「皆と同じ安心な道」を選んでいた弁護士が、四大法律事務所→メルカリ→スタートアップの”異端キャリア”を選んだ理由

何かを選択するとき、私たちは漠然と失敗やリスクを恐れ、安全・無難な道を選ぶ。そんな自分をつまらないと心の中で思っていても、そう簡単に生き方は変えられない。だって、一度道を外れたら二度と正規のルートには帰ってこられない気がするから。

DFree 岡本さん

トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社
岡本杏莉さん

2007年、慶応義塾大学法学部卒業。西村あさひ法律事務所に入所し国内・クロスボーダーのCorporate/M&A案件を担当。その後Stanford Law School(LL.M)に留学、NYの法律事務所にて研修。15年3月に株式会社メルカリに入社。日米の法務業務に加え、2度の大型資金調達やIPOをはじめとするFinance/IRを担当した後、19年2月、トリプル・ダブリュー・ジャパンにジョイン

だから、初めて岡本杏莉さんのキャリアを見たとき、まったく別次元の人だと思った。

岡本さんは、慶應義塾大学在学中に旧司法試験に合格。卒業後は、“BIG4”とも呼ばれる四大法律事務所の一つ、西村あさひ法律事務所へ。さらにスタンフォードロースクールに留学。現地でニューヨーク州の司法試験に合格した。

ここまで聞けば、完璧過ぎるほど完璧なキャリア。失敗やリスクとは対極の立ち位置に見える。けれど、岡本さんの王道キャリアは、ある日突然、大きく軌道を変える。

アメリカから帰国した岡本さんは、“BIG4”を飛び出し、当時まだ認知度の低かったメルカリに入社。昨年、IPOを果たしたメルカリの躍進をリーガル面などから支えた。さらに今年2月にメルカリを退社。今度は、社員数約30名のヘルスケアスタートアップ企業、トリプル・ダブリュー・ジャパンに活躍のステージを移した。

ハイステータスな法曹界から未知のスタートアップへ。周囲の多くが「なぜ?」と首を傾げた異端の転身。どうして彼女は人と違う道をこんなに堂々と歩めるのだろう。岡本さんのお話から見えてきたのは、人生における失敗とリスクについての捉え方だった。

「皆と同じ安心な道」を疑問なく歩んでいた

きっとキャリアのスタートとなる弁護士になった頃から、自分の意志をもって人生を切り開いてきたんだろう。そう思って岡本さんに話を聞いてみたら、「全くそんなことはなくて」と首を横に振る。

「正直なところ、弁護士になったのも明確な目的意識があったわけではないんです。司法試験に向けて予備校に通い始めたのも、周りの皆が行ってるからというだけで。自分の長期的なキャリア設計なんて、当時は全く考えていませんでした」

当時の岡本さんは、皆と同じ安心な道を特に疑問に感じることもなく歩んでいた。周りがやっているから、自分も司法試験を目指す。合格したから大手のローファームに入る。「何となくレールに乗っかっている感じだった」と岡本さんは当時を振り返る。

そんな「皆と同じ安心な道」を選んでいた彼女を変えたのは、留学だった。社内制度を活用し、アメリカに留学。スタンフォードロースクールへ通い始めた。そこで数々の起業家と交流を持つようになり、曖昧だった岡本さんの働く意識は一変した。

「スタートアップに関わるような人たちって、ものすごく問題意識が強いんです。『今、世の中にはこんな課題がある。それを解決するためにはこんなビジネスがあったらいいよね?』というような会話が至るところで繰り広げられていた。当時の私には、何か問題を解決するためにビジネスをするなんて発想はゼロ。ミッションドリブンな彼らの姿勢は、とても新鮮でした」

同世代の人間がキラキラとした目で自分の夢や使命を語っている。その姿を目の当たりにした岡本さんは、自分がキャリアを通して実現したいことは何なのかを初めて真剣に考えた。

「大手のローファームにいると、クライアントの事業へリーガル以外の面での関わりはどうしても限定されることがあります。そこに物足りなさを感じてはいました。できるなら、もっとビジネスの当事者になりたい。スタンフォードで過ごすうちに、徐々にそんな想いが膨らんでいきました」

岡本さん

留学中の様子

法曹界→メルカリ→従業員30名のスタートアップ
異例の決断を支えたのは、ブレない仕事の“軸”

それが、岡本さんが“BIG4”を辞め、メルカリを選んだ理由だ。そして今、そのメルカリを離れて創業5年目のトリプル・ダブリュー・ジャパンにジョインしたのも、留学時代に見つけた働くことの意義が、彼女を突き動かしたから。

「仕事に使っている時間は、人生の大部分を占める。だったら自分が楽しいと思える仕事をやりたいというのが、留学を経て見えてきた私のポリシー。自分のやったことが社会にどれだけインパクトを与えられるか。それこそが、私が仕事に求めるものだと分かったんです」

