アジア最高齢の女性DJ・DJ SUMIROCKがすごい! 「結婚はしない。子どももいらない。やりたいことをやる」我が道を生きた81年/餃子壮ムロ店主・岩室純子
アジア最高齢DJが日本にいることをご存じだろうか。その名もDJ SUMIROCK。サングラスをクールに決めてターンテーブルをまわす姿に、国内外から熱い注目が集まっている。
彼女の本名は、岩室純子。1935年生まれの81歳だ。DJを始めたのは、77歳のとき。しかも、普段は高田馬場にある「餃子荘ムロ」で今も弟家族と一緒に料理人として働いているというから驚きだ。「餃子荘ムロ」店主と、DJ。2つの異なる顔を持つ純子さんだが、その人生哲学には独自の芯が通っている。何にもとらわれず我が道を突き進む81歳の背中から、自分の信念のままに生きる素晴らしさを学んでみたい。
結婚は必要ないけれど、恋人はいた方がいい。
サルトルとボーヴォワールみたいでしょ?
そもそもなんですけど、私、あんまり年齢を気にしたことがないんです。周りにも年下の友達がいっぱいいますから。一番若い子で20歳かしら。みんな私のことを「スミコ」って呼び捨てにしています。
私がこうして取り上げていただけるのも、81歳の現役DJが珍しいからだと思うんですけど、私にとっては何も特別なことではないんです。単に自分の好きなことをしているだけ。自分がしたいから、する。思えば、今までの人生もずっとそうやって歩んできました。
私の父がジャズドラマーだったこともあり、小さい頃からよくジャズを聴いていました。だから、昔から音楽は好きです。ただし、演歌と歌謡曲以外(笑)。
でも、これまでの人生を振り返ってみて「音楽を仕事にしよう」と思ったことは一度もなかった。戦時中は洋楽を聞くなんてもってのほかという風潮があって父は音楽の道でとても苦労して生きてきました。そのせいか、子どもたちには音楽家のような仕事を絶対にさせたがらなかった。私が高校を出た後は、就職なんてせず実家で花嫁修業をして早く結婚するのが一番というふうに育てられました。
戦争が終わり、10代後半になると、私に1つの夢ができました。それは、外国の人ともばんばんやりとりするようなオフィスレディーになってキャリアを積むこと。そのために英会話の勉強もしたし、タイピングの勉強もしました。それで、知人のつてでとある商社に就職したんです。でも、その頃はちょうど父がムロを始めた時期。人手も足りないから、昼は会社で仕事をし、夜はお店を手伝っていました。
母親からはしょっちゅう「いい話があるうちに早く結婚しなさい」って急かされていました。でも、その頃から「私に結婚は必要ない」って決めていました。石川達三の『四十八歳の抵抗』っていう小説の中にこんな言葉が出てくるんです。「結婚とは性生活を伴った女中奉公みたいなものだ」って。そんな生活、絶対嫌だって当時は強く思い込んでいて。
ただ、恋愛は大事だと思っていました。恋をしないまま歳を取るなんてもったいない。
私が生涯のパートナーに出会ったのは、22か、23歳くらいのこと。相手は、25歳年上の中国人男性でした。出会った時の彼は、もうとってもカッコよかったの。お互い結婚という制度を必要としない価値観だったから、それから20年以上ずっと独身のまま恋人関係を続けてきました。まあ、サルトルとボーヴォワールみたいなもの。
結局、いろいろな手続き上の問題から籍を入れた方がいいかってことになって私が50歳手前くらいなったときに結婚しましたけど。具体的に年齢はいくつだったか覚えていません。結婚も、年齢も、どちらも私にはどうでもいいことだったんです。
OVER60は、女が1人で自由に輝くための時間
今でこそこうしてクラブのイベントに出ますけど、若い頃はまったく行ったことはありませんでした。と言うのも、秘書の仕事を辞めて、本格的にムロで仕事を始めてからは、昼の1時に仕込みを始めて、夜の1時までお店に立っているような生活でしたから、夜遊びなんてする時間はどこにもありませんでした。
夫が亡くなったのが、私が60歳になるちょっと前だったかしら。これもちゃんと覚えてないんです。いつも戸籍謄本をとるときに、今度こそ覚えておこうと思うんだけど、すぐに忘れてしまう(笑)。
まあ、とにかく夫が亡くなって、私は1人になりました。
それで最初に始めたのが運転免許を取ることと、旅行に行くこと。最初の一人旅は、ニューヨークへ!
それからも1週間くらい休みをとっては、いろいろ旅に出ました。1人って、気楽でいい。
ワーキングホリデーで日本へやって来たフランス人のアドリアンさんがうちで下宿するようになったのも、ちょうどその頃のこと。彼がDJイベントを主催していて、誘われたから試しに行ってみたの。そしたらハマっちゃって、イベントにもよく通うようになりました。
それであるとき、「スミコもやってみない?」ってターンテーブルをさわらせてもらったんだけど、これがもう下手で、猿の皿回しみたいなもの。ただ、とっても面白かったから、もっと本格的に勉強したいと思ってDJスクール『IDPS』に通うことにしました。それが、2012年のことで私は77歳でした。
人生に納得なんてしてない。“余生”なんてものもない。
だから今日もやりたいことをやる
それからはずっとムロの仕事をしながらDJもやっています。イベントに出るのは月1~2回。夕方から夜までお店で働いて、そこからクラブへ。国内のイベントが中心だけど、パリやノルマンディーのイベントに出たこともあります。先日は『FUJI ROCK FESTIVAL』からもオファーがあったんだけど、予定があって出られなかったから断っちゃいました。
私の出囃子は、鉄腕アトムのテーマ曲。やっぱりこの高田馬場でずっと生きてきた女ですから。かける曲もいろいろです。テクノも好きだし、この間はロックも使いました。
料理をしている私と、ターンテーブルをまわす私。どっちが本当の私らしいかって言ったら、そんなのどっちも私です。鍋をまわしているときはお客さんがおいしいって言ってくれたらうれしいし、DJブースにいるときは、みんなが楽しそうに踊っているのを見るのがうれしい。私にとっては、どちらも変わらないんです。
よく「何でそんなに元気なんですか?」って聞かれるんですけど、貧乏だからかもしれない。心掛けが悪いから貯金もないし、年金だけじゃ心許ないし、この歳まで働いているのも別にカッコいい理由があるわけではなくて、単に働かなきゃいけないからっていうだけ。
そもそも暇なのって苦手なんです。むしろ忙しい方が好き。この歳になってもまだまだやりたいことはいっぱいあるし、自分の人生に全然納得なんていってない。どうしてムロは繁盛しているのに、店を新しくできないのかしらとか愚痴をこぼしたくなることだってあります。
80を過ぎたけど、余生なんてまだまだきそうにない。今1番やりたいことは、NYのクラブでDJをすること。あとはイビザ、コルシカ、シシリー(シチリア)に旅行したい。そのためには頑張ってまた働かなくちゃ!
人生なんてやりたいことをやりきるには短過ぎる。だから、もし何かやりたいことがあるなら年齢なんて気にせずやってみればいいと思います。それが、法に触れることと人に迷惑をかけることでないんなら、やっちゃいけない理由なんてない。
私の父が「楽之(タノシ)」って名前なんですけど、漢字が「之(コレ)を楽しむ」って書くんです。もう名前からしてうちはそういう家系なのかもしれません。
私もまだまだ仕事もDJも、自分の人生まるごと目いっぱい楽しんでやろうと思います。
取材・文/横川良明 画像提供/岩室純子(DJ SUMIROCK)さん 編集/栗原千明(編集部)