「周囲のイメージ」と「自分の本音」のギャップに悩んだ20代。でも、両方を知っていることが「自分らしく生きる」ために必要なのかも【女子未来大学・猪熊真理子さん】
今、女性の働き方・生き方は多種多様。何でも自由に選べるって素敵だけど、だからこそ、何を選択し、どこに進めばいいのか悩んでしまう。「私らしい未来」は一体、どの道の先にあるんだろう……?
そこで今回Woman type編集部では、さまざまな女性たちに聞いてみました。「私らしい未来」、みんなはどうやって見つけたの!?
「女性たちの可能性を最大化できる社会へ」。そんなミッションを掲げる株式会社OMOYAを経営するのは、猪熊真理子さん。
学生時代から「女性を幸せにする事業で起業したい」という明確な夢を抱き、新卒で入社した会社では2年目から花形の企画部門へ抜擢され、29歳で目標だった会社を設立。現在は社会人女性の学びの場「女子未来大学」ファウンダーを務めながら、講演をしたり著書を出したりと、活躍の幅を広げている。
そんな経歴だけを見ると、“順風満帆な仕事一筋のキャリアウーマン”というイメージが浮かぶかもしれない。
でも多くの女性たちと同じように、彼女もまた20代の頃は「夢を実現できるのだろうか?」「結婚したい、子どもも生みたい気持ちもあるのに、このままでいいのだろうか?」と、心の奥でさまざまな思いを抱え、悩んでいたという。
そんな猪熊さんは、どうやってそんな不安を乗り越え、自分らしい生き方を見つけていったのか。彼女が迷いの中で実践していたこと、30代の今だから感じられることについて語ってもらった。
会社員時代に予想外の仕事を与えてもらったから、今の自分がある
20代は会社員として、リクルートで約7年間働きました。最初のキャリアは、結婚情報誌『ゼクシィ』の編集者。学生時代から「自分がやりたいと思ったことは何でもやってみる」をモットーにしていましたから、入社間もない頃から積極的に動いていたと思います。
例えば『ゼクシィ』には、花嫁1000人へのアンケート結果を元にした「花嫁1000人委員会」という企画があるのですが、ページの都合上、全ての意見を紹介し切れなくて。そこで上司に交渉して、誌面で紹介できなかった花嫁の声を掲載した「ゼクシィ編集部通信」というクライアント向けの資料を社内に発信することにしました。
すると営業がクライアントに手土産として持っていくようになり、その資料によって商談が進んだり提案が通りやすくなったりして、評判になっていったんです。さらに営業から声を掛けられて、クライアント向けの勉強会を実施するようにもなりました。
そうした仕事が評価されて、入社2年目には編集から企画職へ。途中で部署は変わりましたが、それから退社するまでの6年間はずっと企画の仕事に携わり続けていました。
7年間の会社員時代、壁にぶち当たったことはもちろん何度もあります。一番の壁は、入社5年目の27歳、事業戦略の担当を任された時のこと。最初は荷が重くて、「私にはできないんじゃないか?」ととにかく不安でした。
でも24時間365日、夢の中でも仕事のことを考えるくらい、ひたすら事業について真剣に考えるようになっていった。そうやって半年ほど経つと、次第に自分に求められる役割や、考えるべきことが理解できるようになってきて。その時に、「この仕事は楽しい!」とやりがいを感じられるようになったんです。
自分が予想していなかった仕事を与えられる機会が会社員にはたくさんありますが、そのおかげでさまざまな経験をさせてもらいました。「常に最善を尽くす」ことを心掛けていたからこそ成長できたし、背伸びして頑張った20代が、確実に今の自分をつくったと思います。
20代後半は「周囲からイメージされる自分」と「自分の本音」のギャップがつらかった
そうやって会社員として働く一方で、私は学生時代から「女性を幸せにできるような事業で起業したい」という思いを抱いていました。27歳の時に副業として起業し、29歳でリクルートを辞めて独立しています。
「29歳で独立した」とお話すると、20代は迷いもなく仕事に一直線だったと思われることもあります。でも、起業するまでの具体的な道筋までは見えていませんでしたし、20代で結婚して子どもを産みたいという思いもあって。内心では、かなり気持ちが揺れていたと思います。
ただ、周りの人からは「バリバリのキャリアウーマンを目指している」と思われていたんですよね。特に27~29歳ぐらいの時は、「周囲からイメージされている自分」と「自分の本音」の間に大きなギャップがあって、一番つらかった記憶があります。
