誹謗中傷乗り越え…元エリート会社員が“韓国グラビアモデル”の第一号になるまで【ピョ・ウンジ】

ピョ・ウンジ
「私の未来」の見つけ方

生き方も、働き方も、多様な選択肢が広がる時代。何でも自由に選べるってすてきだけど、自分らしい選択はどうすればできるもの? 働く女性たちが「私らしい未来」を見つけるまでのストーリーをお届けします

日本では「グラビアタレント」の存在はごく一般的だ。水着姿の女性タレントが表紙に載った雑誌や写真集は、全国のコンビニでも売られている。

しかし韓国では、宗教的・文化的背景から、女性タレントが水着姿でメディアに出ることはほとんどなく、「グラビアはふしだらなもの」と批判されることも少なくない。

そんな「グラビア不毛の地」と呼ばれる韓国で、「グラビアモデル第一号」となったのが1989年生まれのピョ・ウンジさんだ。

下着や水着、ミニドレスを着用した「ルックブック動画」が瞬く間に注目を集め、現在はSNS総フォロワー数は400万人と世界的な人気者に。

最近では日本で書籍『もっと前へ、そして「その先」へ――』(双葉社)を発売するなど、国際的な認知度も高めている。

ピョ・ウンジ

ピョ・ウンジさん

1989年8月11日生まれ、韓国出身。グラビアモデル、女優、YouTuber。YouTubeのチャンネル登録者総数は韓国と日本の3チャンネルで約240万人、Instagramのフォロワー数は154万人を数えるインフルエンサー。X、YouTube、Instagram、書籍『もっと前へ、そして「その先」へ――』(双葉社)発売中

今でこそ韓国でのドラマやCM、雑誌などへのオファーが後を絶たない彼女だが、実はもともとアメリカの大学で会計学を学んだ後、韓国で投資会社に就職したエリート。

26歳で会社を辞め、韓国では前例のないグラビアモデルに転身することには、相当な覚悟があったはずだ。

彼女はなぜ、あえて「韓国グラビア界」のパイオニアになる道を進んだのだろうか?

