スタバ勤続15年、「超ビビりな私」が会社を辞めて人口約170人の小さな島に移住した理由
瀬戸内海に浮かぶ人口169人(※2017年6月現在)の島、男木島。香川県・高松港からフェリーで40分でたどり着くこの島は、2010年から3年おきに開催されている『瀬戸内国際芸術祭』の舞台にもなっており、島のあちこちをアートが彩る。島に暮らす人の多くは高齢者だが、最近では20~30代の若者移住者も増えてきた。
ダモンテ祐子さん(36)も、2016年8月にこの男木島に移住した1人だ。現在は、夫と2人で「カフェ」をオープンするため店舗の建築作業に取り組んでいる。

ダモンテ祐子さん(36)
千葉県生まれ、茨城県育ち。高校を卒業後、服飾の仕事をしながら、20歳でスターバックスコーヒー ジャパン株式会社にアルバイト入社。その後正社員になり、新店舗の店長業務などを務めた。32歳で結婚。15年勤めた同社を退職し、夫と2人で約1年をかけた世界旅行へ。帰国後、香川県・男木島へ移住。現在は、手作りのパンの販売をしながら、自宅横での「カフェ」オープンを目指して店舗の建設業務を夫婦自ら行う
移住前は関東の『スターバックス』で15年間働き、正社員として店長業務まで務めた。男木島とは縁もゆかりもない、ごく普通の会社員生活を送っていた彼女は、なぜ「移住」を決断し、自営業で生きる道を選んだのだろうか。「もともと、すごくビビリな性格なんです」と照れくさそうに笑う彼女に、何となく続いていく“当たり前の日常”から飛び出すことができた理由を聞いた。
とにかく仕事に没頭した20代。30代になった時、「今しかできない事」を問い直した
高校で服飾を専門に学んだダモンテさん。卒業後は進学せず、自分で作った服を周囲の人に売ることを仕事にした。しかし、それだけで生計を立てるのは難しかったため、20歳の時に実家近くにできた『スターバックス』(以下、スタバ)でアルバイトを始めることに。服飾の仕事と、カフェの仕事は一見すると全く違うもののように思えるが、ダモンテさんによれば「自分が作ったもので人が喜んでくれるという意味では一緒」だという。「モノ作りに携わる仕事がしたい」という想いには、子供時代の原体験が影響している。4人兄弟の長女だったダモンテさんは、小学生の頃から弟たちにお菓子を作っては食べさせていた。その時の“弟たちが喜ぶ顔”が忘れられない。
スタバに入社してから7年が経った頃、「店長にならないか」というオファーを会社からもらったダモンテさん。「モノ作りがしたい」という想いが強かったため、マネジメントには一切興味を持っていなかった。そのため、一度ならずオファーを断ったそうだ。

