23 MAY/2023

【藤崎忍】絶滅寸前の『ドムドムハンバーガー』を救った元専業主婦社長「不安症だし、自分に自信がないからできることがある」

人生100年時代はチャレンジの連続!
『教えて、先輩。』

人生100年時代。年齢や常識に縛られず、チャレンジを続ける先輩女性たちの姿から、自分らしく働き続ける秘訣を学ぼう

株式会社ドムドムフードサービス 代表取締役社長 藤﨑 忍さん

39歳、専業主婦から『SHIBUYA109』のショップ店員として人生初の就職。

44歳、居酒屋『そらき』を開業。予約で埋まる人気店へと成長させる。

51歳、『そらき』常連客の声掛けをきっかけに『ドムドムハンバーガー』へ入社。人生初の会社勤めを経験するも、わずか9カ月後にまさかの社長に就任ーー。

そんなフィクションのようなキャリアを地で行くのが、現在ドムドムフードサービスで代表取締役社長を務める藤﨑忍さんだ。

自分とは別世界の人のように思ってしまうが、藤﨑さんは「私も皆さんと同じような不安を抱えています。だから、誰でもやろうと思えば、何だってできますよ」と微笑む。

年齢や過去の経験にとらわれないチャレンジを続けてきた藤崎さん。彼女が「自分は特別な人じゃない」ときっぱり言い切る理由とは?

39歳初の職場は『SHIBUYA109』、同僚は20代のギャル

私は今でこそ社長を務めていますが、39歳までは専業主婦でした。学生時代にアルバイトをしたことがあったくらいで、社会人として働いた経験はゼロです。

高校を卒業してすぐに夫と付き合い始め、もう、彼に夢中で。その頃の夢はお嫁さんになることでしたから、就職は全く考えていませんでした。

そんな私に転機が訪れたのは、39歳の時。夫が病で倒れ、働きに出ざるを得なくなったのです。

39歳で初めて就職した時の話をする藤崎忍さん

友だちの紹介で始めたのは、『SHIBUYA109』(以下、109)のショップ店員。若いお嬢さんたちに囲まれ、働くこと自体も初めてですから、何もかも学ぶことばかりでした。

当時の109は若いお嬢さんのカルチャーの塊のような場所で、そこにいる彼女たちは輝いていたんですよ。

もちろん驚くことはたくさんあって、特にファッションは全部がびっくり。

当時はローライズのパンツがはやっていたから、しゃがむとお尻が見えるんです。 しかも彼女たちはビジューやバタフライが装飾されたTバッグを履いていて。見せるための下着だなんて、衝撃でした。

反対に、意外な意味で驚いたのは、派手な見た目で言葉遣いもお世辞には良いとは言えない彼女たちが、実はとても優しくて一生懸命だったこと。

例えば、お正月の初売り。荷物の搬入をしようと倉庫に入ったら、ガサガサ音がするんですよ。何かと思ったら、奥から同僚の女の子が出てきて。

「昨日朝まで遊んじゃって、家に帰ったら出勤できないから、遅刻しないようにそこで寝てた」って言うんです。

これってすばらしくないですか? 遅刻しないために職場に泊まり込むなんてすごく真面目ですよね。私は仕事に一生懸命な彼女たちのことがすごく好きになりました。

同時にみんなのことをリスペクトしていましたから、世代間ギャップを感じることもなく、109で過ごした日々は本当に楽しかった。

一緒にプリクラを撮ったりもしてね。彼女たちとは今でも仲良しです。

109ショップ店員時代の仲間たちと

44歳、「何もできない」から起業しかなかった

ところが5年後、お店の経営方針が変わり、残念ながら109を辞めなければいけなくなりました。

相変わらず、お店の外に出た私には、これといってできることは何もありません。

そこで考えたのが、起業です。それは夢のようなものではなく、私にとっては必要に迫られての選択でした。

当時は生活に困っていましたから、絶対に生活費を捻出しなければいけません。

でも、何のスキルもなく、パソコンも使えない44歳が月50万円くらい稼げる仕事なんてそうそうないじゃないですか。

でも、起業なら自分の努力次第で家族みんなを養うだけの収入を生み出せる。

何もできないからこそ、自分が稼ぐためにできることは、起業しかなかったんです。

44歳で起業した際の話をする藤崎忍さん

そこで、つなぎのつもりで居酒屋のアルバイトを始めました。長く専業主婦をやっていて、料理は好きでしたからね。

そうしたら思った以上に楽しくて。バイトしているうちに、人件費や原価、家賃がいくらで、1日にいくら売り上げればお店を運営できるか、イメージができるようにもなりました。

だから、その内容を事業計画書に書いて、金融機関で1200万円の融資を受け、自分のお店『そらき』を開いたんです。

起業というと難しく感じるけれど、1日単位で「いくら利益を出すか」を考えて、逆算していったらやることはシンプルでしょう?

