出産したらおしまい…日本人アスリートの常識を鮮やかに覆したママハードラーが見せた「母の背中」【女子100mハードル・寺田明日香】
出産後も働き続ける女性は増えたけれど、育休後のキャリアには何となく不安がつきまとうもの。「育休期間をどう過ごすべき?」「復職後もやりたい仕事を続けるにはどうしたら…?」 本特集ではそんな疑問に答えていきます。
いつか子どもは欲しいけど、育休でブランクをつくるのはこわい。出産後もやりがいのある仕事はしたいけど、自分にできるのか……。
そんな不安を抱えている人に知ってほしいのが、子育てと両立しながら東京五輪を目指す、女子100mハードル・寺田明日香選手の生き方だ。

寺田明日香さん
1990年1月14日生まれ。高校1年から本格的にハードルを始め、インターハイで女子100mハードル3連覇。社会人1年目には、日本陸上競技選手権女子100mハードルで優勝、以降3連覇。2009年には世界陸上ベルリン大会に出場、アジア選手権では銀メダルを獲得。10年にはアジア大会で5位入賞。相次ぐケガや摂食障害・生理不順等で13年に現役を引退し、結婚・出産を経て16年夏に7人制ラグビーに競技転向。17年1月からは日本代表練習生として活動。18年12月にラグビー選手を引退し、再び陸上競技の世界へ。19年6月に行われた日本選手権では女子100mハードルで3位。 同年8月には19年ぶりに日本記録と並ぶ13秒00をマークし、9月には12秒97の日本新記録を樹立。10月に世界陸上ドーハ大会に出場した。20年開催の東京オリンピック出場・決勝進出を目指す
■オフィシャルサイト ■Twitter:@terasu114
高校時代は史上二人目のインターハイ3連覇、卒業後は日本選手権でも3連覇を達成。
2009年には日本代表として世界陸上ベルリン大会に出場し、同年世界ジュニアランク1位を記録した。疑いようのない、トップアスリートだった。
その後は記録が伸び悩み、23歳で引退を決断。翌年結婚し、長女を授かった。
「子どもを産んだら、女性アスリートの人生はおしまい」
日本のスポーツ界では、それが“普通”とされてきた。しかし、寺田さんは第二の現役人生で、その常識を鮮やかに覆す。
出産から3年後、7人制ラグビーに転向する形でスポーツの世界に現役復帰し、2018年11月からは再び陸上選手に。
昨年9月に流れた「100mハードルで日本記録12秒97を叩き出したママアスリート」のニュースは、私たちに驚きと勇気を与えてくれた。

2019年9月、自己ベスト、日本記録を更新
そう、寺田選手は出産や競技転向を経て約6年ぶりに陸上の世界に戻った今、“最初の現役時代よりも速く”なっているのだ。
「なんで出産したのに速く走れるかって? 科学的な根拠は私にも分かりません」
そう言って朗らかに笑う寺田さんに、進化を続けられる原動力を聞いた。
子どもと歩くママアスリートの姿
「なんで日本にはいないんだろう」
「東京オリンピックを家族みんなで見たかったんです。自分が競技に復帰するなんて、全く考えていませんでした」
妊娠した当時を、寺田さんは頬笑みながら振り返る。
23歳で陸上選手を一度引退した後は、大学の通信課程で児童福祉を学びながら、一般企業で会社員として働いた。子育てをしながら、興味の赴くままに自分の世界を広げていった。

「物心ついた頃からずっと陸上ばかりの人生だったから、『スタバで働いてみたいな』とか、引退後はやりたいことをあれこれ考えていました」
そんな寺田さんに、リオデジャネイロオリンピック閉会から間もないある日、7人制ラグビーへの転向の誘いが掛かる。
もし復帰すれば、3年というブランクがある中で、未経験の競技に挑戦することになる。しかも娘はまだ2歳。断る理由はいくらでもあった。
しかし、寺田さんが選んだのは、ラグビー選手として復帰する道だった。

「アスリートとして活動することで、“背中で語れる母親”になりたいと思ったんです。将来娘が壁にぶつかったときに、母親の私が努力していた記憶が何となくでもあれば、私の『頑張ってね』という言葉にも重みが増すんじゃないかと」
家事は夫婦で分担。周囲の協力も取り付けて、寺田さんはラグビーのトレーニングに臨んだ。
体重は47kgから60kgまで、とにかく食べて増やした。タックルの衝撃で体はズキズキと痛んだ。陸上では必要なかった競技中のコミュニケーションは、試行錯誤の連続だった。
たくさんの「初めて」に戸惑いながらも、コートで戦い続けた寺田さんに、娘の果緒ちゃんはいつも声援を送ってくれた。

日本では、寺田さんのように出産後も現役で活動するアスリートの姿は、陸上に限らず、滅多に見られない。
しかし、「特に欧米では女性アスリートのための妊娠中・出産後のトレーニングプログラムが普及している」と寺田さんは言う。
「海外の選手は競技に戻ることを前提として出産する人がほとんどです。でも、日本ではまだそうしたトレーニングは広まっていませんし、『妊婦が運動するなんてもっての他』という意見も根強くあります。産休育休中の過ごし方も、国内では確立されていません」
周囲にロールモデルがいない中、現役復帰の選択ができたのは、「若いうちから海外を見てきたことが大きい」と、寺田さんは話す。
「19歳でアジア選手権に出場した時に、子どもと手をつないで歩く海外の女性アスリートの姿を何人も見てきました。
『ママでもアスリートでいいんだ』っていう驚きとともに、『日本ではどうしてそれができないんだろう?』と思いました。
残念ながら、それから10年以上たった今も、国内の女性アスリートをめぐる状況は変わっていません」
スポーツの世界においても、ジェンダー後進国の日本。
「子どもを産んでも競技を続けたい」という、考えてみれば当たり前のアスリートたちの思いが、尊重されてこなかった代償は大きい。
「今の私にとって0.13秒は大した壁ではない」
7人制ラグビーでの東京五輪出場は、ケガで断念した。
しかし、ラグビーのトレーニングによって「足が速くなっている気がした」ことが、100mハードルに再びチャレンジする決め手となった。
陸上復帰から約1年が経った2019年9月、「12秒97」という衝撃のタイムで日本記録を更新。世界陸上にも出場した寺田さんは、ラグビーの世界で積んだ経験が自身のメンタルに良い影響を及ぼしたと語る。

