会社員歴12年、33歳でライターに転身。 見切り発車の独立とデンマーク移住で私が手にしたもの【小林香織】
この連載では、デンマーク在住ライター小林香織が海外で自分らしく働く女性たちのライフストーリーを紹介。女性たちが幸せに働き、自由に生きていくためのヒントを発信します!
「好きな場所で、好きな人と、好きなことをして生きたい」
この夢を叶えるため、私は33歳でOLからライターにキャリアチェンジしました。
2016年に独立してフリーランスになり、東京・福岡・バンコク・セブ島など国内外を転々としながら旅と仕事の両立を叶えてきましたが、この度、どうしようもなく惹かれてしまうデンマーク・コペンハーゲンへの移住を決断。
「世界を舞台に活躍できる人になる」との誓いを立て、未知の環境の中で奮闘中です。
そして、この連載では、「海外で自分らしく幸せに働く女性」のライフストーリーをご紹介します。
“海外移住”と聞くと、自分とは関係のない遠い世界のように思えてしまうかもしれませんが、キッカケは案外、足元に転がっているかも?
人生の選択肢の一つとして触れてみていただけたら幸いです。
「好き」を追い求め、転職を繰り返したOL時代
改めまして、フリーライター/広報PRとして活動している小林香織です。今日は、これまでの私のライフストーリーをご紹介させてください。
青春時代、歌手や女優に強く憧れていた私は、高校卒業と同時に家を出て、働きながらレッスン・オーディションを受ける道を選びました。
とはいえ、度重なるオーディション落選とアイドルという職業につきまとう「年齢の壁」を感じ、やむなく21歳でこの道を断念。次のステップとして芸能界の裏方への就職を決めました。
常識が通用しないエンタメ業界での仕事は心底厳しくて、何度も泣かされたことを覚えています。今なら絶対にパワハラで訴えられるようなことも、たくさん経験しました(笑)
それでもこの世界に居座っていたかった私は、業界内で4度の転職を重ね、トータル10年ほどをエンタメ業界に費やしました。この経験で培った根性は、今の私を支える血肉となっています。
でも、10年ほど経って32歳になった時、ようやく気付いたんです。
「結婚・出産を視野に入れたら、エンタメ業界の仕事は自分にとって理想的じゃない。もっと時間と場所に縛られない仕事がしたい」と。
明らかに気付くのが遅かったのですが、10年経ってやっと「やりきった」と満足できたのかもしれません。
そうして私が見つけたのがライターという仕事。
当時は、ライターについて何の知識もなかったため、働きながら「ライター・編集養成講座」に通って知識を身に付け、2014年11月、33歳でライターデビューにこぎつけることができたのです。
ライターとして独立。人生のハンドルを握る実感
1年ほどの副業期間を経て、2016年1月にフリーライターとして独立。正直、見切り発車のスタートで、生計を立てられる確率は五分五分といったところでした。
そのため、独立してから数カ月の記憶はほとんどありません(笑)。無我夢中とは、まさにこのこと。
気になる媒体へのアプローチ、ライター向けのイベントへの参加、そして学んだ内容をSNSでアウトプット。それ以外の時間はひたすら原稿を書いていました。
この行動の甲斐あって、約3カ月でライターとして生計を立てられるように。「不安になるのは行動力が足りないから」、くじけそうになったときは、どこかで聞いたこの言葉が支えになりました。
「心配するより行動しろ」、これは今でも大切な私の哲学の一つです。
「プロはこんな文章を書かない」「主観が入り過ぎている」「ネタの詰めが甘い」など、お仕事をご一緒させていただいた編集者の皆さまには、たくさんの愛のムチをいただきました。彼らがいなかったら、今の私はいないでしょう。
多少の迷惑をかけながらも、結果的に見切り発車での独り立ちは私にとっては「正解」でした。あの時、フリーになると決断した自分を褒めてあげたい。
「フリーランスって大変じゃない?」周囲の友人からは、よくこんなふうに聞かれます。
確かにフリーランスはラクじゃない。契約内容、誰と働くか、どこで働くか、どのように自分の武器を増やすかなど、すべて自分でコントロールする必要があります。
たとえ報酬を振り込んでくれないようなひどいクライアントにあたっても、誰も守ってくれません(ただし、フリーランスをサポートする団体やサービスはあるので安心してください)。
一方で、何をしても誰にも咎められることはない。フリーランスになって一番幸せだと感じるのは、自分の人生を自分でコントロールできる「自由」と「人生の充実感」が得られたこと。これは何にも代えがたい私の財産です。
旅をしながら働く。夢を叶える過程でつまづいた壁
フリーライター2年目の2017年からは、独立当初からの念願だった「旅と仕事の両立」をスタート。
日頃から「旅が好き」と発信していたこと、プライベートでも多くの海外旅行をしていたことが実を結び、少しずつ「旅」がキーワードの仕事が舞い込むように。
田舎暮らしを体験してレポートを執筆する福岡県柳川市への3週間の「体験移住」や、現地で体験レポートを書く代わりに無料で語学を学べるフィリピン・セブ島の「一芸留学」など、想像もしていなかった幸運をつかむことができました。
特にセブ島留学では、勉強だけでなく現地のボランティア団体や複数の日本人起業家に取材するなど、濃厚でスペシャルな経験ができ、一生忘れられない思い出になりました。
