20 AUG/2015

「だから女はダメなんだ!」建設現場で怒鳴られた30代は“青春時代”だった

20代後半の女性たちがよく口にする、「30歳になっちゃう」という言葉。なぜ私たちはこんなにも30代になるのが怖いのだろう?
これからの人生について、一人であれこれ悪い想像をしてしまうから? それなら、少し先の未来を歩く先輩たちが、何に悩み、何に喜びながら30代を過ごしてきたのかを知れば少しは不安がなくなるかも。すでに30代を乗り越えた“40’sウーマン”たちが語る等身大の言葉に耳を傾けてみよう。

アパレル販売歴26年の女性が選んだ「世間にとらわれない」人生――後悔のない生き方の裏にある“プロとしての自信”

中日本建設コンサルタント株式会社 東京支社 東京事務所 技術部第2課 主査 牧野阿礼さん(42歳) 東京都立大学(現・首都大学東京)大学院土木研究科修了。2001年、水処理施設の建設会社に就職。設計だけでなく、現場に出て施工管理の仕事にも従事。09年、中日本建設コンサルタントに転職。官公庁が発注する上下水道工事の調査・計画・設計を手掛ける

「現場を見なければ設計なんてできない」と、現場監督を志願

私の30代前半は、建設現場で過ごす日々でした。大学と大学院で土木工学を学び、水処理施設を専門に手掛ける建設会社に就職して、念願の工事現場に職員として配属されたからです。職人さんたちと打ち合わせをしながら、設計図面や作業計画の通りに作業が行われているかをチェックする施工管理が私の仕事。職人さんには「監督」と呼ばれる立場です。

入社当時は設計課の配属で、内勤で書類や図面を作成する仕事を与えられたのですが、「どうしても現場に出たい」と設計課と工事課の課長に直訴。当時の建設業界では「女性を現場に出すなんてとんでもない」という考えが根強く、特に工事課の課長は大反対で、「危険だから絶対にダメだ」と要望を却下され続けました。でも諦めずに1年以上言い続けたら、相手も根負けしたんでしょうね。私を工事課預かりにして、現場に出してくれることになりました。

なぜ私がそこまで現場にこだわったかというと、「実際にものを造る過程を知らないのに、設計はできない」と考えたから。当初から設計の仕事を希望してはいましたが、まずは現場に出て、そこで行われていることを自分の目や耳で見聞きし、体を動かして作業に携わらなければ分からないことがたくさんあるはずだと思ったのです。

もともと私は「頭で情報や知識を得るだけでなく、物事を体感したい」という欲求が強いんです。土木工学に興味を持ったのも、大学時代に阪神淡路大震災の被災地で復興支援のボランティアをしたことがきっかけでした。この時も、現場で何が起こっているのか自分の目で確かめたいと思い、1年間休学して被災地に入ったのです。

私が行った兵庫県西宮市は地震の揺れが大きく、多くの家屋が全半壊しました。市内から運び出された廃材は指定の置き場所に運ばれるのですが、その量たるやすさまじく、私が見たときには5階建てビルくらいの高い山が延々と連なっていたほど。それを見て私は衝撃を受けました。当時、大学で化学を専攻していたのですが、この状況は自分が学んでいる学問では到底対処しきれない。そう思ったことがきっかけで、公共の街づくりやインフラ整備について学びたいという思いが芽生え、復学後に工学部へ転部して土木工学を学びました。それが私のキャリアの原点になっています。

職人に怒鳴られながら、同時にたくさん助けてもらった

「だから女はダメなんだ!」建設現場で怒鳴られた30代は“青春時代”だった

休学や転部を経て大学院まで進んだので、新卒で就職した時はすでに28歳。現場に出たころには、30歳になっていました。でも、私のキャリアが本当にスタートしたのはここからです。最初の現場はトイレも男女兼用で、女性用の更衣室もない環境でしたが、私は現場に出られたうれしさでいっぱい。その程度の不便さは何とも思いませんでした。

何より、職人さんたちと直接話せることが楽しくて仕方なかった。彼らは図面に書かれていないことまで読み取って、「この通りに造るなら、こんな作業が必要になるよ」「この方法にしたらもっといい工事ができるよ」と教えてくれるんです。図面を引いた設計の人間よりも、職人さんの方がずっとものづくりに必要なことを知っている。彼らはたくさんの現場を出入りしているので、「別の現場でこれと同じことをしたらマズいことになったよ」といったことも教えてくれました。会社の机に向かって図面を引いているだけでは分からないことを、本当にたくさん彼らから学びました。

もちろん、すべてが順調だったわけではありません。失敗もたくさんしたし、職人さんと険悪な雰囲気になることもありました。私の調整不足で工事がうまく進まず、「だから女の監督はダメなんだよ!」と大声で怒鳴られたこともあります。でも私も意地っ張りなので(笑)、「何を言われても絶対に辞めないぞ」と思っていましたね。

それに結局のところ、私は職人さんに助けられてばかりでした。現場監督はあくまで監督者であり、自分ではコンクリートを打つことさえできない。実際に手を動かしてものをつくるのは職人さんであり、私の経験不足を彼らが補ってくれていたのです。そのことが本当に身に染みましたし、職人さんたちには感謝の気持ちしかありません。40代になった今も、この時に学んだストックがあるからやっていけるようなもの。あの時期に蓄えた知識や経験は、私にとって莫大な資産だと思っています。

こうして約3年にわたり、群馬県と茨城県で2つの現場を担当した後、設計部へ戻りました。以前のように書類を作成するだけでなく、水処理施設の試運転に携わったり、完成した後の改修工事や維持管理業務などを担当させてもらったりと、仕事の幅も広がりました。そして36歳で今の会社に転職。現在は建設コンサルタントとして、官公庁が発注する上下水道工事を担当し、調査・計画・設計などの業務を任されています。

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