08 MAY/2017

85歳・世界最高齢モデルが語る「愛と感謝」に満ちた70年の仕事人生【カルメン・デロリフィチェさんインタビュー】

まばゆい雪のような白い髪が、彼女の神々しさを引き立てる。その笑顔は、身に着けているどんなアクセサリーよりも美しい――。85歳にして、現役スーパーモデルとして活躍する、カルメン・デロリフィチェさん。

カルメン・デロリフィチェ

カルメン・デロリフィチェ
1931年にニューヨーク生まれ。4カ国のヴォーグの表紙を、史上初の15歳で務めて以来、85歳になる現在まで70年のキャリアを築いてきた。最近では高齢女性の活躍を自身が体現し、今なおモデル業界のアイコンとなっている

生きる伝説としてモデル界のトップに立ち続け、今なお引く手あまたのカルメンさん。「若さ」がもてはやされる業界にいながら、70年も第一線で仕事を続けてこられた理由とは何だったのだろうか。

彼女の価値観を形づくった生い立ちや、仕事への取り組み方から探っていきたい。

斬新なスタイルが目を引き、14歳でモデルの世界へ

カルメン・デロリフィチェ

初めて『VOGUE』(1947)の表紙を飾った時のカルメンさん

1930年代、カルメンさんが生まれたニューヨークは大恐慌の真っ只中。ハンガリー人移民のシングルマザー家庭で育ったカルメンさんは、苦労して自分を育ててくれた母の期待に応えたい一心で生きてきた。

「当時、女の子には『誰かの妻になること』が求められていました。働きに出る場合でも、看護師か秘書くらいしか女性が就ける仕事はありません。モデルや女優なんかは売春婦と同じような扱いで、社会的に下等なものと見なされていたのです。ただ、もともとダンサーだった母は、自分の夢を託すように、私にバレエを習わせてくれました」

バレエに魅了されたカルメンさんは、毎日情熱を持って練習に臨んだ。そんな彼女がモデルのキャリアをスタートさせたきっかけはスカウト。彼女は今でもそのシチュエーションを鮮明に覚えている。

「それは13歳の時でした。ニューヨークの57番通りと3番街の交差点で、『ジュニア バザー』という若者向けのファッション雑誌でカメラマンをしていた男性の奥さんが私に声を掛けてきたんです。当時の私は腰まで届くようなロングヘアをただおろしていて、これが当時のNYでは斬新だったのかもしれない。『今度、お母さんにこの住所まで連れてきてもらいなさい』って撮影スタジオのアドレスが書かれた紙を渡されました」

当時からファッションは大好きで、貧しいながらも身奇麗な格好はしていたというカルメンさん。母の後押しを受け、人生初の撮影に期待を膨らませて臨んだ。しかし、出来上がった写真を見たカメラマンからは「君はまだ写真映えしないようだね」と言われてしまったそう。「その時は自分自身を全て否定されたように感じて、ただ、悲しかった。言葉の真意はそういうことではなかったのだけれど、当時はそれが理解できなかったんです」と、初めて経験した挫折についてカルメンさんは振り返った。

次に転機が訪れたのは、14歳の時。毎週日曜日に通っていたギターコミュニティーで出会った女性が、『VOGUE』のライタースタッフだったのだ。

当時のカルメンさんのスタイルは、体重が90ポンド(約40キロ)で身長が5フィート9(約175センチ)。「痩せ過ぎで、まるでコート掛けみたいだった(笑)」と自身のスタイルを表現する。だが、彼女を「撮りたい」と申し出て来る『VOGUE』のカメラマンは絶えなかった。

「私はまだ10代だったけれど、格好はすごく大人びていたと思う。それに、幼い頃から貧しい家庭で育って、大人にならざるを得なかったせいか、周囲の大人たちが何を望んでいるのかすぐに察して指示通り動くことができた。だから、重宝されたんでしょうね」

カルメン・デロリフィチェ

およそ10年を『VOGUE』で過ごした後、カルメンさんは活動の場を『ハーパーズ バザー(Harper’s BAZAAR)』に移した。当時、モデルは専属の形をとり、1つの雑誌でしか仕事ができないルールだったのだ。

