上手くいかないときこそ、「焦らず、慌てず、諦めず」 がん経験から起業家に転身した女性が目指す世界
自分ができることで社会に貢献したい。誰かの役に立つ仕事がしたい。そんな気持ちはあるものの、目の前のやるべきことに押し流され、本来自分が大切にしたかった思いを見失いかけているーー。
そんな女性たちに、自身ががんを患った体験をもとに看護師から起業家に転身した、株式会社猫舌堂の柴田敦巨さんの働き方を紹介したい。

株式会社 猫舌堂 代表取締役 柴田 敦巨(しばた・あつこ)さん
24年間看護師として勤務。2014年、耳下腺がん(腺様のう胞がん)に罹患し、手術と化学放射線治療を経験。それらの経験から、食べることのバリアを実感。その一方、同じ境遇の仲間たちとの交流は生きる支えとなることを知る。それらの経験を生かし「生きることは食べること、食べることは生きること」を支えるため、猫舌堂を起業。がん経験によって気付くことができた価値で社会をUP DATEすることを目指す
がんや麻痺などによって食べることに苦痛を経験した人たちが、食べる喜びを取り戻すきっかけをつくりたい。
そんな思いから看護師やがん経験者のメンバーと共に起業した柴田さん。大胆なキャリアチェンジを後押しした、柴田さんの原動力について聞いた。
食べる楽しみを奪われた、悲しみ。寂しさ
病気や加齢により、食べものをスムーズに飲み込めない。がんの治療によって口を大きく開けられない。病気で舌を切除した……。うまく食べられないという人の悩みはさまざまだ。猫舌堂では、こうした「食のバリア」を持つ人にも使いやすいカトラリーを制作している。
猫舌堂の代表である開発者の柴田さんは、元看護師。起業のきっかけは、がんを患い自身が食べる事へのバリアを体験したことだったという。

2014年に、耳下腺がん(腺様のう胞がん)を患い、3度の手術を経験した柴田さん。治療で顔面の神経の一部を取り除いたため、顔の左半分が動きづらくなってしまった。
看護師として働きながら育児に奮闘していた「当たり前の日常」から一転。食事をするのもままならない日々が始まった。
「口の左半分が開けづらく、かみにくいため、食べこぼしをしてしまうんです。麺がすすれない。味覚障害があり食べ物の味も分からない。みそ汁がまずく感じる……。ハンバーガーなど大きな口を開ける必要がある食べ物は、もう一生食べられないんじゃないか……。そんなふうに思いましたね」
がんになる前は、忙しい日々の合間を縫って気の合う仲間とご飯に行くことが、何より楽しみだったという柴田さん。
職場の休憩時間には、同僚とグルメ雑誌を広げて食事に行く計画をし、おいしいご飯を囲みながら仕事の悩みを打ち明けたり、たわいもない話をして笑ったりするひと時が、人生の楽しみの一つだった。
「食事を通じて、人との対話を楽しんでいたんですよね。元気の源でした。でもがんになってからは、人と食事をすることを避けるように。人生の楽しみがなくなってしまった悲しみは大きかったです」
がんになったことを人に知られたくない。仕事中は、眼鏡とマスクで顔を隠すように働いた。
「悩みやジレンマを、包み隠さず打ち明けられる人がいませんでした。寂しかったですね。もちろん、家族に支えられ職場の人も本当によくしてくれました。でも、どこか腫れ物に触るような、気を使って接してくれているのが伝わってきて。心配を掛けたくない。元気な姿を見せたい。そんな優しさと強がりが混ざった気持ちが常にあり、もどかしかったです」
夢を手繰り寄せた、言葉の力
本来の自分を隠すように過ごす日々。そんな時、ブログを通じて同じがんを経験する仲間と出会った。当事者だからこそ分かる悩みや葛藤。
日々感じる食べることへのバリアを共有し、仲間同士で励ましあったり笑いあったりした。すると次第に、ありのままの自分を打ち明けられるようになっていったという。
「悩んでいるのは自分だけじゃない。一人じゃない。そう実感できたことは、希望でした。みるみる元気になって。人生に前向きな気持ちが戻ってきたようでした」