入社当初は従業員80名程度だったメルカリも、今や連結で約1600名の大企業に成長した。企業規模が拡大すると、その分、個人が会社に与えられる影響は低減する。ならば、メルカリでの経験を活かして、メルカリに続くスタートアップを自ら作り出していく方が、もっと社会にインパクトを与えられるんじゃないか。そう考えた岡本さんの想いを最大限に発揮できる場所が、トリプル・ダブリュー・ジャパンだった。

同社は、世界初の排泄予測デバイス『DFree(ディー・フリー)』を開発し、世界各国から最新のエレクトロニクス製品が集まる展示会『CES 2019』にて4つのアワードを受賞するなど、今注目のスタートアップ。代表の中西敦士さんとは留学時代からの知人で、当時から事業アイデアを熱く語られ、法律顧問という立場で継続的なサポートを行っていた。

「トリプル・ダブリュー・ジャパンがやっていることは、大きな社会問題の解決につながる事業。それも日本だけじゃなく世界中の人々の役に立つ事業です。社会にインパクトを与える仕事がしたいと思っていた私にとっては、非常にチャレンジングな環境でした」

岡本さん

トリプル・ダブリュー・ジャパンで社員とミーティングをする様子

周囲からの心配の声に、怯まなかった理由

だが、人生の選択はそんなに甘いものじゃない。事実、“BIG4”からメルカリに移ったとき、前例のない決断に、法曹界の仲間たちも驚きの声をあげた。

「周りからは『どうしたの?』と心配されました。『履歴書が汚れるよ』なんていう人もいましたね(笑)。法律事務所からスタートアップへの転職は相当なレアケース。当時はメルカリを知っている人もかなり少なかったですし、今考えたらかなり思い切った選択ですよね」

けれど、岡本さんに迷いはなかった。新しい環境に対する恐怖よりも、もっと本気でワクワクできることをやってみたいという好奇心が勝った。だが決して岡本さんは最初からチャレンジャー気質だったわけではないという。

「たぶん留学する前の私だったら、知名度の低いベンチャーに行くなんて超リスキーだと思っていたはず。でも、留学先での経験を通じて、キャリアに対するリスクの捉え方ががらっと変わったんです」

そう切り出して、岡本さんは自らの考えを語りはじめた。

「人がリスクを感じるのは、結局失敗が怖いから。でも、たとえ上手くいかなかったとしても、別にそこで終わりじゃない。元のキャリアに戻ることもできるし、違う道を選ぶことができる。そう考えたら、リスクだと思っていたものをリスクとは思わなくなったんです」

岡本さんをそんなふうに変えたのは、やはり留学先で出会った起業家の仲間たちだ。

「成功している起業家がみんな無傷無風でそのポジションに辿り着いたかといったら、決してそうじゃない。あるプロダクトをつくってみても、なかなか上手くいかなくて、軌道修正したり、違うビジネスにピボットしてみたり、いっぱい試行錯誤を経験しているんですよね。むしろ失敗は多い方がいいというのが彼らの考え。その分、学びも増えるし、糧になりますから」

私のキャリアを失敗と思っている人もいるかもしれない

でもそんなふうに力強く言えるのは、自分に自信があるからでは? そんな卑屈な考えがふと頭をもたげてくる。けれど、岡本さんは「私は自分に自信があるわけではないんです」と否定する。

「自信があるから、リスキーな選択をできるわけではないと思います。むしろ自信よりも大事なのは楽観主義。失敗しても何とかなるかと思えるようになってからは、恐れることはなくなりました」

そしてもう一つは「面白がる気持ち」だという。

「昔の私にとって、将来の見通しが立たないことは不安材料でしかなかった。でもスタートアップに身を置いていると、5年後10年後はおろか1年後のことだってよく分からない。それをビクビクと怖がるんじゃなくて、『どうなるか分からないことをいかに面白がれるか』と考えるようになりました。リスクを楽しめるようになったのも、大きな変化の一つです」

トリプル・ダブリュー・ジャパン株式会社 岡本杏莉さん

そう明るく話す岡本さんを見て、気づいたことがあった。私たちは、つい失敗を怖がってばかりいるけれど、そもそもキャリアにおける失敗なんて一体誰が決めるんだろう、と。収入がダウンしたら失敗なのか。会社のスケールが下がったら失敗なのか。大手法律事務所からスタートアップを選んだ岡本さんの選択は失敗の連続なのか。でも、そんなふうには全く見えない。

「いろんな人がいろんなことを言うけれど、正解は人それぞれ。誰かが決めることではないと思います。別に人と違う道を選ぶことがカッコいいとも思わないし、もしかしたら今も私の選んだ道を失敗だと思っている人がどこかにいるのかもしれない。でも、そればかり気にしていても仕方ないですよね。この道を選んで良かったと自分が納得していることが、いちばん大切だと思います」

自分の選んだ道が成功か失敗か。その判定を下すのは世間でも他人でもない。私の人生のジャッジをするのは、私だけ。そう開き直れたら、「失敗もリスクも恐るるに足らず」な気がしてきた。

取材・文/横川良明 撮影・編集/天野夏海