「私はネットに殺された」アナウンサーから僧侶へ、誹謗中傷で“地獄を見た女”が這い上がれた理由

「私の人生、終わった」――そう思ってしまうくらいに絶望を感じた時、もう一度立ち上がる勇気を持つのは難しい。それでも前を向き続ければ、それは「強さ」に変わるのだと、思わせてくれる女性がいる。
天台宗の「照諦山 心月院 尋清寺」を新寺建立した、僧侶の髙橋美清さんだ。
かつては30年以上のキャリアを持つアナウンサーだった髙橋さんは、50歳の時に壮絶なネット中傷を受け、仕事を続けられなくなってしまった。
「ネットに殺されて、私は一度死んでいるんです」と話す彼女は、絶望の中で僧侶となる決意を固め、今はインターネット上の中傷で悩む人々の相談に乗る活動をしている。
一時は自らの命を絶つことも本気で考えていたという中で、なぜ僧侶の道を選び、生きる強さを取り戻すことができたのだろうか。誹謗中傷を機に「死ぬか生きるか、真剣に向き合わされてきた」と語る髙橋さんが立ち上がれた理由に迫った。

天台宗 照諦山 心月院 尋清寺 住職 髙橋美清さん
1964年、群馬県生まれ。短大在学中からモデルとして活動した後、フリーアナウンサーに。群馬テレビのレポーター、日本テレビ『おはよう天気』キャスター、競輪のテレビ中継の司会者のほか、フィニッシングスクールを主宰し企業などのマナー研修を行う。2014年にはキングレコード発売のCD『波に抱かれて』(北原朱夏名義)で歌手デビューもしている。11年に得度、17年に比叡山延暦寺行院で修行に入り、正式な天台宗僧侶となる。20年、群馬県伊勢崎市に天台宗照諦山心月院尋清寺を新寺建立した。Instagram
誇りを持って積み重ねた、30年のアナウンサー人生
50歳になるまで、私はアナウンサーとして30年以上のキャリアを積み重ねてきました。
今から40年も前の話ですが、ホテルのラウンジで電子オルガンを弾くアルバイトをしていた時に、テレビ関係者の方に声を掛けられたのがきっかけです。
言われるがままにオーディションを受けて、群馬の県政番組を担当し、その後はお天気番組を担当することになりました。最初は「話す仕事なんてできない」と思っていましたが、仕事をするうちにだんだん楽しさを感じるようになって。
20歳でフリーアナウンサーになり、キー局の番組にも出演するようになると、その後30年のキャリアを捧げるきっかけになる競輪の番組と出会いました。
初めて競輪場に足を運んだ時の感動は、今でも覚えています。「選手たちはなんて速くて、きれいなんだろう」って。
競輪場自体は、ゴミがたくさん落ちていて汚かったですよ(笑)。でも、そこで走る選手たちはとても美しかった。彼らが陰で努力していることを知り、この魅力を伝えたいと心から思ったのです。
周りからは「どうしてギャンブルの仕事なんてするの?」と言われましたが、そう言われるたびに、私はこの中継の仕事をいつか女性が憧れる仕事にしたいと思っていました。だから毎回衣装に気を使っていましたし、専属のヘアメイクを自分で付けて、正しい日本語を使うというアナウンサーの役割を、しっかりと果たしていきたかったのです。

アナウンサー時代の写真
そして私はアシスタントから司会者となり、全国に50ある競輪場を飛び回って仕事をするようになりました。給料は決してよくなかったので、不満をこぼす仲間も多くいましたが、私はこの仕事に誇りを持っていたんですよ。
年齢もキャリアも重ね、第一線で活躍している充実感もありました。しかしその後、事件は起きたのです。
「人殺し」「いつ死ぬんですか」やまない誹謗中傷
きっかけは、ある男性競輪選手の相談に乗ってしまったこと。彼に「死にたい」と明かされたのです。
もともと僧侶の家系だったこともあり、当時の私はすでに僧籍を持っていて、死ぬほど苦しんでいる人の話を聞かないわけにはいきませんでした。
ところが相談の内容や頻度は、次第にエスカレートしていきます。送られてきたメールは300通を超え、電話は400回以上。「私にお金を取られた」と嘘のブログまで投稿され、悪質なストーカー行為が続いたのです。
私の仕事の関係先まで嫌がらせが続き、これ以上周りにご迷惑をかけるわけにはいかないと、警察に相談。その後、男性は警察に逮捕されました。
しかし、ここからが地獄の始まり。
その逮捕はマスコミに報道され、私が被害者であることはあっという間に白日の下にさらされてしまいました。
嘘が書かれた彼のブログは瞬く間に広まり、それを信じた人々からのバッシングが始まって。のちに加害者の男性が不慮の事故で亡くなってしまったことで、私への誹謗中傷はさらに過熱しました。
「人殺し」「まだ死なないんですか?」「みんなあなたが死ぬのを待っていますよ」といった大量のネット投稿、電話、メール。誰かが殺した猫が、うちの庭に捨てられていたこともありました。
全てを失いましたが、最初に失ったのは仕事でした。テレビも新聞も、「今は表に出ない方がいいのでは?」と電話一本で告げられ、アナウンサーとしての全ての仕事が終わってしまったのです。

