「ありたい姿」が見つからず悩み抜いた20代――社会人留学、転職、不妊治療などを経てキャリアについて思うこと
長く仕事は続けていきたい。でも、どんな仕事が自分に合っているのか、そもそもどんな人生を送りたいのか、自分のありたい姿が明確にならない女性も多いはず――。そこでこの連載では、さまざまな人生経験を積んできた『育キャリカレッジ』のメンターたちが、“豊かなキャリア”を描いていくためのヒントを後輩女性に向けて送ります
こんちには、キャリアコンサルタントの山田恵理です。皆さんは「キャリアコンサルタント」って馴染みはありますか?
今では国家資格となりましたが、私が取得した2014年はまだ民間資格で、キャリアカウンセラーという名称でした。キャリア形成や職業能力開発などに関する相談・助言(キャリアコンサルティング)を行う専門家です。
私はこの資格を得て、これまで大学生から定年後のシニア世代まで幅広くキャリアに悩む方々のコンサルタントとして活動してきました。その縁で2018年から、働く女性向けにメンターサービスを提供する「育キャリカレッジ」でメンターも務めることになりました。
これから2回にわたり、皆さんに私の「キャリコン」視点での経験をお伝えしていくことになりますが、まずは簡単に自己紹介からさせてください。

【この記事を書いたメンター】
山田恵理さん
JCDA認定CDA(キャリアデベロップメントアドバイザー)、国家資格キャリアコンサルタント。「育キャリカレッジ」の公式メンター。現在は週3日、都内の人材会社で女性起業家を支援する事業に関わるほか、フリーランスとして女性専門キャリアコンサルタント事務所に所属、育キャリのメンター&プロボノ、秋田時代からの縁で遠隔キャリア相談や秋田県のメルマガにキャリコンコラム寄稿など幅広く活動している。双子の息子は3歳半のやんちゃ盛り。苦難の保活はゴールを迎えたが、育児と夜泣きに追われる日々
女子大を卒業し、何となく金融業界に就職
“自分に満足できない日々”を過ごした20代
私は愛知県出身で、大学は東京都内の女子大を卒業し、新卒で金融業界に就職しました。いわゆる就職氷河期の就職活動で、女子大なら「金融」というような波に乗ってしまったところがありました。
それもあってか、当時配属された財務部での収支業務には興味を持てずに、自分自身に満足しない日々が続きました。そこで、自分のやりたい事ってなんだろうと自分の「キャリア」について真剣に考えたのが入社3年目の時でした。
その時に見つけた答えは、「語学でキャリアアップしたい」という思いでした。高校は英語科で、大学も国際系の学部に通っていたという自分の経験を「棚卸し」してみて、そのような結論に至ったのです。
自分なりの答えを得たことで丸3年勤めた会社を退職し、スペインに留学しました。今でも覚えていますが、公務員だった父は「世の中はそんなに甘いものじゃないぞ」と娘の無謀な決断に釘を刺しました。ですが、当の私はワクワクする気持ちしかありません。2年間の留学の大半をサラマンカという地方都市で過ごし、スペイン人の友人とルームシェアをして現地の大学に通い、スペイン語で授業を受けられる程度の語学力を身に付けることができました。
留学から帰ってきても、「ありたい自分」にはまだ遠かった

