「女は山に入るな。神が怒る」インドの地下鉄建設を手掛ける女性エンジニアが乗り越えた“しきたり”の壁
経済成長目覚ましいインドでは今、地下鉄建設が進められている。2018年の5月には首都ニューデリーで日本が支援した新路線が開通し、線路の総延長は東京と肩を並べる規模に拡大。その立役者となったのが、株式会社オリエンタルコンサルタンツグローバル、インド現地法人取締役社長の阿部玲子さんだ。
女性が圧倒的マイノリティーとなる土木、建築の世界で、“業界初の女性社長”に就任した阿部さんの人生には“Live Strong”な知恵がたくさん詰まっている。第23回『国際女性ビジネス会議』(2018年7月22日開催)の中で阿部さんが語ったこれまでのキャリア、インドでの地下鉄建設プロジェクトの舞台裏、ダイバーシティーマネジメントについてご紹介しよう。
「女性エンジニアが山に入れば、神が嫉妬して山が崩れる」
現場に入れず葛藤しながら過ごした7年の日々
インドでのとある休日、私は買い物に行くためにオート・リクシャー(三輪タクシー)に乗っていました。 インドでは道が工事で大渋滞していることがよくあるのですが、その日も地下鉄の建設工事のせいで、車が全く動きませんでした。オート・リクシャーの運転手がくるっと私の方を振り向いたので、「イライラして文句でも言うんだろうな」と思ったら、“Madam, This is our metro!”と実に自慢げに言ったんですよ。どうだ、これが俺たちのメトロだぞ、と。
もちろん彼は、私がその工事を仕切っているなんて知りません。この運転手の言葉を聞いて、エンジニアとして私は胸がすごく熱くなりました。ただ、このオート・リクシャーの運転手、その後に「マダムの国には地下鉄はあるのか?」って聞いてきたんです。「あたしが作ってるんだよ!」と心の中で思いましたが、にこにこしながら話を聞いておりました(笑)。
改めて自己紹介ですが、私はグローバルで建設コンサルティングを行う企業に勤めております。例えばですが、発展途上国でメトロを作る場合、作業現場にいる現地人のうち99%の人は、メトロを見たことも乗ったこともない。そういう方たちをサポートし、仕事を一緒に遂行するコンサルティング業務を行います。
ここまでたどり着くまでは、本当にいろいろなことがありました。学生時代にトンネル工学を専攻していた私は、就職したらゼネコンに入りたかったんですね。でもね、当時ゼネコンは女性総合職の採用をしていなかったんです。それで、知人経由ではいった企業で設計業務をすることに。「いよいよビジネスの場で、学びが活かせる」と張り切っていた矢先、「山には女の神さまがいるから、女が工事現場に入るのは不吉だ。女性エンジニアが入ったら、山の神様が嫉妬して山が崩れる」と言われました。昔ながらの言い伝えが、私の前に立ちはだかったわけです。エンジニアなのに、現場に入ることができない。そんなハンデを背負ってスタートを切り、7年間はデスクワークばかりしていました。
「このままでは私、きっと潰れてしまう」
そう考えた末に行きついたのが、男女平等先進国であるノルウェーへの留学でした。ノルウェーでの学びを終えたら、次は台湾へ。そこでは新幹線を通す事業に参画し、いよいよトンネルにも入ることができました。
「おい、女が来たぞ!」インドの現場は大騒ぎ
その後、転職を経て、そこで「インドのデリーでメトロを作らないか」というお話をいただき、履歴書をクライアントに提出してOKをいただきました。インドでは履歴書に写真は載せないし、性別も書きません。それがあるとフェアな採用が行われないからということです。
私は阿部玲子ですから、日本の方が見れば絶対に「女性の名前」なんですが、英語の履歴書では分からなかったようで、初めてのミーティングの時に「お、女がいる!」「女が来たぞ!どういうことだ」とその場はちょっとした騒ぎに(笑)。クライアントも「まさか」とびっくりしていたようでした。
その後、いくつかのプロジェクトをインドで手掛けてから、プロジェクトマネジャーを務めることに。これは、女性初のことだったので、やっぱりクライアントが難色を示してきました。「プロジェクトマネジャーは女性にできる仕事ではない」と言われたのです。でも、その時にサポートしてくれたのは、デリーのメトロをつくる時に一緒に仕事をしてくれたインド人のエンジニアたちでした。「彼女ならできる」、そう言ってくれたんです。
