28歳で未婚の母に――40代シングルマザーが「この生き方に後悔はない」と言い切る理由

20代後半の女性たちがよく口にする、「30歳になっちゃう」という言葉。なぜ私たちはこんなにも30代になるのが怖いのだろう?
これからの人生について、一人であれこれ悪い想像をしてしまうから? それなら、少し先の未来を歩く先輩たちが、何に悩み、何に喜びながら30代を過ごしてきたのかを知れば少しは不安がなくなるかも。すでに30代を乗り越えた“40’sウーマン”たちが語る等身大の言葉に耳を傾けてみよう。

AIGジャパン・ホールディングス株式会社
ヘッド・オブ・コーポレート・コミュニケーション
大津愛さん(46歳)
10代のころに両親の仕事の関係で海外生活を経験。大学卒業後、IT関連企業勤務を経てフリーの通訳に。2008年、AIGスター生命(現・ジブラルタ生命)の社長にスカウトされて同社に入社。社長室長を経て、同グループのアリコジャパン(現・メットライフ生命)AVP広報部長、AIU保険会社のCCO(チーフ・コミュニケーション・オフィサー)などを歴任。12年よりAIGジャパン・ホールディングスの広報渉外本部AVP(アシスタント・バイスプレジデント)を兼務し、13年よりAIGジャパンの専任に。同年10月より現職
28歳で“未婚の母”になることを決断
通訳の仕事と育児の両立に奮闘した30代
30代に入る少し前、私は大きな決断をしました。結婚する予定だった相手と妊娠中に別れて、28歳でシングルマザーになったのです。いろいろな理由はあるものの、一番大きかったのは価値観の違い。それは「このまま結婚したら私のアイデンティティーが失われてしまう」と思うほど大きなものでした。それで別れを決断し、一人で息子を出産したのです。
とはいえ、「これからどうやって食べていくのか」という不安は大きかった。私は20代半ばから東京でフリーの通訳をしていたのですが、結婚するつもりで彼の実家がある関西に引っ越してしまったのです。そんな私が別れを決意できたのは、両親からの後押し。特に母親は「今うまくいかないなら結婚生活は一生うまくいかない。早く東京に帰ってきなさい」と言ってくれて。未婚の母が貧困に陥らないためには、「一人でもやっていけるだけの確固たるキャリア」か「家族のサポート」のどちらかが不可欠です。当時の私がシングルマザーの道を選択したのは、後者の理由の方が大きかったと思います。
そうして東京に戻って両親の支援のもと息子と暮らし始めたのですが、いったん辞めた仕事に復帰することはなかなかできなかった。貯金がどんどん減っていくのを見ながら、不安を募らせる時期が続きました。でも息子が5カ月になったころ、幸運にも知人から「通訳を必要としている企業内プロジェクトがあるから、参加しないか」と声を掛けて頂いたのです。それがチャンスとなって仕事復帰を果たし、その後もさまざまな企業内プロジェクトに参加することになりました。
もちろん、育児との両立は決して楽ではありません。両親の支えはありましたが、父も母もまだ現役で仕事をしていたので、日中ずっと子どもを預かってもらえるほど甘えられるわけではなかった。子どもが熱を出すと、「面倒を見てくれるベビーシッターさんはいませんか!」と必死であちこちに電話を掛けまくりました。それに当時は延長保育がなかったので、毎日18時までに迎えに行かなくてはいけない。短時間でいかに効率と生産性を高めるか、相当な努力が求められました。
そんな中で、一つだけ心掛けていたことがあります。それは、できるだけ周囲に恩を売ること。普段から皆がやりたがらない仕事を進んで引き受けるようにしていました。すると何かあった時に周囲が助けてくれるし、職場の理解も得やすい。助けてもらうことを先に考えてはダメですよ。自分が周囲に貢献するのが先。その分は自分が困った時に必ず返ってきます。
突然掛かってきた一本の電話が
ビジネスの世界に進出するチャンスに

こうして時間的にも体力的にも大変だった保育園時代が過ぎ、息子が小学校に上がると、子育てはだいぶ楽になりました。3年生になると、息子に自立心が芽生えてお手伝いもしてくれるようになり、さらに楽に。子どもが少しずつ手を離れていくにつれ、私の方は仕事をどんどん充実させていくことができました。
最大の転機が訪れたのは、30代半ばを過ぎたころ。ある日突然、AIGスター生命(現・ジブラルタ生命)の社長から、電話が掛かってきてこう言われたのです。「私のコミュニケーションを助けてくれないか」と。社長はスコットランド人で日本語が話せないので、私に社員たちとの関係をサポートしてほしいということでした。社長とは以前、ある会議で顔を合わせたことはありましたが、特に会話もしなかったので、電話をもらった時は「どちら様ですか?」という感じ(笑)。しかも次の通訳の仕事が決まっていたので、最初は断るつもりでした。
でも当時の職場の上司が、「素晴らしい転機は棚ぼたのようにやって来るもの。話だけでも聞いてみたら?」と勧めてくれたので、とりあえず社長に会ってみることに。すると「あなたが通訳として私を支える代わりに、私があなたにビジネスを教えます」と言われたのです。実はちょうどそのころ、いくつもの企業内プロジェクトに通訳として参加しており、「私もビジネスそのものに携わってみたい」と思い始めたところでした。そんな私にとって、これほど素晴らしい話はありません。「ぜひやらせてください」とお返事して、この保険会社に入社することを決めました。
社長は約束通り、プレゼンの資料作成から他部署との交渉や社内調整まで、幅広い仕事を私にどんどん任せ、ビジネスのいろはを教えてくれました。その後、私は社長室長という役職に就くチャンスを与えられ、収益改善や組織内活性化など数多くのプロジェクトを率いると同時に、広報チームのリーダーも兼務することに。以降はAIGグループ内の組織を異動しながら主に広報部門でキャリアを積み、40代になった現在はAIGジャパンの広報トップを任されています。私は「人生は“運と縁”だ」と思っていますが、あの時社長に会いに行ったことが、まさにそれを象徴する出来事だったのだと実感します。
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