他人と比べ、自分を盛るのに疲れた人へ。TikTok僧侶・古溪光大が捧ぐ「天上天下唯我独尊」の思考法

他人と比べ、自分を盛るのに疲れた人へ。TikTok僧侶・古溪光大が捧ぐ「天上天下唯我独尊」の思考法

“現代のお坊さん”として、TikTokやYouTubeを通じて仏教の教えを「短く、楽しく、分かりやすく」広めている、古溪光大(ふるたに・こうだい)さん。

会社員経験もある古溪さんへのお悩み相談・第3弾では、「周囲からの見られ方を気にして、自分を取り繕い続けることに疲れてしまった……」という女性へのアドバイスをもらった。

自身の会社員経験と仏教の教えを踏まえた、古溪さんの回答は……?

【過去2回の記事はこちら】

>>TikTokで仏教を発信する“現代のお坊さん”古溪光大さんにお悩み相談「営業職のノルマや競争がつらい」

>>「ミスしてしんどい」気持ち、どう切り替える? TikTok僧侶・古溪光大が送る「而今」の教え

20代接客業女性の悩み「人からの見られ方を気にして、自分を取り繕うのに疲れた」

Oさん
(20代・接客業)

周囲から自分がどう見られているかが気になって仕方がありません。

同僚から仕事ができないと思われたくないですし、学生時代の友人たちにも仕事やプライベートが充実しているように見せるため、SNSも少し盛ってしまいます。

自分を取り繕う生き方に疲れてしまったのですが、「自分は自分」と思うためにはどうすればいいのでしょうか。

仏教が教える煩悩の一つに「慢(まん)」というものがあります。

これは「他者と比較して思い上がること」を指すのですが、Oさんが直面しているような人間関係の苦しみは、「他者との比較」が起点になることが多いんです。

ではこういった煩悩とどのように付き合っていけばいいのか。

仏教の「天上天下唯我独尊(てんじょうてんがゆいがどくそん)」という教えがヒントになるかと思います。

これは他者と比較することから離れて、「自分も他者も生きているだけでそのまま尊い存在である」という考え方です。

ポイントは「えらい」のではなく「尊い」ということ。「えらい」という言葉には比較の意味が含まれますが、「尊い」には比較の要素はありません。

他者と比較して劣等感や優越感を抱くのは、尊いと思う気持ちが足りていないんですね。自分も周囲の人もみんな尊い存在。そう思うことが、「自分を盛りたい」気持ちを手放す第一歩になるはずですよ。

他人と比べ、自分を盛るのに疲れた人へ。TikTok僧侶・古溪光大が捧ぐ「天上天下唯我独尊」の思考法

「そうは言っても、どうしても他者と比較してしまう」という人もいるでしょう。

僕も社会人時代は他人からの評価に一喜一憂する日々を送っていたことがあったのでよく分かります。

帝人で営業職に就いていた頃の僕は、他人軸の価値観を手放せずに生きていました。

そもそもファーストキャリアで帝人を選んだのも、友人たちに「大手企業に就職してすごいね」って言われたかったから。そんな理由で入社したので、営業におけるモチベーションも周りからの評価でした。

営業先や会社からの評価、同僚との営業競争、SNSの「いいね!」の数。その一つ一つが気になり、それが自分の価値とイコールのような気がしていて。

それらを気にして頑張った結果、友達に囲まれ恋人もでき、大手企業勤務の肩書も手にして……と、周囲からうらやまれると思っていたものを全て手にできました。

でも、なぜか思っていたほど幸せじゃなかったんです。

他人と比べ、自分を盛るのに疲れた人へ。TikTok僧侶・古溪光大が捧ぐ「天上天下唯我独尊」の思考法

少しずつ、他人軸で生きている自分に疑問を抱くようになってきた頃、世の中はコロナ禍に突入。僕の仕事は医療機器を提案する営業職だったので、病院に出入りすることも多く、いち早く異変を察知しました。

パンデミックに飲み込まれる世界を前にしても、自分には何もできない。医療に関わっているのに医学の知識もないし、ただの未熟な営業であることを思い知らされました。

小さな世界で人と比較をして一喜一憂しても、自分は何もできないちっぽけな人間なんだ。

そんな現実を突きつけられ、少しでも世のため人のためになることをしようと思ったのが、脱サラして僧侶になることを決意したきっかけの一つです。

自ら人生を照らす「自灯明」の教え

出家し、仏教の教えを体得したことで、「天上天下唯我独尊」の考え方を腹落ちさせられた僕は、会社員だった頃より少し生きやすくなったと思います。

もし今、「誰かと比較したって意味がないと分かっていても、感情をコントロールできない」人がいるのなら、「自灯明(じとうみょう)」の考え方も知っておくといいかもしれません。

自灯明とは、「自分自身が明かりとなり暗闇を照らしながら人生を歩いていきなさい」という意味が込められている禅語です。

自分以外の誰かに照らしてもらって生きていくと、その誰かがいなくなった瞬間、真っ暗闇になってしまう。

つまり、自分を支えることができるのは自分だけだということ。

恋人やステータス、お金、肩書などは急に失われる可能性があります。

それらが急になくなったことを想像してみてください。想像した自分に価値を見いだせないのだとしたら、それはうわべだけの価値だということ。

他人は自分の人生の責任を持ってくれません。責任を持ってくれない人のことを気にしてもいいことはないんです。

他者からの評価を気にして生きていた当時の僕もまた、他人からうらやんでもらえるものをあれこれ手に入れて、最後に残ったのは幸せではなく、むなしさでした。

反対に、今は自分自身と向き合えている実感がありますが、すごく充実した日々を送れていますし、幸福感もあります。

まずは今自分がとらわれているものは、いつ失われるか分からないもろいものだと捉えて、外に向けている目線を自分に向けてみましょう。きっともう少し生きやすくなるはずです。

他人と比べ、自分を盛るのに疲れた人へ。TikTok僧侶・古溪光大が捧ぐ「天上天下唯我独尊」の思考法

僧侶
古溪光大(ふるたに・こうだい)さん

1994年、龍我山雲門寺に生まれる。大学卒業後は、帝人株式会社で営業職に従事。2021年より、大本山永平寺にて修行生活を送る。現在は、僧侶、TikToker、ラッパー、起業家として既存の枠にとらわれない活動を通して仏教を広める。公式LINEにてお悩み相談も受付中。

書籍情報

古溪光大 君と僕と諸行無常と。

『君と僕と諸行無常と。』(徳間書店)

SNSで大人気の曹洞宗雲門寺の僧侶ラッパーふるたにによる若者から寄せられる悩みや仏教の教えをまとめた問答集。

>詳細はこちらから

取材・文・編集/光谷麻里(編集部) 撮影/竹井俊晴