全盲のアート鑑賞者と美術館をめぐるノンフィクション作家・川内有緒さんに学ぶ、偶然の出会いを楽しむ“ジャズな生き方”

キャリア選択をするときに、「こうあるべき」という思い込みにしばられて、知らず知らずのうちに選択肢を狭めてしまう女性も多いかもしれない。

そんな人に知ってほしいのが、全盲の美術鑑賞者である白鳥建二さんと、彼とともに全国の美術館をめぐるノンフィクション作家・川内有緒さんの偶然の出会いや出来事を楽しむ生き方だ。

川内有緒

白鳥さんは、目が見えないにも関わらず、年に何十回も美術館に通っている。

そんな白鳥さんと一緒にアートを鑑賞する体験をつづった川内さんの著書『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)は、「2022年 Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」を受賞するなど、大きな反響を呼んだ。

さらには、アート観賞する白鳥さんの日々を追ったドキュメンタリー映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』も制作され、各地の劇場で2023年2月より順次公開されている。

その日その場所で出会った人たちがアートを前に繰り広げる会話を、ジャズの即興セッションのように楽しむ白鳥さんの姿は、私たちに何を語り掛けてくるのだろうか。

映画の共同監督も務めた川内さんが、本や映画に込めた思いや作品を通して伝えたいことを語った。

川内有緒

ノンフィクション作家
川内有緒さん

1972年生まれ。大学卒業後に渡米。中南米のカルチャーに魅せられ、米国ジョージタウン大学で中南米地域研究学博士号を取得。米国企業、日本のシンクタンク、仏のユネスコ本部などに勤務し、国際協力分野で12年間働く。2010年以降は、フリーランスのライターに転身し、東京を拠点に評伝、旅行記、エッセーなどを執筆。21年に出版した『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』が、22年 「2022年Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞」を受賞。共同監督を務めた長編ドキュメンタリー映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』が公開中 >>映画公式サイト 

自由な会話でアートを楽しむ体験を、多くの人に届けたい

全盲の男性と一緒にアートを観賞する。そう聞くと多くの人は「目の見えない人が作品を“見る”ってどういうこと?」と思うだろう。

まさに川内さん自身も、最初はそんな疑問を抱いた一人だった。戸惑いながらも白鳥さんと一緒に美術館めぐりを始めた川内さんは、会話や言葉を通じてアートを楽しむ鑑賞法があることを知る。

川内有緒

美術鑑賞をする白鳥さん(中央)。その時々で一緒にめぐる人と会話をしながらアート鑑賞を楽しむ/©ALPS PICTURES 映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』より 

「ねえ、これ、アサリに見えない?」「わたしには全然アサリって感じしない。ええと、セイウチ?」「んー、……ネコ?」「確かにね、何か生き物が丸まってるような感じ」

作品を前に自由に語り合う人たちのおしゃべりを聞いては、「ふふふ」「へー!」と楽しそうに反応する白鳥さん。

公開中の映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』の中でも、その場で生まれるイキイキとした会話を通じて美術鑑賞を楽しむ光景が映し出されている。

川内さんの著書によって、存在を広く知られるようになった白鳥さん。そのユニークな生き方や言葉を映像でも届けたいとの思いから、川内さんは映像作家の三好大輔さんと共にこの映画を作り上げた。

だが、劇場公開までの道のりは決して平たんではなかった。これまで活字の世界で活動してきた川内さんにとって、映画の世界は未知の領域。

映画監督としての経験もなく、映画業界に人脈もない中、作品を劇場公開するには超えなければいけないハードルがいくつも待ち構えていた。

川内有緒

「最大の問題は配給をどうするかでした。興味を示してくれた配給会社があったのですが、プロデューサーが『試写を見て、この場面はカットしたほうがいい』と内容に関する注文をもらったんです。

しかもそれが私たちの思い入れのある場面ばかりだった。とはいえ作り手の思い入れが強い場面が多いと全体の流れが悪くなるケースもあるので、配給プロデューサーの指摘は正しいのかもしれないと思い、いったんはそれらをカットして編集し直しました。

すると確かに流れは良くなったのですが、私たちが伝えたかった根本の部分が失われてしまったように感じたのです。これではもはや自分たちの映画とは言えない。

そう思って一度は削った場面をまた元に戻し、配給会社にも『やっぱり自分たちが作りたいものを作ります』とお伝えして、別の道を探すことにしました」

一つ一つの偶然の出会いが、劇場公開への足掛かりに

しかしそこからが迷走の始まりだったと川内さんは振り返る。そもそも映画の制作費が膨らんでいた上に、配給や宣伝にはさらに多くの資金が必要となる。

「せっかく作った映画なのに、劇場で見てもらえないかもしれない」と弱気になりかけては、「落ち込んでいる場合じゃない」と自分を奮い立たせ、配給の道を模索したという川内さん。

