「幸せでいるために、働き続けた女性」ムーミン研究家が教えるトーベ・ヤンソンの仕事哲学

世界中で不動の人気を誇る文学作品、ムーミンシリーズ。子どもから大人まで、誰もが登場するキャラクターの愛らしさに魅了され、物語に散りばめられた作者のフィロソフィーに共感せずにはいられない。

この、ムーミンシリーズの生みの親は、トーベ・ヤンソン(以下、トーベ)という女性だ。

彼女は、1914年にフィンランドの首都ヘルシンキで、彫刻家である父とグラフィックアーティストの母の間に生を受け、約70年もの年月を、余すことなく仕事にささげてきた人。

一体何が、トーベをそこまで仕事に没頭させたのだろうか。そしてまた、世界中の人々を魅了する作品を生み出し続けることができたのは、なぜだったのだろうか。

彼女が生まれ育った国フィンランドで、ムーミンとトーベの研究を行っている森下圭子さんにお話を伺った。

息を引き取るその時まで、トーベの筆は止まらなかった

トーベヤンソン

「芸術家の両親のもとに生まれたトーベは、幼少期からものをつくることや読書をすることが大好きな人でした」と森下さん。

幼少期には、「外で遊ぶように」と言われたときも、自宅の中庭にあった大きなゴミ箱の上にちょこんと座り、本を読みふけっていたという。

また、トーベの家庭は父の収入が安定していなかったため、母親が主な生計を立てていた。自宅で挿絵の仕事をする母親の膝の上に座り、母の仕事を眺め、自分も絵を描いたりしていたそうだ。

人口が少ないフィンランドでは、女性も貴重な労働力であるという意識が強く、女性も仕事をするのが当然という環境だった。トーベ自身も、その空気の中で働く両親の姿を見ながら、当然のように芸術を仕事にしてきたのだ。

だが、トーベが芸術家・職業人として群を抜いているのは、そのキャリアの長さと仕事量だろう。幼いころからものづくりが好きで仕方なかったトーベは、15歳で本格的にイラストレーターとしてキャリアをスタート。

画家であることを第一のアイデンティティーとしながらも、イラストレーター、風刺画家、児童文学作家、漫画家、絵本作家、作詞家、舞台美術家、商業デザイナー、そして小説家としてマルチな分野でその頭角を表し、86歳で命を引き取るその瞬間まで、およそ70年間、筆を止めることがなかった。

「トーベは、気のおけない人と会う時間であれば、人と話をしながらでも手を動かし、何か書いたり仕事をしていました。

夏休みといえば大自然に囲まれた質素な小屋で仕事を忘れてゆっくりと充電するのが一般的なフィンランドにあって、そんなときでも創作活動は絶対にやめなかったそうです。とにかく、ものづくりへの欲動が止まらない人でした」(森下さん)

それゆえ、トーベが残した作品の数は、とても“一人で行ったものとは思えない量の仕事”だと言われている。

1950年代に入ってムーミンシリーズが世界的にヒットするようになると、トーベのもとには数多くの仕事が舞い込んできた。しかしながら、トーベはそのほとんどを断らなかったそうだ。

「晩年になるまで、『断り方』を知らなかった人」と森下さんは表現している。

「自分の幸せが何か」を、知っているということ

一方で、ムーミンシリーズの世界的ヒットは、トーベ自身を心身ともに疲弊させることに。そんな中でも彼女はものづくりをやめなかった。

森下さんは、70年ものキャリアを築いた彼女の職業人としての強さの一つは「柔軟性」にあるのではないかと話す。

「トーベもそうなのですが、フィンランドの人って、職業にしがみつかないんです。今、自分は仕事に夢中になれているか。それによって、自分は今幸せな状態か。常にそういうことに意識的でいるというか。

自分を幸せにする仕事ができていれば、職業は何でもいいんです。だから、トーベも、画家であり、作家であり、漫画家であり、商業デザイナーであり……、その時々の自分の状態に合わせてさまざまな形で表現方法を変え、職業を自由に横断してきました。

