製薬会社から気象キャスターへ――夢を諦めなかった“普通の女性”の試行錯誤の15年
淡々と過ぎゆく毎日の中で、ふっと「何か新しいことを始めたい」と思い立つ。夢に仕事に輝いている女性を見るたびに「自分も変わらなくちゃ」と焦りが募る。だけど、実際に何か新しいことを始めるなど、今の自分を変えることは簡単ではない。多忙な毎日についやる気は流されてしまうし、「もうこの年になったらチャンスなんてない」と気持ちに蓋をしてしまう人も少なくないだろう。
だが、一歩踏み出した先には、必ず今まで味わったことのない楽しさが待っている。そう教えてくれるのが、気象キャスターの井田寛子さんだ。
井田さんのことを「テレビの中の人」と見てしまえば、華やかな世界で活躍する彼女は自分とは別次元の人としか思えないかもしれない。けれど、井田さんは新卒で放送業界の就職に失敗。1年間、製薬会社で医薬情報担当者(MR)として勤務した後、キャスターへ転身、難関である気象予報士の資格を取得して気象キャスターのチャンスを掴んだ努力の人だ。その後も常に模索しながら、自分の道を切り開いてきた。
なぜ井田さんは一歩踏み出すことができたのか。これは、特別な能力を持った女性のサクセスストーリーではなく、夢を諦めなかった普通の女性の試行錯誤の15年だ。
いくつもの転機を経て見つけた、気象キャスターへの道
大学では宇宙化学研究室に所属。当時から科学番組が好きだった井田さんは、自然の美しさや科学の楽しさを伝える仕事を目指し、放送業界を志望した。しかし、就職活動では放送局は全滅。井田さんが入社したのは製薬会社だった。
「テレビ局には入れませんでしたが、キャスターの道を諦めたわけではありませんでした。キャスターになるには、今の自分ではダメなんだ。何か他の人にないものを身に付けなくちゃ。そう考えて、就職浪人ではなく、企業に入る道を選びました」
やりたいことができないのは、それを実現するために必要な何かが欠けているから。足りないものに気付いて、それを身に付ければできないことは何もない。それが、井田さんの持論だ。事実、MRとして多くの医師と渡り合った1年間は、苦手だったプレゼンテーション能力を鍛える絶好の機会となった。
そして新卒1年目、地方局の求人に応募。学生時代より遥かに磨かれたプレゼン能力が認められ、NHK静岡放送局に契約キャスターとして入局した。料理番組や旅番組を任され、念願だった伝える仕事の面白さに夢中になる日々。だが、3年目を迎えるころから自分の中である想いが湧き上がっていることに気付いた。
「私は単にキャスターがやりたかったわけじゃない。仕事を通じて本当に伝えたかったのは、自然の美しさや科学の楽しさ。また、防災意識の高い静岡という土地で働く中で、自然の恐怖を伝える災害報道こそがテレビの一番の使命だと考えるようになりました。この2つの想いをかなえるために目指したのが、気象キャスター。そのために気象予報士の資格を取ることを決めました」
挫折も停滞も、全ては夢をかなえるための準備期間
気象予報士と言えば、合格率約5%の難関資格。多忙なキャスター業の合間を縫って勉強をする日々は3年半も続き、試験には4度失敗した。人によっては途中で挫折してしまっても仕方がないようなハードな毎日を、井田さんはどうして乗り越えることができたのだろう。
「もちろん嫌になることはありました。でも諦めるという選択肢はなかった。なぜなら、自然の美しさや恐怖を伝えるという夢をかなえるためには、資格が絶対必要だったから。資格を取ることはゴールではなく、やりたいことをやるためのパスなんです」
5度目の挑戦でついに試験に合格した井田さん。だが、すぐに気象キャスターとして活躍できたわけではない。資格取得後も災害報道とは無縁の日々を送り、気象キャスターのオーディションに合格したのは2年後のことだった。
新天地・大阪で気象キャスターとしてデビューを果たしたが、気象予報に必要な土地勘はおろか、地名の読み方すら分からない。自分以外に気象キャスターがおらず、分からないことは全て自分で解決するしかない。そんな孤軍奮闘の環境の中、体当たりで経験を積み、井田さんは力を付けていく。
「いつかはもっと影響力のある東京で仕事がしたい」。そんな夢と現状とのギャップもあった。だが、この大阪での3年間もまた「やりたいことを実現するために必要な力を身に付ける時間だった」と井田さんは振り返る。
「大阪にいた3年間で、いろいろな現場で取材し、たくさんの気象災害に触れました。私が東京に行くチャンスを掴めたのも、大阪での3年間を認めてもらえたから。最初から東京で気象キャスターとして仕事をしていたら、きっと通用しなかったと思います」
諦める勇気より、踏み出す勇気を大切にしたい
大阪での経験を経て、NHKの看板ニュース番組『ニュースウオッチ9』のオーディションに見事合格した井田さんは、2011年度から東京で、同番組の気象情報の解説を担当している。中でも忘れられない仕事の一つが、2013年の『長岡まつり大花火大会』のレポートだ。
その年、県内を襲った集中豪雨により同大会は開催そのものが危ぶまれていた。だが、井田さんは「絶対に中継がしたい」と番組に提案し続けた。
「長岡の花火は、新潟中越地震などの自然災害の慰霊や復興の願いが込められた特別な花火。だからこそ中継を通じて花火の美しさを伝えることで、災害を乗り越えた皆さんに元気になってもらいたかったんです」
オンエアを終えた井田さんのもとに、視聴者からは感動と感謝の声が殺到した。自然の美しさと厳しさを伝えたい。井田さんが長年温め続けてきた夢がカタチになった瞬間だった。
「もちろん夢に向かって一歩踏み出すには勇気がいります。でも、諦めるのにもまた勇気が必要。だったら一歩踏み出して、やりたいことをやるために努力をした方が人生は楽しい。それに、一歩踏み出した先には面白いことや幸せなことがたくさん待っている。それを知らないのはもったいないと思うんです」
就職氷河期と重なって、希望の業界や職種に就けなかった人。第一志望の企業に入社したものの、望まぬ部署に配属されてしまった人。本当はやりたいことが別にあるのに、一歩踏み出せないままくすぶっている人は、きっとたくさんいるだろう。
「私も20代後半のころはすごく焦っていたし、新卒でアナウンサーになった人を見て羨ましい気持ちになったこともありました。でも、回り道をしたおかげで、人と違う経験が積めた。やりたいものに向かって何かを得ようとする限り、どんなこともプラスになる。夢の実現の方法は1つじゃない。無駄なことなんて何一つないことを、多くの人に伝えたいですね」
それだけやりたいことに出会えた井田さんのことを、もしかしたらその時点で特別だと思うかもしれない。けれど、どんな人でも心の奥底を掘り起こしていけば、必ず何か一つは好きなもの、やりたいことが見つかるはず。
その小さなかけらを大きな夢へと育てていくかは自分次第。勇気を持って一歩踏み出したとき、あなただけの物語が静かに輝き始めるのだ。
取材・文/横川良明 撮影/洞澤 佐智子(CROSSOVER)