会社員とダンサーと。「踊る広報」柴田菜々子さんが体現する「やりたいことを諦めたくない」働く女性が進むべき第3の道
「ずっと会社員でいいのかな」「このままの仕事で、私の人生楽しいの?」。多くの女性が抱える、“仕事”と“未来”への不安。“自分らしいキャリア”を実現できていると胸を張れる人は、決して多くない。 そこで注目されているのが、何かの仕事をしながらそれ以外の仕事を持つことや、非営利活動に参加することを指す、「パラレルキャリア」という新しい生き方。報酬目的ではない仕事によって、叶えられる“キャリア”とはどのようなものだろう。 実際にパラレルキャリアによって自分の“未来”を変えてきた先輩ウーマンたちの言葉から、ヒントを見つけてみよう
今回登場するのは、人材サービスを展開する株式会社ビースタイルで広報を務める柴田菜々子さん。自身の名刺に書かれた“踊る広報”という肩書き通り、現在は週3日の会社勤務と並行し、コンテンポラリーダンス分野のセミプロダンサーとしての活動を続けている。
入社2年目に「10年後、自分は何をしていたいか」を自問し、パラレルキャリアという生き方を選択するに至ったという柴田さん。そのきっかけや仕事とダンスの両立生活で得た学び、パラレルキャリアを実践する上での心構えについてお話を伺った。
「仕事もダンスも」100%の力を注ぎたいのに、できない。
ジレンマを感じながら過ごした新卒1年目
私がダンスと出会ったのは8歳で習い始めた新体操がきっかけ。中学、高校とダンスを続け、より自由な身体表現がしたいと思うようになったので、コンテンポラリーダンスが学べる大学へ進学しました。
学生時代の就職活動では、「ダンスをきっぱり辞めて就職する」か、「フリーターになってダンスのプロを目指すか」の2択でかなり悩みました。結局、ダンスは続けたかったけれど、世間知らずなまま大人になってしまうのも怖いなと思い、とりあえず就職活動はしてみることに。すると、自分が知らなかった世界が目の前に広がっていること、夢を持って働いている大人がたくさんいることが分かって、「仕事をするのも面白そうだ」と感じるようになりました。
いろいろな会社の選考を進める中で、社員の雰囲気や社風など、“自分と波長が合う”と感じたのがビースタイル。幸いにも内定をいただき、入社後は広報部門に配属されました。そして、週5日フルタイムで働きながら、週末にダンスの活動に参加する日々が始まります。仕事はハードな時もありましたが、やりがいは大きく、とても楽しかった。時間を忘れて仕事に没頭する日も多かったですね。
一方で、週末だけ参加していたダンスの方は、チームメンバーと比べてもかなり遅れを取っていきました。学生時代と比べて練習量が一気に減ったので、体が思うように動かせなくなっていったのです。平日にたまった仕事の疲れも抜けず、週末はいつもくたくたで……。100%ダンスに向き合えず、仲間の足も引っ張っている自分にジレンマを感じるようになっていきました。
「10年後のビジョンはあるか?」
答えられない自分は、現実から逃げているだけだった
モヤモヤする気持ちを抱えたまま、会社員生活も2年目に突入。仕事で評価されるやりがいを感じながらも、ダンスによる自己表現への欲求は強くなる一方。「どっちつかずではいられない」と一度は退職を決意しましたが、結局、上司の勧めで今後のキャリアについて一度社長に相談することになりました。
「ダンスのために退職したい」と伝えると、「10年後のビジョンはあるのか?」と聞かれたのですが、そこで何も答えられませんでした。これは痛いところを突かれた、と感じましたね(笑)。当時の私には「コンテストに出て賞を取る」という漠然としたイメージしかなくて、10年後のことなど考えたくもないという、どこか逃げのような気持ちがあったんです。この時をきっかけに、一度自分の将来についてじっくり考える時間を持ちました。