そして最終的に「映画は自主配給し、必要な資金はクラウドファンディングで調達しよう」との結論に至った。

「配給会社を通さないので、劇場も自分たちで探さなければいけない。各地の映画館を1軒1軒回って、地道に交渉を重ねるしかありませんでした。

最初に『うちでこの作品を上映しましょう』と言ってくださったのは、神戸の元町映画館。そこから一つ一つ上映館が増え、少しずつ劇場公開への道が開けていきました」

クラウドファンディングにも多くの支援が集まり、目標金額を達成。上映館の数も着実に増え、今後も新たに作品の公開を予定している劇場がいくつもある。

自主配給もクラウドファンディングも、計画的に進めてきたわけではないと話す川内さんだが、なぜこれだけ多くの協力者を集めることができたのだろうか。

川内有緒

「もともと私は目標に向かって計画通りに物事を進めていくのが苦手で、その時々で起こった波に乗ってみたら、気付くとどこかへ流れ着いていた、というタイプなんです。

今回もあちこちで『実は映画を作っている』と言っていたら、思いがけないところで新しい波がやってくることが多くて。

例えば映画とは全く別の仕事で鳥取に行った時に、現地に住む友人と久しぶりに会ったので映画のことを話したら、彼女が突然『それ、上映できるかもしれない』と言い出したんです。

そして翌日には鳥取の『フクシ×アートWEEKs 2022』の関係者から連絡があり、『私たちのイベントのテーマに合いそう』と提案をもらって、トントン拍子で上映が決まりました。

そんな偶然の出会いの一つ一つがつながっていき、いつの間にか大きな流れになっていった。そんな感じですね」

「成功の形」を決めなければ、「失敗」もない

偶然の出会いや体験を重ねながら、その先に生まれる予定調和ではない展開をそのまま受け入れる。そんな川内さんの姿勢は、白鳥さんの生き方とも重なる。

白鳥さんは行く先々で見知らぬ人と出会い、一緒にアートを鑑賞し、その場で紡ぎ出される会話を楽しむ。川内さんはその様子を「ジャズの即興セッションのよう」と表現する。

誰が何を言い出しても、どんな反応を見せても、「面白いね」と楽しんでしまう白鳥さんは、確かに“ジャズっぽい”という形容がぴったりくる。

川内有緒

©ALPS PICTURES 映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』より

「白鳥さんは各地の美術館でアート鑑賞のワークショップを行っているのですが、参加者がシーンとしてまったく盛り上がらない回があっても、『それでいいんじゃないの』と肯定するんです。

ある学校の生徒たちがワークショップに参加した時は、先生から『口数が少ない生徒がいるので、今日はその子も話してくれるといいですね』と言われたので、白鳥さんは『話さなくてもいいんじゃないですか』と返したそうです。

もちろん話してくれたらうれしいけれど、“話すこと=良いこと”とは必ずしも思わない。

その子が参加してくれるだけで十分かもしれないし、その場では話さなくても心の中では何か感じるものがあって、家に帰ってから言葉として出てくるかもしれない。『だったらそれでいいよね』というのが白鳥さんの考え方です」

つまり白鳥さんは「成功の形」を決めない人なのだ、と川内さんは話す。「成功はこうあるべき」と決めつけてしまうと、そこから外れたものは全て「失敗」になってしまう。

だが成功の形を決めなければ、どんなことも「それでいいよね」と受け入れられる。そんな白鳥さんの生き方は、「あるべき論」にとらわれがちな人々に「それって本当に正しいの?」と問い掛けてくるかのようだ。

「私の著書を読んだ方から頂く感想の中には、『美術館では静かにすべきだ』『美術館で会話したら周りに迷惑がかかる』と疑問を呈する声もありました。

でも本当にそうなのかなって思うんです。確かに大声で叫んだりすれば迷惑かもしれませんが、作品を見ながら静かに感想を語り合うことさえ許されない美術館がどれほど存在するのか。

