女性視聴者の感覚に合った番組を作るために“男語”をやめた―放送作家 たむらようこさん×藤井佐和子さん対談企画

ゲスト:放送作家 たむらようこさん

放送作家
たむら ようこさん
1970年、福岡県生まれ。早稲田大学卒業後、テレビ制作会社に就職。ADを経て放送作家に転身し、「慎吾ママ」のキャラクターを世に出すなど、業界きってのヒットメーカーとして知られる存在に。「サザエさん」「サラメシ」「グータンヌーボ」「祝女」「めざましテレビ」などの番組で構成や脚本を手がける。2001年、女性ばかりの番組制作会社「株式会社ベイビー・プラネット」設立。
間違い電話をかけたことが
テレビ業界に入るきっかけに
藤井:たむらさんは、いつ頃から放送作家を目指していたんですか。
たむら:それが私、実は間違ってテレビの世界に入ってしまって。
藤井:間違って??
たむら:大学4年の時、ソフトウエア会社から内定をもらったんですが、定期連絡を入れる時に別の会社に電話をかけてしまって。それがテレビの制作会社だったんです。最初は間違えたことに気づかず、『就職活動ですか?』『はい』『制作やりたいの?』『はい(ソフトウエアの制作を……)』という感じで、なんとなく会話が噛み合ってしまったんですよ。途中で間違いに気づきましたが、そこまで話を聞いた以上、『就職説明会においでよ』と言われて断れなかったんです。それで履歴書を持っていって、面接を受けたら合格したので、そのまま入社してしまいました(笑)。
藤井:そんなことってあるんですね。
たむら:入社後はADになったのですが、テレビの世界は圧倒的に男性が多くて。ことあるごとに「たむら君、女性の意見を聞かせてくれ」と言われるようになりました。ところがADの仕事が忙しすぎて、1ヵ月くらい家に帰っていない。そんな人間が、普通の女性たちを代表して意見なんか言えるわけがないですよね。視聴者の半数は女性なのに、番組を作っているのはオジサンばかりで、数少ない女性も私のようにまともな生活力のない人間だなんて、「これで本当にいいの?」と。それで、同じテレビの仕事でも、放送作家ならもっとマイペースで仕事ができそうだし、きちんと日々の生活を送りながら、その中で生まれるアイデアを企画として提案できるのではないかと考えて、転職を決意しました。
藤井:放送作家になるには、どういった転職活動をするんですか。
たむら: 私の場合、それをよく考えずに辞めてしまったんです。国家資格がある職業でもないし、自分が放送作家だと思っていれば、そのうちなれるだろうと(笑)。でも現実には仕事がないわけですから、八百屋さんでアルバイトをしたりしていました。そうして1ヵ月ほど経った頃、一緒に仕事をしたことがあるプロデューサーから電話があって、「たむらさん、放送作家になるんだって?」と聞かれたんです。「でも、どうしたらなれるのか分からなくて」と答えたら、「たむらさん、ワープロを打つのがすごく速かったよね。僕の番組を担当している放送作家の字がすごく汚くて、スタッフが読めずにいつも苦労しているから、その人の原稿をワープロで清書する仕事をしながら、放送作家の勉強をしてみたら?」と言われたんです。
企画書を手に酒場へ繰り出し
一般人にリサーチしたことも
藤井:たむらさんを覚えていてくれたということは、何か印象に残るものがあったということでしょうね。
たむら:私もワープロを速く打てることが放送作家の道につながるとは考えもしませんでしたが、何かを頑張っていたら、見ていてくれる人はいるものだなと思いました。それで、その放送作家の先生を手伝いながら、少しずつ自分の仕事ももらえるようになって。「私もようやく放送作家になれたんだ」という手応えを感じていたんです、途中までは。
藤井:途中までは……?

たむら:ええ。放送作家としてテレビ局の会議に出るようになっても、やはり出席者は大半が男性なんですね。私が自分の企画をプレゼンしても、誰も聞いてくれないんです。私の番になると、男性たちはぞろぞろと会議室を出ていってしまって。
藤井:えー、それはひどい。
たむら:「そんなに私の企画がつまらないのかな」と悲しくなったので、他の放送作家の企画書と自分の企画書をコピーして夜の酒場へ繰り出して、「この中でどれが面白いですか」って聞いて回ったんです。すると、私の企画を選んでくれる人が結構いるんですよ。それで「つまらないわけではなさそうだ」と。その一方で、会議中に誰がいつ、どのタイミングで部屋を出て行ったかを、全部ノートに記録し始めました。暗いでしょ、私(笑)。でも数ヶ月もすると、なんとなく傾向が見えてきたんです。出て行く人は、キャバクラの話で会議を盛り上げるような、「これぞ男子」というタイプ。残ってくれるのは、妻子がある人や彼女の話をよくする人でした。それでようやく「世の中には女語が分かる人と、男語しか分からない人がいるのだ」と理解したんです。それからは、企画をプレゼンする時も、「例えば、これがキャバクラだったらと考えてください」などと、男性に合わせた話し方をするようにしました。そうしたら、彼らも私の企画に興味を示すようになったんです。
出産後も仕事を続けられるように
子連れ出勤OKの会社を設立
藤井:男性でも具体的にイメージしやすいような話し方に変えたわけですね。
たむら:でも、それが成功してしばらくすると、「こんなやり方ではダメだ」と思うようになったんです。このままだと後に続く女性の放送作家たちも、男語で話さなくてはいけなくなる。でも、それではテレビの前にいる女性視聴者の感覚とは離れたものになってしまいますよね。だから、私が男性に合わせて男語で話す方法はきっぱりとやめることにしたんです。それでまた、誰も私の話を聞いてくれない日々に戻りました。
藤井:すごい決断ですね。問題の解決方法は分かったけれど、納得がいかないなら、それをやめるなんて。
たむら:唯一の心の支えは、男性陣の反対を押し切って私が通した企画は、いつも視聴率が良かったこと。それが自信になって、「私がやるべきなのは、話し方を変えることではなく、仲間を作ることだ」と考えるようになりました。会議の出席者が、せめて半分でも女性になれば、私の意見に賛同してくれる人も増えるだろうと。でも現実には、テレビ業界に女性が増える気配はない。なぜなら、結婚や出産を機に辞めてしまうからです。だったら、女性が子どもを産み育てながら、仕事を続けられるような会社を作ろうと思い、2001年に女性ばかりの制作会社を立ち上げました。
藤井:会社の設立当時、たむらさんは独身だったんですよね。
たむら:ええ、私が子どもを産んだのは、会社を設立して7年目でした。だから、自分のためではなく、あくまで女性の仲間を増やすために作った会社ですね。現在の社員数は20人で、そのうち子どもを持つお母さんが12人います。
藤井:会社としては、どのように仕事と子育ての両立をサポートしているんですか。
たむら:子どもを預かるキッズルームがあるので、社員は子連れで出勤できます。昼食は親子揃ってとれますし、何かあればすぐ子どものところへ駆けつけられるので、親は安心して仕事に集中できます。今は放送作家が中心の会社ですが、将来は職種を問わず誰でも働けるような保育所付きのシェアオフィスを作るのが夢なんですよ。
取材・文/塚田有香 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)