“女性がいない”日本のIT業界をこのまま放置できない理由。Waffle・田中沙弥果の使命感
なぜ、理系のクラスには男性が多いのか。なぜ、エンジニアは男性ばかりなのか――。本気で考えたことのある人は、どのくらいいるだろうか。
一般社団法人Waffle代表の田中沙弥果さんは、IT分野のジェンダーギャップ解消を目指し、女子中高生限定のコーディング学習の場『Waffle Camp』の運営などを手掛けている。
先日、『Forbes JAPAN』による、世界を変える30歳未満30人の日本人 「30 UNDER 30 JAPAN 2020」に選出され、注目を集めている田中さん。
一体何がきっかけで、IT分野のジェンダーギャップ解消に取り組むようになったのだろうか。
プログラミングに夢中になった女の子たちが、理系に進まない理由
2020年、小学校でのプログラミング教育が必修化された。田中さんはWaffle設立前、NPO法人みんなのコードの職員として、学校の先生にプログラミング教育のやり方を教える活動をしていた。
先生たちのために、実際に小学校高学年のクラスで授業をやって見せたときのこと。田中さんは、意外な光景を目にすることになる。
男女一組で一つのパソコンを使う授業だったのですが、私は、『男の子の方が夢中になるんじゃないか』と思っていて。
でも、授業を始めると、予想はまるっきり裏切られました。女の子も男の子も、どちらもとても楽しそうにプログラミングに取り組んでいたのです。
休み時間になると『私がやる!』と、パソコンにかじりつく女の子もいるぐらい。私は今まで、偏見を持っていたんだと気付かされました。
ところが、中高生向けのプログラミングコンテストに参加した時、ある強烈な違和感が田中さんを襲った。
プログラミングコンテストに参加する中高生のうち、女の子の割合が異常に少ないんです。発表者20人のうち、女の子はたった1人ということも。
『あれだけプログラミングに夢中になっていた女の子たちは、どこに行っちゃったの?』って不思議で仕方ありませんでした。
たまたま自分が見たいくつかのコンテストだけなのか。それとも、日本全体がそうなのか。
調べてみると、日本の子どもたちの数学的リテラシーや科学的リテラシーは男女ともにOECDでトップレベルであるにも関わらず、工学系を専攻する女性の割合はわずか15%であることが分かった。
こうした進路選択には、周囲の環境がもたらす影響が非常に大きいと田中さんは考えている。
高校に文系・理系というコース選択があった人は多いと思うのですが、共学と女子校で比較すると、女子校に通う生徒の方が、理系を選択する割合が高くなるそうです。
共学だと、理系コースに進む女子は1~2割程度。女子校だとそれが、3~4割程度に増えます。こういう違いが生まれる理由は、生徒の目に見えている景色に他なりません。
例えば、理系クラスにいるのが男子ばかりという景色が広がっていれば、『女子は文系に進むもの』『理系は女子には向かない』というイメージが無意識のうちに刷り込まれてしまいます。
周りの環境が、生徒の意思決定に影響を与えるのです
こうした状況は早急に改善しなくてはならないと、田中さんは警鐘を鳴らす。
今後、社会の進歩とITは、ますます切っても切り離せないものになっていきます。それなのに、ITの担い手の中にダイバーシティーがないと、何が起きると思いますか?
女性や社会的マイノリティーの人にとっての不平等につながるような仕組みがつくられるリスクが、著しく高まります。
よく政治の世界で言われることと同じですね。為政者に女性がいなければ、女性の立場に立った政策はなかなか生まれてきません。にもかかわらず、日本のIT分野のジェンダーギャップは非常に大きいまま、ここまできてしまいました。
これは未来の社会格差を助長するような、危機的状況です。
長時間労働、言いたいことが言えない。男性社会で覚えた違和感
IT分野のジェンダーギャップに気付いてから、田中さんは副業で約2年間、女子中高生のためのプログラミング学習の場を運営してきた。
しかし、Waffleの立ち上げを検討し出した当初は、事業化の上で「本当に自分が適任なのか?」という迷いがあったと明かす。
私はエンジニアではないので、女の子たちにプログラミングを教える事業をやるなら、自分よりも向いている人がいっぱいいるのではないかと思っていたんですよ。
誰かもっと適任の人がやってくれたなら……。そう願いながら過ごしていた時期もありました。
しかし、いくら待てども、IT分野のジェンダーギャップ解消に本腰を入れて取り組む人は出てこなかった。
この課題の解決を、悠長に待つべきではない理由も明らかだった。
小学校でのプログラミング教育必修化を受けて、中・高・大と教育が変わっています。
こうした流れを踏まえると、今このタイミングでIT教育にジェンダーの視点を取り入れなければ、日本は取り返しのつかない状況になってしまう。
誰もやらないのであれば、自分がやるしかないと思いました。
加えて、田中さんの個人的な想いも起業を後押しした。
新卒で入社したテレビ制作会社は、圧倒的な男性社会。職場の9割が男性という環境で、私は自分の意見を一切言わせてもらえず、組織の中でいつも萎縮していました。
さらに、職場はまさに不夜城。会社に寝泊まりすることは頻繁にありましたし、6日連続で家に帰れず疲れ果てた社員を目にすることもありました。
体力こそが物を言う世界、タフな男性だけが勝ち上がることができる職場、そこにいた頃の私は常にモヤモヤした気持ちを抱えていました。
その時はまだ、「自分の苛立ちにジェンダーが関係しているとは知らなかった」と、田中さん。
起業に向けてジェンダーギャップにまつわるデータを集め、参考文献に目を通し、自身の過去を振り返ったことで、点がつながったのだという。
