頑張り方を間違えてメンタル崩壊。休職前の私が無視していた「うまく生きてく」ための長距離走視点【考えるOL】

今、世の中には「自分をもっと甘やかして」というやわらかいメッセージが溢れている。働き過ぎも頑張り過ぎも度が過ぎるのはよくないこと。そう、頭では分かっている。

でも、上手な手の抜き方が分からない。「甘え」と「甘やかすこと」の違いもつかめない。いつの間にか、好きだったはずの仕事さえも、毎日の苦行になってしまっているーー。そんな人も多いのではないだろうか。

頑張りすぎてメンタルが崩壊してしまった女性

現在、X(旧Twitter)のフォロワー10万人超えのSNSインフルエンサー「考えるOL」さんも、新卒入社して初めて配属された部署で頑張り方を間違えて心を壊してしまった一人だ。

考えるOLさん

考えるOLさん

考えるOLさん 20代の平凡なOLが「こんなはずじゃなかった人生」と向き合う記録と題してX(@thinkingoodol)を開設。仕事や日常について、ありのままの自分を肯定する言葉が多くの支持を集めている。2020年8月の「今日も会社に行けなかった。まあいいか。生きてるし。」というつぶやきが15万以上のいいねを獲得。日々、心をやわらかくする言葉をつぶやいている。著書に『がんばらないことをがんばるって決めた。』(KADOKAWA)『ずっと、世界の中心は自分だよ』(大和書房)がある

うつを患い休職する前は、「人一倍仕事を頑張りたかった」という考えるOLさん。約半年の充電期間を経て復職し、新しい部署での仕事をスタートした彼女は、「頑張らないことを頑張る」と決めたという。

思い切って休みをとったこと、それ以降「努力の仕方」を変えたことが、考えるOLさんのその後の人生に与えた影響とはーー。今もあちこちで頑張り過ぎてしまっている人たちに、考えるOLさんの再生ストーリーを届けたい。

「頑張り方を間違えた」新人時代、ついに心が壊れた

私、基本的には頑張ることが大好きな人間なんです。学生生活も自分のやりたいことは大体かなえてきたし、できなかったことがあれば「自分の努力が足りなかったからだ」と思って生きてきました。

就職もそうです。学生の頃からエンタメ業界で働くことが夢でしたが、第一志望の会社への就職はかなわず、別の業界で営業の道へ。

でも、そこで投げやりになることはなく、ここでまずは頑張ってみようと腹を決めました。

入社当時の私は、典型的な意識高い系の若者。ビジネス系の自己啓発書を何冊も読んでいたし、職場でも自分からどんどん仕事を取りに行っていました。

パソコンを使って働く女性の手元

でも、新人だからそんなにできることはなくて。誰よりもすばやく電話を取ることに命懸けてました。

だって、電話に出れば誰がどんな仕事をしているか分かるし、先輩たちと話すきっかけにもなるし、仕事をたくさん覚えられるじゃないですか。

だから、この機会をだれにも奪わせないぞ、っていう気持ちだったんですよ(笑)。でも、会社全体の雰囲気は割とのんびりしていて、同期も「ゆったり安定して働ければそれでいいじゃない」というタイプ。

その中で、私だけ明らかに生き急いでいる感じで、先輩たちからはよく「そんなに焦らなくてもいいんだよ」って言われていました。

当時の私はそう言われても、「なんでそんなこと言うんだ、もっと仕事で成長させてくれよ」って思って先輩たちの助言を無視しました。

でも実際、先輩たちが言う通り、焦っていたんだと思います。

大学の同級生の中には有名企業に入った子もいれば、私が入りたかった業界に就職した子もいる。学生時代は同じ場所にいたはずのみんなが、どんどん遠いところに行ってしまった気がして、私はここで何をしているんだろうと感じていました。

手帳を持ってたたずむ女性

そんな焦りから、会社から何を言われたわけでもないのに、土日も仕事の資料を作ったり勉強したりして、自分を追いこんでいったのです。

そして、だんだん肉体的にも精神的にもキツくなり……。ただ、ここを乗り越えれば大丈夫とか、ここでつまずいたら周りに取り残されちゃうとか、そんなことばっかり考えて、休むという選択肢がまったく浮かんできませんでした。

最終的に病院に行ってお医者さんからの診断を受けて休職することになったのですが、「休みなさい」と人から言われた時はショックでした。

今まで周りと足並み揃えて生きてきた分、みんなと同じレールから外れてしまってこれからどうするの? という不安があったので。

でも、同じくらい安心感もあって、ほっとしている自分もいました。やっぱり本音では、少し仕事から離れたかったし、その必要があるって心のどこかでは分かっていたんですよね。