そして別のインド人エンジニアが言いました。“She looks like woman!”(彼女は女性に見える人だ)
「あたしはピュアなウーマンだよ!」とつっこみたくなりましたが(笑)、でもまぁ、彼らの説得もあり、クライアントにも認めてもらうことができました。
今では、メトロ各種とインド新幹線をつくる仕事をしています。これから、インドで日本の新幹線が走ることになるんですよ。ですから、今度は、「マダム、これが俺たちの新幹線だ!」と言われる日がくるかもしれない。そう思うと、胸が高鳴ります。
ダイバーシティーの現場では「日本の常識」はまるで通用しない
ご存じの方もいらっしゃるかもしれませんが、インドはただの発展途上国ではなく、非常に栄えた地域もありますし、道路を見渡せばそこはカオス。“何でも通る”ということで有名です。オートリキシャ、自転車、バイク、車、ラクダに象、大渋滞しているときに後ろから視線を感じるな……と思ったときは、きっと牛がいます。
次に、インドの道の下にはさまざまな埋設物があります。しかも、何がどこに埋まっているかを示すマップのようなものはありません。でも、工事をするときには、地面を掘り起こす必要があるわけです。すると無数の電線のようなものが出てくるんですが、何が何の線なのか一切分からない。これ、どうすると思います? 我々は、ためしに1本切ってみます(笑)。すると、A地区の方から「俺のとこのケーブルテレビが見れない」というクレームが入ってきて、ようやく「ああ、この線はケーブルテレビの線だったのか」と分かるんです。でも、インド人エンジニアたちは、とってもミスが多いのがたまに傷。3本くらいいっぺんに切ってしまって、何が何だか分からないという事態が起こります。
また、彼らは安全管理の意識が非常に希薄。工事現場には裸足で来るし、ヘルメットも被らなくて当たり前。作業者の安全は何より大事ですから、ヘルメット、整備シューズ、ジャケットの着用を義務付けるようにしました。もしも労働者がヘルメットを被っていなければ、現場の外に追い出すなど、徹底した安全管理を敷くようにしたのです。追い出された労働者はその日の日当がもらえませんから、一気に状況は改善しましたよ。でも、現場で作業をしている人と、警備担当が結託し出して、私が現場に来ると「マダムが来たぞ!」と笛を吹いて一斉にヘルメットを被るようになったということがありました(笑)。時には鬼になることも必要ですね。
こうやって気を付けていてもですね、あってはならない事故は起こってしまうことがあります。
私たち日本のエンジニアは世界で一番の安全管理を誇っています。そんな私たちがインドにもたらせるものも多いはず……、そう考えていた矢先です。日曜日、メトロの工事現場でクレーンが倒れました。これはすごい事ですよ。もちろん、私のところに電話が入ります。
「マダム、クレーンが倒れてしまったよ。ノープロブレム」
ノープロブレム!? クレーンがひっくり返っていて何がノープロブレムなのか!
また次に、夜中の3時に電話がかかってきました。
「マダム、ロード、ディサピアー(道が崩れ去った)。ノープロブレム」
そんなわけがありません。道路が崩れて無くなったんですから!
建物の壁に大きな穴があいてしまったことも。現場の担当者に是正処置報告書を出すように命じました。自己の再発防止のために、今回事故が起きた原因を分析し、改善措置について記す資料です。
そうしたらですね、今後の予防措置を記入する欄に、「believe me」と一言書いてある資料を彼から渡されました。こんな資料、日本で出せるはずがない(笑)。
そんなこんなで、ダイバーシティーの中でさまざまな洗礼を浴びる日々を送っております。
インドにおけるメトロ、新幹線の建築を担う女性エンジニアはまだ私一人だけ。4万人の労働者がいるのに、まだ一人なんです。だから、正直女性活躍云々言えるような状況ではないんですが、言いたいことはたった一つ。
皆さん、安全には気をつけて働きましょうね。
取材・文・撮影/栗原千明(編集部)