元テレ朝アナウンサー・大木優紀が40歳でベンチャーに転職「“18年間の社会人経験を持った新卒”として、二つ目の人生を楽しみたい」

人生100年時代はチャレンジの連続!
『教えて、先輩。』

人生100年時代。年齢や常識に縛られず、チャレンジを続ける先輩女性たちの姿から、自分らしく働き続ける秘訣を学ぼう

2022年1月、元テレビ朝日アナウンサーの大木優紀さんの転職が話題になった。転職先は、海外旅行予約アプリ『NEWT(ニュート)』を運営するベンチャー企業、令和トラベル。創業2年目、社員数28人の会社だ。

大木優紀さん

業種も職種もカルチャーも、前職とは何もかも異なる環境。しかも、40歳という年齢での初めての転職。周囲が驚きを隠さなかった一方で、意外にも本人は「不安はなかった」という。

アナウンサーとしての18年半のキャリアを終え、「二つ目の人生」を歩み出した大木さんに、転職の決断を振り返ってもらった。

“無知”だったから、迷わなかった。転職後に知った世間とのギャップ

「18年半も務めたテレビ局を辞めるなんて、一体何があったの?」と、これまでたくさんの人に聞かれました。実は私自身も、アナウンサーを辞めてベンチャー企業の広報になる日が来るなんて、思ってもいなかったんです。

アナウンサーの仕事の魅力は、ジャンルや担当番組によって全く違う世界を見られること。飽きずに続けられる仕事だったので、今までに「転職したい」と思ったことは一度もありませんでした。

ただその一方で、「アナウンサーのスキルには偏りがあるのでは?」と感じていたのも事実です。もし機会があったら他の仕事も経験してみたいという気持ちも、どこかに抱えていました。

大木優紀さん

そんな私に人生の転機をもたらしたのは、ある一つのnoteです。

令和トラベルを創業した篠塚孝哉のnote。そこには、「コロナ禍で旅行業界に大きなリセットがかかった今だからこそ、海外旅行のビジネスでチャレンジがしたい」という熱い思いがつづられていて。

海外旅行の計画にかかる手間を省きながらも、旅のワクワクを提供するサービス、そして苦境に置かれている旅行業界であえてチャレンジしようとする姿勢に惹かれて、読み終わる頃には「ここで働きたい!」という強い思いが自分の中に芽生えているのを感じました。

周囲からは「本当に大丈夫なの?」と散々言われましたが、私にとっては運命に導かれるような自然な選択だったので、決断に迷いはなかったんです。

ただ、この転職を周囲に打ち明けた時の反応には、少し驚きました。

「大手からベンチャーに行くの?」「40歳で未経験の仕事を始めるの?」というようなことを言われて、「私の選択は世間ではこういう見られ方をするんだな」と初めて知りましたね。

大木優紀さん

私は転職活動をしたことがなかったので、そういう“常識”を知らなかったんです。この年齢で新しい世界に飛び込めたのは、転職に関する先入観がなかったからだと思います。

また、私には2人の子どもがいるのですが、私が転職したのは下の子が「小一の壁」を迎えるタイミング。母親としての自分にとっては転職する時期として最適ではなかったかもしれません。

それでも、決断が鈍ることはありませんでした

なぜなら私は、「母や妻としての人生」と「自分の人生」を、別々の車輪で動かしたいと思っていたから。子どもを産んだ直後から、どちらの人生も諦めない“パラレルライフ”を送ろうと決めていたんです。

「Slackって何…?」初めてのテックカンパニーは苦労の連続

現在は令和トラベルの広報として、プレスリリースを作成したり、メディア向けに企画を考えたりする仕事をしています。

正直に言って、仕事に慣れるまではものすごく苦労しました。私は旅行業界のことも、テックカンパニーのこともよく知らない状態だったんです。

大木優紀さん

最初は社内の会議で使われている言葉の意味が分からず、『Slack』や『Notion』のようなツールを使ったのも初めて。みんなにとって3分で済む作業が、私にとっては1時間かかってしまう……。見かねたインターン生が、やり方を教えてくれたこともありました。

今では笑い話ですけど、最初はかなり焦ったんですよ。この年齢で新しく挑戦したことなので、成長の角度を急角度にしないと周りのレベルに追いつけない。

では、私が最初のカオスの時期をどう乗り越えたのか。その秘訣が一つあるとするならば、周囲に「分かりません、教えてください!」と助けを求め続けたことだと思います。

もし、この転職が前職のスキルや経験を生かしたものだったら、プライドが邪魔をしていたかもしれません。でも私は前職のキャリアとは全く関係のない転職をしたので、ためらうことなく助けを求められたのだと思います。

こういう話をすると、毎日ただただつらかったんだろうなと思われてしまうかもしれませんが、そんなことはないですよ。知らなかったことを知れるのは、本来とても楽しいことです。それを実感できる機会は、これまでに数え切れないくらいありました。

