「なりたい姿」はなくて普通! 働き方が多様化する今、会社員として働くメリットとは? 【浜田敬子×松田紀子】

1社にずっと勤めるのが当たり前だった時代は終わり、最近ではある程度経験を積んだら転職をするのが当たり前になった。さらに働き方は多様化し、副業やフリーランス、起業といった選択肢も取りやすくなっている。そんな中、「このまま今の会社で働き続けていいのかな?」なんて疑問が頭を過ぎることもあるのでは?

そこで、20年以上会社員として仕事をしてきた2人の先輩女性、レタスクラブ編集長の松田紀子さんと、Business Insider Japan統括編集長の浜田敬子さんの元を訪ねた。プライベートでも仲が良いというお二人が語る、「会社員の良さ」とは。

編集長対談

松田紀子さん(写真左)
1973年生まれ。大学卒業後、リクルートで『じゃらん九州』の編集に携わる。2000年、メディアファクトリーに入社し、小栗左多里さんや、たかぎなおこさんなどの担当編集者として活躍。『ダーリンは外国人』はシリーズ300万部のヒットとなり、コミックエッセイのジャンルを確立する。2006年に男児出産&育休後、11年からコミックエッセイ編集グループ編集長、16年より『レタスクラブ』編集長も兼務。18年より『東京ウォーカー』編集部長、NTV『スッキリ』コメンテーターも務める。2018年「ウェブ人賞」受賞
浜田敬子さん(写真右)
1966年山口県生まれ。上智大学法学部国際関係法学科卒業後、朝日新聞社に入社。前橋、仙台支局を経て、93年に『週刊朝日』編集部、99年に『AERA』編集部へ。2006年に出産し、育児休業取得。14年に女性初のAERA編集長に就任。その後、総合プロデュース室プロデューサーを経て、17年に退社し、Business Insider Japan統括編集長に就任。テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』やTBS『あさチャン!』などでコメンテーターを務める他、「働き方」などのテーマでの講演も多数行なっている

社会人のお作法に、おじさん・おばさんのあしらい方……
いろんな年代が混ざっていることが会社員の良さ

−−副業やフリーランスなど会社員以外の働き方の選択肢が増えていますが、会社員だからこそ得られるものもあると思います。お二人は、会社員として働くメリットはどんなところにあると思いますか?

浜田さん(以下、敬称略):まずは社会人としてのお作法を身に付けられることですね。電話の掛け方、誰かに何かを頼む時の段取り、企画書の書き方……。組織の大小に関係なく、チームで働くことによって先輩から学べることはたくさんあります。間違ったマナーを注意してもらえたり、スマートな業務の進め方を教えてもらえたりするのも、会社員ならではじゃないでしょうか。

松田さん(以下、敬称略):おじさまやおばさまのあしらい方が分かるもの大きいと思います。 「なんでこんな世の中の流れと逆行したやり方をしなきゃいけないんだ」と、不満に思って辞めるパターンは多いかもしれないけど、この高齢化社会でそういうことが起こるのは仕方のないこと。たとえ若い人たちだけでやっている会社にスタートアップで入ったとしても、取引先はおじさまとおばさまが決定権を持っている世界ですしね。

浜田:とはいえ旧式のやり方に迎合する必要はなくて、「今の時代はこういうやり方がいいですよ」って言い合えるのもチームの良さだよね。上の世代は経験を積んでいる分、人脈は多いし、進めたい仕事を周囲に納得させる力には長けているけれど、デジタル関連の部分はやっぱり若い人の方が得意なこともある。いろんな年代の人がいて、いろんな得意技があって、それが混ざるのが会社員として働く一番良いところだと思うな。

松田:確かに。価値観がいろいろ混ざっている中で一番良いものを学んでいける。皆で一緒に仕事をする環境が受け入れられないとか、どうしても通勤電車に乗れないとか、これといった理由がないのであれば、一度は会社員経験を積んでおいて損はないはずです。

――最近は、20代で起業する人やフリーランスになる人が多くて、何だかそういう女性たちが輝いて見えてしまうんですが……。

編集長対談

松田:そういう人が目立つのも事実だけど、必ずしもそれが皆にとっての正解かというとそうではないですよね。全ての人に向いている働き方ではないだろうし。

浜田:独立して自分の人脈やスキルだけで勝負をするのは40代くらいからでも遅くはないよね。例えば子育てと仕事を両立しようと思ったら、どうしても会社員だと時間が拘束されるじゃない? 働き方を変えざるを得ない時にちゃんと検討してみればいいような気がします。漫画家とか作家みたいな実力勝負の世界で生きている人は別として、ほとんどの人は一人では食べていけない。「フリーになったら会社員時代よりも断然忙しくなりました」っていう人は案外多いですよ。

松田:一度フリーになっても、会社員に戻る人も結構多いですしね。

青い鳥なんていない。道は探すのではなく「選ぶ」もの

−−1社で一生勤める時代ではなくなって、転職するのは当たり前になりました。自分のキャリアにとって「良い転職」ができるときって、どういうタイミングなのでしょうか?

松田:今の会社でやっている仕事の領域がマスターできて、手応えがなくなってきたときに転職したらいいと思いますね。そうやって私は転職や異動をしてましたが、スキルや経験、人脈が積み重なって、最終的に融合していくのが理想というか。「20代の頃のスキルと30代で得た経験と40代の人脈を組み合わせて、さぁ45歳以降はこれだ!」みたいな感じでプランニングしていくのは無駄がなさそうな気がします。いろんな業界や職種を経験したとしても、最終的に自分の中で一本筋が通る形になると理想的。

−−「最終的にこうなりたい」ってイメージがない場合は……?