そして、不安と安心、半分半分の状態で、私は休職期間に入りました。

会談を上る女性

どの食パンが好きか真剣に考える。そういう時間が大切

休んで最初に気づいたことは、私って仕事をしていないと、本当にやることがないんだなということ。

ただぼーっとしているだけで1日が過ぎていく。でもそうやってただゆっくり過ごすことで、ボロボロだった心と体が少しずつ回復していくのが分かりました。

そのことに気づいた最初のきっかけは、食パンでした。やることが何もないから時間だけはあって、日常の小さな選択について、一つ一つじっくり考えるようになったんですよ。

私、朝はパン派なんですけど、どのメーカーの食パンが一番おいしいかとか、何枚切りがいいかとか、自分のお気に入りについてめちゃくちゃ真剣に考える。

お皿に乗せられた2枚の食パン

仕事をしていた頃は、パンは何枚切りかおいしいかなんて、どうでもよかった。そんなことを考えたって成長にならないし、生産性もない。

だったら、その脳をもっと「自分に役立つこと」に使った方がいい。そう考えていました。

でも、そうじゃないんですよね……。私たちはただ仕事をするために生きているわけじゃない。仕事の前に、まず生活があるんです。

そして、生活を営むということは、そういう何気ない選択を楽しんだり、自分自身や、自分の好きなものと向き合う時間を持つことなんですよね。

考えてみたら、学生時代の私はそういうことを大切にしていた人間でした。

だけど、社会人になって、忙しい毎日に追われているうちに、自分の好きなものについて考えたり、触れたりする余裕も失っていった。

テレビをだらだら観る時間があるなら仕事をした方が有意義だと思い込んで、家にテレビも置かなかったくらいです。そして、学生時代すごく好きだったバンドのライブにも全然行かなくなった。

思えば、好きなことや楽しみを生活の中から失った時から危険信号は出ていたわけで、私はそれを無視して突っ走っていました。

でも、思い切って休んだことで、ささやかなことを慈しむ心の余裕ができたし、自分自身と向き合えるようになった。「好き」とか「楽しい」とか、そういう気持ちも思い出せた。それは、どん底まで転げ落ちた私の救いになりました。

ちなみに、食パンは、Pascoの『超熟』5枚切りが私的にはベストです(笑)

努力は必要。でも、努力の方法は一つじゃない

パソコンを見て考え込む女性

適度に休むことはとっても大切。それは間違いありません。

でも私は「頑張ること」それ自体が悪いことだとは今も思っていないんですよ。むしろ努力することや頑張ることは、私たちに絶対必要なこと。特に仕事の場合はそうです。

何でも努力しないと成果は出せないし、成果を出せなければ会社から必要とされなくなる。その事実は変わりません。じゃあ、何が変わったかと言うと、「努力の方法」です。

以前の私は、努力する=身を削って、がむしゃらに頑張ることだと思っていた。それしか知らなかったんです。でも実際は、そうじゃないんですよね。

アスリートだって、本番で力を発揮できる体をつくろうと思ったら、練習で体を酷使するばかりじゃなく休んで労わることだって大事な仕事なわけです。

会社員もそれと一緒。プロ会社員なら、いい成果を出すためにちゃんと休む。こんなシンプルなことに、気づけなかったんです。

一歩を踏み出す女性の足元

私は今のところ、しばらくは会社員として働いていこうと思っています。そのために必要なのは、サステナブルな頑張り方。

長い社会人人生を短距離走みたいに一気に突っ走るんじゃなく、適度に給水ポイントをつくりつつ、遠い遠いゴールを目指すような長距離走の走り方ができるようになりたいです。

今思えば、私が「なんであんなにのんびりしていられるんだろう」と思っていた会社の先輩たちは、それがちゃんと分かっていたんでしょうね。

だから、生き急ぎ過ぎる私に「そんなに焦らなくていいんじゃない?」と言ってくれていた。的を射た助言だったのに、当時の私は全部無視していたんですよ。

あの頃の私は完全に視野が狭くなっていて、よく知らない著者が書いた自己啓発本に載っていることは「そうだそうだ」と鵜呑みにするくせに、身近な人からの言葉にはなぜか耳を傾けなかった。変な話ですよね。

