地方のバイトスタッフだったバヤコが、40歳で大手アパレルのSNS戦略のカギを握るインフルエンサーになるまで
人生100年時代。年齢や常識に縛られず、チャレンジを続ける先輩女性たちの姿から、自分らしく働き続ける秘訣を学ぼう
アパレル企業アダストリアのアルバイト販売スタッフとして、新潟県の店舗に立っていたバヤコさん。
彼女の人生は、30代半ばから始めたInstagramをきっかけに急展開を迎える。
フォロワーは25万人を超え、彼女が参加する来店イベントにはファンが殺到。今年2月には40歳にして正社員として登用され、東京の本社へ異動した。
現在は新設されたSNS運用の専門部署で、SNSを運用している全国のスタッフの管理やSNSに関する社内教育を行っている。
「地方のアルバイト店員に対して『インスタ頑張ってるから本社に呼ぼう』なんて、そんな会社あります?」
そう笑って話すバヤコさん。年齢を意識する場面が多いアパレル業界で、なぜ彼女は年齢にとらわれず、明るく元気に自分らしく仕事をエンジョイできるのだろう。

株式会社アダストリア
バヤコさん
高校卒業後、アルバイトでアパレルを含むさまざまな仕事に従事。2年後にアパレル企業に就職。2009年アダストリアに転職。2012年、目の病気をきっかけに退職し、自営業へ。2016年アダストリアから短期バイトの声がかかったことをきっかけにアルバイトの販売員として再度従事。24年2月アルバイトから正社員になり、本社のドットエスティメディア部に異動 Instagram/TikTok/STAFF BOARD
「もしかしてアパレルは天職かも」
高校卒業後、いろいろアルバイトをする中で一番楽しかったのがアパレルでした。
2000年初頭はまだ「カリスマ店員」が話題の頃で、販売員は人気の職業。何より私自身、お洋服がめちゃめちゃ好きだったんです。
バイト先のセレクトショップでは、販売戦略を練るのも、売り場を作るのも自分たち。販売員として店頭に立つ以外にもさまざまな仕事があることが面白くて。
アパレル業界を深く知るほど、お洋服の製造から倉庫管理、販売戦略、店舗デザイン、販売……と、いろんな人が関わっていることが分かるんですよね。
その流れが見えるようになったら、全部の仕事に興味が出てきちゃって。「アパレルに関わる全ての人に感謝!」みたいな感じ(笑)
そうやってどんどんこの世界にのめり込んで、20代の頃から本当に仕事が大好きでした。
これまでを振り返っても、アパレルの仕事を辞めたいと思ったことは一度もないんですよ。
20代前半、同世代の多くが「仕事行きたくない」と言っている中、私は「仕事めちゃめちゃ行きたい!」と思っていて。「もしかしてアパレルは天職かも」と思いましたね。

ただ、頑張りすぎちゃったんです。当時は店長で、本社に行くための勉強をしていたんですけど、一生懸命になりすぎて体調を崩してしまった。
無念でしたが、同時に「イチからやり直そう」と思いましたね。
その頃の私はアルバイトの人たちにキツイ物言いをしていたし、現場の気持ちを理解できていなかった。おまけに自分の体調管理もできず、そんな現状がとにかくショックで……。
だからアダストリアに転職するときに、あえてアルバイトを選びました。自分自身の成長のために、もう一度現場で勉強したいと思ったんです。
アダストリアは大企業だからスタッフ教育もきちんとしているし、自社ブランドだから前職のセレクトショップとはやり方も全然違う。そのギャップが面白かったし、何より現場の仕事がとにかく楽しかった。
バイトリーダーになり、正社員登用の話も何度かいただいたけど、キャリアアップにはあまり興味がなく、みんなで一丸となって仕事をするのが楽しい! っていう毎日でした。
あの頃、めちゃめちゃ青春だったな〜と思います。
30歳直前、目と子宮の病気が判明
そんなある日、突然目がものすごく痛くなって。病院へ行ったら「虹彩毛様体炎」という難病と診断されました。どんどん目が見えなくなる、失明の可能性もある病気です。
視力は日に日に落ちていって、車の運転ができなくなり、バスに一人で乗れなくなり、ちょっとした段差でこけ……仕事でもお洋服の色の判別がつかず、レジも打てなくなってしまいました。
同時期に、子宮の病気も判明しました。高校生の頃からずっと生理が重かったけど、痛みって比較できないじゃないですか。まぁ大丈夫だろうって薬でごまかしていたんです。
目の病気を機に病院へ行くのは大事だと気付き、ようやく婦人科を受診したら「重症だよ」と。ホルモン治療を試したけど、つらすぎて断念しました。「子どもはできない覚悟でいてね」と言われたけど、結婚する気もなかったし、まぁいいかなと。
そんな感じで、30歳になる直前に人生の修羅場をぎゅっとまとめて経験したなと思います。
アパレルの仕事は諦めざるを得なくなり、退職後はろうそく職人として自営業を始めました。
当時は目の病気の影響で、蛍光灯の光がダメになっちゃって。ろうそくの光で生活していたんですけど、試しに自分で作ってみたら意外と良いものができたんです。
実は自営業を始めて間もなく目の病気は治ったのですが、ろうそく職人の仕事も軌道に乗っていたし、それはそれで楽しくやっていたんですよね。
アパレルを辞める時は店舗のみんなと離れるのが寂しくてつらかったけど、またどこかでアパレルの仕事に関わるかもって思いもなんとなくあって。
だから病気が治ってからも、しばらくは自営業に専念していました。
SNSをきっかけにキャリアは急展開
アパレルに戻ったのは、30代半ばの頃です。かつて一緒に働いていたメンバーから「人が足りない」とヘルプを頼まれて、軽いノリで4年ぶりにバイトとして現場に入りました。
初日から普通に働けて、何の違和感もなくレジも打てて、販売の仕事はやっぱり楽しかったですね。
自営業と掛け持ちもできそうだったので、「人が来るまで手伝いますよ」みたいな感じで続けていたら、だんだんアパレルの時間の方が長くなってきて。