浜田:そんなのないのが普通ですよ! 青い鳥なんていないのに、皆それを探して時間を食っちゃってる。それに最初から「こうなりたい」ってゴールを決めてロードマップを引くと、時代は変わるからいずれ齟齬が出てくると思います。だから、先のことは具体的にイメージしなくていいんじゃないかな。

じゃあどうすればいいかというと、結局は目の前の仕事でコツコツと成果を上げていくしかない。そうしたら必然的に2〜3個くらい道が開けてくるから、その中で自分がどこに向かうかをチョイスする。進むべき道は「探す」っていうよりは、「選ぶ」ものという感覚です。

経験の浅い20代が先のイメージを持てないのは当たり前。そんな中で、なんとなくでも「これならやれそうかも」っていうものに一生懸命取り組んでみるのが先決ですね。

松田:興味を持って取り組めそうなものにね。

編集長対談

浜田:どうしても苦手だったり合わなかったりするなら仕事を変えるしかないけど、やっているうちに少しでも成果が出れば自信になるし、「もしかしたら向いてるかも」って思えて、その道を極めようという欲も出てきます。

私も紀子さんも、その時々に思いっきり目の前の仕事を楽しんで、負けず嫌いもあってある程度結果を出してきたんだと思うんです。そういう姿は誰かが見ていてくれるもので、「じゃあ次はこれやってみない?」って新たなチャンスが舞い込んできました。

他の人の方が自分のことを客観的に見てくれてるものだから、与えてもらったチャンスに貪欲に向かっていくと、自分の強みがくっきりと見えてくることもありますね。

松田:客観的に誰かから評価してもらうことが、実は楽しく仕事をするための最短距離なのかなって気もしますね。「私に向いてるのはこの仕事!」って思い込みがちだけど、傍から見たら他にも向いていることはきっとあるでしょうし。

私自身もメンバーに「こういう仕事もできるんじゃない?」って伝えて、「自分にそんな特性があったなんて、初めて気付きました」となることはしょっちゅうあります。

浜田:会社にいれば同僚や先輩、上司が自分の強みを見つけて引き出してくれるもんね。これも会社員の良さだと思うな。

武器が揃った20代後半の成功体験が、その後の30代で生きてくる

――今の会社で働き続けるにしても、転職するにしても、自分に向いている仕事をした方が成果を上げられると思います。20代が「自分に向いている仕事」を知るには、どうすればいいのでしょうか?

浜田:短期間で仕事の向き不向きは判断しない方がいいでしょうね。1〜2回何かの案件を担当して失敗したとしても、たまたま運が悪かったとか、得意先との相性が悪かったとか、そういう要因もあるし。

私は朝日新聞に入社して1年目の警察回りがすっごい嫌だったんですけど、2年目で行政を担当するようになったら、同じ記者の仕事でも分野が違うだけで仕事が一気に面白く感じられるようになって。

1年目で転職を考えていた時に上司から「3年はやってみないと仕事の面白さは分からない」って言われたんですけど、後になって「なるほど」と思いました。

編集長対談

松田:「石の上にも3年」ね。私も言われたなぁ。でも、不思議と2年目くらいから仕事を回せるようになるんだよね。

浜田:そうなの! やっぱりある程度やらないうちから結論を出さない方が私はいいと思うな。

松田:私の場合は20代で、雑誌から書籍の編集に転向した時がまさにそうで。最初は著者さんの口説き方も分からなかったし、イメージしている最終形まで持っていく技術も無くて、あらゆるものが全く足りてなかった。1年半くらいは毎日地元の福岡に帰ろうと思っていたけど、ある時すっと会得したんですよ。スランプからパッと抜ける瞬間があったんです。「あ、なんかやり方が分かったかも」と思ったら、そこから逆にヒットしか出なくなりました。

浜田:やっぱり新しい分野で成果を出すには、1〜2年かかるということなんでしょうね。

松田:あとは、「この企画が通らなかったらもう会社を辞めて福岡に帰ろう」と思って、退路を断ったのも大きかった気がする。そうやって腹をくくって作った『ダーリンは外国人』が100万部売れたんですよ。熱意もすごかったし、仕事への気合いが結果として出た感じ。それ以前の自分は、どこかで言い訳しながら仕事をしてたんでしょうね。

浜田:私も1年目に上手くいかなかったときは「ダメでも仕方ない」って逃げ場をつくってたな……。仕事は正直だから、それじゃあ結果なんか出るはずがないんですよね。

松田:当時のメディアファクトリーでは「30代までに100万部売れる本を作らないと、編集は楽しくない」と言われていて、私は素直に「そっか」って受け止めていたんですね(笑)。それで腹を決めていろんな努力を始めて100万部売れる本を作れるようになったんですけど、仕事をする上で必要な武器が揃ったのは20代後半くらいだった気がします。

編集長対談

浜田:私も20代後半で新聞から週刊誌に異動して、林真理子さんの対談連載の担当になったんですけど、ある程度経験を積んでいたからこそ、プロ中のプロの林さんの担当ができたなと思います。すごく大変でしたけど、編集者として鍛えられた仕事でした。紀子さんは、ベストセラーを出した編集者になって、何が一番変わった?

松田:見える景色がまるで変わった。一気に注目を浴びるようになって、周りに集まってくる人も仕事も、すごくレベルが上がったように感じました。29歳でそんな経験ができたのは本当に大きかったな。あの高揚感や達成感をもう一回味わいたいっていう一心で、目の前の仕事を頑張れるようになったんだよね。だから、仕事を一人である程度は回せるようになった20代後半で成功したり認められたりっていう経験があると、30代もまっすぐ仕事に向かっていけるような気がします。

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取材・文・構成/天野夏海 撮影/赤松洋太