水野裕子「20年前がピークだった」苦しみ続けた“レジェンド”が40代でKUNOICHIに帰ってきたワケ
人生100年時代。年齢や常識に縛られず、チャレンジを続ける先輩女性たちの姿から、自分らしく働き続ける秘訣を学ぼう
元祖「筋肉アイドル」である水野裕子さんの仕事人生は、『SASUKE』『KUNOICHI』と共にあったと言っても過言ではない。
体力・瞬発力・集中力を競う究極のアスレチック番組『SASUKE』は、1997年に放送を開始し、現在では世界160か国以上で放送される人気シリーズとなっている。制限時間内に4つのステージをクリアしたら完全制覇となる。『SASUKE』の女性版が『KUNOICHI』だ
『KUNOICHI』放送当初から、「芸能界No.1女子アスリート」として番組に参加し続けた水野さん。2003年、完全制覇を0.2秒の差で逃し、芸能界で最も制覇に近い女性として期待されていた。
「この時すでに私はピークだったんですよね」
そんな言葉通り、その後は思うような結果を出せず、逃げるように『SASUKE』『KUNOICHI』の舞台から姿を消した彼女。
その約10年後に再び姿を見せるも、1stステージでの敗退が続いた。
「水野はもう終わったね」──。そんな声も聞こえてくる中で引退を決意した水野さんだが、2024年に再び『KUNOICHI』の舞台に立ち、42歳で19年ぶりの3rdステージ進出という快挙を成し遂げた。
「KUNOICHIレジェンドが復活!」「最強女王、おかえり!」とSNSやメディアを湧かせた彼女は、2025年11月に放送される第13回『KUNOICHI』にも出場予定だ。
なぜ水野さんは、かつて逃げ出した場所にもう一度立つことを決意したのか。帰ってきたレジェンドの、20年以上にわたる葛藤の日々に迫った。
水野裕子さん
1982年3月8日、愛知県生まれ。98年に芸能界デビュー。『王様のブランチ』(TBS系)をはじめ、多くのテレビ番組で活躍。2000年代には『クイーンズチャレンジバトル』や『SASUKE』『KUNOICHI』などのスポーツ系企画に挑戦し、その卓越した身体能力から「芸能界No.1女子アスリート」と称される。2019年には修文大学健康栄養学部管理栄養学科を卒業し、同年に管理栄養士資格を取得。『THEフィッシング』(TX/TVO)、『NBAマガジン』(NHK)など、バスケットボールや釣りに関する番組・雑誌でも幅広く活動
「芸能界No.1女子アスリート」の重圧と闘い続けた20代
私、「芸能界No.1女子アスリート」なんて呼ばれてはいましたが、学生時代にスポーツで実績を残したわけではないんですよ。
ほら、よくいますよね?体育の授業が得意で、休み時間はいつも校庭で遊んでいるような子。ただ体を動かすのが大好きな、どこにでもいる女の子でした。
そんな私が『SASUKE』『KUNOICHI』に出演させてもらうようになったのは、TBSの『王様のブランチ』でレポーターとして『SASUKE』にチャレンジしたことがきっかけでした。
私は芸能界で初めてのお仕事が『王様のブランチ』のレポーターだったんですが、ディレクターさんに「水野は体を動かしているときが一番いい顔してるよな」って言っていただいて。
それ以降、体を動かす仕事に出していただくようになりました。芸能界に飛び込んだものの、自分が何に向いているのかも分からない中で、周りの人たちに「自分が輝ける場所」を見付けていただいたんです。
その後始まった『KUNOICHI』にもお声掛けいただき、この頃から「芸能界No.1女子アスリート」なんて呼ばれるようになりました。
『KUNOICHI』のセット
「芸能界No.1」といっても、アスリート出身のタレントさんもたくさんいるわけで、彼女たちに身体能力ではかなわない。そんな中で自分に求められていることは何かと考えると、彼女たちと渡り合いながらドラマを見せていくことだと思ったんです。
不甲斐ない結果を残して「なんだ、大した事ないじゃん」と思われてはいけない。負けてはいけない。劣っていてはいけない。そんなプレッシャーがどんどん強くなっていきました。
この頃に『SASUKE』『KUNOICHI』を観ていた方は、「水野裕子って、すごく負けん気が強いんだな」ってイメージを持っていたかもしれません。
でも実際は、“仕事人”として求められている役割に対して、「絶対に結果を出さなきゃいけない」プレッシャーに押しつぶされそうになっていたんですよね。
ストイックに取り組んだこともあり、初めて出場した『KUNOICHI』ではファイナルステージまで、次の回では完全制覇寸前まで到達しました。
当時は20歳、21歳。思えば、その時がすでに肉体的にもピークでしたね。
そこからはもう、転がり落ちるようにうまくいかなくなっていきました。
これ以上やっても意味がない──。『SASUKE』『KUNOICHI』から逃げ出した
その後は出場しても、思うような結果を残せなくなりました。
努力の仕方も分からなくなり、苦しくて仕方がなかった。きっとそれは観ている方にも伝わっていたと思います。
顔も怖いし、つらそう、苦しそう。そんな姿を見せても楽しんでもらえないだろうし、もうこれ以上は自分がやっても意味がないんじゃないかと感じるようになって。
もうどうしていいのか分からず、逃げるように『SASUKE』『KUNOICHI』から去りました。
何か他のことをやろうと、スポーツに関わるレポーターや釣り番組などの仕事を受けるようになり、自分で体を動かす仕事は徐々に減っていきましたね。
