ヤマシタトモコ『違国日記』に学ぶ「自分は社外で通用しないのでは」とあせる人に欠けている視点
「労働×女子」の分野でマンガ研究を行う大学教員・トミヤマユキコさんが、働きながら生きる上での悩みを“女子マンガ“で解決します!

「女子マンガ」を通して、働く女性たちのお悩みを解決に導いていく本連載。
3回目となる今回取り上げたのは「自分のスキルが低い気がする」というお悩み。
転職経験がなかったり、普段社外の人と触れ合う機会がなかったりすると、自分の客観的な実力が分からなくなり不安になることもあるだろう。
そんな女性への処方箋としてトミヤマさんがピックアップしたのは、新垣結衣さん主演で映画化されたことでも話題の『違国日記』だ。

©ヤマシタトモコ/祥伝社 FEEL COMICS
【お悩み】自分のスキルが低い気がしてあせってしまう
新卒入社で現在マネジャー職をしています。
できることが増えたなと感じる一方で、自分の今のスキルは他社のマネジャーと比較した際に非常に低いのではないかと感じることもあります。
一度転職を経験してみたり、他社マネジャーと関わるセミナーのようなものに参加したりしてみた方が良いのでしょうか?
職場で新しい役割を担い始めたばかりの頃は、みんなについていくのに必死で、自分の「しごでき」具合を客観的に把握するなんてことは、とてもじゃないけど出来ません。
誰もが「帰ったらすぐにでも寝たい〜メイクを落とせたら上等だよ〜」みたいな感じじゃないでしょうか。
しかし、人間とは慣れる生き物なので、ある時ふっと仕事のコツをつかむ瞬間が訪れるわけです。
それまで出来なかったことが難なく出来るようになる。それまでのキツさが報われるような達成感や充実感を味わえるのは、素直にうれしいですよね。
Fさんがすごいのは、達成感や充実感をじっくり味わう間もなく自己点検に入り、自分にはまだまだ出来ることがある、と考えているところです。向上心がすごい。ガツガツと仕事に喰らいつき、みるみる消化していくような貪欲さがあります。
それはとてもすばらしいことだと拍手をしたい一方で、外の世界の人たちを知り、自分を成長させていく方法が「転職」や「セミナー」といったビジネス関連の活動だけだと思っているとしたら、ちょっともったいないかな、とも思うのです。
スキルが不安な時ほど、仕事に全振りしない方がいい
Fさんの不安は、大きく二つに分解できると思います。
一つは、漠然とした「スキルアップへのあせり」。もう一つは「自分は社内でしか通用しないのではないか」という、自分の実力が客観的に把握できない不安。
そこで私が今回処方したいのが、ヤマシタトモコ先生の『違国日記』です。
まず、一つ目の「スキルアップへのあせり」に対して『違国日記』が与えてくれる視点についてお話ししていきますね。
本作は、自分の部屋にこもって原稿を書き、ごく限られた人間関係の中で生きてきた小説家の槙生が、両親を突然の事故で失なった姪っ子の朝を引き取り、一緒に暮らすところから始まります。

©ヤマシタトモコ/祥伝社 FEEL COMICS

©ヤマシタトモコ/祥伝社 FEEL COMICS
槙生はこれまでかなり自由度の高い生活を送ってきました。夜通し原稿を書くなんてことは当たり前。仕事が終われば昼間でもビールを飲みます。まさに自由人。でも、まあ、一人でやっていく分には、それで良いわけです。
ところが、そこに朝という存在が入り込んでくる。朝を引き取ったこと自体は後悔していない槙生ですが、これまでの生活習慣というものがあって、それを変えるのは容易ではありません。
さらに、高校生の朝には、学校の友だちがいて、彼女たちが家にやってくることもありますし、さらには彼らの親と保護者同士の付き合いをしなければならない、なんて場面も。槙生にとってそれは、朝という「違国」との出会いがもたらした劇的な環境の変化です。