借金を背負うことにはなるけれど、返済計画は立てているから、それを達成するために頑張ればいいだけ。

何より、あの頃の私にとっては1200万円の借金よりも、明日のお金がないことの方が怖かったんです。

そして、起業によって想像力を鍛えることができました。

他者を説得し、納得させ、お金を貸してもらうために、集客や仕入れをどうするか。初めてのことで分からないからこそ、想像するしかないんですね。

『そらき』は予想以上にうまくいきましたが、そうやって培った想像力によって、お客さまに心を尽くせたのが大きかったと思います。

起業で得られたものについて話す藤崎忍さん

私によかったところがあるとするならば、「自分の目線」というフィルターをかけず、お客さまの目線で「お客さまが何を求めているのか」を考えたこと。

例えば予約のお電話をいただいたとき、元気なお客さまと静かなお客さまがカウンターで横並びになってしまうのであれば、それぞれのお客さまに事情をご説明する。

そうすれば、「飲んだら元気になるのは当たり前だよ」「じゃあその日は声を小さめにするね」など、皆さんが気遣ってくださいます。

お客さまが来店する目的は一人一人異なりますから、それぞれに合った接客があるはず。

そう意識することで、お店の雰囲気や居心地は大きく変わるのだと実感しましたね。

51歳、「ドムドムハンバーガーの役員にしてください」と直談判

『そらき』を始めて約6年がたつ頃、再び大きな転機を迎えます。

ドムドムハンバーガーの親会社で当時専務を務めていた『そらき』の常連さんから、「商品開発を手伝ってほしい」とお誘いいただいたのです。

最初は顧問契約を結び、お店と並行してお手伝いをしていたのですが、どんどんのめり込んでしまって。

藤崎さんが最初に企画・開発した『厚焼き玉子バーガー』

顧問として契約を交わし、藤崎さんが最初に企画・開発した『厚焼き玉子バーガー』が話題に。現在は定番商品になっている

お店は一緒にやっていた109時代からの仲間に任せ、私は51歳でドムドムハンバーガーに入社することにしました。

当時のドムドムハンバーガーは大赤字。

経営を再建するために入社した私は入社半年後、誘ってくれた当時の専務に「私を役員にしてください」と直接お願いをしました。

これも起業した経緯と同じで、それしか選択肢はなかったんです。

『そらき』が順調な中で「頑張ってね」と送り出してもらった以上、ドムドムハンバーガーを再建させるしか道はありません。

とはいえ現場でブツブツ言っていても、会社は自分が思っている改善とは違う方向に進んでしまう。その結果会社を再建できなければ、私の存在意義がないじゃないですか。

私はドムドムハンバーガーを再建させるために入社したのだから、そのためには自分が舵取りできるポジションに就かなければならない。だから、役員になる必要があったんです。

今振り返っても、それしかなかったなと思いますね。ベテラン社員の皆さんがいる中でこんなこと言って、図々しいとは思いますけど(笑)

もう一つ、当時の私の状況もプラスに影響したと思います。起業した時と大きく違うのは、責任の範囲。

前年に夫を亡くし、息子は社会人になっていたから、私自身はフリー。

たとえうまくいかなかったとしても、自分自身がひどい目に遭うだけでしたから、思い切ったことが言いやすい状況ではありましたね。

まさかの社長就任。「ドムドムとは」に向き合い続けた

ただ、直談判の結果は予想外でした。

2カ月後に告げられたのは「あなたを社長にします」というまさかの言葉。それはもう、本当に驚きましたよ。

ドムドムハンバーガーは決して大きな会社ではありませんが、それでも当時の従業員数は約300人、36の店舗がありました。

赤字幅が大きいぶん、人事を含めさまざまなものを縮小していましたから、私が社長になったタイミングで6人いたSV(店舗等の管理者)は2人に減り、そのうちの一人が私という状況です。