気持ちが前向きになると、次第に自分と同じように困っている人の力になりたいという気持ちが強くなった柴田さん。
がんの経験や悩みを気軽に相談できる場や、食べることにバリアを感じる人が食べやすいカトラリーをつくりたい。そんな夢を、友人や職場の同僚にも話すようになっていったという。
「夢は、言葉にすれば実現する。そう思って、がんを経験したからこそわかる、『もっとこんな社会になったらいいな』『これが必要だと思うんだよね』というアイデアを周囲に発信していきました。そうしたらあるとき、職場の後輩から『起業チャレンジ制度に応募してみたらどうですか?』と提案してくれて。猫舌堂の立ち上げは、そこから始まったんです」

一念発起をして、起業家に転身したわけじゃないんです。だから不安もなかったですね。そう笑って話す柴田さん。
看護師から起業家へ──。大胆なキャリアチェンジを軽やかにやってのけた裏側には、自分のやりたいことを周りに伝えていたら、さまざまな縁に引き寄せられ、いつの間にか起業の道を歩んでいた、という背景があった。
忙しいときこそ、「焦らず、慌てず、諦めず」
とはいえ、医療とは畑違いのビジネスの世界。理想を掲げるも、まずビジネスの専門用語についていけず、概念を理解するのに数カ月かかることもあったという。
またビジネスとして成り立たせていく以上、数字や納期とも向き合わなければならない厳しい現実とも向き合った。
「なかなか思う通りにいかないときは『焦らず、慌てず、諦めず』と、唱えて乗り切っています。これはがん治療でも大切にされている考え方なんですよ。焦って、大事なものを見落としてしまっては、元も子もありません」
目の前の仕事に追われて忙しいときこそ、大切にしたい価値観に立ち返る。
「そもそも、なぜこの事業を始めようとしのか?」「誰に、どんなカトラリーを届けたいのか?」「私たちがつくりたい社会はなにか?」時間はかかるかもしれない、すぐには結果は出ないかもしれない。
それでも着実に物事を進めることを大切にしたいと柴田さんは話す。
日本人の食事に欠かせない「お箸」づくりへの挑戦

2021年4月には、摂食嚥下障害などを持つ人にとって、口当たりに違和感がないようにこだわって開発した『iisazy お箸』を発売する。次々と新しい挑戦に踏み切る柴田さんのエネルギーはどこから来るのか。
「食べることへ悩みを抱える仲間やユーザーから『これまでにいろんなカトラリーやお箸を試してきたけど、どこか使いにくい。なかなかいいお箸に巡り会えなくて……』と不満の声を受け、周囲が喜んでくれるお箸を作りたいと思ったのがきっかけです」
いつだって、誰かのために、という思いが原動力になってくれますね。そう話す柴田さん自身も、当事者としてお箸選びは悩みの種だったという。
「割り箸は小さなとげが刺さって安全性に欠けるし、プラスチックのお箸だと味気ない。外食するときも持ち運びがしやすく、お店で使っていても周りと浮かないお箸があったらいいな、と思っていました」
猫舌堂の思いを受け、実際に形にしたのは、熊本県で半世紀以上続く老舗お箸メーカー・ヤマチク。これまで老若男女に向けて、年間500万膳のお箸を届けてきた、竹のお箸のシェアで日本一を誇る企業だ。
あらゆる世代の食事シーンに寄り添ってきたヤマチクが、猫舌堂の思いを受け、みんなにやさしいお箸を制作した。
「ヤマチクさんが作ってくださったお箸は、口触りが良く、手になじむ。外食先でも違和感のないデザインで、持ち運びにも最適なお箸でした。いいお箸に巡り会えない……。そうぼやいていた仲間たちに使ってもらうと、使いやすいと大絶賛で。笑顔が見られ、うれしかったですね」
人の人生を好転させる、カトラリーを届けたい

「たかがカトラリー。されど、カトラリー。本当にそう思うんです。スプーンやお箸を変えるってほんの小さな変化かもしれない。でも食事を楽しめるようになったことをきっかけに、毎日の暮らしが楽しくなったり、社会とのつながりを持てたり、家族とのだんらんが戻ったり。その人らしい人生を歩む姿が見られたらうれしいですよね。諦めなくていいんだよって、伝えたいです」
人の人生を好転させるカトラリーを届けたい。思いを掲げる柴田さんから、どんな状況でも「焦らず、慌てず、諦めず」一歩ずつ進んでいけばいいと背中を押してもらった。
取材・文/貝津美里 画像提供/株式会社猫舌堂