性別の壁を感じていた男性ネイリストが“ネイルおじさん”を名乗れるようになるまで/『NAIL ZERO+』塩見隼人
さまざまな場所で「少数派」として活躍する人たちにフォーカス。彼女ら・彼らの仕事観や仕事への向き合い方をヒントに、自分自身の働き方を見つめ直すきっかけにしてみよう!
池袋の人気ネイルサロン『NAIL ZERO+』のオーナー、“ネイルおじさん”こと塩見隼人さん。ネイリストとして、オリジナリティーあふれる独創的なネイルを数多く生み出してきた。

定期的にネイルサロンに通う人でも、男性ネイリストに施術をしてもらった経験がある人は少ないのではないだろうか。「男性はネイリスト全体の2%ぐらいだと思う」と塩見さんは話す。

塩見隼人さん
大学卒業後、内装業に従事したのち、ネイリストに転身。2軒のネイルサロン勤務をへて独立し、池袋に『NAIL ZERO+』を立ち上げる。日本最大級のネイルサロン予約アプリ『ネイルブック』のネイルブックアワード2022年「ネイルサロン部門」殿堂入り。テレビ番組『ニノさん』『ヒルナンデス!』など、メディア出演多数 web/X/Instagram
「ネイリストは男がやる仕事ではない」
塩見さんがネイリストという職業を知ったのは、大学時代に見たテレビ番組。当時はネイルアートやスカルプの長いネイルがはやり、ネイリストに注目が集まっていた。
「『爪に絵が描けるのか!』と驚きました。僕は幼少期からプラモデルが好きで、こまごましたものを作るのが趣味だったので、面白そうだなと。爪に広がる世界には、可能性があるんじゃないかと思ったんです」
すぐに本屋へネイル雑誌を買いに行き、掲載されているデザインを見て「まだまだやれることはたくさんある」という思いを強くした塩見さん。
ただ、「男がやる仕事ではない」という思いもあった。趣味で友人にマニキュアを塗ることはあったものの、ネイリストで生計が立てられるのかも分からない。
結局、卒業後は以前からバイトをしていた友人の実家の会社に就職。就職氷河期で就職先を選べる状況にもなく、数年間内装業に従事した。
「友人が上司になったんですけど、仕事中は上司と部下なのに、終業時間になった途端に『飯行く?』って友達に切り替わるギャップがキツくなっちゃって。違う仕事をするなら、自分が好きなことをやった方が面白いかなと思いました」
そこで頭に浮かんだのが、ネイリストだった。かつてちゅうちょしたネイリストを目指そうと思えた背景には、就職氷河期だったことが影響していると振り返る。
「就職できなかった同級生が多く、サラリーマンをやっている人が周りにいなかったんです。加えて、就職難だったから『手に職』が合言葉でもあって。だからこの世界に飛び込めたと思いますね。有名なメンズネイリストの多くは同世代ですが、不況の影響は大きいと思います」
ネイリストをやってみて、もしダメだったら自分にできる仕事を何でもするーー。背水の陣の覚悟で挑んだ理由もまた、当時の世相にあった。
「約20年前は、会社員にならない男性は負け組という世の中の空気がありました。就職活動をしなかった時点で風当たりは強かったし、当時の僕は20代半ば。スーツを着ない仕事に転身するなら、これが最後のチャンスかなと思っていました」
男性ネイリストへの反応は最悪だった
今でこそネイルをする男性も増え、男性がネイリストになるハードルは下がりつつあるが、塩見さんがネイリストになることを決めた18年前は「ものすごく高いハードルがあった」という。
「スクール卒業後、都内のネイルサロン50軒以上に電話をして、その全てに断られました。男女雇用均等法があるから募集要項に男性不可とは書けないけれど、実際には『男性は受け入れていない』『トイレなど設備がないので』と、性別を理由に面接すらしてもらえなかったですね」
どうにか就職できたネイルサロンの給与は最低ランク。条件で選べるような状況ではなく、「雇ってもらえるだけでありがたかった」と塩見さん。

質感まで再現したリアルなスイカのフットネイル(引用)
だが、就職はあくまでスタートライン。18年前の来店客は100%が女性であり、「最悪と言っていいくらい、男性ネイリストへの反応は悪かった」と当時を回想する。
「当たり前のように『男性は嫌』と言われました。施術できても『力が強い』と怒られたり、テーブルの下で足をヒールで踏まれたり。機会をいただけるだけありがたかったですけど、当時の自分、よく心が折れなかったなと思います」
冷たい視線は「同僚も同じ」と続ける。
「トイレ掃除などみんながやりたくないことや、発注や会計処理といった面倒な仕事をよく振られていました。異質な存在ですから、言いやすかったんでしょうね。僕の指名が増えるにつれて、道具を捨てられるなど、嫌がらせをされたこともありました」
男性ばかりの職場で女性が雑務をやらされるようなことが、女社会で働く塩見さんの身にも起きた。「自分がここにいたいのなら、嫌なことも飲み込まなければ」とグッと耐える日々だったが、意外にも「仕方がないと思っていた」という。
「親からは『女性の仕事なのにやっていけるのか』と散々言われましたし、ネイリストを志した時点で覚悟はしていました。厳しい環境でしたけど、前職は血の気の荒い人も多かったので、それと比べれば全然マシでしたね(笑)」
男一人のネイルサロンで女性を集客する葛藤
最初に潮目が変わったのは、ネイリストになって半年後の初指名。初めて塩見さんを指名したのは、まさかのヒールで足を踏んできた人だった。
「もう来店はないだろうと思っていたので、びっくりでした。2回目の来店時も『ムラがある』と厳しいお言葉をいただきましたが、その次も指名をしてくれて。4回目くらいから何も言わなくなり、普通に世間話をするようになりました。きっと、育てようとしてくれたんでしょうね」
その後、別のネイルサロンへの転職を経て独立。転職先のネイルサロンの閉店が『NAIL ZERO+』をオープンするきっかけになった。
「指名客数名から『ブライダルネイルをお願いしたいのに閉店は困る』と言われて。人生で一番の転機となる日にネイルをお願いしたいと言ってくれる人をむげにはできないと思い、閉店するサロンの近くで独立することを決めました」

