21 AUG/2024

歴史アイドルから起業家へ。「頼まれなくてもやっちゃうこと」を探して見つけた進むべき道

喜多尾衣利子さんアイキャッチ

「歴史アイドル」として活躍した「小日向えり」こと喜多尾衣利子さん。2020年に芸能界を引退し、現在は自身が代表を務める株式会社ぴんぴんきらりで、シニアの就労支援を通じて、都心の核家族世帯や単身者に「家族のように頼れてホッとできる存在」を派遣する「きらりライフサポート」を運営している。

”歴ドル”として順調にキャリアを重ねながらも、17年には現在の会社の前身となるサービスで起業。経営者と歴ドルの二足のわらじで活動を続けていたが、事業が上向くにつれて中途半端な自分に葛藤し、引退を決意した。

ビジネス一本で進む道を選んだ理由は、「ビジネスは頂上に到達したときだけでなく、山登りの過程まで楽しめるから」。

常に興味のある方向にアンテナを張り、やると決めたらブレずに前に進む。楽しみながらチャレンジし続けられる理由は一体何なのだろうか。

株式会社ぴんぴんきらり 代表取締役CEO 喜多尾衣利子さん

株式会社ぴんぴんきらり 
代表取締役CEO 喜多尾衣利子さん

1988年奈良県生まれ。中学時代から芸能活動を始め、大学在学中の2008年に「歴史アイドル(歴ドル)」としての活動をスタート。12年には『NHK高校講座「世界史」』の司会を務め、16年には大河ドラマ『真田丸』のオフィシャル応援勇士に就任するなど順調に芸能活動を進める傍ら、17年には株式会社ぴんぴんころりを設立。20年、ビジネスに専念するために芸能界を引退。現在は「ぴんぴんきらり」と社名を変更し、シニアの就労支援や生きがい創出事業を展開している ■X

超多忙な歴ドルとビジネスの両立が「楽しかった」理由

歴ドル時代の喜多尾さん。2019年の上田真田まつりにて(写真左)。信州上田観光大使も務める(写真右)

歴ドル時代の喜多尾さん。2019年の上田真田まつりにて(写真左)。信州上田観光大使も務める(写真右)

タレントを目指したきっかけは、写真が好きだったから。人前に出たいというよりは、モデルのお仕事に憧れました。個性を消して服や商品の魅力を引き出す「被写体」になりたかったんです

中学時代から芸能活動を始めて、どこに住んでどの大学に進学するか、その先の全ての選択は芸能の仕事が中心でした。

幼いころから興味のあることにのめり込んでしまうタイプ。「歴史アイドル」という肩書のきっかけも、大学時代に『三國志(さんごくし)』を読み、歴史の世界にどんどんとハマっていったことでした。

その後、歴史アイドルとしてのオファーが殺到して、2009年にはNHK『BS熱中夜話』の出演オファーをいただき、その後約2年間、NHK高校講座「世界史」の司会を務めさせていただきました。

目指したのは、一つの物事に造詣が深い、歴史界の「さかなクン」です(笑)

「関ケ原女性武将隊 巴組」として宇喜多秀家に扮(ふん)する喜多尾さん(写真中央) 

「関ケ原女性武将隊 巴組」として宇喜多秀家に扮する喜多尾さん(写真中央) 

ただ、“歴ドル”として活動しつつも、「自分でビジネスを立ち上げたい」という、私の昔からのもう一つの夢も捨てきれませんでした。父も起業していましたし、商売人の家系に育ったからか、昔から自分は起業するものだと思っていたんです。

まずは歴ドルの立場を生かしたビジネスとして、歴史幕末グッズの通販サイト『黒船社中』を立ち上げました。

その後、箱根の民泊事業の運営をしたり、友人と一緒にスタートアップを立ち上げたりと、勉強もかねて興味のあることにどんどんチャレンジしていったんです。

その中で、芸能活動の経験が役に立つことも多かったですね。

一人の力でできることは限られるからこそ、ビジネスでは「人に伝える力」や「力を貸してもらうこと」が重要だと思うんです。助けてくれる人や同じ志を持つ仲間を集める上で、芸能活動で学んだトーク力や仲間を集める力は生きているなと。

その頃は、タレント活動も充実している上にビジネスもしていたので、1年間に休みが一日もないほど忙しい毎日を送っていました。

ただ、どんなに忙しくても、ビジネスは趣味のような感覚で楽しくて。スタートアップの仕事は、最初は役員報酬ゼロでやっていました(笑)

それでも、つらいとか辞めたいとか、一度も考えたことがありません。目的に向かって仲間と一歩ずつ進んでいく過程が本当に楽しかったんです

「楽しさと幸せ」を軸に、歴ドルとビジネスを比べた

仲間とともに仕事をする喜多尾衣利子さん

芸能界引退の決断は、5年ほど悩んで決めました。芸能活動もビジネスも中途半端だったので、どちらかに集中した方がいいんじゃないかなと。

芸能の仕事よりもビジネスの世界を選んだのは、自分が芸能活動に向いていないことにうすうす気付いていたから。ものすごく今さらなのですが有名になりたいという気持ちがなかったんです……(笑)