「短距離の選手は、何年もかけて0.1秒を削ります。0.1秒の重みを知っているからこそ、自分のタイムと目標のタイムを比べて、『もう無理だ』と決め付けてしまうんです。
私も、一度陸上選手を引退した時はそうでした。でも、一度別の競技を経験したことによって、タイムに対する壁のような意識が薄くなっていました」
寺田さんが今年の東京オリンピックの参加資格を得る条件の一つに、あと0.13秒タイムを縮める必要のある、オリンピック参加標準記録がある。

「陸上をやっている人なら、『今から0.13秒も縮めるなんて無理!』と思うところなんですが、今の私にとってはそこまで高い壁ではないんですよね。
『0.13秒なんて、ストップウォッチでピッてやったら一瞬じゃん!』みたいな感じで(笑)。一度外の世界を見たことで、そういうメンタルブレイクができたことがすごく良かったです」
とはいえ、前回陸上の世界を離れた時は、怪我によるスランプの真っただ中。引退、出産、競技転向という決断を前に、不安を感じないわけではなかった。
「昔は『私には陸上しかないのに、やめてどうなるんだろう』ってずっと悩んでいました。でも、実際に外に出てみると、居場所もあったし、なんとかなりました。
自分の世界が広がるにつれて、『陸上競技は人生の中の一部だったんだ』という考え方に変わりました」

2013年の引退後、さまざまな経験を重ね、再び陸上に向き合うことができた寺田さん。
30歳のママが、19歳の時よりも速く走れるようになった理由は、寺田さんの世界の見え方の変化にありそうだ。
子育てとキャリア。優先順位は人それぞれでいい
今の寺田さんにもっとも厳しい言葉を浴びせる存在。それは――。
「娘です(笑)。試合に負けると、『ママは足が遅いんだよ!』なんて言うんですよ。30年間生きてきて、『足が遅い』と言われたことはなかったので、ストレートな言葉をくれるありがたい存在です」

表彰台で、お祝いのキス
だが、子育てをしながら競技を続けることに、批判的な言葉を浴びせられたこともある。
それは、ラグビーの合宿で一カ月間ほぼ家を離れていることをSNSに投稿した時のことだった。
「子どもにとって一番大事なのは母親として関わる時間・愛情なのに、そこまでして競技をしなければならない理由が私には分からない」というコメントがSNSに書き込まれた。
その時は、寺田さん夫婦だけでなく、周囲の母親たちも激怒した。
「ずっと一緒にいることはできないけれど、その分、一緒にいる時間を大切に過ごすようにしています」
メリハリのある子育てを今でこそ実現しているが、「かつては子どもを人に預けることに抵抗を感じていた時期もあった」と、寺田さんは当時の思いを吐露する。

「大半のお母さんが一度は、『子どものことは母親が全部やらなきゃ』と思うんじゃないでしょうか。
私も、最初に娘を保育園に預けた時は、ポロポロと泣きました。でも、保育園の先生たちはプロですから、預けてみると親子ともに幸せを感じられるはず。精神的にも楽になりますし、娘の世界も広がります。
もし、子育てで誰かに頼ることに罪悪感を抱いているなら、まずはその意識を変えていくことが、出産後のキャリアをつくることにつながるのではないでしょうか」

「キャリアをしっかり固めてからじゃないと、産休・育休でブランクをつくってはいけない」と考える人も多いかもしれない。
でも、寺田さんのように、子育てをキャリアの初期に持ってくるやり方もある。
「出産のタイミングをいつにするかは人それぞれですが、アスリートに限らず、女性は『いまは妊娠したら職場に迷惑をかける』とか『キャリアがダメになるかも……』と思いとどまってしまうことがあるかもしれません。
でも、競技や仕事のために大事なライフイベントをあきらめてしまうのは悲しい。両方手にするやり方が、きっとあると思います」

子育て中も自己実現を続けられる秘訣は、「周りにちょっとずつアタックをかけていくこと」と、寺田さん。
「私は思っていることをすぐ言葉に出しちゃうタイプなんです(笑)。でも、それがいいのかもしれない。
やりたいことを常にぶつぶつ言っているものだから、実際に『じゃあこれをやります!』って決めたときに、『あぁ、前から言ってたあれね』って周囲の人が理解してくれるし、助けてくれるんです」
結婚や出産は、自己実現と引き換えに得られる幸せ……。産休・育休なんてとったら、キャリアはおしまい……。
そんな雰囲気が漂う中、寺田さんは日本一のスピードで100mハードルを駆け抜けるママアスリートになった。

子どもを産んでも、やりたいことを我慢する必要はない。むしろ家族がいるから大きなことにもチャレンジできる。
寺田さんの堂々とした「母親の背中」は、そんなメッセージを語りかけてくれる。
取材・文/一本麻衣 企画・編集・インタビュー撮影/栗原千明(編集部)
『特集:「私らしい育休」って何だろう?』の過去記事一覧はこちら
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