【ブル中野】会社都合で悪役レスラーに→覚悟が足りないと髪を剃られ…理不尽の嵐の中で「悪を天職」にできたワケ

ブル中野さん

「本当はこんなキャリアを望んでいなかったのに」「私には向いていないのでは」

会社員であれば、組織の都合で思いもよらない部署や役割を任され、今後のキャリアに迷いや不安を感じる場面もあるだろう。

そんな経験を、誰よりも劇的な形で乗り越えてきた人物がいる。

2024年、日本人女性として初めてWWE殿堂入りを果たし、現在はNYでプロレス団体『SUKEBAN(スケバン)』を主宰するプロレスラーのブル中野さんだ。

Netflixドラマ『極悪女王』では主人公・ダンプ松本さんとともに「極悪同盟」として一世を風靡した姿が記憶に新しい彼女だが、実は「正統派レスラー」を夢見て女子プロレスの世界に飛び込んだという。

突如として会社(全日本女子プロレス)から「悪役」への転向を命じられ、一度は「人生が終わった」と絶望した経験を、どのようにキャリアの転機に変えたのか。ブル中野さんに「希望とは異なる役割」を天職に変えるヒントを聞いた。

ブル 中野さん

ブル 中野さん

15歳で全日本女子プロレスに入門、17歳で悪役レスラーに転向。ダンプ松本との極悪同盟、獄門党等で一世を風靡し、数々の伝説的な試合を残す。米国のWWF世界女子王座を日本人で初めて獲得。他にWWWA世界シングル王座獲得多数。2024年、日本人女子レスラーとして史上初のWWE殿堂入りを果たす。現在はNYを拠点に女子プロレス団体『SUKEBAN』のブッカー兼コミッショナーを務める。Netflixドラマ『極悪女王』では、自身の体験がモデルの一つとなったことも話題に X/Instagram/YouTube

「正統派」を夢見た少女が、悪役レスラーに

編集部

今年大きな話題を呼んだNetflixドラマ『極悪女王』では、ブルさんの若き日の姿も描かれ、大きな反響がありました。

ブルさん

私自身も反響の大きさに驚いています。当時の女子プロレスを知らない世代の方にも分かるよう、時代背景や空気感がよく描かれていたと思います。

でも実際の現場は……ドラマでは描けないようなさらに過酷なこともありました(笑)

編集部

そうなんですか!?

ブルさん

今はプロレスをエンターテインメントとして楽しむ人が多いですが、当時の悪役レスラーは世間から本当に「悪い人」だと思われていたんですよ。

街を歩いていても避けられ、時には罵声を浴びせられることも。家族も周囲の目を気にして苦しんでいました。母は買い物に行くのもつらかったと、後になって話してくれましたね。

だからこそ、当時は誰にも理解されなかった悪役になるまでの葛藤や抱えていた孤独を、作品の中で丁寧に描いてくれたのが良かったなって。

編集部

作中にもありましたが、ブルさんは本当は「正統派レスラー」を目指されていたそうですね。

ブルさん

そうなんです。実は、悪役になる前の私は垂れ目でおっとりしているように見えるから、「パンダちゃん」なんてあだ名で呼ばれていたんですよ。

でも入門して数カ月で、私が思ったより気が強いと知られてからは、先輩たちから冷遇されるようになって。

そんな私を気に掛けてくれたのが、ダンプ(松本)さんでした。先輩や同期の中でも一人ポツンと浮いていた私に、いつも話し掛けてくれたんです。実は優しい人なんですよ。

今でも素顔は「パンダちゃん」の面影が(ブルさんのInstagramより)

今でも素顔は「パンダちゃん」の面影が(ブルさんのInstagramより)

編集部

ダンプさんは後にブルさんの師匠であり「極悪同盟」を組むパートナーになりましたね。

ブルさん

はい。2年目にダンプさんから悪役レスラーになることを勧められて。ちょうど会社も「悪役がほしい」と思っていた時期でした。

先輩に対して「嫌です」とは言えませんから。約1週間説得された末に「悪役になります」と答えたら、会長のところに連れて行かれて、すぐに会社との契約が決まったんです。

編集部

会社も悪役レスラー転向を望んでいたんですね。

ブルさん

でも私自身は、本当は悪役になりたくなかったから、試合でも「私は本当は悪い人じゃないのに」と抗いたい気持ちが拭えなくて。その中途半端な心が、リングでのパフォーマンスにも表れていたと思います。

1985/2/26 週刊プロレス

1985/2/26 『週刊プロレス』より

“半ハゲ”に髪を刈られ「人生終わった」

編集部

悪役になる覚悟が決まったのはいつだったんでしょう?