周りの価値観やイメージに引っ張られてしまうと、だんだん自分の気持ちも見えなくなってきてしまうんです。だから、3カ月ごと、6カ月ごとと、定期的に自分の本音に向き合うことを心掛けていました。
「これは本当に自分がやりたいことなの?」
「一度目標を立てたからって、意固地になってない?」
そんな風に自分に問い掛けたり、自分の思いを家族や信頼できる友人に、包み隠さず話したり。そういったことを繰り返すうちに、30代になる頃には「やりたいことを何でもやってみる」から、「やらないことを決めよう」と意識が切り替わって、徐々に気持ちが楽になっていきました。
同時に、「自分らしさ」は一つに括れないものであるということも分かってきました。
私は家族や親友から見ると、外でガツガツ仕事をしている人だとは思えないようなんです。家ではかなりリラックスしているし、「自由気ままな3歳児みたい」なんて言われることもあります。
とはいえ、「女性たちの役に立ちたい」という想いは本気だし、仕事を頑張っているのも、自分の大切な要素。そういういくつもの面を持っているのが、「自分」なんですよね。
若い時はその矛盾を認められなくて、「自分らしさって何なんだろう……」なんて思ったこともあったけれど、30代になって、複雑なものをそのまま受容できる柔らかさを持てるようになってきて。やっとありのままの自分を認められるようになってきました。
だから今は肩肘張らずに仕事ができているし、20代の頃に予定していたよりもだいぶ遅かったけれど、34歳で結婚もして、プライベートな時間も充実して過ごせるようになったと思います。
自分の器を決め付けず、他者の声に耳を傾ける。そうやって「自分らしさ」は見えてくる
今、仕事を通して、さまざまな生き方をしている女性たちにお会いしています。その中で気になっているのは、ほとんどの方が自分の器を実際よりも小さく見積もっているということ。
やりたいことはあるけれど、それに挑戦するだけのキャパシティーは自分にはない。自信もない。そんな不安を抱えている人が非常に多いんです。
でも世の中には、いろいろなチャレンジを楽しんでいる人もたくさんいて。そういう人に会ってみると、「こんなにアクティブになれるんだ」「自分も一つくらいならやれるかも」と思えるものです。さまざまな女性に会ってみるのはとても大切なことだと感じます。
そして、自分の限界を決めつけないこと。自分のバイタリティーやキャパシティーを知るために、まずは期間限定で小さなチャレンジをしてみるといいですよ。大きい目標を掲げると挫折しやすいですから、すぐに始められるサイズ、例えば「1カ月限定」で何かにチャレンジしてみるのもおすすめです。
例えば、料理が好きだけど忙しくて自炊ができていないなら、1カ月間だけ週に3回料理を作る時間を確保してみる。そうして1カ月たったら、その生活を振り返ってみてください。しんどいのかしんどくないのか、本当に自分がやりたいことだったのか。その結果、楽しめていたのなら続ければいいし、つらかったのなら辞めればいいだけの話です。
そうやって自分を知るためにいろいろ試してみると同時に、自分自身を客観的に見られるといいですよね。自分が思う自分と、他者が思う自分は違うものですから、自分一人ではなく、家族や友達と話しながら考えられるといい。
「自分らしさが分からない」という方も多いですけど、他者がいてこそ自分の素質に気付けるものです。「人と比べて共感力が高い」「一緒にいて癒されると言われるな」といったことは、自分だけでは気付けないこと。
私は現在「女子未来大学」を運営していますが、講義やワーク、交流会といった場を通じて、自分を客観的に振り返る機会を設けています。身近な人に自分の考えをさらけ出すのは恥ずかしいと感じる人は、こういう場を利用いただくのもいいと思います。
そうやって自分の素養が見えてきたら、今度はその素養を良い方向に使うためにはどうしたらいいか、じっくり考えてみてください。
「自分は何をやりたいと思っているか」という主観的な自己を把握しつつ、客観的な自分も知っている。その両方をバランス良く持っておくことが、自分らしく生きるために必要なのではないかと思います。
取材・文/キャべトンコ 撮影/吉山泰義 編集/天野夏海
■著書紹介
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