『風、薫る』脚本家・吉澤智子「卑しい職業」だった看護師の地位を上げた女性たちはなぜ、仕事に夢を持てたのか
明治時代、女性たちの自立を助けるために「看護師(当時の「看護婦」)」という職業の礎を築いた二人のシングルマザーの存在をご存知だろうか。“明治のナイチンゲール”と呼ばれる大関和さんと、鈴木雅さんだ。
それまでの看護婦は「看病婦」と呼ばれ、「カネのために命まで差し出す卑しい職業」として蔑まれていた。
2026年前期のNHK連続テレビ小説『風、薫る』で描かれるのは、偏見にまみれた職業にあえて身を投じ、その制度化と専門性の向上に生涯をかけた彼女たちをモチーフにした物語だ。
今よりもはるかに女性の自立が難しかった時代に、二人の看護婦が仕事に信念と情熱を持ち続けることができたのはなぜなのか。彼女たちの姿が、私たちに教えてくれることとは。
脚本家の吉澤智子さんに話を聞いた。
脚本家
吉澤智子さん
神奈川県出身。脚本家。緻密な構成と、登場人物の揺れ動く感情を丁寧に描く筆致で定評がある。主な作品に『ダメな私に恋してください』(2016年・TBS)、『あなたのことはそれほど』(2017年・TBS)、『初めて恋をした日に読む話』(2019年・TBS)、『病室で念仏を唱えないでください』(2020年・TBS)、『まんぞくまんぞく』(2022年・NHK)、『幸運なひと』(2023年・NHK)、『広重ぶるう』(2024年・NHK)、2026年度前期のNHK連続テレビ小説『風、薫る』の脚本も務めるなど、ラブコメディから社会派、時代劇まで幅広いジャンルで活躍
「仕事に夢を持つ女性」のパイオニア
女性の自立を助けるために「看護婦」という職業を確立した二人の女性の存在を知った時、吉澤さんがどんな感想を抱いたのか聞かせてください。
まず、原案である『明治のナイチンゲール 大関和物語』(中央公論新社)を読んで、当時看護婦が蔑まれていたことに驚きました。
そもそも、女性が父親や夫に頼らずに、自分の名前と肩書きで仕事をしていくこと自体が難しい時代。
偏見にさらされながらも第一歩を踏み出した女性たちの苦労は、想像を絶するものだったはずです。
日本に西洋式の看護術を取り入れ、看護婦を「技術と専門性を持った職業(トレインドナース)」へと押し上げていく過程における彼女たちの苦労を、丁寧に描きたいと思いました。
タイトルの『風、薫る』にはどのような思いが込められているのでしょうか。
明治時代は、働く女性の黎明期です。新しい道を切り拓くパイオニアたちの物語として、風が吹いてくるのを待つのではなく、自分たちで「風を起こしていく」話にしたい。そんな思いがあり、風をモチーフにしました。
明治時代以前にも働く女性は存在していたと思いますが、やはりこの時代が働く女性のあり方の転換期だったのでしょうか。
たしかに働く女性は存在していましたが、「女性が自己実現のために働く」という考え方がなかったんですよね。
この時代の人々は、そもそも「夢」という言葉の意味を今のようには捉えていませんでした。夢とは夜寝ているときに見るものであって、キャリアにおいて「夢を叶える」という概念はなかったんです。
そうなんですね……!
ええ。主人公である二人の看護婦、りんと直美も、生きるために必死に働く中で、次第に「看護婦(トレインドナース)を日本に根付かせたい」という夢が生まれていったのだと思います。
仕事で夢を持つという点でも、彼女たちはパイオニアなんですね。
そうかもしれません。この「夢」という概念が、困難にぶつかるたびに彼女たちを勇気づけたのかもしれませんね。
女性が自分の人生を生きるための武器は「知識」
りんと直美が、ライスワーク(生活のための仕事)を、ライフワーク(生きがいを感じる仕事)へと変えていくことができたのはなぜなのでしょうか。
まず、「翼と刀」を持っていたことが大きいと思います。
翼と刀?
りんと直美のモチーフである二人の女性は、シングルマザーです。自分の力で自分や子どもたちを幸せにしなければならない状況だった。そこで必要だったのが「知識」です。
「刀で戦う時代」から「知恵や知識で生きていく時代」への転換期であった明治時代において、「知識」は女性が生きていくための重要な武器だったのだと思います。
昭和になっても「女性に学問は必要ない」という時代は続いていたと思いますが、 りんと直美は自ら学び、知識という「刀」と「翼」を得たからこそ、仕事に夢を持って自分の人生を生きられたんですね。
そう思います。この時代の人たちは非常に勉強熱心でした。当時の看護学校の授業は英語で行われていたので、看護を学ぶ前にまず英語を学ばなければなりませんでした。生きるために必死で学んだのでしょうね。
原案の『明治のナイチンゲール 大関和物語』では、女性の自立を阻もうとする人たちの姿や、看護婦という職業への偏見がどれほどひどかったかもリアルに描かれています。
いくら知識や知恵があっても、仕事を全うしていくのは大変だったのではないかと思います。
そうですね。彼女たちを支えたのは、女性であるというだけで経験してきた数々の悔しさから湧き上がる、強い信念もあったのではないかと思います。
看護婦という地位が確立されることは、女性の「働く場所」をつくることでもありました。昔は離婚しても女性は行く場所がありませんでしたが、看護婦として食べていく道があれば、一人でも生きていける。
女性の居場所をつくるために、一つの職種を確立させるのだという信念があったからできたのだろうというのは、当時の資料を見ていても強く感じます。
使えるものは使って、やりたいことはやればいい
りんと直美のモチーフである大関和さんと鈴木雅さんは二人ともシングルマザーだったからこそ、「女性が一人で生きていける仕事をつくりたい」という思いは人一倍強かったのかもしれませんね。
令和になった今でも、子どもを育てながら正社員で働き続けるのは決して容易ではありませんが、明治時代に彼女たちが育児をしながらライフワークを全うできたのはなぜだったのでしょうか。
彼女たちはいい意味で「わがまま」だったからじゃないでしょうか。
わがまま?