ブルさん

ダンプさんに、バリカンで髪を剃られた瞬間ですね。「お前は半人前だから“半ハゲ”でいいんだよ」と言って、頭の半分だけモヒカンに剃られました。

ダンプさんにも、私の悪役への覚悟の甘さを見抜かれていたんです。だから「お前は覚悟を決めないとダメだよ」って。ダンプさんなりの、私への愛情だったと今では思います。

NETFLIXオリジナルドラマ『極悪女王』でブル中野役を演じた堀桃子さん

Netflixオリジナルドラマ『極悪女王』でブル中野役を演じた堀桃子さん(ドラマより引用)

編集部

『極悪女王』でも衝撃的で印象に残っているシーンです。

ブルさん

ドラマでは寮でダンプさん一人からバリカンを入れられていましたが、実際は地方巡業の控室で外国人選手5人に体を押さえつけられながら、ダンプさんにやられたんです(笑)。

正直「人生終わった」と思いましたよ。

鏡に映る自分を見て「こんな姿ではもう地元にも実家にも帰れない」「女性としての幸せや私生活は全部捨てよう」と悟って、ホテルの部屋で一人泣きました。

でも同時に、自分の生きていく場所はリングの中だけだ、と思った瞬間でもあります。

編集部

見た目が変わって、覚悟が決まったと。

ブルさん

そうです。でも覚悟が決まってからも、毎日が試練の連続でした。

朝は誰よりも早く道場に行き、夜は遅くまで残って練習する。それでも認められず、むしろ「生意気だ」と言われる。当時は年間300試合もあり、地方巡業のバスの中では後部座席に呼び出されて、何時間も説教される。

「このまま目が覚めなければいい」と思いながら眠った夜も何度もありました。

編集部

そんな過酷な状況の中、心折れずに続けることができたのはなぜでしょうか。

ブルさん

不思議と「プロレスを諦める」という選択肢はなかったんです。だってプロレスが大好きだから。

好きなことを仕事にするのって簡単なことじゃないし、それ自体は幸せなことじゃないですか。

それに当時、女子プロレスの会社は全日本女子プロレスだけだったので、「ここを出たらもう二度とプロレスができないかも」という思いもありました。

ブルさんのYouTubeではダンプ松本さんと当時を振り返る対談も

ブルさんのYouTubeではダンプ松本さんと当時を振り返る対談も

「組織の視点」から見出した自分だけの強み

編集部

その後、ブルさんは瞬く間にヒールレスラーのスターになりましたよね。

ブルさん

当時の悪役って、使い捨てというか、会社の駒のような存在だったんですよ。外国人選手も含めて代わりはいくらでもいました。

だから私が目指したのは、単なる「悪役」に留まらない、自分にしかできないプロレスをすること。派手な演出には頼らず、「悪役でもプロレス技術で勝負する道」を目指すことにしたんです。

編集部

どのように自分らしいスタイルを確立していったのでしょうか。

ブルさん

大きく二つ、意識していたことがあります。

一つ目は、会社の価値創造に貢献する視点を持つことです。

「自分がどうしたいか」という意思も大切ですが、「なぜこの仕事が必要で、なぜ自分に任されたのか」「会社にとってどんな価値があるのか」と俯瞰する視点を持ってみたんです。

編集部

会社にとっての価値、ですか?

ブルさん

会社の目的は、チケットの売上を上げること。その中で私は、おそらく体格が大きいから悪役に選ばれたんです。

その特徴を「強み」として活かして、私がファンを持つレスラーになることが会社にとっての価値です。

それなら観客の皆さんにチケット代に見合う価値のある試合を見せて、ファンになってもらおうと思って、ひたすら練習を積み、実力を磨くことに専念しました。

その中で「技術で勝負する悪役」という自分にしかできないプロレスを確立していったんですよ。

編集部

組織全体が実現したいビジョンから自分のミッションを考えてみると、望まない役割にも意味付けがしやすいかもしれませんね。

ブルさん

私も最初は「なぜこんな理不尽な目に遭わなければならないのか」「私がやりたいことは違うのに」と、自分の立場からしか物事を見られませんでした。

でも次第に、会社の意図や相手の背景、先輩たちの言葉の裏にある意図を考えるようになって。なぜその人は私に厳しい態度をとるのか、会社は何を求めているのかを考えてみたんです。