「従順で大人しい女性」が理想とされる文化に違和感

私は幼少期から、韓国の芸能界に強い憧れがありました。

そんな私に母が「もっと広い世界を見てきてほしい」と短期留学を勧めてくれたことがきっかけで、14歳からはアメリカのハイスクールに通っていたんです。

当時の韓国は今よりももっと保守的で、ミニスカートを履いているだけで周りから「そんな露出の多い服を着ちゃダメよ!」と言われるような環境。

目立つことや新しいものが大好きだった私には、アメリカのオープンなカルチャーが新鮮でしたし、肌に合っていたのかもしれません。

そしてそのままアメリカの大学で会計を学び、現地で公認会計士試験を受けた後、韓国に戻って投資関連の会社に就職しました。

その頃はもう、芸能界デビューはあくまで「夢」のままで、会社員として就職するのはごく自然な流れでしたね。

ピョ・ウンジ

数年後にはアメリカに戻る予定でしたが、家族がいる故郷での生活を楽しみながら社会経験を積みたいと考えて、9年ぶりに韓国で生活をすることになりました。

しかし会社員として働く中で、私はすぐに人間関係で悩むことになります。

会社では、少しでも体のラインが出る服を着るだけで「アメリカではそれが普通なの?」と驚かれたり、「空気が読めない」と言われてしまったり。

Instagramにプールで遊んでいる写真をアップするだけで「よくないよ」と注意されてしまうこともあり、戸惑いを隠せなかったです。

それもそのはず。韓国の社会や文化の中では「男性に従順でおとなしい恰好をして自分の主張をしない女性」が理想とされていました。

アメリカで自由奔放な10代を過ごした自分とは、価値観がかけ離れていたんです。

一通のDMをきっかけに、夢が再び始まった

そんな日々に消耗していた時、Instagramに一通のDMが届きました。私の投稿を見たプロカメラマンの方から「写真撮影をしませんか?」とメッセージが来たのです。

最初は怪しいなと思いましたが、よく話を聞くとちゃんとした方で(笑)。試しに一度、撮影をしてもらうことに。

カメラを向けられることはとても楽しかったですし、その写真をInstagramにアップしたらスマホの通知が鳴りやまなくなるほど反響がありました。

私が本当にやりたかったことは、これかもしれない」——もともと芸能界デビューに憧れていたことを思い出し、夢への情熱が再び湧き上がるのを感じたんです。

ピョ・ウンジ

きっかけを作ってくれたカメラマンの方は、日本のグラビア文化に造詣が深い方でした。

韓国では水着姿というと性的なイメージが強いのですが、日本のグラビアを見るとモデルの個性を引き出すような表現がすばらしく、全くいやらしくないんですよね。

その証拠に日本のグラビアモデルには、男性に限らず女性ファンも多く、モデルを性的に消費するのではなくリスペクトする文化が育っていると感じます。

その表現に惹かれて、自分でもInstagramやYouTubeでグラビアを発信するようになって、みるみるうちにフォロワーが5000人を超えたのです。

当時の私は、芸能事務所に入っていたわけでもなく、特別な後ろ盾があったわけでもありません。

それでもこの活動に専念したい、自分を信じてやってみたいという気持ちが日に日に強くなり、会社を辞めることを決意しました。

「自分は間違っていなかった」と証明したい

いざ退職の意思を会社で伝えると、当時の上司からは「フォロワーがたった5000人で会社を辞めるの?」と言われました。

それに、20代後半でモデルを始めるのは遅すぎると反対されることもありました。もちろん両親にも、とても心配をかけたと思います。

安定した職場を、何の保証もない未来のために辞めることに不安もありましたが、「1年以内にそれなりの成果が出なければまた会社に戻る」と自分自身と約束をして、決意を固めたのです。

私にできることは、自分を信じて、一日一日を懸命に生きることだけ。毎日のように動画をアップして、夢に向かってできることを探し続けました。

「1年後に絶対に会社に戻りたくない」という気持ちも、とにかく大きかったですしね(笑)。

ピョ・ウンジ

そう意気込んでアップした写真や動画は、たくさんの人に見てもらえた一方で、韓国内では誹謗中傷もされました。

「韓国女性の品位を下げる行為、恥だ」とまで言われて、最初はとにかく傷ついて、何度もめげそうになって。

でも、活動を始めた時から「外の声ではなく自分の内側の声に従うこと」を大切にしてきたので、最終的には徹底的に自分の信じた道を行こうと思ったのです。

それができたのは、自分の目標と望むものがはっきりしていたから。あと、私は負けず嫌いな性格なので、周りにも自分にも「自分が間違っていなかった」ことを証明したかったのもあります。

「グラビアをやる」と決めた自分に胸を張って、生きていきたかったのです。

「自分が本当に望むもの」へ、一歩一歩

韓国内での誹謗中傷が完全に止むことはありませんが、活動するうちに少しずつ「かわいい!」と言って支持してくれる人が増えてきました。

今はメディアの仕事も増え、かつて夢見ていた以上の姿になれているように感じます。正直、当時はこんなふうに日本でも活動できるなんて、想像もできませんでしたから。

ピョ・ウンジ

「外見だけでなく、私という人間について少しでも知ってほしいし、その中で誰かが共感し、癒しになれればという思いで書籍『もっと前へ、そして「その先」へ――』(双葉社)を出しました」

私が今のキャリアを歩めているのは、「自分が愛し、楽しめる仕事」そして「その仕事をする自分を好きでいられるか」という視点を持っていたことが最も大きかったと思います。

好きな仕事をすると、誰に言われなくても一生懸命やるものですよね。その原動力は、本当に大きなパワーになります。

私が会社員だった頃は、「仕事」というものが業務時間内に限定されていましたが、今は自分の時間のすべてが仕事になりました。

この職業は一見華やかに見えますが、私は韓国でのスケジュール調整、動画や写真の編集、YouTubeの管理、撮影コンセプトの企画など、ほとんどのことを一人で進めています。

その分、オンオフの切り替えは難しいし、一つ一つの判断にとても大きな責任が伴うようにもなりました。

私が休めば、私を待っているファンに見せるコンテンツもなくなりますし、常に自分が望む姿でいられるように外見の管理もしなければなりません。

でもそれができるのは、この仕事を心から楽しんでいるから。そんな仕事ができる自分を愛しているからだと断言できます。それってすごく幸せなことですよね。

ピョ・ウンジ

他人の言葉に左右されたり、他人の姿を盲目的に追いかけたりせず、自分を信じて自分だけの道をつくり上げていくのは難しいことです。

でも他人をコピーせず、自分が望む姿をつくり上げていくことで自信と自尊心が高まり、自分自身を輝かせることができると、私は信じています。

そのためには、自分が本当に望むものが何かを悩み、見つけることから。そして一歩一歩進んでいけば、少しずつ近づいていくはずです。

ピョ・ウンジ

これも決して簡単なことではないですが、失敗しても挑戦し続けることが大事だし、何かを始めるのに遅いことはないのは、私の経験からも言えること。

私がこの仕事を始めたのは20代後半で、当時はみんなが「遅い」「諦めろ」「うまくいかない」と否定的な言葉ばかり言いました。

でも振り返ると、20代後半は無限の可能性を秘めた時期だったし、それは今でも同じだと感じています。

何かを成し遂げたいと思うとき、「遅い時期」なんてものはなくて、今が一番早くて適切な時期です。

いつだって自分が望むものを探して、失敗を恐れず挑戦すること。そうやって一歩ずつ前進することが「自分らしく生きる」ためには大切なのだと思います。

文/大室倫子(編集部)