もともと画家としてのアイデンティティーが強かったトーベは、色彩の世界をとても大切にしていた人。でも、戦争が影響し、色彩を失っていくような感覚に苦しみ抜いた時期がありました。

そこでトーベはペンを手に、物語を書きだしたのです。こうしてムーミンは生まれました。もし彼女が“画家である”ことや、“色彩の世界”に固執していたら、この世にムーミンは誕生しなかったかもしれません」(森下さん)

表現すること。ものをつくること。自分が幸せであるために必要な、“根源的な行為”をトーベは自覚していた。だからこそ、彼女は完全に折れてしまうことなく、生涯仕事を続けることができたのだろう。

さらに、こんなにも世界中の人に愛される作品をトーベが作り続けてこられた理由について、森下さんは次にように分析する。

「彼女は、彼女自身のためにムーミンの物語を書いていて “特定の読者”を想定して描いていたわけではありませんでした。自分が楽しみ、そして誰かに媚びたりしない。そんなムーミンの世界は、結果として人々の共感を得るようになります。

しかも世界中の人たちの支持を得て、今もなお読み継がれています。ただ、自分の描きたいものを素直に描いていたトーベでしたが、作品が世の中に出たら、作品は読者のものと考えていました。

村の商店なんかで自分の本について話している人の言葉に耳を傾けたりしていたそうで、そんなバランス感覚も彼女の魅力ではないでしょうか」(森下さん)

自分の納得感があれば、人生の選択は自由でいい

「自分を幸せにするものが何かを自覚していること」の強さや、本当に自分がやりたいと思うことを誠実に続けていくことの偉大さ。私たちは、トーベの生き方から、自分たちの仕事人生にとって大切なことを数多く学ぶことができる。

「トーベに限らずフィンランドの人たちって、みんな自分のやりたいこととか自分はこれが好きっていうものを明確に持っているんです。

世の中の“これがいい暮らし”というような、ステレオタイプな幸せの価値観に自分を合わせる感じはなくって。そもそもそういう価値観を必要ともしていないというか。

実際に、自分らしい幸せのカタチをとことん追求してきたトーベは、世界中を旅することはあっても、物質的な豊かさを追い求めることはしませんでした。

トーベのように“自分にはこれだ”というものがまだ見つからない人もいると思いますが、そういう時は、自分が今幸せかどうか、どうやったら幸せだと思えるのか、時々立ち止まっていみるといいのかもしれません」(森下さん)

トーベもしかり、フィンランドの人たちは、幸せを見つけることがとても上手なのだと森下さんは言う。その心性は、ムーミンシリーズの中にもよく表れている。

「ムーミン一家はよく冒険に出かけます。ただ冒険譚のお約束のような戦いもなければ、宝物を見つけたり何かを獲得するわけでもない。とにかく、好奇心のままに出かけていくだけで、ヒーローが活躍する話じゃないんです。

ただ、旅の途中で知らない生き物たちとの出会いがあったり、見たことのない世界を見たり、それ自体が最高に幸せっていうような物語なんですよ」(森下さん)

“小さな幸せ”を見つける力、そして、自分で自分を幸せにするための行動力。トーベの哲学は、私たちに多くを教えてくれる。

森下圭子さん

森下圭子(もりした・けいこ)さん

1969年生まれ。ヘルシンキ在住。日本大学藝術学部卒業後、ヘルシンキ大学にて舞台芸術とフィンランドの戦後芸術を学ぶ。現地での通訳や取材コーディネート、翻訳などに携わりながら、ムーミンとトーベ・ヤンソンの研究を続けている。ムーミン公式サイトでコラムを執筆中
■月刊 森下圭子のフィンランドムーミン便り http://moomin.co.jp/category/blogs/finland

『トーベ・ヤンソン 仕事、愛、ムーミン』(講談社)

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ボエル・ウェスティン (著), 畑中 麻紀 (翻訳), 森下 圭子 (翻訳)/3,600円(税別)/ムーミンの作者、トーベ・ヤンソンの決定版評伝。ムーミン作品の背景と、「仕事と愛」をモットーに生き抜いたトーベの生涯を紹介する一冊
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取材・文/栗原千明(編集部)

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