日本最大級のネイルサロン予約アプリ『ネイルブック』のネイルブックアワード2022年「ネイルサロン部門」殿堂入りのトロフィー
独立時、塩見さんの指名客は約80人もいた。店舗の場所もほぼ変わらないわけで、そのほとんどがそのまま見込み客となる。
ところが塩見さんの口からは「全然自信はなかった」と意外な言葉が続く。
「実は独立して2年ほど、集客は一切しませんでした。男一人でやっているネイルサロンに女性客を募ることへの葛藤があったんです。たとえ何もしていなくても訴えられたらどうしようもないし、性別という大きな壁を感じていましたね」
たとえ指名客がたくさんいようと、新規顧客が増えなければ先細り。背に腹は代えられないと集客を始めてから、予約は新規顧客でびっしり埋まるようになった。
その理由は、塩見さんのデザインにある。
「『いいなと思ったデザインが全部塩見さんだった』『男性だからちゅうちょしたけど、他店にデザインを持っていっても思うような仕上がりにならなかった』といった声をいただくことが多くあります。技術者として、腕を評価してもらえるのは一番うれしいですね」
サメのネイル、10年前だったらできなかった
塩見さんが得意とするのは、緻密なデザインをその場で作ること。Instagramの再生回数が1500万回を超えたサメのネイルも、頭でイメージしていたデザインをいきなり来店客の爪に施したのが最初だという。
「サメのデザインを作りたいと数カ月前から思っていたところに、『サメにゃん』というサメをかぶった猫のキャラクターが好きなお客さんが来て。『作ったことはないけど、サメのネイルのデザインが頭の中にある』と言ったら『やってみたい』とのことだったので、その場で作りました」
練習なしで思い描いたデザインをいきなり作れるのは、「どうすればネイルにできるか」を常に考え、普段からシミュレーションを重ねてきたたまものだ。
「どうネイルで表現するか、ずっと考えています。ネイルアートは色を重ねるので、僕はレイヤー構造で考えているんですけど、何か物を見た瞬間に頭の中でレイヤーを解体できるんですよ。これはもう趣味みたいなものですね」
そして、それを実現する技術を培ったのは特別な訓練ではなく、「意識的に仕事をする」という毎日の心掛け。
「一つ一つの仕事に対して、なんとなくではなく、ちゃんと頭で考えて、終わった後に自分の技術の更新点を見つけることを意識しています。好きだからそれが楽しいし、もっとうまくなりたい。何より、クオリティーが低いことが許せないんですよ」
常に100点を目指して完璧だと思える施術をする。その上で、1日の終わりに写真を見返すと、100点だった施術は80点になる。
それは、より良い仕事を常に目指していることの証左であり、成長に他ならない。「仕方ないと思ったら終わり」と塩見さん。
「努力や鍛錬は大切ですが、それは毎日の仕事の中でできること。特に技術職はその連続です。自分への反省点を常に持ち、自分で更新しようとし続ければ、自然と階段を上がっているのだと思います。サメのネイルも、10年前だったらできなかったでしょうね」

話題を呼んだサメのネイルも、改善案をすでに4〜5つ考えているという(引用)
「おじさん」を強みにしようと思えた理由
今も塩見さんがネイリスト界のマイノリティーであることに変わりはない。だが、自身の意識に変化はある。
「本当にこの業界にいていいのか悩んだこともありましたけど、今では『おじさんなのにかわいいネイルを作る』みたいなギャップを押し出そうと思えるようになりました。性別を変えられないなら、生かした方が面白い。『塩見さんだから安心』と言ってくれる人が増えたおかげで、そう思えるようになりましたね」
とはいえ、男性であることを過剰にアピールするわけではない。「メンズネイリストという言葉が好きじゃない」と塩見さんは続ける。
「あくまで僕はネイリスト。異質であることを楽しみたいから『男の人なのにこんなにかわいいデザインが作れるんだ』はうれしいけど、『男の人にネイルをお願いしたい』は違う気がしちゃうんですよ」
女性弁護士、女医、理系女子……女性が少ない職種や業界で「女性」が強調されることへの違和感を、塩見さんもまた抱いている。
「だからこそ、揺るぎない技術が根底になければぶれちゃうなと思います。その道のプロとしてのスキルが盤石でないのに『メンズネイリスト』を名乗ったって、色物で終わるだけ。逆に言えば、スキルが盤石だと思えるようになったから、男性であることを強みにしようと考えるようになったのかもしれません」
スキルを磨き続ける原動力は「好き」という気持ち。マイノリティーとして厳しい環境に入るからこそ、「好き」の気持ちを強く持ち続けられる面もある。
「『どうしてこの仕事をしているんだろう』と思った瞬間はたくさんありますし、『なぜネイリストになろうと思ったんですか?』という質問は何万回とされてきました。それを面倒に思うこともあったけど、そう聞かれ続けることで原点に立ち返りやすいのは強みですよね」
これまで苦労はたくさんしたけれど、ネイリストを辞めたいと思ったことは一度もない。それはやっぱり「好きだから」。
「好きな気持ちを原動力にスキルを磨いていけば、最終的にはマイノリティーであることは関係なくなると思います。そこに至るまでに大変なことは多いけど、今苦労している人は自分を信じてほしいなと思います」
取材・文・編集/天野夏海
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