュカの代表、禹(う)ナリさんだ。

株式会社キュカ CEO/CTO 禹ナリさん
2004年、Yahoo! JAPANに入社し『Yahoo! 知恵袋』の立ち上げに携わる。その後データサイエンス部門、デザイン部門の部長を務める。17年、Yahoo! JAPANを退職し、株式会社 NeoEduで体験学習情報のプラットフォーム『マカデミア』をリリース。18年、キュカを立ち上げCEOに就任。悩み共有コミュニティ『QCCCA』や『痴漢レーダー』などのサービスを開発している
もともとヤフーでエンジニアとして働いていた禹さんはなぜ、迷惑行為を可視化するサービスをつくることにしたのだろうか。『痴漢レーダー』の誕生秘話を聞いた。
「ハラスメントなんて、当たり前でしょ?」
韓国で生まれ育った私は、日本で就職し、その後ヤフーに転職しました。運良く『Yahoo! 知恵袋』を立ち上げるプロジェクトに加わることになり、そこですごく感動的な体験をしたんです。
『Yahoo!知恵袋』を開発したといっても、私たちは質問と回答を投稿できる仕組みを作っただけ。それなのにサービスができた途端、全く知らない人たち同士が、何千、何万、何百万もの助け合いをし始めたんですよ。
テクノロジーの力で人の行動が変わる。鳥肌が立つほど心を動かされた私は、エンジニアという職業に大きな夢を持つようになりました。
その後はパフォーマンス広告の立ち上げプロジェクトに加わり、データサイエンス部の部長も経験しましたが、管理職として上にいくよりも、サービスづくりがやりたいと考え、起業を見据えて2017年に退職します。
当時から私は、辛い場面で声を上げにくい状況の人たちが、生きやすくなるようなソリューションをつくりたいと思っていました。
その経緯は、ヤフーで昇進し、部下を持ち始めた時期にさかのぼります。
管理職になると、部下から「◯◯さんからハラスメントを受けた……」と相談されることが増えたのです。

当時、私は会社が大好きだっただけに、自分の周りでハラスメントが起きている事実が非常にショックで、解決しようと精一杯対応しました。しかし、周りの理解を得ることは非常に難しくて。
そこで、他の会社の女性管理職にも相談してみました。すると、「何言ってるの、ハラスメントなんて当たり前でしょ?」と言われました。
私が「どうしてみんな、嫌だと言えないのか」と聞くと、彼女はこう続けました。
「仕事を続けたいのに、『被害を受けた』と言ってしまったら、その後のキャリアがどうなるか分からないでしょ?」
それってすごく変だと思いませんか?
さらに問題だと感じたのは、周りの意識です。「女の方から誘ったんじゃないの?」「よく一緒に飲みに行ってたじゃん」といった、被害者を追い詰めるような噂が立つこともありました。
問題が解決されないばかりか、周囲のメンバーも理解を示してくれない……。被害を受けた人だけが辛い思いをする状況は改善されなくてはならないと、ずっと思い続けていました。
痴漢レーダーは、コミュニティサイトの“失敗”から生まれた
そうした経緯から、会社を立ち上げて最初に作ったのが、『Yahoo! 知恵袋』よりも深い悩みを相談できるコミュニティーサイト『QCCCA(キュカ)』です。
当初は、「専門スタッフによる代理投稿」という仕組みを導入することで、バッシングのない安全な場所をつくろうとしました。
ところが、蓋を開けてみると、「悩みに答えたい、助けたい」というユーザーはたくさん集まったものの、「悩みを相談したい」というユーザーがあまり集まらなかったんです。
これはあくまで想像ですが、『QCCCA』のシステムでは多くのユーザーが深い悩みを相談する心理的ハードルを越えられなかったのだと思います。
そこで私たちは、悩みを発信するハードルを下げるアプローチを取ることにしました。
悩みを文章で書くのではなく、まずは印を付けるだけ。「ここでこんな被害に遭った」ということだけをシンプルに伝えられる仕組みをつくりました。

