30代で乳がん、不妊を宣告された女性が選んだ「毎日100%」やりきるキャリア/西部沙緒里さん
今年1~3月に放送された、不妊や妊活をテーマにしたドラマ『隣の家族は青く見える』(フジテレビ)が話題になった。
欲しいと思ったときに子供を授かれるかは、誰にも分からない。でも漠然と、根拠もなく、「自分は大丈夫」と思ってしまう。37歳で乳がんに罹患し、不妊を宣告された経験を持つ西部沙緒里さんも、そんな女性の一人だった。
西部さんに20代女性に伝えたいことを尋ねると、「『健康に気を付けて』みたいなメッセージを送りたい気持ちは全く湧かない」と、少し意外な返答。
圧倒されるほどパワフルな西部さんのお話には、働く女性が仕事をしながら“後悔のない人生”を送るためのヒントが詰まっていた。

株式会社ライフサカス CEO / FOUNDER
西部沙緒里さん
「子どもを心から望む女性が、みんな母になれる社会をつくる」をカンパニービジョンに掲げ、2016年9月に創業。不妊女性を応援するサービスとして、不妊、産む、産まないに向き合うメディア『UMU』の運営、研修・講演事業を行っており、18年6月には、不妊治療当事者の治療生活をサポートするアプリ『GoPRE』をリリース予定。遡ること02年、早稲田大学から株式会社博報堂に入社。約10年+のサラリーマン生活を送りつつ、社内外でソーシャルプロジェクトを複数運営。14 年、大病を機に不妊を宣告され、「産める?産めない?」で苦しむ女性をとりまく日本社会の“不条理な現実”を知る。そこから、当事者の立場で不妊女性のデータと生声を集め、みんなの「母になりたい」を叶えるべく、創業を決意。自身は不妊治療を経て17年に出産、一児の母
「私はどう生きればいい?」答えが見つからないまま、30代で病気と不妊が発覚
私は「青い鳥症候群」の期間が長かったんです。新卒で博報堂に就職したけれど、広告やメディアに強い興味があったわけではなかった。
面白い種が転がっていそうで、自分の生きる道が見つけやすいかもって印象で入社を決めただけ。38歳で起業を決意するまでやりたいことが明確にならなくて、それがずっとコンプレックスでした。
だから会社に勤めていた13年間は、目の前の仕事を頑張りつつも、さまざまな社外プロジェクトに携わっていました。
「私はこのために生きている」って言える何かを見つけたくて、あちこちに首を突っ込んで回っていた。楽しくて充実していたけれど、今振り返れば、そうやって動き回ることで自分を納得させようとしていたんだと思います。
そんな生活を続けていた36歳の時、左胸にしこりが見つかったんです。
検査で正式に乳がんであることが分かりましたが、がんは死ぬ病だと思っていたから、宣告された時は「終わったな」って思いました。
中途半端にあれこれつまんで、どれも自分のものにしきれていない。「西部沙緒里はどう生きるの?」って答えを見つけられていないまま、途中で全部強制終了か……って。

幸い早期発見だったから、抗がん剤の投与は現時点では不要との見立てがあり、治療のメインは手術とそこからの経過観察でした。
体調や治療スケジュールと相談して、復帰できるときは会社に戻って働きながら、約1年間闘病しました。
同時に、年齢のことと、女性系のがんになると妊娠しにくくなるかもしれないってことが、頭の隅っこになんとなくあった。それで検査を受けたら、不妊治療が必要と診断されました。
「死期を早めるかもしれないけど、子供が欲しいですか?」
「妊娠できる確率は10%以下。その覚悟で考えた方がいい」。お医者さんにこう言われたことは、私にとって、がんになったことよりもショックでした。
乳がんは外れくじを引いてしまったような感覚だったけれど、不妊は自分に責任があるような気がしてしまって。自分を大事にしてこなかった結果のように思ってしまったんですよね。女性性を全部否定されたように感じてしまいました。
そしてその時に初めて、「子供が欲しい」という自分の気持ちに、今まで一度も本気で向き合って来なかったんだってことに気づいた。
欲しくないわけではなかったけれど、心の底から子供を産むことを自分が望んでいるかどうかって、なかなか分からないじゃないですか。
年齢の問題はあるものの、40代で産んでいる先輩もいたし、「産める・産めない」のはっきりした境目はないのに、私はいきなり最後通告を突きつけられてしまったような気持ちでした。
それまで婦人科系に特別不調があるってことはなかったし、がんが不妊の原因として影響していたのかどうかも分かりません。
ただ、私の場合はホルモン依存性が高いタイプのがんだったので、不妊治療や妊娠をすること自体ががん再発のリスクを少なからず高めてしまう可能性がある。
これって、大げさに言えば「死期を早めるかもしれないけど、子供が欲しいですか?」っていう問いなんですよね。結果的には、それでも不妊治療をして子供を得ることを選び、妊娠・出産に至りました。