看護婦として献身的な気持ちを持ちながらも、自分のやりたいこと、成し遂げたいことに対してはわがままだった。
プライドに固執せず、使えるものは使い、頼れる人は頼る。自分の目標を実現するためのチャンスだと思ったら、何かを犠牲にしてでも掴みにいく。進みたい道を突き進んでいく潔さがありますよね。
りんのモチーフの大関和さんも、育児は実の母を頼ってましたね。
私自身もシングルマザーですが、頼るしかないんですよね。
手は二つしかないし、時間は24時間しかない。〆切が迫っていて育児まで手が回らない時は、ご近所さんに預かってもらうこともあります。
逆にご近所さんが大変な時は、お子さんを一緒に買い物に連れていったり、映画に連れていったり……といったかたちでお返しをしていますね。ギブ・アンド・テイクで頼り合えるような関係性を築いています。ギブしていただくことの方が多くて恐縮ですが。
日本人は「人に迷惑をかけること」をどうしてもためらってしまう傾向がありますよね。
そうですね。でも、できないことは「できない」と言っていいと思います。できる時に、できる範囲で返していけばそれでいい。日本人は親切で世話焼きないい人が多いですから。
どうしても人を頼ることに気が引けてしまうのなら、「何がしんどいのか」「何ができないのか」をしっかり言葉で伝えるといいと思います。
例えば職場の人やパートナーに、「これができないけれど、どうしてもやりたい。どうしたらいいか一緒に考えてほしい」と伝えた方が、相手も手を差し伸べやすいのではないかと。
不満をぶつけるのではなく、ポジティブに相談すれば、きっと一緒に考えてくれると思いますよ。
吉澤さんが、しんどいことやできないことを言葉にして伝えられるようになったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
妊娠が大きなきっかけでした。
妊娠・出産すると脚本の仕事が来なくなるかもしれないと考え、事務所と相談して最初は妊娠を隠していたんです。
お腹が大きくなっても隠して打ち合わせをしていましたが、限界が来たんですね。マネージャーと相談して思い切って公表したら、仕事仲間から「もっと早く言ってくれれば良かったのに」と言われて。
できること、できないことをはっきりさせた方が、相手にとっても仕事がしやすいのだと気づきました。
わがままな女性が増えれば、社会は変わる
自分のやりたいことにはわがままになりながら、脚本家の仕事をライフワークにしてきた点は、りんと直美と通ずる部分ですね。
そうかもしれませんね。実は私は、夫がガンを患ってから子どもを授かりました。
もう先が長くないと分かった時、夫の命があるうちにしか子どもは持てないと思い、精子を凍結させて体外受精で子どもを授かったんです。
「倫理的にどうなの?」と思われるかもしれませんが、私は仕事も夫との子どもも、どちらも欲しかった。だから「どちらも選ぶ」と決めました。
どちらも選ぶけれど、そうすると完璧にはできない。だから最初からハードルを下げたんです。「7割の力でやればいい」「ダメだったら違う仕事をすればいい」くらいの気持ちで始めました。
試行錯誤しながら、自分なりの働き方をつくっていけばいいのだと思います。
「子どものために自分のキャリアは諦める」「自分が欲張って選んだことだから周りに迷惑を掛けてはいけない」と、つい自己犠牲を正解だと思ってしまう女性は多いけれど、女性はちょっと欲張りなくらいがちょうどいいのかもしれませんね。
そう思います。
欲張ってわがままにというとよくない言葉のように感じますが、「わがまま、我のまま」に生きる女性が増えることで、あとに続く女性たちが自分らしく働ける世の中に近づいていくのだと思います。
りんと直美も、最初は生きるための手段として看護の道に入りますが、やがて「女だけど自分の力で生きたいから働きたい」という、当時の人からすれば、欲張って、わがままな思いで看護婦として働くようになっていきます。
だから、看護婦を決して奉仕やボランティアにはせず、しっかり報酬を得られる仕事にすることにこだわっていた。
今の女性たちにも、自分の中にある「正しさ」「こうあるべき」という固定観念を一度疑ってみて、わがままに自分らしい働き方を選んでいってほしいなと思います。
取材・文/光谷麻里(編集部) 撮影/笹井タカマサ
作品情報
連続テレビ小説『風、薫る』【毎週月曜~土曜】 NHK総合 午前8時~8時15分 ※土曜は一週間の振り返り ほか
主人公はそれぞれに生きづらさを抱えた二人の女性。当時まだ知られていなかった看護の世界に飛び込み、傷ついた人々を守るために奔走し、時に強き者と戦う―― 明治という激動の社会を舞台に、幸せを求め生きるちょっと型破りな二人のナースの冒険物語です。
【脚本】吉澤智子
【原案】田中ひかる「明治のナイチンゲール 大関和物語」
【音楽】野見祐ニ
【主題歌】Mrs. GREEN APPLE 「風と町」
【語り】研ナオコ
【出演】見上愛 上坂樹里 佐野晶哉 小林虎之介 早坂美海 藤原季節 三浦貴大 内田慈 丸山礼 小倉史也 /根岸季衣 小林隆 髙嶋政宏 片岡鶴太郎 /多部未華子 原田泰造 水野美紀 坂東彌十郎 北村一輝 ほか
【放送予定】2026年3月30日(月)放送開始(全26週130回)
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