例えば、SNSマーケティングについて社内のメンバーから教わった時は、SNSの仕組みがどうなっていて、それが今の社会でどんな役割を果たしているのかを初めて理解することができました。

大木優紀さん

仕事を通じて社会全体の仕組みを学べると、私自身の好奇心が仕事によって満たされているのを感じますね。

こうして知識を身に付けていくうちに濃い霧がようやく晴れて、自分のやるべきことや努力の方向性が見えてきました。

新卒のような刺激的な日々。でも、本当に新卒に戻るわけではない。

令和トラベルに転職してからの日々は、まさに「二つ目の人生」。それをスタートできて本当によかったと感じています。

今はワクワクとやる気に満ちていて、新卒の頃に戻れたような感覚なんです。この年齢で新卒の気持ちを味わえるなんて、本当に幸せなこと。

ただ当たり前ですが、私は本当に新卒に戻ったわけではありません。全く違う世界への転職とはいえ、これまでに18年半積み重ねてきた、社会人としてのベーススキルがあります。

分からないことがあっても、誰にどんな風に聞くのがベストかを経験的に理解している。だからこそ、新卒の頃とは比べ物にならない速さでキャッチアップができているのだと思います。

大木優紀さん

そしてこの考え方は、20代の若い方にも当てはまると思います。

たとえまだ数年しかキャリアがなかったとしても、その期間で培ったベーススキルは、新しい仕事にも何らかの形で生きてくるはずです。

私の場合、確かに今の職場では、アナウンサーの専門的なスキルが生かされる機会は限られています。でも、社会人としての基本的な力はちゃんと通用する。

だから、今までのキャリアとは一見関係のない道を歩みたい気持ちがあるのなら、自分のベーススキルに自信を持って、ぜひ「二つ目の人生」にチャレンジしてみてほしいなと思います。

人生は長距離走。「楽しい」と思える範囲で努力を続けて

私は仕事が楽しいと、つい「もっとやりたい!」と思って頑張りすぎてしまうタイプなんです。でも最近は「どんなに仕事が楽しくても無理はしない方がいい」と考えるようになりました。

今の私は子育てや家事の時間が必要ですし、体力的にも長時間は働けません。だから仕事には自然と一定のセーブがかかっていますが、もし20代でプライベートの制約がなかったとしても、無理はしない方がいいと思うんです。

大木優紀さん

かつて私が新人アナウンサーだった頃、業界では「女子アナ30歳定年説」が公然とささやかれていました。

当時、私も知らないうちに影響を受けて「30歳までが勝負!」と必死に走ってきたのですが、もし当時の私に声をかけられるなら「そのペースでずっと走り続けるのは無理だよ」と言いたいですね。

人生は長距離走です。30歳を超えても、人生はまだまだ続きます。

自分自身が「楽しい」と思える範囲の中で、自分のペースを守りながら仕事をしていくことが、長く幸せに働き続けるためには大切だと思います。

少し話は変わりますが、転職をしたことで、私自身、アナウンサー時代の考え方を変えていく必要性も感じるようになりました。というのも、令和トラベルには「多様性を受け入れ、尊重し合う組織にする」というプロミスがあり、私はそのD&Iの推進も担当しています。

アナウンサーは高い専門性が求められる一方で、若さやルックスなどの外見的な要素が偏重される側面もありました。例えば、“女子アナ”というワードには、そのようなルッキズムが色濃く刻まれていたと思います。

大木優紀さん

最近のテレビ局はかなり変わりましたが、私がアナウンサーとして過ごした18年半を振り返ると、番組の添え物のような役割だったことも確かにあったな、と思います。でも当時の私は「それはそういうものなんだ」と割り切ってしまっていました。

あの頃と比べると、時代は大きく変わりました。

これからは私自身が新しい価値観を学びながら、令和トラベルをD&Iが浸透した組織にしていきたい。そんなことも考えています。

転職して半年がたった今改めて感じるのは、「働き方と生き方ってイコールだな」ということ。

当社には1カ月の労働量を4分の1まで減らせる制度があるのですが、これを使ってこの夏、子どもたちと一緒にニューヨークに行く計画を立てています。

こんなプライベートの過ごし方は初めて。働き方が自由になったことで、生き方も自由になったような気がします。

だからこそ、これからは仕事だけでなく、プライベートでやりたかったことにもどんどん挑戦したいですね。40代になって幸運にも訪れた「二つ目の人生」を、自由に、私らしく歩んでいけたらと思います。

大木優紀さん
大木優紀(おおき・ゆうき)さん
株式会社令和トラベル PRグループ GM
1980年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、2003年にテレビ朝日に入社。アナウンサーとして『GET SPORTS』『やじうまテレビ!』『くりぃむナントカ』などを担当。二度の産休・育休を経て、復帰後の18年からABEMA『けやきヒルズ』、翌19年から『スーパーJチャンネル』を担当。21年末に同社を退社し、令和トラベルに転職■Twitter/■note
取材・文/一本麻衣 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)編集/天野夏海・柴田捺美(編集部)