ただ、最初は葛藤があったし、不妊の事実にも向き合えていませんでした。気持ちが変わっていったきっかけは2つあって、一つは夫。
がん闘病の当初から始まり、「この治療は◯%の可能性でうまくいって、一方でこんなリスクがある」って資料を作って、「決めるのはあなた自身ですよ」って毎回選択肢を示してくるんですよ。私も「決めればいいんでしょ!」みたいな感じで。
当時は「もうちょっと感情的になって寄り添ってよ!」ってムカつきましたけど、結果的には最適な関わり方だったのかなと思います(笑)
そしてもう一つのきっかけが、人知れず不妊に悩んでいる人の存在です。不妊治療をしていることを公言し始めたら、「実は私も」って教えてくれる人が周りにたくさんいたんです。
その時に、内に向いていた思考が外に向いたんですよね。これまで自分の生きる道を求めてきたけど、不妊に悩む人たちに差し伸べる手がないのであれば、もしかしたら私がなれるかもしれない。それが、ライフサカスを立ち上げた原点です。
人生に迷っていてもいいじゃない。人はいつだって“必要なプロセス”を生きている
がんサバイバーであることも、不妊のことも、誰にも言わずに生きていくことはできる。実際、当初はひた隠しにしていた時期もあった。
でも私は、葛藤も含めた自分のあり方を社会に見てほしいと思ったし、我が身に起きたことを恥じない自分になりたい、と考えるようになりました。
会社をつくって『UMU』をオープンしたのは、悩んでいる人の力になりたい思いもあるけれど、自分への決意表明が一番大きかったような気がします。

『UMU』
今は生まれて初めて、「自分の人生を生きている」って思うんですよ。そして、どんな人生もありだなって、心の底から思えるようになった。
今までは、「生きる道が見つかっていない私は本当の私じゃない」って自分のことを縛っていたんですよね。
でも、モラトリアムの渦中にいた当時の自分に価値がないだなんて、今は全く思わない。人間は必要なプロセスを生きていて、その道に対して突っ走っている時期もあれば、そうじゃない時期もある。
どっちが良い悪いって話ではないんだなってことが、本当の意味で分かったんです。
すごくフラットで、自由になったと思いますし、生きるのが楽になりました。
もし当時の自分に伝えたいことがあるとしたら、起きた物事そのものに、良いも悪いもないっていうことかな。
今の私が言えるのは、「もう死んだ」と思っても死なないってこと。渦中にいるときは「無理!」ってなってしまって、特にその振れ幅が20代は大きいから、彼氏に振られて世界の終わりのような気持ちになっちゃう(笑)
でも物事は繋がっていくから、ちゃんと生きていけるし、そのことがきっかけになって、素敵な果実が実ることだってあるんです。
私はがんや不妊という、通らずに済んだかもしれない道のりを通って来たし、未だにそうならなければよかったなって思うこともあるけど、一方でそこから得たこともある。この経験がなかったら、今の自分は間違いなくありません。
最近自分で作った座右の銘は、「人生は“終わった”と思った瞬間に、次の扉が開いている」。その瞬間は見えていなくても、端っこでは次の扉が開いているもの。
陰と陽は常に表裏一体で、そんなふうに人生は廻っているなって思うんです。
起きた物事に一喜一憂するよりも、その背景や自分の感じたことに目を向けて、一つずつ丁寧に紐解いていく。そうすることで本質が見えてきて、物事の捉え方も変わっていくんじゃないかなと思います。
「産む・産まない」のボールを女性が持ち続けるために、“どう生きたいか”を考えて
一方で、「若いうちから健康に気を付けて」みたいなメッセージを伝えたい気持ちって、不思議と1ミリも湧いてこないんですよね。
病気や不妊になるって、不謹慎な表現かもしれませんが、年を取るほど外れが増えていく宝くじみたいなもので、特にがんは、備えたからって確実に回避できる訳ではない。
なんにせよ、先のことは分からないから、20代女性が必要以上にあれこれ心配し過ぎることはないと思います。
ただし、しかるべき年齢で女性が自分の人生を選び取るためには、正しい知識が必要です。知らなければ、そもそも選択肢が持てません。
そういう意味で、若い女性の婦人科検診の受診率や、妊娠・不妊の知識を含めたヘルスリテラシーが低過ぎることには危惧を感じています。
将来子供を持つにしろ持たないにしろ、より良く長く、楽しく人生を送るための最低条件が健康ですから、学生から若手社会人に至るまで、教育の改善やさらなる啓発活動は必要だと思いますね。

その上で、選ぶのはあくまで本人です。本来「産む・産まない」の選択は、やむを得ない疾病的事情などを除けば、自分ではない何かに委ねられるものでは決してないはず。
だからこの選択のボールを持ち続け、納得して選び取るためにも、自分のカラダや人生について自覚的であってほしいし、“どう生きたいか”を若いうちから、その時々で考えたり語ったりできるといいですよね。
同年代の人だけでなく、少し年上の人とか、意識的に多様な意見を取りにいって、いろいろな例を見られるといい。
簡単に答えは出ないし、全てをプランニングはできないけれど、それでも考えることは本当に大切です。
AとBとCがある中でBを自分で選ぶのと、消去法で結果的にBになってしまった、という状態はやっぱり違う。流される人生にも幸せはあるし否定はしないけれど、考えるチャンスを逃して後悔している人は、自分を含めて少なくないものです。
私はこれから、『UMU』の運営や研修・講演、そして不妊治療中の女性・カップルを全力応援するアプリ『GoPRE』を通じ、妊娠の適齢期を逃して結果的に不妊になってしまう「社会的不妊」や、不妊治療の当事者が抱えている不便益を減らしていきたいと思っています。
できると思っているし、その結果として社会が変わっていくのを見届けたい。そして、夫よりも長く生きたいな。たくさんお世話になっているので、最後くらいは彼の世話をしてあげたいから。
最近は“今この瞬間を生きている”って感じが強くて、あまり先のことは考えなくなったんですよ。もちろんダラダラする日もあるし、やる気が出ない日もあるけれど、手を抜かないで、極力、毎日100%やりきる。そうやって日々を大事に過ごしていって、先のことにとらわれ過ぎずに、変化していく自分や家族を楽しみたいですね。
取材・文/天野夏海 撮影/栗原千明(編集部)