そう考えると、実はそんなルールを適用しているところはほとんどないのです」

「だから自分が信じているルールや常識も、時には疑ってみた方がいい」と川内さんは話す。

「『美術館では静かにすべき』と決めつけてしまったら、白鳥さんのように言葉や会話でアートを楽しむ人は美術館に行けなくなってしまう。

同じようなことは世の中のいろいろなところで起こっていて、『こうあるべき』という誰かの思い込みが強すぎると、それに当てはまらない人は本来なら得られるはずの喜びや楽しみを摘み取られてしまうんです。

でもそんな社会は誰も望んでいないはずですよね。美術館ではおしゃべりしてもいいし、静かに鑑賞してもいい。

『あれもいいし、これもいいよね』と互いを受け入れることでしか、多様な人たちが共存する社会はつくれないんじゃないでしょうか」

ジャズに生きるための第一歩は、好きなことを続けること

映画『目の見えない白鳥さん、アートを見にいく』で映し出される白鳥さんのジャズな生き方は、キャリアに悩む女性たちにもさまざまな刺激を与えてくれるだろう。

生き方も働き方も「こうあるべき」という正解など存在しない。ならば常識や思い込みにとらわれず、もっと自由に生きてもいいのではないか。白鳥さんの姿から、そんな気付きを得る人は少なくないはずだ。

実は川内さん自身も、20代から30代にかけてキャリアに迷い続けた時期があったと語る。

川内有緒

「私は国際協力分野で働いていたのですが、当時は『もっといい仕事がしたい』『もっと楽しく働ける場所があるのではないか』と自分の道を模索していました。

そしてより大きな組織へと転職を繰り返し、30代に入ると国連機関に勤務するようになりました。

でも所属する組織が大きくなればなるほど、不自由になっていく感覚があったんです。私は巨大組織の一員でしかなく、自分では何も決められない。

次第に自分がそこにいる意味や、社会で働く意味を感じるのが難しくなっていきました」

そんな川内さんが生きる実感を取り戻すために始めたのが、「書く」という行為だった。

国連職員をしながらコツコツと書きためた言葉の数々は、やがて一冊の本となり、川内さんが作家への道を歩み出すきっかけとなった。

「もちろん最初は本になるなんて考えもせず、あくまで趣味として書いていただけ。でも私にとって書くことは自分を表現することであり、再び生きている実感を得ることができました。

結局38歳で国連を辞めたのですが、その時はもう他の国際機関に転職しようとは思いませんでした。

むしろ今までの経歴や肩書を全部取り払って、『何もない自分』になってみたかった。その先にどんな世界が待っているか分からないけど、とにかく飛び込んでみようと。

私も若い頃は『何者かにならなければ』と常に焦りを抱えていましたが、40代にさしかかってようやく“ジャズな生き方”でいいじゃない、と思える境地に達したという感じかな」

川内有緒

そして川内さんは悩み多き女性たちに、こんなメッセージを送ってくれた。

「白鳥さんは決して特別な人ではありません。

白鳥さんは大学時代に初めて美術館に行く機会があり、それがきっかけでアートに興味を持つようになって、『自分は全盲だけど、作品を見たいので誰かアテンドしてくれませんか』と自ら電話で問い合わせて美術館めぐりをするようになりました。

その経緯を私の著書に書いたら、『白鳥さんはすごい人ですね』とよく感想をもらうのですが、白鳥さんはただ好きなことを続けてきただけなんです。

きっと皆さんも『自分はただ好きなことをしているだけ』と思っていても、他の人から見れば特別に思える行為をしていて、特別な物語を紡いでいるのだと思う。

誰もが特別な人で、あらゆるところに物語はあふれているんです。

だから、『こうあるべき』と自分で自分をしばってしまう人はまず、自分は何が好きなんだろう? と自分の素直な声に耳を傾けることから始めるといいかもしれません。

先のことを難しく考えずに、好きなことを続けていけば、その場その場ですてきな出会いがあり、新しく知ることがたくさんあるはずだから」

どんな道を歩もうとも、それは世界でたった一つの大切な物語になるーー。そう思えたら、私たちはもっと自由になれるのかもしれない。

川内有緒

書籍紹介

目の見えない白鳥さんとアートを見にいく
『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル)
全盲の美術鑑賞者、白鳥さんとアートを見る旅は、私たちをどこへ連れて行ってくれるのか。アートの意味、生きること、障害を持つこと、一緒に笑うこと。白鳥さんとアートを旅して、見えてきたことの物語。

>>詳細

取材・文/塚田有香 撮影/赤松洋太 編集/光谷麻里(編集部)