おそらく、この頃から人生の選択肢として「海外移住」をリアルにイメージできるようになった気がします。
海外生活を送るうちに海外を舞台に活躍する日本人との出会いを重ね、自分と同じような「海外リモートワーカー」のつながりもグンと増えました。
2019年には「人生の実験」として海外短期移住を決行。
セブ島に3週間、タイに3カ月、マレーシアに3週間、ヨーロッパに25日間と年間157日間も海外で過ごし、どの地でも執筆の機会と刺激的な出会いに恵まれ、旅と仕事の両立を存分に満喫できました。
おかげで、すっかり「どこにいるか分からないキャラ」が定着(笑)。この時の私のように固定の家を持たないライフスタイルを送る人を「アドレスホッパー」と呼ぶようです。
思い描いていたような自由なライフスタイルを手に入れることができた一方で、まだ打開できていない壁があります。海外移住につきまとう「ビザ」と「お金」の問題です。
日本のパスポートを持っていれば数カ月はビザなしで滞在できる国がほとんどですが、長期で住むとなると何かしらのビザを取得しなければなりません。
また、フルリモートでも仕事ができるとはいえ、常に東京にいるときと同じ金額を稼ぐのは困難です。
インタビューや取材を伴うWebライターに関して言うと、東京にいるのがもっとも稼ぐ早道。対面での取材記事の仕事は東京にいなければできません。
これほどまでにテクノロジーが進化しても、「東京にいないと難しい」と言われることが少なくないのが実情です。
私の場合は、現地でのインタビュー記事とフルリモートで対応できる記事の執筆を現地で請け負っていますが、仕事量は50~70%に減ってしまいます。
「ビザ」と「お金」、私の場合は、この二つが海外移住の大きな壁です。
「私は世界で生きたい」2020年、デンマークへ単身移住
現在、私はデンマークにある「フォルケホイスコーレ」と呼ばれる学校に留学しながら、ライターの仕事を続けています。
北欧独自の教育機関である「フォルケホイスコーレ」は、民主主義的思考を育てること、知の欲求を満たすことが目的で、試験や成績が一切ありません。
私が所属する「International People’s College」は、世界中から生徒が集まるインターナショナルな環境が最大の特徴で、すべての授業が英語で行われます。私は「世界で生きるための力を培う目的」でここに来ました。
生徒たちの多くは18歳~21歳。そこに38歳の私が混ざって英語と格闘している姿を想像してみてください。勇気が湧きませんか?(笑)
今回、私がデンマーク留学を決断した背景には、二つ理由がありました。
一つは「英語力を鍛えながらデンマークの教育を体感できる」こと、もう一つは「低価格でデンマークに住める」こと。
フォルケホイスコーレはデンマーク政府から補助金が出るため、外国人でも低価格で留学することができます。2019年の夏からデンマークに惹かれていた私にとっては、またとないチャンスでした。
幸福度が高く、相手を需要する能力が高いデンマーク人の生き方や高福祉制度の社会など、私がこの国に感じる魅力はさまざまありますが、この地に「縁」があると直感が働いたことも大きな理由かもしれません。
私は生きるうえで「ときめき」を大事にしているのですが、デンマーク、特にコペンハーゲンで感じたときめきは最上級でした。案外、ときめきのパワーってバカにできませんよ?(笑)
先程お伝えした「ビザ」と「お金」の問題は簡単に解決できることではなく、今も私を悩ませています。
ですが、ありがたいことに出国してから想像以上に仕事のチャンスをいただき、8時間の時差があるデンマークでもおもしろく充実した仕事ができています。
今回の連載のお話もその一つ。今後、気合いを入れて執筆していきます!
1日3~5時間の授業、掃除などの当番、英語学習、人との交流、やるべきことが山ほどある中で仕事を継続するのは相当ハードです。
未知の世界に飛び込むのはワクワクするけれど、その分、悩み、落ち込む機会は増えます。
でも、だからこそ私は昨日よりも成長しているし、理想の人生に近づいている。そうやって自分を鼓舞しながら、日々を過ごしています。
今のところ、私は留学を終えても日本に帰るつもりはありません。
そんな決意を持ってこの地にやってきた私がデンマークで手にしたものは、「圧倒的な成長がなければ、この先生きていけない」という「プレッシャー」と「恐怖」。今のところは、それだけです。
でも、今の私にとってはこの二つが何より大切かもしれません。ここまで来たら、もうやるしかない。
さて、私は「ビザ」と「お金」の課題を解決し、留学後も大好きなコペンハーゲンで生きられるのでしょうか?
この記事を最後まで読んでくださったみなさんに堂々と報告ができるよう、私は毎日、眠りにつく前にこの記事に綴ったことを思い出しながら、奮起したいと思います(笑)
人生100年時代、30歳を過ぎてからやりたいことを探してもいい。学歴がなくても、見切り発車でも、信念と行動力があれば好きなことをして生きられる。
挑戦しましょう。夢を見ましょう。死なない程度に無茶しましょう。
文/小林香織 撮影/Mutsune
『「自分らしく働く」世界の女性たち』の過去記事一覧はこちら
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