ドムドムハンバーガーの社長に就任した際の話をする藤崎忍さん

仕事の幅は多岐にわたり、週4〜5日は店舗を回る日々でしたから、ほとんど会社にはいなかったですね。

会社の将来に不安を感じているスタッフのみんなに直接会って話して信頼関係を構築しながら、「ドムドムハンバーガーとは」という問いを私なりに考え続けました。

ハンバーガーチェーンは国内にもいっぱいあります。その中で、ドムドムの独自性とは何なのかーー。

模索して分かったのは、「愛されているブランド」だということです。

ドムドムハンバーガーは現在創業53年目。最大約400店舗あったお店が約30店舗になってもなお生き長らえているのは、ある意味すごいことです。

それだけお客さまからも、スタッフからも、愛されているのだなと思ったんですね。

そこで決めたのが、「ドムドムはこういうブランドです」とわれわれが決めるのではなく、「お客さまとスタッフの人生に寄り添って、一緒にブランドを育んでいく」という指針。

それが根っこにあるので、「ドムドムはこうあるべき」といった画一的なこだわりは全く必要なくなりました。

ドムドムハンバーガーを愛してくださっている方の声に耳を傾け、お返しすべきことを追求する。それが結果的に独自性にもつながっていきます。

その一例が、コロナ禍で販売したマスクです。店舗で少量販売したマスクがTwitterに投稿されてバズり、全国のお客さまから「欲しい」という声をたくさんいただいて。

そこから、オンラインショップでのグッズ販売につながっていきました。

ドムドムは『手作り厚焼きたまごバーガー』や『丸ごと!!カニバーガー』などユニークな商品を出していますが、事業が多面化したことによって、より皆さんから面白がってもらえるようになったと思います。

丸ごと!!カニバーガー

高級食材である大きなソフトシェルクラブを丸ごとサンドした人気の『丸ごと!!カニバーガー』の大ヒットは、ドムドムハンバーガー黒字化の大きな転機に

キャラクターの『どむぞう』の仲間の『どむクルーズ』なんか、まさにそうです。

名前を付けるときに「どむぞう界の伊達男」という設定を見て、冗談で「どむクルーズはどう?」と言ったら「それだ!」となって(笑)

そうしたらTwitterでバズって、「次の仲間はどんな名前だろう」とご期待の声をいただくようになりました。

狙ったわけではなく、面白がって名付けたらこんなに楽しんでいただいて、ありがたいですね。

「domdom」の文字が入った藤崎忍さんのネックレス

ネックレスには「domdom」の文字。「好きな文字をアクセサリーにできるお店があって。かわいいなと思って、ちょうど誕生日だったので自分へのプレゼントに作ったんです。テレビ番組『激レアさんを連れてきた。』(テレビ朝日)に付けて出演したらTwitterでバズって。『欲しい』という声もいただいたので、こちらも販売しました(現在は受注生産)」(藤崎さん)