接客の様子
ちょうどそのタイミングで、アダストリアで「STAFF BOARD」という取り組みが始まったんです。
「STAFF BOARD」はECサイト内でスタッフが自分でスタイリングしたお洋服を来て、お客さまに紹介するページ。お客さまは気になったお洋服を購入することもできます。
参加者募集に応募したら、運よく受かって。自分のスタイリングがどのくらい見られているのか、それをきっかけにお洋服がどのくらい売れたかなど、お客さまからの反響が分かるんですけど、思いの外良い成績が出せました。

「STAFF BOARD」にはスタッフランキングもあり、バヤコさんは殿堂入りスタッフとして認定されている
それが楽しくなってきたので、今度はSNSで自社PRをする店舗スタッフの募集にも応募して。
SNS集客を学ぶのは自営業にもプラスだから、「アルバイトをしながら経験できるなんてラッキー!」くらいの気持ちでInstagramを始めたけど、約6年後の今はフォロワーが25万人を超えるまでになりました。

バヤコさんのプロフィールページ(2024年8月時点)
今年2月にアルバイトから正社員になって本社へ異動したのも、SNSがきっかけです。
今は新設されたSNS運用の専門部署で、SNSを運用している全国の店舗スタッフを管理したり、SNSに関する社内教育をしたりしています。
実は最初、本社にいく気は全然なくて。SNSがあれば地方でもそれなりに実績が残せることは分かったし、地元の新潟から上京する必要もないじゃんと思っていたんです。
それなのに異動を受けたのは、新しい部署だったから。「SNS専門部署って何? 経験してみたい!」と思ったんです。従来の営業やマーケティング部署だったら断っていたかもしれないですね。
とにかく経験!苦手が「いけるかも」に変わることだってある
向いてる、向いてないって、あまり決めつけない方がいいんだろうなと思います。
SNSだって、最初は「人の前に立って発信するなんて無理!」「私の顔出しした情報なんて誰が喜ぶんだよ」と思っていましたから。まさかこんなことになるなんて、思ってもいませんでした。