©ヤマシタトモコ/祥伝社 FEEL COMICS
本作を読んでいると、その劇的な変化が、槙生の書くものにじわじわと影響を与えているのが分かってきます。つまり私生活での変化が仕事にも変化をもたらしているのですね。
そしてそれが、槙生という人間を、これまで以上に成長させ、魅力的にしてもいるのです。
本作の最終刊で、槙生は詩を発表しています。この詩は、明らかに朝を意識して書かれたものです。
夜明けよ
あなたは
いつかわたしよりずっと頑丈な舟をつくる
このようにして始まる詩の中で、「わたし」は夜明けに向かってこのような言葉を投げかけます。

©ヤマシタトモコ/祥伝社 FEEL COMICS
……いかがでしょうか。朝との生活を通して、槙生が他者を受け入れ、愛するようになったことが、この部分を読むだけでも分かるのではないでしょうか。
詩の全体についてはぜひ本作をお読みになってみてください、私は泣きながら読みました……。とても美しい詩だな、と思うと同時に、とても美しい仕事だな、とも思います。
たとえば槙生が、小説と直接関わりのあることだけを頑張っていたら、この詩は書けなかったでしょう。
Fさんが言うところの「スキル」だけを気にかけ、強化する方針を採っていたら、この詩は生まれていないと思うのです。
つまり、何が言いたいのかというと、仕事に全振りしたくなるときほど、人生のことも気にかけておくと良い、ということです。
転職やセミナーも悪くはありませんが、それとは別に、他者と出会い、生活に変化を起こすことも、いい仕事に繋がる可能性が十分にあるのです。
私生活の広がりが、仕事の視野も広げる
同じように、私生活での変化を起こすことは「自分は社内でしか通用しないのではないか」という悩みにも有効です。
Fさんはマネジャー職とのことなので、他者という名の「違国」について知っておくことは、将来的にものすごい財産になるだろうと思います。
その意味でも、転職やセミナーを通して社外を知ろうという考え方はとても良いと思います。
ただ、「違国」を知る方法は、それだけではありません。趣味の習い事を始めるのでもいい。ボランティアをするのでもいい。居酒屋のカウンターで隣の人と喋るのでもいい。
「外の世界」を知るためにまずは生活の中で見知らぬ誰かと出会ってみませんか。現在の「仕事」の範囲に捉われずに、多様な人の視点を得ることは、実はマネジャーとして成長する最短ルートかもしれません。
ついでに書いておくと、私の独身時代は槙生とけっこう似ていて、一人で原稿を書き続けるのが全く苦ではなく、社交は少数精鋭の友人とときどき会うだけで十分でした。
それがバンドのドラマー兼マネージャーというかなりのコミュ強と結婚したことにより、他者と過ごす機会がめちゃくちゃ増えました。
自分だけで完結する時間が減っていくにつれ、自分の中のチャンネルが増えるような感覚があり、文学だけでなくマンガの研究をやり始めたり、大学の先生になったりして、人生が思わぬ方向に進んでいき、その結果キャリアが散らかりました(笑)
仕事での成長を求めるがゆえに、つい「もっと、もっと」と仕事にベクトルが傾きがちになりますが、あえて「私生活の変化」に目を向けてみると、視野が広がり、思わぬ成長の糸口が見付かるかもしれませんよ。

東北芸術工科大学准教授/マンガ研究者/ライター
トミヤマユキコさん
1979年、秋田県生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、同大大学院文学研究科に進みマンガ研究で博士(文学)を取得。2019年4月から東北芸術工科大学教員に。ライターとして日本の文学、マンガ、フードカルチャーなどについて書く一方、大学では現代文学・マンガについての講義や創作指導も担当。2021年より手塚治虫文化章賞選考委員。著書に『ネオ日本食』(リトルモア)、『労働系女子マンガ論!』(タバブックス)、『10代の悩みに効くマンガ、あります!』(岩波ジュニア新書)、『文庫版 大学1年生の歩き方』(集英社文庫)、『少女マンガのブサイク女子考』(左右社)、『40歳までにオシャレになりたい!』(扶桑社)、『パンケーキ・ノート』(リトルモア)などがある ■X/Instagram
『働く女の悩みは、女子マンガに聞け!』の過去記事一覧はこちら
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