今まで自分が嫌だと感じてきたことの全てにジェンダーが関係していて、それは解決すべき課題だと分かった。
その時に感じた、『この世界を何としても変えなくては』という想いが、私を突き動かす原動力です。
変わる女の子たち、変わらない日本企業
Waffleの設立は2019年11月。創業からまだ1年未満にも関わらず、田中さんは確かな手応えを感じている。
法人化して発信力を高めたことで、『IT分野のジェンダーギャップ』という課題を、より多くの方に認知してもらえるようになりました。
例えば、企業でCSRを担当している方から、お問い合わせをいただくことが一気に増えました。既に、AWSさんのような大手企業との連携も始まっています。
また、過去の教え子たちからも、うれしい知らせが続々と届いているという。
大学で福祉系の学部に進学した学生から、『ITを活用した障害者ビジネスの立ち上げを模索しているところです』という連絡をもらいました。IT化が遅れている福祉の世界をより良く変えたいのだそうです。
また、経済学部への進学を目指していた子からは、Waffleでプログラミングを学んだことを機にデータサイエンティストを目指すことにしたという報告がありました。『ビジネスの意思決定に、データの活用は欠かせないから』と。
自分の好きなものとITの力を掛け合わせ、夢へと向かう10代の姿は、胸に迫るものがあります。
一方、IT分野のジェンダーギャップ解消の実現には、高い壁もそびえている。ステレオタイプのような「人の価値観」を変える作業は、時間とパワーの両方を要するからだ。
子どもたちの意思決定に最も大きな影響を与えるのは、親です。親のジェンダー観は子どもの進路選択にそのまま影響します。
実際に、科学教室やプログラミングスクールへの促しは、娘よりも息子に対する場合に20%高くなるというデータもあります。
ですから、親世代に対する働き掛けを強化していかなくてはいけません。
また、一般社団法人として活動を続ける上では、スポンサー企業の支援が欠かせない。ところが、協力的な姿勢を示してくれるのは、日系企業よりも外資系企業が圧倒的に多いという。
全ての日系企業が当てはまるわけではありませんが、ジェンダーギャップが課題であるということをそもそも理解してもらえなかったり、CSR活動の体制自体が整っていなかったりして協力していただけないケースは少なくありません。
『やっぱりジェンダー・ギャップ指数121位の国なんだな』と、痛感する場面は多々あります。
外資系企業が協力してくださるのはもちろんありがたいのですが、IT分野のジェンダーギャップは日本の問題です。
日本企業にこそ、課題を認識して、私たちと一緒に課題解消に取り組んでほしいというのが本音です。
こうした社会の風潮を変えるべく、田中さんは政策提言にも積極的に取り組んでいる。
内閣府が現在策定を進めている『第5次男女共同参画基本計画』における科学技術領域の優先順位を高める働き掛けのほか、国際女性会議に登壇し、STEM分野における女性の教育の重要性を訴えていく予定だ。
世界初のプログラマーは女性。“好きなこと”にもっと素直に
田中さんは、20代~30代の女性たちにも、「改めて自分の可能性を見つめ直してみてほしい」と訴え掛ける。「理系の仕事は向いてない」「プログラミングなんて私にはできない」それは社会にそう“思い込まされているだけ”かもしれないからだ。
皆さんにぜひ知ってほしいのは、世界初のプログラマーは女性であるということ。
イギリス人のエイダ・ラブレスさんです。そして、コンパイラやCOBOLという言語を開発したのも、アメリカ人のグレース・ホッパーさん。
プログラミングの世界を切り開いた彼女たちの偉業を知ると、『女性がITに向いていないわけがない』と思えますよね。まずは自分自身のジェンダーバイアスを外すことが大切です。
女性が少ないエンジニアの世界で働くことが不安なら、“女性技術者のためのコミュニティー”に所属するといい、と田中さんは続ける。
『Women Who Code』、『PyLadies』、『Rails Girls』など、女性エンジニア同士がつながれるコミュニティーは数々あります。仲間がいると意欲も湧くし、ロールモデルも見つけられる。未来への安心感にもつながると思います。
女性エンジニアは、職場では少数派で、疎外感を感じている人も多いかもしれない。でも、勇気を出して行動範囲を広げてみると、決して一人ではないことが分かるはずだ。
何歳からでも、自分が好きなことをまっすぐに追い求めてほしいと思います。興味を追求する行動は自分自身を幸せにしますし、そうした女性が増えることが、結果的に日本にジェンダー平等をもたらします。
田中さんは未来を悲観していない。あの日、小学校の教室で見た、男の子のパソコンを奪うほどプログラミングに熱中していた女の子たち。彼女たちが自分の「好き」を追い求められる世界を目指して、田中さんは今日も全力で課題に立ち向かう。
取材・文/一本麻衣 撮影/野村雄治 企画・編集/栗原千明(編集部)
【Profile】
田中沙弥果
Sayaka Ivy Tanaka
2017年NPO法人みんなのコードの一人目のフルタイムとして入社。文部科学省後援事業に従事したほか、全国20都市以上の教育委員会と連携し学校の先生がプログラミング教育を授業で実施するために推進。2019年にIT分野のジェンダーギャップを埋めるために一般社団法人Waffleを設立。2020年には日本政府主催の国際女性会議WAW!2020にユース代表として選出。SDGs Youth Summit 2020 若者活動家 選出。情報経営イノベーション専門職大学 客員教員。IT分野のジェンダーギャップ や親のジェンダーバイアスが与える進路の影響などをテーマに延500名以上に講演
◆Waffleについて