悲観するより、笑顔でいる方が楽

「30代になっちゃう」
「年齢を重ねたら挑戦できない」

皆さんがそう思っているのだとしたら、それは自分で自分に壁をつくっているのだと思います。

「30代だから」「女性だから」「既婚/未婚だから」といった壁を自らつくる必要は全くないですよ。

それに、自分にとって遠い世界の物事に対して、「知らないから自分には無理」と考えるより「知らないから新しく知りたい」と考えた方が楽しいじゃないですか。

自身の仕事観について話す藤崎忍さん

私自身がこれまで「働いた経験がないから」「50歳だから」といった壁をつくらずにやってこれたのは、良くも悪くも余裕がなかったからだと思います。

そうやって必死で動く中で知らない世界をたくさん見て、それが楽しかったから、バイアスを掛けずに物事を受け入れられるようになっていったような気がしますね。

だから考え方次第ですけど……そう思う一方で、私がこれまでお話ししてきたことは結果論だとも思っています。

今はこうやって話せていますが、夫が倒れた時は、それはもう怖かったですよ。

突然私の夢や意思とは全く違うところに飛ばされてしまったような感じでね。

その後、夫が障害程度1級に認定された時は、「私の人生って何なんだろう」と本当に悲しかった。精神的にも金銭的にも苦労して、つらい時期もありました。

でも、仕方がないじゃない? 「だったら頑張って仕事しよう」って、家の中の自分と外の自分を切り替えられたことで、ものすごく救われたなと思います。

そして、こうした経験を経て分かったのは、「笑顔でいる方が楽」ということ。

泣いていても解決しないことは、自分の体験からよく分かりました。

だから絶対に、落ち込んでいるよりも笑っていた方が楽。落ち込みたい時はワーッと泣けるような映画を見て、それで終わりにしましょう。

多分、人生はつらかったり楽しかったりの繰り返しです。私は56歳ですけど、今なお苦しいことはたくさんありますから。

ニコニコと日々を過ごせていられれば十分ですよ。

自信がないのも不安なのも、きっとみんな同じ

どむぞうくんと写る藤崎忍さん

「テレビ撮影でいらした俳優さんが私のデスクに飾ってあった食品サンプルを見て、『これ絶対売れますよ』とおっしゃって。それならと思って作ったら、本当に売れちゃった」(藤崎さん)

私は専業主婦から仕事を始めたことや、突然社長になったことをクローズアップされることが多いですけど、これは私がすごいからできたわけではないんです。

誰でも、やる気になればできるはず。

キラキラして見える周りの女性たちを見て、「自分には無理」と思ってしまうかもしれないけど、足元を見れば難しいことはやっていないし、みんな当たり前の不安を抱えています。

私にもたくさんの不安があります。そもそも私は不安症なんですよ。これまでのお話も、自信があるからできたのではなく、自信がないからできたんです。

止まってしまうと余計不安になってしまうから、できないことをやるためにどうしようか考えて、一つ一つの不安をクリアするために行動してきました。

自信がないのも、不安なのも、きっとみんな同じ。だから、皆さんにはぜひ、自分を愛してあげてほしいなと思います。

「あばたもえくぼ」という言葉をご存じですか? 好きな人に悪いところがあっても、それすらチャームポイントに見えるという意味です。

若い方を見ていると、できないことをただマイナスに捉えて、それがまた壁になってしまっていることが多いように感じています。

自分に厳しすぎて、「こうあるべき」が強いんじゃないかしら。

でも、できないことを受け止めて、その上で「私には他に良いところがあるし」って思えれば、楽になると思うんですよ。つまり、自分をえこひいきするわけです。

私にはできないことも駄目なところもいっぱいあって、さまざまな業界で活躍しているすばらしい女性にお会いしては、「私って何も持っていないな」と思っちゃう。時には落ち込んだりもします。

そういう時に、こう考えるんですよ。「でもまあ、友達は多い方だし、笑顔が良いって言われるし、それでいいか」ってね。

繰り返しますが、自信がないのも、不安なのも、みんな同じです。だからこそ、やろうと思えば、誰だって何だってできるはず。

そして、人は何歳からでも、変わろうと思えば変われます

私も39歳で仕事を始めて、関わる人が増え、たくさんの学びを得て、すっごく変わりました。

そんな経験を生かして、おこがましいけれど、これからは悩んでいる皆さんのバックアップができたらという思いがあります。

生きていれば苦しいこともあるけれど、一緒に頑張っていきましょうね。

<プロフィール>
株式会社ドムドムフードサービス 代表取締役社長 藤﨑 忍さん
1966年生まれ。政治家の妻として39歳まで専業主婦を務めるも、2005年に夫が病に倒れ、生活のためにSHIBUYA109内のアパレルショップ『MANA』で店長として働き始める。オーナーの経営方針の変更により退職後、新橋の小料理店でのアルバイトを経て、11年に居酒屋『そらき』を開業。料理の腕を常連客に見込まれ、17年にドムドムハンバーガーのメニュー開発顧問に就任。『手作り厚焼きたまごバーガー』をヒットさせた後、正式にドムドムフードサービスへ入社。その9カ月後、代表取締役社長就任。21年テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』出演。著書に『藤﨑流 関係力』(repicbook)『ドムドムの逆襲 39歳まで主婦だった私の「思いやり」経営戦略』(ダイヤモンド社)など

取材・文/天野夏海 撮影/赤松洋太 企画・編集/栗原千明(編集部)