このサイトをご覧になっている皆さんの中には「転職を考えながらも踏み切れない」という方がいらっしゃるかと思います。「なぜそんな簡単に退職できたのか」「しかも転職じゃなくて留学……、実家が裕福なのか?!」などと疑問を持たれるかもしれませんが、実家は(先ほども書きましたが)普通の地方公務員家庭。なぜ、退職できたのかといえば、「現状維持よりも挑戦したい気持ちが勝ってしまった」からとしか言えません。留学資金は3年間の仕事で得た貯金を充てました。
帰国した私は、中央省庁の非常勤職員でスペイン語を使用する業務に就きました。ですが、そこでも「ありたい自分」とは程遠かったように思います。スペイン語を生かして留学生をサポートする部署の仕事をイメージし、ようやく私立大学の正職員に落ち着きますが、配属されたのは思いもよらない人事課。今思えばこれが最初の転機でした。
職員向けの研修を企画したり、時には転職1年目の私が「入社同期」にあたる新人の研修で講師を務めたり、新卒採用の何百通ものエントリーシートに目を通したり……。さまざまな経験をする中で、こんな思いが膨らんでいきます。「もっと専門性を持って人々のキャリアに関わる仕事がしたい」。それで見つけたのが、キャリアコンサルタントの資格でした。
この時、初めて「ありたい自分」が明確にイメージできたのです。
資格取得後は大学生のキャリアサポートをする部署に異動願いを出そう、なんて思っていたぐらい、当時の私は張り切ってこの資格取得に励んでいました。一方、結婚して2年半が過ぎ、そろそろ子供が欲しいという思いも強まっていたところです。
でも、当時の職場で育児をしながら働いている先輩は50人近い女性の中でたった1人! ロールモデルとなる先輩はおらず、この職場で育児をしながら働くイメージがまったく持てませんでした。
不妊治療も考えていたのですが、完全担当制の給与業務だったので、急に会社を休むわけにもいきません。悩んだ末に退職を決断すると、周りからは「なんで辞めるの?もったいない」という声が多く、留学を機に辞めた時とは反対に、辞めてからもモヤモヤした迷いを引きずりました。この時の私に、この決断を受け止めてアドバイスしてくれる「メンター」がいてくれたら、こんな気持ちにならずに気持ちよく前に進めたのに、と今では思います。
不妊治療を経て出産。夫の転勤がきっかけで訪れた転機
その後にキャリアコンサルタントの資格を取得し、非常勤でまた違う大学のキャリア支援の部署で働き始め、不妊治療との両立も出来て双子を授かることもできました。あの時辞めたことは間違いではなかったと思えるようになったのは時間がかかりましたが、その思いが更に強くなったのは、突然、夫に「秋田県赴任」の辞令が出た時でした。

当時私は双子を出産し、育休から復職するために職場に挨拶も済ませたころでした。「流れに乗ってみるのもいいか」と思えた1つは、キャリアコンサルタントとしてどんな場所でも働ける自分でありたいと思うようになっていたからです。
そして、よく相談者の方にも紹介するのですが、キャリア理論の「プランドハプンスタンス(計画的偶発性)」という考え方が好きだったからです。それは、「個人のキャリアの8割は予期せぬ偶然の出来事によって形成される」というもので、予期しないできごとや出会いをポジティブなことと捉え、前向きに受け入れることで、その後のキャリアを豊かなものにするという考え方です。秋田への帯同はまさにこれだったのです。
そうして飛び込んだ秋田は、私に最高の経験をもたらしてくれました。これが2番目の転機となりますが、キャリアコンサルタントとして雇ってもらった会社で、キャリアに悩む多くの女性の相談を受けました。「副業してみたけど、大変でとまどっている」「起業を考えているけど自信がない」「働くことに家族の理解が得られない」「仕事と育児の両立が苦しい」など、特定の職種、職域、年齢にとどまらない幅広い方々のお話を聞く中で、キャリアとは広い意味で人生であり、その人の生き方やその人の家族を含めた個人を取り巻く環境のすべてなのだと改めて思いました。そして、迷っている・悩んでいる・アドバイスを求めている女性たちを目の前にした時に私の経験が役に立つのであれば、シンプルに力になりたいと思いました。
そんな思いでいる中で、私自身が「育キャリカレッジ」に出会い、代表の池原さんが発信するメッセージに強く共感したことが始まりで、今こうして関わっています。
そして、「育キャリカレッジ」が掲げている「キャリア・エンリッチメント(豊かなキャリア)」を多くの女性が築けるよう、昔の私のように一人で悩んでモヤモヤする気持ちを抱えている女性の力になりたいという思いで今、メンターをしています。
ここまで読んでいただき、私のキャリアが決して順風満帆でなかったことはお気付きだと思います。転職、留学、正社員、非常勤、無職、転勤帯同、といったさまざまな立場を経験してきました。これらの時代を経たからこそ、今やっと自分自身で舵をとって進みたい方向へ向かうことが出来ています。この経験を通して、友達や家族、同僚ではない外部のメンターとして、キャリアを育む手助けをしていきたいと思っています。
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