だから、あの頃の私のようにもがいている20代にもし声を掛けるとしたら、「もうちょっと、あなたのことをよく見てくれている周りの人の意見を聞いてみてもいいんじゃない?」と言ってあげたい。

その人たちは、少なくとも今の自分を見た上で必要だと思うことを言ってくれている。簡単にシャットアウトするのではなく、耳を傾けてみる価値はあると思います。

性格は変えられないけど、「とらえ方」と「環境」はすぐ変えられる

椅子に座り天井を仰ぐ女性

ただ、「自分を甘やかして」「適度に休んで」って言われても、今までの自分の性格ってなかなか変わらないから、いきなりできるようにはならないと思うんですよ。

そういうときは、自分の性格じゃなくて、物事のとらえ方を変えてみるところから始めてみたらいいと思います。

さっきアスリートの例を出しましたが、私の場合は「休むことも、プロとして仕事をするための大切な努力の一つなんだ」ととらえられるようになってからは、抵抗感がなくなりました。

会社に復職した今も休みの日に実家の犬と戯れながら、仕事について考えちゃうときはあるんですけどね。そんなときこそ、「しっかり休むのも仕事だ」って自分に言い聞かせるようにしています。

リラックスして外を歩く女性

あんなに気になっていた大学時代の同級生の活躍も、今はだいぶ気にならなくなりました。その理由は二つ。

一つは、休職したことで、一回つまづいてしまったわけで、みんなに追いつけなくても「もう別にいいや」って思えるようになったから。一度レールを外れたら、もうこのまま私は私のペースで生きていこうって思えるようになりました。

そしてもう一つは、自分の軸を持てるようになったから。私の場合、それはTwitterでした。休職直前に「今日も会社に行けなかった。まあいいか。生きてるし」とつぶやいたら、それがバズって、一気にフォロワーが増えて。

もっと前はビジネス系のインフルエンサーを目指したりして、人を鼓舞するような自己啓発的な内容をつぶやいていたんです。けど、そんなふうに弱音とか本音をつぶやいた方が、たくさんの人が共感してくれて、応援してくれるようになった。

そうやって認めてもらえたことで、私自身も自分のことを認められるようになったのは大きかったです。やっぱり誰かから認めてもらえないと、なかなか自分を認められないと思うんですよ。

私の場合、それがTwitterだっただけで、何でもいいと思うんです。とにかく自分を受け入れて認めてくれる場所を探す。それはすごく大事なことなのかなって。

仕事がストレスの原因だったら、転職したり部署異動したり、何かしら環境を変えることも一つの手段。私が復職した時も、営業から、もともと自分の入りたかった部署に異動させてもらいました。

会社って面白いですよね。同じ会社の中にいても、働く部署が違うだけでまるで違う環境です。一緒に働く人も違うし、ルールも違うし、仕事の進め方も違う。

これまでいた場所では自分の「短所」だと思っていたことが、新しい部署や職場に移ったら「長所」になることだって普通にあります。

だから、今いる環境がすべてだと思わず、自分が呼吸しやすい場所を自分で探してみるのもいいと思います。あきらめの悪さって、結構大事です。

「幸せ」の条件を決めつけると、不幸になる

仕事を休む前までは、無駄な1日を過ごしたら罪悪感でいっぱいになっていましたが、今では何もない日が一番幸せ。特に悪いことも起こらず、特にいいことも起こらず、ただ穏やかに1日が終わると、幸せだったなと思います。

ベッドに横になる女性

でも、そもそもあんまり幸せかどうかに執着すること自体、よくないのかなという気もします。

これが幸せと決めつけてしまうと、それがなくなった瞬間、不幸せになる。そして、それを持っている誰かを見て羨ましくなって、余計に幸せ迷子になる。

だから、まずはそういう「幸せの定義」を手放してみるといいと思う。何が幸せかなんてどうでもいい。ただ、今の自分のありのままの状態を見つめること。

自分に優しくするって、つまりそういうことなのかなと、自分を甘やかすのが下手だった私は思います。

取材・文/横川良明 ※写真はすべてイメージです

書籍情報

『がんばらないことをがんばるって決めた。』書影
『がんばらないことをがんばるって決めた。』(KADOKAWA)
「今日も会社に行けなかった。まあいいか。生きてるし。」―等身大のつぶやきで15万以上のいいねを獲得した「考えるOL」。「ありのままの人生を、ゆるやかに生きる」ためのヒントが1冊になりました。X(旧Twitter)で共感を呼んだ投稿と、その書下ろしエピソードが満載