当時はアイドルレスラーが人気で悪役は嫌われ者という立ち位置だったので、「観客全員、自分のファンにしてやる」と意気込んで、思いつくアイデアは全て実行しましたね。

編集部

会社員でも、同じように考えることができそうですね。

ブルさん

そうですね。例えば一見面倒に感じる調整業務だって、大きな仕事を実現するために欠かせない役割という見方もできるじゃないですか。

そうして仕事の意味を見出していくと、自然と自分なりの工夫や改善点も生まれてくるはずです。

編集部

自分らしいスタイルを確立するために意識していた、二つ目はなんですか?

ブルさん

自分のファンや協力者、味方を増やすことです。

特に「苦手で近寄りがたい相手」にこそ、勇気を出して一歩近づいてみることを意識していました。

例えば、先輩が何か作業をしているときに「手伝わせてください」と声をかけてみたんです。最初は嫌な顔をされましたが、少しずつ関係が変わっていきました。

編集部

どのように関係が変わってきたのでしょうか?

ブルさん

ある先輩は「お前、最初は本当に生意気だと思ってたけど、意外としっかりしてるな」と言って技を教えてくれました。そういったことが徐々に増えてきて、リングの上でも自信を持って自分らしい試合ができるようになっていきました。

また、「味方を増やす」ためには、時に自分の弱みを認める勇気も大切です。

編集部

弱みを認める勇気?

ブルさん

はい。完璧な人間を演じるより、自分の課題や弱い部分を率直に打ち明けてくれる人の方が、相手との距離は縮まるんじゃないかなと思うんです。

先輩の立場になって考えると、自分の経験を後輩に教えたいと思う人は少なくないはず。

「ここが分かりません」「助けていただけませんか」と言える素直さ、それを自分なりに克服しようとする直向きな姿勢こそ、周りの人の心を動かすと思って、自分をさらけ出すことを大切にしていました。

2024年、日本人女性として初めてWWE殿堂入りしてレジェンドに。ブルさんのスピーチは『ABEMAプロレス』で配信

2024年、日本人女性として初めてWWE殿堂入りしてレジェンドに。ブルさんのスピーチは『ABEMAプロレス』で配信

「置かれた場所で咲いた」経験が、今の自分をつくっている

編集部

とはいえ結果がでないと「やっぱり無理かも……」と思い詰めてしまう人は少なくありません。

ブルさん

たしかに、そう簡単に物事は変化しないかもしれません。でも、きっと小さな変化は起こっているはず。

例えば、今まで話しかけてくれなかった先輩が挨拶を返してくれた、ミーティングで自分の意見を少し聞いてもらえたとかね。

そんな小さな変化の兆しを、希望にしていくのがいいのだと思います。

ブル中野さん
編集部

希望とは異なる役割に不安を抱える人にとって「小さな兆しを希望にする」ことはとても大切な視点ですね。

ブルさん

会社の都合で希望しない役割を任されるのって、本当につらいんですよ。

でも私は、その絶望が新しい始まりになった。むしろ、そこで覚悟が決まったからこそ、今の自分がある、と強く思います。

だから、思いもよらない出来事も、向き合い方次第でその経験は自分の強み、人生の糧になってくれるはず。

10年後、20年後、「あの経験があったから今の自分がある」と笑って振り返える日は必ず来るんだと今なら思えますね。

編集部

その言葉に、勇気をもらえた読者もたくさんいると思います。

ブルさん

そうなればうれしいです。あと最後に伝えたいのは、何事も一人で抱え込まないでいい、ということですね。周りを見渡せば、手を差し伸べてくれる人はきっといます。

人じゃなくてもいいんですよ。例えば私の場合、「プロレスが好き」という思いがずっと心の支えでした。

読者の皆さんなら、仕事のやりがいかもしれないし、成長したいという意欲かもしれない。

拠り所になってくれるような自分の「芯」を見失わなければ、きっと自分らしいキャリアが見つかるはず。過去の自分の経験からも、現状に腐らず、諦めずに探してみてと言いたいですね。

取材・文/安心院彩