中卒で楽器もほぼ弾けない作詞作曲家はなぜオリコン1位120回超のヒットメーカーになれたのか【岡嶋かな多】

自分の「強み」なんて、どれくらいの人が胸を張って言えるだろうかーー。人に誇れる「強み」がある人なんて、もともと特別な才能・経歴を持った人だけだと思う人も多いはず。

でも、必ずしもそうとは限らないと証明してくれる人がいる。

BTSや嵐など、数々の人気アーティストに楽曲を提供する売れっ子作詞作曲家の岡嶋かな多さんだ。

岡嶋かな多

中学卒業後すぐに音楽の仕事を始めた岡嶋さん。高校にも進学していなければ、有名な音大で学んだ経験もなく、楽器もあまり弾けない。

作詞作曲の仕事を始めた当初は、業界内での人脈もゼロ。“ないものだらけ”の中で、キャリアをスタートさせている。

そんな彼女にあったのは、「音楽が好き」という気持ちだけ

その熱意を原動力に、さまざまな苦難も挫折も乗り越えて、今やオリコン1位獲得回数120回超えの売れっ子作詞・作曲家となった。

彼女をヒットメーカーへと導いたものは、一体何だったのだろうか。

自分が何を作りたいかより、何を作ったら相手が喜ぶかを考える

音楽の世界で生きていきたい。その思いだけで、中学卒業と同時に働き始めた岡嶋さん。

当初は、自らがシンガーとして表舞台に立つことを夢見ていた。

そんな彼女が初めて「裏方」として働く喜びを知ったのは21歳の時だった。

当時、「仮歌」「仮詞」(作曲家がつくった楽曲に対し、デモ用に歌を吹き込んだり詞をつけること)の仕事をしていた岡嶋さんのもとに、徐々にコンペ参加の依頼が舞い込むようになったのだ。

音楽活動やアルバイトの傍ら、寝る間を惜しんで歌詞を書く日々。

その努力が実を結び、コンペを勝ち抜き、ある人気アーティストの楽曲に作詞提供することが決まった。

岡嶋かな多

「当時はまだ渋谷のTSUTAYAでアルバイトをしていたんですけど、スクランブル交差点のあの大画面に私のデビュー作のMVがドーンッと流れたんです。

それを出勤する時に見て、身震いしました。感動で震えたのは人生初めての経験。あの時の感覚をもう一度味わいたい。

そんな思いから、アーティストに詞や曲を提供するためのコンペに参加する回数をどんどん増やしていきました」

作詞家や作曲家として活躍できる人はほんの一握りだが、デビューのチャンスを探している人は多い。

その中で、岡嶋さんにコンペ参加のチャンスが何度もめぐってくるようになったのは、過去に一緒に仕事をした人からの紹介があったからだという。

「自分で自分のことを売り込むのがどうも苦手で……。私は性格がチキンでして、ガツガツ営業したりができません。

ですが、ありがたいことに、過去にお仕事をご一緒した方たちが、『作詞できる子がいるよ』とアーティストやレコード会社の方に私を紹介してくださって、そこから新しいお仕事をいただく機会が増えていきました」

自分で営業するのではなく、他人が自分のことを営業してくれる。ビジネスチャンスを広げる上では、まさに理想的なパターンだ。

では、なぜ岡嶋さんと一緒に仕事をした人は周りに岡嶋かな多を推薦したくなってしまうのか。

そこには、「自分至上主義」ではなく「作品至上主義」という岡嶋さんらしい考え方があった。

岡嶋かな多

「仮歌も仮詞も、その曲をレコード会社の方に提案するためにつけるもの。だから、自分が目立とうという気持ちはなくて。

大事なのは、いかに曲が良く聴こえるか。たとえ最高に良いフレーズを思いついたとしても、そのフレーズとメロディーを合わせたときに曲が良く聴こえないのであれば、躊躇なく歌詞はゴミ箱行きにします」

自分がやるべきことは、「作曲家やアーティストの方に喜んでもらうこと」だと岡嶋さんはきっぱり言い切る。自分のエゴは持ち込まないのが、プロとして仕事に取り組む上でのポリシーだ。

ものをつくる人間は、どうしても自分が何を表現したいかを優先しがちかもしれない。けれど、仕事である以上、求められるのはクライアントの要望を汲み取る力。

自分のエゴではなく、相手の成功をゴールに設定したクライアントファースト精神が、岡嶋かな多を“推したい”仲間を増やしていったのだろう。

「知らないもの」に対して否定から入らない。まずは受け入れる

2017年、作詞作曲を務めた三浦大知の『EXCITE』がレコード大賞優秀作品賞を受賞。同じく作詞作曲を手掛けたBTSの『Crystal Snow』が世界17カ国で1位を獲得するなど、音楽業界にその名を知らしめた岡嶋さん。

トレンドの移り変わりが激しい世界で常に第一線を走り続けるその姿には、私たちの仕事にも役立つさまざまなビジネスマインドが隠されている。

岡嶋かな多

「今って人によって聴いている音楽のジャンルはさまざまで、YouTubeで1000万回再生されているような曲でも、『まったく知らない』人がいてもめずらしくない。

それだけ嗜好の多様化が広まっているからこそ、大事なのは未知のものに対して否定せず、向き合うこと。

好みじゃなかったり関心がなかったりするジャンルを『よく分からない』の一言で切り捨てるのは簡単。

でも、私はそこで『なるほど。どうしてこの曲はこんなに売れてるんだろう。どうしてこの曲はこんなに再生されてるんだろう』と考え、ヒットのエッセンスをくみ取るようにしています」