そもそも人前に立って話をしたり、目立つのが苦手でした。

一緒にステージに立つアイドルたちはお客さんが多ければ多いほどテンションも上がりうれしそうで、私はお客さんが多ければ多いほど「うまくできなかったらどうしよう」としんどくなってしまう。

テレビへの出演や本の出版なども同じで、大きな仕事が決まった瞬間はうれしいのですが緊張してしまい、本の出版も執筆作業などの過程まで楽しめていないと気付きました。

一方、ビジネスは登る過程も含めて楽しかったんですよね。

それに、困っている人を助けられる事業を作ること、社会に貢献することが自分のやりたいことだと気が付いたんです

例えば、電車で高齢者の方に席を譲って、「ありがとう」と言ってもらえたときに、ちょっとほっこりしたうれしい気持ちになることってあると思うのですが、私は困っている人を手助けするときにとても強い喜びを感じます。先日も車いすの方が雨の中、タクシーを拾うのに苦労していて、声をかけてタクシーを捕まえて乗るまでをお手伝いして。「ありがとう、助かった」と言っていただけてすごくうれしかったです。
手助けって、ドーパミンとかセロトニンとか出るらしいんですよ

私は困っている人を助けることに特に幸せを感じタイプだなと思っています。

その中でもシニア世代の就労支援を始めたのは、大好きだった祖母が、80歳まで勤めていた会社を辞めたら急に元気がなくなってしまったことがきっかけでした。働くことが、祖母の生きがいだったんだなとその時に感じたんです。

経験も知識もある人が、働くのをやめてしまうのはもったいないなと。活躍する場を失って意気消沈してしまうシニア世代が、経験をもとにもう一度活躍できる場を作りたいと思ったんです。

そこで、シニア世代の熟練の技や知識などを生かして家事代行やベビーシッターを担うサービス「東京かあさん」を立ち上げました。

現在は「きらりライフサポート」に名称を変更し、世代を超えた交流や新たな家族の形“サードファミリー“の文化を広げるべく、利用者のみなさんのサポートをしています。

自分が何をしたいかを理解することは、どんな仕事をするにしても重要なこと。まさに、『孫子』の中の有名な教訓、「敵を知って己を知れば百戦危うからず」ですね。

頼まれなくてもやってしまうこと=やりたいこと

仲間とともに仕事をする喜多尾衣利子さん

20代の女性の中には、やりたいことが見つからずに悩んでいる人も多いかもしれません。

やりたいことがはっきりしてる、夢がある人のほうが少ないので「興味を持ったら取りあえずやってみる」ぐらいの軽い気持ちで、まずはいろいろやってみるのがいいんじゃないかな

私自身「その時々にやりたいことをやる」を主軸に進んできて、自分のキャリアについても、先を意識して行動したことはありません。

行き当たりばったりに見えるかもしれないけれど、やりたい方向に向かって一歩踏み出すと、新しい出会いやチャンスがあるんですよ。「行き当たりバッチリ」と思っています。

私も起業当初は起業家の集まる場所やセミナーなど積極的に足を運びましたが、そのうちに仲間も増えていきました。この時知り合ったご縁が少しずつひろがって今があります。

もし自分が何が向いているか迷ったら、「頼まれなくてもやってしまうことは何だろう」と考えるのもいいと思います。

私の場合は、困っている人を助けること。「ありがとう」と言ってもらえるのが何よりもうれしいので、街中や電車の中などでも困っている人をつい探してしまいます。

お金をもらえるからではなく、誰にも頼まれていないのにやってしまうこと。それを軸に自分の興味ややりたいことを探してみると、何かが見えてくるかもしれません。

喜多尾衣利子さん ぴんぴんきらりと一緒に

2024年6月には、社名を「ぴんぴんころり」から「ぴんぴんきらり」に変更しました。

今後は、学びや趣味のコミュニティーなど、仕事以外でもシニア世代が生きがいを持って元気でいられる仕組みを作りたいと考えています。

シニア世代だけでなく、子育て世代の女性がキャリアの第一線にい続けられるための手助けなど、幅広い世代を支援することで「ありがとう」と言ってもらえることが私の幸せです。

笑うは、一生。

この言葉は、社名とともに刷新した当社のミッションです。

人生100年時代。私も含めて、誰もがいつかはシニアになります。いくつになっても心豊かに、人生最後の日まで笑顔でいられる社会にできたらいいな、と思っています。

■クレジット
取材・文/宮﨑まき子 編集/石本真樹(編集部) 写真/株式会社ぴんぴんきらりご提供