「スタバで正社員になれば生活も安定するし、周囲の人からすれば絶対受けた方がいいオファーだったと思います。でも、当時は好きな仕事ができなくなってしまうように思えて、『いやです!』って言い続けていたんですよ(笑)。でも、会社の方も諦めずにオファーをしてくれたので、渋々ながら店長業務を引き受けることに」
アルバイトの頃から店長に近い仕事を任されていたダモンテさん。仕事内容に大きな変化はなかったが、店長になってからは「人を育てる」ことの楽しさも少しずつ実感できるように。また、採用に関わるようになったことで「人の人生を預かる」仕事の重みも感じるようになった。
「1日のうち、仕事をしている時間は長い。仕事をしている時間が幸せで、その経験が将来のためになるなら何よりです。でも、そうでないならそれは不幸。スタバは働きやすい会社なので離職率もすごく低いのですが、だからと言ってこれといったゴールを持たずに何となくダラダラ働くのはもったいない。そういう意味で、アルバイトの方に退職を促したこともあります」
採用や人事に関わる仕事をしながら、「幸せに働く」ことの意味を深く考えるようになったダモンテさん。30代になり、結婚をして家族ができ、自分の生き方そのものも問い直すようになった。
「仕事はやりがいがあって楽しんでいたけれど、新店オープンラッシュが続いて全国転勤も視野に入れなければいけない状況に。シフトによっては早朝勤務の日もあれば、深夜まで働く日もある。結婚したばかりの夫との時間がなかなか取れず、私が本当に今大事にしたいものは何だろうと考えるようになりました。まだ子どもはいないし、体も健康。貯金もちゃんと増えてきた。ならば『今しかできないことをしよう』という想いが強くなり、夫と相談した上で会社に退職すると告げました」
ダモンテさんは自らを「超堅実タイプ」、「ビビり」と表現する。スタバを退職するという決断は、何年も迷った末にたどり着いたことだった。
「どこに住むか、どう生きるか」その選択肢は無数にある。可能性を狭めていたのは自分だった
退職を決めてからは、夫婦一緒に「幸せに働けるカタチ」について話し合いを重ね、「一緒に自営業をしよう」と決めた。では、何をするか。そのアイデアを膨らませるべく、2人は約1年という時間をかけて世界旅行に出掛けることに。
「食に関わるお店を開こう」ということは漠然と決めていたため、食文化や食材の産地として興味のある国を巡ることにした。イタリア、スペイン、モロッコ、ポルトガル、メキシコ、コロンビア、アメリカ、そして日本……。各国の都市を、暮らすように旅をした。たった1つ定めたルールは「死なないこと」。それ以外はどんなチャレンジでもしようと決めた。結果として、この世界旅行がダモンテさんの人生観を一変させる。

「さまざまな国で生活してみて学んだのは、『私は自由に生きていいんだ』ということ。どこに住むかも選べるし、そこでどんな仕事をするかも選べる。選択肢は無数にあったんです。それなのに、これまで自分の可能性を狭めてしまっていたのは自分だったんだと気付きました」
この旅行に掛かった費用は2人分の総額で約400万円。「クレジットカードを限度額まで使った月もありました。毎回冷や汗ものです(笑)」とダモンテさん。その晴れやかな笑顔に後悔の念は一切浮かばない。各国のレストランやカフェで食事をし、建物の内装やインテリアを見ながら、夫婦で開きたい店のカタチを思い描いた。ダモンテさん夫妻による、特別な「カフェ」だ。日本のいわゆるカフェとは違うものをイメージしているそうだが、「言葉にするのは難しい」とダモンテさん。
世界旅行の最後は、お店をオープンする場所、自分たちがこれから住む場所を選ぶ旅とした。海外でもいいし、日本でもいい。無数の選択肢の中から、自分たちで生きる場所を選ぼうと思ったという。
「暖かい地方に住みたいなと思って、国内では西日本を周りました。ちょうど『瀬戸内国際芸術祭』があった時期だったので、フェリーに乗っていろいろな島を巡りながら、男木島に来たんです。ここに来る前はニューヨークにいたので、落差がすごかった! 時の流れも、そこに生きる人の価値観も、全然違うんです。私から見てニューヨークに住んでハッピーになれる人は、ガンガン稼いだお金を惜しみなく使い、それが楽しいと思える人たち。そうじゃない人たちは、何だか辛そうに見えて。私はもともと物欲は強くない方だから、ここじゃ幸せになれなそうだなと思いました」
ニューヨークや東京のような都会の暮らしは肌に合わない。だからと言って、地方都市に住むのもしっくりこない。夫婦一緒に過ごす時間を大切にし、やりたいことを追求しながら2人で生きていける場所を探す中で「ここだ」と感じられたのが男木島だったという。

