X JAPAN・YOSHIKIが語る“自分の使命”――「ゴールはまだ先。ファンからもらった第二の人生を精一杯生きたい」
今をときめく彼・彼女たちの仕事は、 なぜこんなにも私たちの胸を打つんだろう――。この連載では、各界のプロとして活躍する著名人にフォーカス。 多くの人の心を掴み、時代を動かす“一流の仕事”は、どんなこだわりによって生まれているのかに迫ります。
これまで音楽シーンに数々の金字塔を打ち立ててきたX JAPANのYOSHIKIさん。世界中に熱狂的なファンを持つビッグネームが、また1つ新たな伝説をつくった。それが、2017年3月4日(現地時間)にロンドンで開催されたウェンブリー・アリーナ公演だ。

YOSHIKI(よしき)
作詞家、作曲家、編曲家。X JAPANのリーダーで、ドラムとピアノを担当。82年にX(後にX JAPANへ改名)を結成。独自のヴィジュアル、音楽性で全世界に社会現象を巻き起こす。今までにアルバム・シングルを合わせ3000万枚を超える売上げを誇り、東京ドームを18回にわたりソールドアウトにした記録を持つ。バンドの人気は今、世界へと広がっており、多くの音楽ファンを熱狂させ続けている
ウェンブリー・アリーナ(現SSEアリーナ・ウェンブリー)は、これまで何人もの伝説的スターが立ち続けた“ロックの聖地”。14年に同じく“ロックの聖地”の一つ、アメリカのマディソン・スクエア・ガーデンで公演を行い、17年1月には“クラシックの聖地” アメリカのカーネギーホールでソロ公演を成功におさめたYOSHIKIさんは、3つの“聖地”を制覇した唯一無二のアーティストとなった。さらに3月3月(金)よりX JAPANの軌跡を追ったドキュメンタリー映画『WE ARE X』も公開。トップシーンを全速力で駆け抜けるスーパースターがその仕事論を『Woman type』だけに語ってくれた。
自分の世界に入り過ぎてはいけない
常に「X JAPANのYOSHIKI」という人間を客観視している
世界への挑戦、解散、仲間の死、別れ、そして再結成。X JAPANの歴史をかいつまんで説明しようとすればするほど、その筋書きはまるでできすぎた映画のようにドラマチックだ。
「もし僕らの人生に脚本家がいたとしても、きっとこんなシナリオは書けない。フィクションよりも壮絶だなと自分でも思います(笑)」
サングラス越しでもわかる柔らかな眼差し。激動の半生を、今、YOSHIKIさんはとても穏やかな表情で振り返る。記念すべきウェンブリー・アリーナでの公演を終えて帰国したYOSHIKIさんが真っ先にとった行動は、この『WE ARE X』を映画館で観ることだった。

「スタッフの方から、僕専用の試写会をやってくださると言っていただいていたんですけどね。どうしても映画館で観ておきたかったんです」
その理由に、YOSHIKIさんの仕事哲学が通底している。
「僕が仕事をする上で大事にしていることの1つは、お客さんの反応です。何でも自分の世界に入り過ぎるのはあまり良くない。もちろん僕もアーティストですから作曲をするときは自分の世界に入りこむところはありますが、それ以外の場面では常にX JAPANのYOSHIKIという人間を客観視することを心掛けています。自分は世間からどう思われているのか。どういうポジションでありたいのか。外からの目を備えておくことは非常に重要だと思いますね」
「僕らが世の中に属せないなら、そんな世の中は変えてみせる」
反骨心こそが20代の原動力

YOSHIKIさんは高校在学中にX(現在のX JAPAN)を結成。インディーズシーンを席巻した後、89年にメジャーデビューを果たした。仲間たちにも「人生を俺に預けてくれ。必ず何かを実現するから」と宣言していたあの頃、20代のYOSHIKIさんはどんなキャリアプランを思い描いていたのだろう。
「明確なプランと呼べるものはなかったけれど、世の中を変えてやるというパワーと自信だけはありました。当時はまだヴィジュアル系という言葉自体がなかった時代。僕らは、音楽性にしても、ルックスにしても、得体の知れない存在として評論家からも攻撃の対象とされていて。それだけに反骨心だけはものすごく強かった。僕らが世の中に属せないのであれば、自分たちの力で世の中を僕らが属するように変えてやろう。そんな強烈な反骨心が、あの頃の僕を突き動かしていました」

YOSHIKIさんは10歳のときに父親を自殺で亡くしている。その衝撃は深く、「ずっと自殺願望があった」と心の傷を明かす。「死ぬのも怖くなかった」という言葉通り、まるで自分の命を削るようなYOSHIKIさんのプレイスタイルに多くのファンが熱狂。コンサートが終わると、意識は朦朧。立ち上がることさえできずステージ上で倒れるその姿に、会場は狂乱のるつぼと化した。
「あの頃はいつも、コンサートが終わって普通に立ち上がれることが嫌だったというか。この瞬間に死んでもいいって思いながらステージに向かっていましたね。よくメンバーからも『ちゃんとエネルギー配分をした方がいい』って言われていたんですけど、それがどうしても嫌だった」
だが、その破滅的な衝動は、文字通り肉体を壊した。15年、ドラマーの命とも言える右腕の腱が「半分切れている」と公表。映画の中でも、ブロック注射を受けながらライブに挑む場面が映し出されている。
果たすべきことがあるから走り続ける
YOSHIKIの飽くなき挑戦を支える2つの使命
肉体の傷だけではない。人生を賭けたバンドの解散。HIDEさんとTAIJIさんという仲間の死。そしてToshlさんの洗脳騒動。一心に走り続けるには、あまりにも過酷な試練が次々と襲いかかった。これだけの悲劇に見舞われたら、いつ心が潰れてもおかしくない。ステージを降りることを選んでも責める者は誰もいないはずだ。しかし、YOSHIKIさんは今なお走り続けている。それはなぜか。