最近では、「SNSでバズる曲を作ってほしい」というオーダーが入ることもある。

こうした難しい課題に対しても、岡嶋さんは「まずは受け入れる」という。

「難しいと感じることを否定するのは簡単かもしれない。でも、バズるという現象自体も今の世の中の特長だと思うし、そこからまた新しいトレンドが生まれることもある。

決してトレンドを追うことがすべてだとは思わないですし、全部に乗っかろうと思っているわけでもありませんが、少なくとも自分がトライしたことのないものであれば、頭から拒絶するのではなく、まずやってみる

そして、それが面白ければまたやりますし、そうでないなら無理をしない、というのが今の私のスタンスです」

岡嶋かな多

自分の知らないことに対して、いかに新鮮な関心を持ち続けられるか。

その柔軟な吸収力と感受性が、オリコン1位獲得回数120回超という驚異的な記録を生んだのだ。

トレンドは分からない。試行錯誤することを、おもしろがる

「でもトレンドって、正直難しいですよね」

岡嶋さんは“ヒットメーカー”と呼ばれることを少しためらうように、声のトーンを変えて言った。

「トレンドってどんどん移り変わっていくものだから、何がベストなのかは誰にも分からない。私も何が答えか分からないまま、手探りでやっていますね」

そして、作詞家らしい感性で、自分の思いを言葉にしていく。

岡嶋かな多

「みんな、『今この瞬間』を生きるのは初めてなわけで。いま28歳の人なら、28歳を初体験しているわけですよね。それは、みんな同じです。だから、いま自分が何をすべきか正解が分からなくて当然だと思います。

ただ、その正解を探すことを私はあきらめたくない。若い世代に今届く音楽は何か、どうしたらトレンドを生み出せるのか……試行錯誤することをおもしろがりながら、続けていけたらいいなって思っています」

学歴も人脈も持たずに音楽業界に飛び込んだ岡嶋さんは、仕事を与えてくれる人たちの期待に応え続けることで、代替不能のポジションへ。

そして今も、未知なるものを否定しない伸びやかな感性で新しい価値観や流行を吸収し続けている。

これからも大好きな音楽の世界で仕事をし続けていくために、岡嶋さんが決めていることは一つだ。

岡嶋かな多

「その時々に経験できることをなるべく真正面から受け止めること。

例えば、歌詞にしても今の私にしか書けないものってあると思うんですね。それを見つけるために必要なのは、やっぱり1日1日を大切に過ごすことだと思います。

今、私は子育ての最中ですが、子どもを育てているときにしか味わえない感情や景色って絶対あると思うので、それを余すことなく焼きつけていく。

本当は全部冷凍保存できたらいいんですけどね(笑)。

でもそれはできないから、その分、目に映るものすべてをできる限り濃い形で心に焼きつけて人生を送る

結果的にそれが濃いクリエーティブにつながっていくのかなと思います」

今この場所にいるのは、たくさんの扉をノックし続けたから

岡嶋かな多、38歳。音楽業界に飛び込んで、23年が過ぎた。

決して最初から華々しい道が用意されていたわけではない。輝かしい才能にスポットライトが当てられていたわけでもない。

地道に、がむしゃらに、一つ一つのことに全力でぶつかっていったから今がある。

学歴もない、楽器も弾けない岡嶋さんがなぜヒットメーカーになれたのか。改めてその質問を投げ掛けると、岡嶋さんはこう答えた。

岡嶋かな多

「たくさんの扉をノックしてきたからだと思います。

最初からこの道があったわけではなくて、バンドもやっていたし、シンガーソングライターとしてひたすら路上ライブをやったこともあった。

作詞のコンペも、多い時は年間500曲くらい書いていました。でもその中で採用された曲は、ほんの数曲あるかどうか。

それでもあきらめずに扉をノックし続けたから、その中のいくつかの扉が観念して開いてくれたんだと思います。

何度ノックしても開かない扉はたくさんあったし、途中であきらめていたら、作詞作曲家の扉も開かなかったかもしれない。

でもいつか開くと信じて扉をノックし続けた日々が、今、この場所へと続いていたんです

ひと目を引くような「強み」はなくても、扉をノックすることなら誰でもできる。

たくさんの扉をノックした先に、自分らしい未来が待っているかもしれない。

<プロフィール>
作詞作曲家・音楽プロデューサー
岡嶋かな多(おかじま・かなた)

1984年生まれ。青森県出身。BTS、TWICE、NiziUを始め、通算500曲以上の作品の制作に参加、提供。オリコン1位の獲得は120回を超える。作詞作曲を務めた三浦大知『EXCITE』で日本レコード大賞優秀作品賞を受賞。また、作詞作曲したBABYMETAL『DA DA DANCE feat. Tak Matsumoto』を収録したアルバムが、アメリカビルボードロックアルバムセールスでアジアアーティストとして初めて1位を獲得。 ここ10年は世界を飛びまわり、スウェーデン、イギリス、アメリカを始め、海外トップクリエーターと国境を越え、楽曲を制作。 スウェーデンにある大手音楽事務所と契約し、活動拠点を一時ヨーロッパへ。現在は日本に帰国し、グローバルに活動を続ける ■Twitter ■Instagram

書籍紹介

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『夢の叶え方はひとつじゃない』(PHP研究所)
BTS、NiziUなど人気アーティストへ多数楽曲を提供し、中卒からオリコン1位120回超えの作詞作曲家になった岡嶋かな多氏が、中高生に「あなたらしく夢を叶える」ヒントを伝授する一冊

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取材・文/横川良明 撮影/小黒冴夏