販売員時代の勤務先や来店イベントにはファンが訪れる
結局は、シンプルに経験するしかないんですよね。
経験すれば「得意だな」「苦手かも」が見えてくるし、「他の人はどうやってるんだろう?」「あっちの仕事はどうなんだ?」って興味も湧いてくる。
振り返ると、全ては興味から始まったなと思うんです。気になったものをちょっとずつつまんで、味見して、自分が一番おいしいと思ったところに挑んでみる。そんな感じでいいんじゃないかな。
それに、あれこれ経験していくと、かつて苦手だったことが「意外といけるぞ」ってなることもあるんですよ。
私は20代の頃に店長を経験して、人の管理をするのは向いていないと思っていたけど、本部でスタッフを管理する立場になったら意外とうまくいっている。
過去と同じ失敗を繰り返さないように気をつけているのか、一度アルバイトに戻ったことで管理される側の気持ちが分かるようになったのか……はっきり理由は分からないけど、これまでの経験が生きているんでしょうね。
だから私は現場にいた頃から、20代の子たちに「今いるこの店舗だけが全てだと思わないでね」とよく言っていました。
販売以外の可能性も知ってほしかったから、インスタを手伝ってもらったり、ライブ配信を一緒にしたり、本部と関わる機会を設けたりと、いろんな仕事を知るきっかけを作ることを意識していましたね。
ただ、20代って若いからこそ踏みとどまっちゃうところもあると思うんです。経験がない分、怖いじゃないですか。どこまで突っ込んでいいかも分からないし。
振り返れば、20代の私は超慎重派で、ものすごいネガティブ。「失敗したらどうしよう」「ちゃんと調べて準備しないと無理!」みたいなタイプでした。
でも目の病気になって毎日視力が衰えて、やれることが限られていく中、悠長なことをしている時間はない!今すぐやんなきゃ!って。
「明日死ぬかもしれない」を身近に感じたら、何でもやりたいと思った。
そうやって経験を重ねていけば、30代以降がどんどん楽になっていくはずです。「このくらいは大丈夫なんだな」ってずうずうしくなれますから(笑)
それに、やってみたらなんとかなるし、失敗しても会話のネタになるんですよ。
職種や年代が違う人と話す時も、そういうネタが多いほど盛り上がります。「憧れてやってみたけど何もうまくいかなかったわ!ガハハ!」みたいな(笑)
「30歳なんて、まだ赤ちゃんじゃない!」
アラサーなんてまだまだお子ちゃまですよ……と今40歳の私は思うけど、自分が若い頃は「30歳は節目」と思っていた気がします。
でも、この先も生きていく前提で考えたら、30歳なんて人生の半分以下。定年を60歳だとして、まだもう1ターン同じ年数が残っているのに、何を諦めてるの?って思います。

私が30歳の頃、隣に住んでいたおしゃれなおばあちゃんから「あら、かわいい格好!」って声を掛けられたことがあって。
当時の私は、本当は派手好きなのに、そういうお洋服を着ている自分に少し負い目を感じていたんです。落ち着いた方がいいのかなって。
だから好きで着ている明るい色のお洋服を褒められた時、とっさに「30過ぎにもなって派手ですよね」って言っちゃったんです。
そうしたら「まだ赤ちゃんじゃない! 私は90歳だから、あなたまだ3分の1よ」って言われて。
「腰が曲がったり、足が悪くなったりしたら、自分が好きなお洋服を着て出かけるなんてできなくなる。好きなお洋服が着られる期間は残り60年しかないと思ってみなさい」
そんなおばあちゃんの言葉で、完全に吹っ切れました。年相応なんて考えなくなって、なんなら派手な格好しておばあちゃんに見せに行くようになった(笑)
それに、年齢に関係なく好きなファッションを続ける方法はあるんですよ。
歳とともに体は変化するから、例えば体のラインが出る服を20代の頃のように着れないことはある。でも、「今の自分が当時のファッションを再現するには?」って考えればやりようはあります。
その時々の自分に合わせて、好きなファッションを自分らしく、自分に優しく表現できるようになれば、ずっとおしゃれは楽しめるはず。
何より自分のテンションが上がる服を着た方が楽しいし、ワクワクしてる方が気持ちも若くいられますからね。
30代を振り返ると、私は若い子よりも積極的に新しいことをやろうとしていた気がします。
今のSNS運用の専門部署だって、若い子の方が向いていそうじゃないですか。それなのに40歳の私がポンっと入って、新しく立ち上げている。

文化服装学院の「アパレルとSNS」をテーマとした授業で特別講師を務めたことも
それはきっと、若い子たちに刺激を与えられるんじゃないかと思うんです。
「もう本社勤務は無理だろう」「ずっとバイトのままかな」と諦めている人でも、何かのきっかけで40歳になってチャンスが来ることだってある。
そういう希望を見出してもらえたらいいなと思いますね。
そして、私自身はこの感じのまま90歳になりたい。「おばあちゃん元気だね」「今日もかわいいね」っていうやり取りを、若い子たちと今のテンションのまま続けたいです。
>>後半の記事:インスタフォロワー25万人のファッション芸人・バヤコにSNS運用の悩みを相談「批判の声が怖い」「何を投稿すればいい?」
取材・文・編集/天野夏海 写真/アダストリア提供
『教えて、先輩!』の過去記事一覧はこちら
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