フェリーから見る男木島の港

男木島の石垣集落。島内は細い坂道が入り組んでいる
数ある選択肢を見て、吟味した上で自分たちで選んだ場所だった。
「人口も少ない島だし、住んでみて合わないこともあるとは思いましたが、そうしたらまた別の場所に住めばいいかなって。一生住まなきゃいけない決まりがあるわけではないので」
ダモンテさんが暮らす男木島の自宅の窓からは、瀬戸大橋が見える。この橋の建設には、ダモンテさんの父がかつて仕事で関わったそうだ。
「お父さん、私、楽しく生きてるよ!って思いながら、いつも橋を見てます。すごくお気に入りの風景です」

ダモンテさんの家からうっすら見える瀬戸大橋。夜はライトアップされ、キラキラ輝く
見栄もいらない。たくさんのお金もいらない。プレッシャーから解放された毎日が心地いい
移住後は、手作りのお菓子やパンを島で売り、生計を立てている。会社員時代に比べれば収入は減ったが、その分支出も激減。家は買ってしまったので、家賃はゼロ。光熱費に3万円、食費に1万円、その他の交通費などを入れても月の出費は5万円程度で済む。
「お店も少ないし、高松まで出ないと病院もないし、『すごく不便でしょ?』って人からはよく言われます。でも、これまで不便を感じたことは全然なくて。何が不便かは、人それぞれ違うものです。島に来て驚いたことといえば、近所のおばあちゃんが朝の6時くらいに『うちで採れた野菜いるか?』って普通に電話をかけてきたり、家に遊びに来たりすることかな(笑)」
そう言ってダモンテさんは微笑む。周囲の人とライフスタイルが違うことでギクシャクしてしまうことを最初は不安に思ったこともあるそうだが、「ちゃんと断る」ことで築けるいい関係があることも学んだ。

「周りの人に合わせてばかりいると疲れちゃうから、『私たちは8時くらいまでは寝てるよ』、『仕事は9時半くらいから始めるよ』って折々で伝えるようにしています。すると、『そうか』って分かってくれます。それで関係が悪くなっちゃうようなことはないです」
生活リズムは自分たちで決める。朝寝坊だってするし、準備中のお店のオープン日も自分たち次第だ。

ダモンテさん宅の庭先にはお店作りに使う工具がずらりと並ぶ

建築作業中のダモンテ夫妻
「誰かが困るわけではないし、すごくマイペースに働いてます。見栄もいらないし、お金もたくさんはいらない。もしお金がなくなっても、『じゃあどうしようか』って考えるだけ。プレッシャーから解放された生き方が、すごく心地いい」
夫婦間の意見の食い違いがないよう、何度も話し合いを重ねている。そうやって2人で選び取ってきた生き方だからこそ、お互いに納得感を持ちながら生活できる。移住後は、夫婦ともにとても穏やかな気持ちでいられるようになったそうだ。
「世間的に見れば、私たちのその日暮らしみたいな生き方は『安定してない』って言われるのかもしれません。でも、どうにか生きていけるし、生きてく術を見つけるのってすごく楽しい。まだ起こってもいない未来のことを案じて今をつまらなくするのはもったいないなっていうのが私たち夫婦の考え方。死なない限り、失敗したってリカバリーは絶対できるし、お金だってまた貯まります。私は今のような生き方を選んで、やりたいことをやろうって一歩を踏み出せて、本当に良かった。ビビりな私の背中を押してくれた夫にも感謝したいです」
オープンまであと少しの2人のお店の名前は『ダモンテ商会』に決めた。柱も、窓も、お店の全てを2人で作っているところだ。島の人たちも、お店のオープンを待ち望む。「やりたいことをやろう」と新たな扉を開けたダモンテさん夫婦がやって来たことで、島の人にも楽しみが増えた。

建設中の『ダモンテ商会』の前で
私たちはつい、身近な環境の中の「当たり前」と思われる生き方に縛られてしまいがちだ。だが、今いる会社や、今暮らしている地域の常識が“全て”ではない。もっと自分らしく幸せに働き、生きられる環境が他にあるかもしれない。自分が持っている「無数の選択肢」について、いま一度考えてみたい。
取材・文/栗原千明(編集部) 撮影/石部香織