「それはやっぱりファンの皆さんがいたから。今の僕は、ファンの方たちからもらった第二の人生を生きているようなもの。だからこそ、この与えられた人生を全うすることが僕の使命だと思っています。そして、もう1つはHIDEとTAIJIの存在ですね。彼らがいなかったら今の僕はいなかった。HIDEとTAIJIという素晴らしいミュージシャンがいたことを、僕は世界に広めたい。その使命感があるから突っ走っていられるんだと思います」
使命感。その言葉はあまりにも大仰で、私たちの日常にはそぐわないと思うかもしれない。だが、YOSHIKIさんは「この世の中に存在する以上、みんな何かしらの使命感を抱いて生まれてきたと思う」と言う。自分だけの使命を見付けるために私たちはどう人生を生きていけばいいのだろう。
「一番大事なのは、自分に正直になること。みんな何かを選択するときは必ず世間の目というものが気になると思いますが、ワガママも含めて自分です。だから『こうでなきゃいけない』なんて壁は全部取っ払って、思い切りワガママになればいいんです」
YOSHIKIさんの言葉は、どこまでもまっすぐで、揺るぎがない。だが、そんなYOSHIKIさんもかつては選択に迷ったことがあるという。
「高3の終わり、僕は音大への進学を考えていたんです。すでにXとしての活動をしていましたが、母から『音大さえ出ていれば、たとえロックの道で成功しなくても、ピアノの先生にはなれるから』と勧められ、入学の準備もしていました。でも、ふと思ったんです、『逃げ道をつくる人生は嫌だ』って。そこで音大入学の道を蹴り、バンド一本でやっていくことを決めました。これだけ浮き沈みの激しい世界で、今日まで音楽を続けることができただけですごいこと。それができたのも、あの日、自分の手で自分の逃げ道を塞いだから。自分には、この道しかない。そうやって退路を断つことも時に人生には必要だと思います」
人の倍では足りない。人の3倍やって初めて成功に一歩近づける
そう言って走り続けた先に待っていたのが、悲願のウェンブリー・アリーナ公演だった。“聖地”からの光景は、YOSHIKIさんの目にどう映ったのだろう。
「ロンドンだけじゃなく、ヨーロッパ各地、それにロシアからもたくさんの人が来てくれて。客席を見たら世界中のフラッグでいっぱい。オリンピックみたいで面白いなと思いましたね(笑)。ロンドンのファンは音楽に慣れている人ばかり。そう簡単には動じないらしくて、彼らを乗せることができれば世界中を乗せることができると言われているそうです。そんなお客さんたちがみんな僕らの音楽にすごく熱狂してくれて。我ながらよくできたんじゃないかと思います(笑)」
そう自信を見せるが、決してYOSHIKIさんは自らが成功を掴んだとは思っていない。

「達成感という意味では、まだあまり感じていないですね。気持ちとしては、やっとドアが開いたというぐらい。マディソン・スクエア・ガーデンで公演をしたときもそうでしたが、1度や2度、あのステージに立ったくらいでは世の中は何も変わらない。大事なのは、これからどう進むか、なんですよね」
数々の栄光を手にしながら、今なおYOSHIKIさんは貪欲な挑戦者なのだ。だからこそ、聞いてみたい。何かを成し遂げるために必要なことは何なのかを。
「人の倍では足りない。僕は人の3倍やって、ようやく成功に近づけると思っています」

事実、YOSHIKIさんは今も「1日18時間は働いている」そう。最もよく眠れるのは、飛行機の中。「地上ではほとんど寝られなくなっちゃってますね」という笑い話が、冗談ではないほどの働きぶりだ。YOSHIKIさんは「今の僕の仕事の仕方は、世の中の流れと逆行しているのかもしれませんが」と認めた上で、最後にこんなメッセージを残してくれた。
「どう働くか、どれだけ働くかは人それぞれ。だから『働きたい』と思うなら、とことん働けばいいし、他に大事なものがある人はそれを大事にすればいいと思う。世間の声なんて気にしなくていい。自分の心に正直に。それが一番だと思います」

自分だけの使命を見付けること。正直に生きること。日本が誇るプロフェッショナルは、ただひたすら前だけを見て走り続ける永遠のチャレンジャーだった。
【作品情報】
映画『WE ARE X』全国公開中
http://wearexfilm.jp/
取材・文/横川良明 撮影/赤松洋太 画像提供/『WE ARE X』
『プロフェッショナルのTheory』の過去記事一覧はこちら
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