当時から、ダンスを通じて世間にインパクトを与えたい思いは強くありましたが、本格的にプロダンサーを目指すにはもう遅い年齢でしたし、実際のところ、コンテンポラリーというニッチなジャンルで成功するのは難しい。では、自分が何を成し遂げたいのかといえば、「このジャンルの認知度そのものを高めること」という答えに行き着きました。それから、「踊れるうちはプレイヤーとしてダンスを続け、将来的には一般の人にコンテンポラリーダンスの魅力を広めていく機会をつくろう」というビジョンが固まったのです。そう考えると、広報の仕事で経験を重ねることにも、大きな意義があると感じられるようになりました。
そこで私は、1年間で出場したいコンテストや定期公演を書き出し、練習時間も含めてどの程度ダンスに割く時間が必要なのかを算出しました。その答えが、今の勤務ペースである「週3日勤務」だったのです。
社長に自分の考えを話し、「週3日勤務でも、成果目標の設定はこれまでと同じものにする」という決意を伝えた結果、“どちらも諦めないパラレルキャリア”を応援してもらえることになりました。振り返ってみると、上司や社長に本音で相談できて、本当に良かったと思いますね。勢いで退職することを決めていたら、進むべき道を誤っていたかもしれません。
広報経験があるから、一味違う公演の企画や告知ができる
ダンスがあるから成果を意識した生産性の高い働き方ができる
入社4年目を迎えた今も、週3日勤務でダンスと仕事の両立を続けています。ただ、社内でこういった働き方をしているのは今のところ私だけなので、常にプレッシャーは感じますね。ダンスでも、会社でも、「中途半端で戦力にならない」と思われないよう、限られた時間の中でも高い成果を上げ続けることは絶対必要だと考えています。
限られた時間の中で、週5日勤務の人と同じ成果目標を追うので、仕事の効率化もマストです。そこで、広報業務の進め方を抜本的に見直したり、自分なりに生産性の高い働き方ができるよう工夫するようにもなりました。
一方、広報をしていたからこそダンスの活動にも良い影響が出るようになりました。会社の仕事で知り合った人たちが公演を見に来てくれるようになったのです。また、ダンス公演の企画やテーマを決め、段取りを付けて周知していく作業は、まさに広報業務の延長線上にあるもの。他のダンスチームではやっていないような企画や告知ができるようになりました。
パラレルキャリアをスタートした当初は、エネルギーが分散することで「10年後、同期と比べてどう差がついてしまうのだろうか」という怖さも感じていました。けれど、仕事とダンス、それぞれの場で感じたことを相互に置き換えて生かすことができますし、両立生活の中で「時間は無限ではない」とリアルに実感できたからこそ、目の前にあることに全力でチャレンジできるようになりました。私は飽き性なところもあるので、両方の可能性に向かっていけるこの環境が、今の自分にはベストだと感じます。
パラレルキャリアは「信頼関係」と「健康」の上に成り立つもの
改めて、やりたいことをどれも諦めない生き方には、それなりの責任が伴います。パラレルキャリアは、そこに「信頼関係」があってこそ成り立つもの。私がこの働き方を認めてもらえたのは、「入社2年間はフルタイムで最大限にコミットしてきた」という実績があったからだと思いますし、求められる成果を出せなくなったら信頼は崩れてしまうのではないかと思います。
また、パラレルキャリアを実現する上で欠かせないのは、自分の健康管理ですね。二束のわらじ生活は、どうしても疲れる時があります。そこで無理をすると、結果的に周囲に迷惑を掛けることになるので、限界値に達する前に休むことも大事です。
私にとって「仕事」とは、自分の可能性を広げてくれるもの。仕事を続けている限り、未知の世界でたくさんのことを学ぶことができるし、まだ見ぬ新しい自分に出会うことができます。
ダンスだけで生きる道を選んでいたら、見えなかったこともたくさんあったと思います。だからこそ、パラレルキャリアは今後も続けていきたい。
初めは自分がやりたいことを諦めないために始めたパラレルキャリアだったけれど、今ではそんな働き方・生き方を広めたいという使命感も感じています。ダンスの世界にはそういうロールモデルがまだまだ少ないので、「どちらも諦めなくていい“第3の道”」を確立することが、私の当面の目標です。
取材・文/上野真理子 撮影/栗原千明(編集部)
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