「直感を頼りに生きてきたけれど、ほら、こんなに幸せよ?」

その後70年もの間、モデルの世界で活躍を続けてきたカルメンさん。仕事を辞めようと思ったことは一度も無いという。

カルメン・デロリフィチェ

「多くの人が驚いた顔で『どうやって続けているのですか?』、『とてもエネルギーがあるんですね』と言ってくれます。そして、『仕事を続けるための秘訣は?』と尋ねてきます。でも、私にとって仕事をするということは、呼吸をすることと一緒。運良く好きな仕事ができているんだもの、すごく幸せなことです。私をこの業界に引き上げてくれた全ての人に感謝しています。もしもモデルにならなかったとしたら、ベビーシッターになっていたかも。コックや、インテリアデザイナーなんかもいいですね。私はいろいろ特技があるので、好きなことを活かして仕事にするでしょうね」

そう笑顔で語る。一方で、「自分が情熱を感じられない仕事はしない」とカルメンさんは断言する。

「自分自身の幸せを大切にせず、妥協して生きている人たちは、まるでロボットのよう。そんなのとても我慢できない。私だったら、自分が情熱を注げるものを見付けてそれに向かっていくでしょうね。今まで、そういう直感を頼りに生きてきたけれど、ほら、今こんなに幸せよ?」

相手の期待に応えること。そこにほんの少し“自分らしさ”を加えて返すこと

「いい気持ちでいれば、いい仕事ができる」。これが、カルメンさんが仕事に取り組む上でのモットーだ。やりたいと思える仕事があるならば、無理そうに思えても、臆せず掴みに行く。

カルメン・デロリフィチェ

「『その仕事を私にやらせてください』、『見習いから始めます。仕事ぶりを見てください』と言ってみるものです。自分で自分にストッパーをかけず、謙虚に、そして情熱を持って進んでいくんです」

年齢は関係ない。情熱を感じる仕事に向き合い続ける。

自然体で輝き続けるカルメンさんの姿を見ていると、世の中の常識に縛られず、伸び伸びと生きることの素晴らしさを実感することができる。

また、長きにわたって周囲から求められ続けるモデルでいるために、カルメンさんが工夫してきたことは実にシンプル。「相手の求めているものに応えつつ、そこに自分らしさを必ずプラスして返すこと」だ。

「着ている服を良く見せること、カメラマンや編集者が求めているものを表現することがモデルの仕事。でも、私にはそこに“自分らしさ”をほんの少しプラスする責任があるんです。言葉で表すのは難しいけれど、私にしかできない仕事がある。それでずっと仕事をもらえているのだから、私のやってきたことはきっと正しいはず。この業界で70年も仕事をさせてもらっている人は他にいませんから、論より証拠ですよね」

上機嫌で仕事をすること。良い成果は、良い気分から生まれる

また、カルメンさんが今なお前進を続けることができるのは、人生をマンネリ化させないための仕掛けを自らつくり出しているからだ。

カルメン・デロリフィチェ

「人は今いるところに満足すると、その瞬間に人生を退屈に感じてしまう。そうなることがないように、意図的に新しいことにチャレンジするようにしています」

常に人生を存分に楽しんでいるからだろうか、彼女はいつだって上機嫌だ。

「良い気分でいれば、良い仕事ができます。そしてそれは、あなたの報酬や評価へとつながるでしょう。良い気分でいるにはどうすればいいか。それは簡単です。いつも微笑んでいたらいいと思います。外を歩くとき、町行く人々に笑顔を向けてみてください。周囲の人に感謝してください。そうするとどうなるか、まずは手始めにやってみるといいですよ」

人には、「幸せでい続ける権利がある」とカルメンさんは強く語る。そのためには、自分の心に素直に生きることが欠かせない。そして、「人は幸せでいるために、働く」。そんなシンプルな答えが、カルメンさんの生き方から伝わってきた。

文/栗原千明(編集部)