当時はキングレコード発売のCD『波に抱かれて』(北原朱夏名義)で歌手デビューも。事件がきっかけで、キャンペーンやラジオ番組などでの歌手活動も全てキャンセルになったという
もういっそ大好きなペットショップでアルバイトをして暮らそうかと、アナウンサー以外の道も考えましたが、このネット監視社会ではそんな願いも叶えられません。私は本当に、何もできなくなってしまったのです。
アナウンサーの仕事でも、嫌なことはありました。セクハラもパワハラも受けたし、つらいこともたくさんあった。そのたびに踏ん張って、30年間積み重ねてきたキャリアが、「誰だか分からない、顔も見えない人たち」に潰されてしまった。
それはまるで、自分の宝物が一瞬で崩れていくような感覚で。ものすごく悔しかったし、とにかく怖くて家から一歩も出られない日々が続き、まさに「ネットに殺された」という気持ちでいっぱいでした。

剃髪する前の髙橋さん
「自分の傷を誰かの薬にしたい」過酷な修行を経て、人生をリセット
その後、「僧侶になろう」と決心するまでに要した時間は2年でした。
当時の私の精神状態は全く普通ではなく、「死ぬか生きるか」を考え続ける日々。飼っていた犬3匹を自分の手で楽にしてあげてから、私も逝こうと決意したこともありました。
でも私には、犬たちの命を奪うことはできませんでした。それなのに、自分を殺すことなんてできるはずがないですよね。
死ねないのなら、生きるしかない。
普通に生きていくことができない私には、僧侶になる道しか残されていませんでした。
先ほどお話ししたとおり僧侶の家系で僧籍は持っていたのですが、それでも52歳で本格的な修行を始めるには、前例がほとんどなかったため、なかなか許可が降りませんでした。しかし「私が生きるためには、もうここしかないんだ」という思いを理解していただき、比叡山延暦寺行院での修行がかなったのです。
足の爪は剥がれ、もう命以外は全部捨てたという覚悟で修行を終え、私は人生をリセットできたのです。このとき指導者の方には、本当の厳しさとやさしさを教えていただいたと思います。

そして私は、2020年に天台宗照諦山心月院尋清寺を新寺建立しました。現在は各地で、ネット中傷に悩む方々の相談に乗る日々を過ごしています。
寺を立ち上げたのは、自分の傷を誰かの薬にしたいと思ったから。ネットが関係したいじめで、命を絶った子どものニュースを見たことも影響しています。
未来がある人が、ネットがきっかけで命を落とすようなことがあってはいけません。それを防ぐ役目が、自分の命には与えられているのではないかと、今は思えるまでになりました。
また自分を中傷した加害者数名とも直接向き合い、「二度とこんなことをしてはいけない」という話をすることもできました。これもご縁ですから、彼らに対する恨みはありません。私が僧侶になるきっかけをくれた人たちですから。
命を救ってくれた「怒り」と「強さ」
誹謗中傷で家から出られず、死のうと思っていた当時を振り返り、自分の命はどうして助かったのかと、考えることがあります。
その理由の一つは、少しつらくてもがんばることを、これまでの人生で当たり前にやってきていたからかもしれません。
特に、俗世間から逃げて修行がかなったときに感じた「私は大丈夫」という気持ちは私の支えになりました。厳しさの中でも「少しだけがんばる」を積み重ねた経験が自信になり、人と比べない強さを身に付けられたと思います。
もう一つの理由は、怒りをうまく利用できたこと。私は誹謗中傷されている間、ずっと怒りの感情はありませんでした。ただただ落ち込むばかりだったんです。
でも修行に行く前に、誰かから送られてきた「人を殺したのに、僧籍を持っているなんて認めない」という匿名のメールを見て、初めて頭に血がのぼりました。この人はなんなんだ、ふざけるな、と。
「だったら認めさせてやる」という強い気持ちが、修行を乗り越えるエネルギーになったのは間違いありません。怒りは人に向けてはいけませんが、自分自身に向けると、いい発奮材料になるんですよね。

天台寺にて法話した時の様子
人は生きていれば、悩みは尽きないと思います。絶望することも、立ち止まってしまうこともあるでしょう。
しかし誰しも、今生きているのは、その人生に役目を与えられているからだと、今なら思えます。
私の苦しみやがんばりは、誰かを照らす光につながるはずです。自分が光となって周りを照らしていくことこそが人の役割であり、それが積み重なることで世の中がつくられるという意味の「一隅を照らす」という言葉は、私の座右の銘でもあります。
役目を全うするための命がある限り、人はきっと再び前を向くことができるはずです。
取材・文/一本麻衣 編集/大室倫子(編集部) 写真/本人提供