『痴漢レーダー』のアプリ画面。リリース当初は被害情報を登録するものだった(画像左)。2020年2月現在は被害状況の詳細が書き込めるようにアップデートされている(画像右)
また、ちょうどその時期、「安全ピンで痴漢を撃退するのは正当防衛か?」という話題が盛り上がっていて。気になって調べているうちに、痴漢被害者の9割が人に相談できていないという事実を知ったのです。
痴漢を経験した人の多くが、悩みを言えていない。それならばと、企画から約1週間で作り上げたのが、『痴漢レーダー』です。
リリース後、想像を超える勢いでユーザー数は伸び、多くの方が被害を投稿してくれました。反響がうれしい反面、「今までどれだけ多くの人が、辛い気持ちを言えなかったのか」と、問題の根深さを痛感しました。
これまで言えなかった被害が言えるようになり、社会から認識されていなかった問題が可視化された。『痴漢レーダー』は、そんな役割が評価されています。
でも、考えてみてください。私たちがやったことって、悩みを言う方法をほんの少し工夫しただけなんです。
テクノロジーによって生まれた新しい仕組みが、人の行動を変える。そんな感動的な瞬間に、再び出会うことができました。

「ちょっとした仕組み」があれば、人は助け合える
今私が最も実現したいのは、ビッグデータやインターネットの力を使って、顕在化していない問題を可視化し、解決に向けて働き掛けること。
日本人は小さな頃から「人に迷惑を掛けてはいけない」という教育を受けているためか、外国人と比べても、悩みを人に言えない傾向があるように感じます。
一見平和に思えていても、実は辛い思いをしている人や、メンタルがやられている人が多かったり……。そうした問題を解決するには、データの力が有効です。
一人が「こんな被害に遭った」と声を上げても社会はなかなか変わりませんが、「この場所で、100人もの人がこんな被害を受けている」というデータがあれば、国や企業は動き出します。
ビッグデータを扱うテクノロジーが発達した今だからこそ、解決できる問題も多いはず。痴漢だけでなく、いじめや暴力といったさまざまな問題の解決にも、『痴漢レーダー』の技術は応用できると考えています。

もう一つやりたいのが、迷惑行為を起きづらくするために、第三者を巻き込むこと。
特に痴漢はそうですが、問題が発生するとき、当事者の周辺には大抵第三者がいます。第三者が周りを見渡すことによって、被害を未然に防ぐこともできるのではないでしょうか。
また、もしかしたら日本人には「困っている人を助けてあげたいけれど、どうしたらいいか分からない」という人が多いのかもしれません。
でも私は、人を助けたい気持ちはみんなの中にあると思っています。知恵袋を始めた時も、「報酬が発生するわけでもないのに回答する人なんているの?」と社内で議論になりましたが、実際は多くの人が手を差し伸べました。
今までは、助けたい気持ちを後押しする仕組みがなかったから、行動に移せなかっただけのこと。ちょっとした仕掛けさえあれば、誰もが困っている人を助けられるんです。

現在は、被害の声に寄り添うリアクション機能が追加されている。「痴漢撲滅運動」に参加表明をすると、同車両内程度の近距離で被害者が被害報告をした際に通知が飛び、リアルタイムで助けに行く、といったことがしやすくなる(画像左)。被害の報告数が多い駅をランキング形式で掲載。当該駅で周囲に気を配る人が増えれば、被害を未然に防ぐことにつながるかもしれない(画像右)
私がこれを作ることができた理由は、身近な課題を解決しようとしたから。問題解決のためのソリューションを一番考えやすいのは、問題の当事者なんです。
もし、皆さんが今後、世の中をより良く変えるような仕事がしたいと考えているなら、いま一度、自分の過去の経験に目を向けてみてください。
最も嫌だったことは何か? それを解決するにはどうしたらいいのか……。
当事者だからこそ感じたことを出発点に何か仕組みや場所をつくってみたら、あなたと同じような悩みを持つ人たちが救われるはずです。
取材・文/一本麻衣 撮影/赤松洋太 編集/河西ことみ(編集部)