30歳前後になれば、女性は結婚や妊娠、出産などのライフイベントで体を動かす機会が減る人も多いですよね。だから運動から離れるのは仕方ない、それが普通のことなんだって、自分を納得させるようになっていました。
でも、本当はずっとモヤモヤした気持ちがあったのだと思います。
『SASUKE』とも『KUNOICHI』とも関わらなくなって10年以上経過したころ、再度『KUNOICHI』の大会出場のオファーをいただきました。
ずっと心の奥底にあった「自分から逃げ出してしまった」という後ろめたさを捨てるチャンスかもしれない。辞めるなら、自分はもうダメだって納得させる必要がある。そのためにも、もう一度やってみようと決めました。
でも、基本的なマインドは、11年前と変わっていなかった。「負けてはいけない」「11年前のリベンジなんだ」って。暗い炎がメラメラ燃えていました。
結果は、2連続1stステージ敗退。「ほら、やっぱりダメだった」って、自分でも思いましたし、観ていた方も思ったでしょう。見切りをつけて、「これで諦めがついたでしょう?」って、自分に言い聞かせました。
「世代交代なんだ、もうおしまい。さあ諦めましょう」って。
「まだできることがある」42歳の自分に可能性を感じた
「水野裕子はもう終わったよね。年齢的にも、仕方ないよね」
世間にもそう思われているし、自分でもそう思っていました。だから、2024年に開催された『SASUKEワールドカップ』に、「レジェンドチーム」の一員としてお声掛けいただいたときは、本当に驚いたんです。
私がいい成績を残していたのは、もう20年前。自分の時代はずっと昔に終わったって実感しましたし、世間もきっとそう思っているはずです。今さら自分なんてって。
だから、その思いを素直にスタッフの方にぶつけてみたんです。
そしたら、「知ってたよ。でも、このまま終わるのは嫌でしょう?結果云々は別にしても、いい記憶で終わりたくない?」って。
もう、全部見透かされていたんですね。2018年の大会で本当はまだ納得ができていなかったことを分かっていた上で、声を掛けてくださったんです。
「昔は、少しでもいい成績を残そうとみんな自分を追い詰めていたけれど、いまの『SASUKE』『KUNOICHI』は、みんなで楽しく努力し合いながらポジティブな気持ちで上を目指す舞台になっている。水野にも、それを知ってほしいんだよ」
その言葉で、出場を決めました。好きだったものを嫌いになったまま離れてしまったので、それで正解だったのか自分のなかで葛藤もありましたし、後悔もありました。
だからもう一度、今度は暗いメラメラした気持ちじゃなくて、ポジティブに向き合ってみようと。
2025年11月放送の『KUNOICHI』出場メンバーとのショット
そして、やってみたら楽しかったんですよ! 結果は出ませんでしたが、20年間で初めて「あれ、私もうちょっとできることあるな」って思えたことに驚きました。
明らかに体力は落ちているのに、まだ自分に可能性を感じられるなんて。
そして気付きました。これまでは、「無理だ」「限界だ」と自分に言い聞かせることで、つらい仕事から逃げるための理由を探してしまってたんだなって。
できない理由を探すのではなく、できることは何かなという気持ちで取り組むだけで、こんなに楽しくなるんだというのは、嬉しい発見でした。
ダメな自分を許すことが、挑戦し続ける第一歩
続く2024年の『KUNOICHI』大会にも出場を決めた私は、19年ぶりに3rdステージまで進出。
1stステージクリアのボタンを押した瞬間、「ほら、できたじゃん」ってもう一人の自分に言われた気がしました。「なんでもっと早く気付かなかったの?」って。
体は明確に衰えを感じていた中で結果を残せたのは、やはりマインドの違いが大きかったと思います。
これまでは、「できない自分」「仕事なのに期待に応えられない自分」をずっと許せなかったけれど、できない自分を許して、受け止めてあげた上で、「じゃあここから、どこまでできるだろう?」という思考になれたので、ポジティブに取り組めた。
仕事で長くチャレンジを続けていくためには、この考え方が大切なんだなということを、『KUNOICHI』と向き合い続けた20年あまりで学びました。
自分のことを正しく理解すれば、課題もやるべきことも明確に見えてくるし、結果的に目標に近づくこともできますしね。
2025年11月放送の『KUNOICHI』に挑む水野さん
私はボロボロになるまで、『KUNOICHI』へのチャレンジは続けたいと思ってます。とはいっても、見てる人がつらくなるボロボロではなくて、多少みっともなくても、情けなくても、その姿に何か意味があるのであれば、続けていきたい。
自分が挑戦し続ける姿を通して、何か一つでも見ている方の心に価値を残せたらいいなと思っています。
文/宮﨑まきこ 取材・編集/光谷麻里(編集部) 写真/TBS提供
第3回大会(2003年):Finalステージ進出
第5回大会(2003年):3rdステージ進出
第9回大会(2017年):2ndステージ進出
第10回大会(2017年):1stステージ敗退
第11回大会(2018年):1stステージ敗退
第12回大会(2025年1月):3rdステージ進出
番組情報
【KUNOICHI2025秋】2025年11月24日(月)よる6時30分~放送
女性版【SASUKE】KUNOICHI開催決定!!
芸人、アイドル、モデル、オリンピアン──。
各界の代表者が今年も挑戦!
史上4人目の完全制覇者が出た前回大会。
連覇か!?史上5人目が誕生か!?
進化と変貌をとげるKUNOICHIにこうご期待!
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